北カフカスに広がるイスラム勢力

アレクセイ・マラシェンコ(Alexei Malashenko)
カーネギー・モスクワセンター

訳・ジャヤラット好子

line
 広くは宗教純化運動、狭くは過激派政治勢力を指して使われる「イスラム原理主義」は、いずれにせよ、少し前までは一部のアラブ諸国で目立つ現象として捉えられていた。それが最近は、東は新彊(シンチャン)にまで至る中央アジア、西はカスピ海を越えてカフカス地方に及ぶ広大な地域一帯でも、社会のイスラム化や過激派の武闘活動が注目を引くようになった。かつて諸国からムジャヒディン(聖戦士)を集めたアフガニスタンが、96年9月に首都を落としたタリバーン政権の下、ジハード(聖戦)を標榜する過激派勢力の国際的な結節点になっていると言われる。彼らが活動する地域の大半に共通するのは、冷戦の終焉とソ連の崩壊の影響をじかに受けた点ではないだろうか。ことにロシア連邦に属する北カフカスの場合、モスクワの政策ないし政争と切り離して考えることはできない。一度は手を引いたチェチェンをめぐり、政界の黒幕ベレゾフスキーが強硬派バサーエフに資金を与え、連邦政府がマスハドフ大統領に見切りをつけたのも、間近に迫った下院選や大統領選と無関係であるはずがない。カスピ海の石油パイプラインでトルコ・ルートの実現可能性が高まる中、ロシアの対チェチェン攻撃は激化の一途をたどっている。[斎藤]

line

 ロシアの夏が終わっても、北カフカスに鳴り響く爆音は止まなかった。1999年8月、シャミーリ・バサーエフとワッハーブ派のヨルダン人、ハビブ・アブド・アッラフマン・ハッタブに率いられたチェチェンの武装グループが、ロシアからのムスリムの解放とイスラム国家の樹立を求め、ダゲスタン共和国に侵入したのが始まりだった。彼らはタゲスタン人からはまったく支持されず、ひとまず撤退を余儀なくされるが、9月初め、再びダゲスタンに侵攻する。これと並行してモスクワその他の都市で流血テロが相次ぎ、ロシア当局は報復として、対チェチェン攻撃を決定するに至った。首都グロズヌイと「テロリストの拠点」が空爆され、チェチェン共和国は完全に包囲された。続く9月26日、「数通りの地上作戦計画」が練られていることをセルゲーエフ・ロシア国防相が示唆し、94年から96年にかけての血塗られた戦争(1)が再現するのではないかとの懸念が広がっている(2)

 突如として起こった今回の紛争では、北カフカス全体の安定が焦点となっている。その鍵となるのがダゲスタン共和国である。軍隊にとって後方基地となる位置にあるばかりでなく、この小国に紛争が拡大すれば、北カフカス全域でロシア連邦の解体が加速してしまうからだ。

 「山々からなる国」を意味するダゲスタンは、北カフカスの共和国群の中で最も広く、最も住民が多い国である。国土の西側には山脈が連なり、東側にはカスピ海を臨む。5万平方キロメートルにおよぶ領土に210万人の住民をかかえている。40あまりに分かれた民族のうち、アヴァール、ダルジン、クミク、レズギン、ラークの五大民族が、政治と経済の中枢を握る。ロシア人は住民の1割に満たず、その地位は下降の一途をたどっている。

 ダゲスタンは、ロシア連邦を構成する共和国の中で中央政府への依存度が最も高い。予算の9割をモスクワに頼っている。国内の大企業は低迷し、農業は悲惨な状態にある。ロシアの他の地域と比べ、給与水準は3分の1から4分の1という低さだ。失業率は、グサーエフ民族・対外関係相によれば30%ほどだが、別の筋によると80%にものぼる。高い失業率のため、すでに悪化している治安はますます悪くなった。犯罪グループや麻薬密売人、誘拐団などの抗争は日常茶飯事と化した。

 生活環境の改善、治安、雇用といった人々の願いは、共産主義者の人気上昇とイスラム過激派の影響力拡大という、二つの対極的な傾向を助長していった。ダゲスタンでは、93年の国会議員選挙で共産党が50.8%の得票率を獲得し、96年の大統領選第一回投票でジュガノフ委員長が63.3%の得票をさらった。これを第二回投票でひっくり返すため、クレムリンは強力な圧力をかけ、「技術的」と称する操作を加えた。

 今年12月のドゥーマ(ロシア下院)の選挙がダゲスタンでどういう結果になるか予測はできないが、イスラムを標榜する政治グループが勢力を拡大することは確実だろう。これらのグループは「原理主義」または「イスラム主義」と形容されることもあるが、「ワッハーブ派」と呼ばれることが多い。ワッハーブとは、18世紀のアラビア半島でムハンマド・ビン・アブドルワッハーブ師が興したピューリタン的な宗派であり、現サウジアラビア王国の源流になっている。今のダゲスタンの具体的な状況に即して言えば、「純粋なイスラム」を標榜するが政治的活動をしない原理主義者と、「イスラム主義者」と呼び得るような戦闘的活動家は、区別されると言うことができるだろう。

12憶人のウンマ

 いずれにせよ、ソ連解体後の新時代に失望し、恐怖の中にも安心感があった共産主義体制に戻れるとも思わず、自国の指導者たちをあまり信用しない人々は、イスラム法「シャリーア」の支配するイスラム国家という構想に好意を寄せる。そのような国ができれば社会は公正なものとなり、誰もが望んでやまない安定を最高神アラーがもたらしてくれるのだ。

 こうした「イスラム・プロジェクト」は、ユートピアのようだとも言えるのだが、強烈な宗教意識の目覚めによって育まれ、戦線に赴くことも厭わない多くの人々の願いに呼応したものだ。ダゲスタンには現在、公式統計によればマドラサ(宗教学校)が650校、10年前には40カ所しかなかったモスクが1670カ所(実際には5000カ所)あるという。ロシア最大のモスクはダゲスタンの首都マハチカラに建立されている。また国内に3500人のイスラム指導者がいるとされるが、実際の数ははるかに多いだろう。

 イスラムの復興は、この統計では部分的にしか反映されていない。人々は、自分たちが「ムスリム」であり、世界に広がる12憶人のウンマ(共同体)の一員であることを自覚した。ダゲスタンのムスリムは、ロシアではマイノリティでも、世界的には大勢力になっていることを理解した。

 イスラム再生党、ナフダ、ジャマーアト・ウル・ムスリミーン、ロシア・ムスリム連合のように、ダゲスタン全域で活動する勢力もあるが、多くの親イスラム集団は民族単位で結成され、地元の村を拠点とする。ワッハーブ派に加わってシャリーアを法とすることを公言したのは、南西部の山岳地帯にある二つの大きな村、チャバンマヒとカラマヒだけにとどまる。原理主義者の新たな精鋭が養成されつつある。彼らは安定感や政治経験はあまりないが、大きな野心を抱き、ダゲスタンの将来を決定するほどの影響力を持つようになりたいと望んでいる。イスラム主義者たちは、堕落してモスクワに服従するばかりのダゲスタン政府にも、己の権威と国の安定を脅かす急進派を恐れて政府を支持する日和見主義の聖職者層にも、強い反感を覚えている。こうしたイスラム内部の矛盾が噴出した事件が、今年の初めに起きたムハンマド・アブバカロフ師の殺害だった。彼は、民衆の人気が高く、ダゲスタン政府と連邦政府にも受けがよく、急進派とワッハーブ派に反対する立場をとりながら、連邦法に調和する限りでのシャリーアの導入に賛成していた人物だった。

 ダゲスタンのムスリムが強硬な姿勢を強めている背景として、外部勢力という要因を過小評価してはならない。公式統計によると、1500人の若者が中東各国のイスラム系の学院や大学に留学している。その多くは、サウジのワッハーブ派などの急進的な思想に染まって帰国する。他方では、パキスタン、エジプト、ヨルダンなどから何百、いや何千人ものイスラム指導者が流れ込み、イスラム国際組織「タウバ」や「イブラヒム財団」のようなサウジ寄りの組織も多数、ダゲスタン国内で活動している。サウジ反体制派で米国ナンバーワンの敵、ウサマ・ビン・ラーデンのグループが入り込んでいるという情報もある。

 アラブ人、アフガン人、タジク人など、非合法活動をしているとして内務省に逮捕された外国人は、この3年間で40人以上にのぼる。地域を越えた提携も進んでいるようだ。97年には、中国人が逮捕されて送還され、新彊のイスラム勢力の活動を懸念する中国政府は、ロシア当局に熱烈な感謝の意を表した。

何がロシアの国益か

 こうしたイスラムの影響拡大と政治化という国内事情からすると、イスラム国家の樹立とシャリーアの導入を公式表明した隣国チェチェンとの同盟の動きがあってもおかしくなかった。チェチェン側には、ダゲスタンと合併してイマーム国家を建設しようという構想を支持する政治家も多い。バサーエフ野戦司令官やウドゥゴフ元外務大臣のような急進派は、「不信心者」のロシアの支配下にあるムスリムを解放するためのジハードを呼びかけている。彼らはダゲスタンにシューラー(協議会)を創設さえした。とはいえ、そのメンバーに実際の影響力はほとんどない。

 しかしながら、彼らの努力は実を結ばなかった。ダゲスタン側には、チェチェンと合併しても、最善の場合で二つの貧しい国の利益と権力が再配分されるだけであり、最悪の場合にはチェチェンに支配されるだけになると分かっているからだ。アヴァール、ダルジン、ラークのような「弱小民族」は、これを受け入れる気もなければ、領土・石油・キャビアなどの富をチェチェンと共有する気もない。住民の大多数は、ロシアからの分離独立も望んではいない。ダゲスタンのかかえる極度の多様性からして、チェチェン戦争以上に血なまぐさい内戦と民族紛争に行き着くのが目に見えているからだ。

 かりそめの主権と引き換えに、(ボスニアと「北キプロス・トルコ共和国」を除いて)外国も承認しない望まれぬ国民国家の独立と引き換えに、一体どれほどの代価を払わなければならないかを、カフカスの人々に見せつけたのがチェチェン戦争だった。ムスリム諸国さえ、ロシアのパスポートで外遊するマスハドフ大統領率いるチェチェン共和国に対して、慎重な態度を保っている。それに、チェチェンがダゲスタンの六つの地方を自国領だと主張していることから、両国の関係に疑心の影が広がっている。

 とはいえ、情勢がどう推移していくかは予断を許さない。バサーエフ野戦司令官の「ダゲスタン遠征」は、ロシア各紙で報じられたように、連邦の解体に向けた新局面となるのだろうか。チェチェン紛争の拡大とロシア空軍の爆撃は、当事者の多くが国内問題への干渉と捉えている行動に対する抵抗運動を強めることになるのだろうか。経済危機によって軍事介入の手段が限られるだけに、クレムリンは泥沼から抜け出るために多大な努力と巧妙な立ち回りを必要とするだろう。

 現在の危機を奇貨として、北カフカスにおけるロシアの国益を明らかにすべきだろう。分離主義の傾向が強まった場合、この地域を力づくでも連邦の枠組みに繋ぎ止めるべきかで指導者の意見は割れている。彼らの多くは、91年のソ連消滅の際に、中央アジアのムスリム諸国を「厄介払い」して胸をなで下ろしたものだったが、今日のモスクワでは、カフカスを堅持し、分離主義者を非難し、ロシアの権威を取り戻そうという意見が優勢になっている。99年8月の終わり、エリツィン大統領はダゲスタンのマゴメドフ国家評議会議長との会合の席で、ロシア憲法への「忠誠」を称えて、国境地帯の復興のために3億ルーブル(1200万ドル強)を援助することを約束した。だが、戦闘を拡大させて民族紛争を煽るならば、事態は収拾不可能となり、モスクワはダゲスタンへの一切の影響力を失うことになるだろう。

(1) マリ=クロード・スリック「チェチェンは今後どうなるか」(ル・モンド・ディプロマティーク1996年10月号)、カレル・バルタク「チェチェンの隠然たる戦争」(同1995年5月号)、ニーナ・バシュカトフ「グロズヌイに建つロシア連邦の墓標」(同1995年3月号)
(2) 9月末より、ロシア連邦軍による本格的なチェチェン進撃が始まっている。[訳註]


(1999年10月号)

All rights reserved, 1999, Le Monde diplomatique + Jayalath Yoshiko + Saito Kagumi

line
表紙ページ 本紙の位置づけ 有志スタッフ
記事を読む 記事目録・月別 記事目録・分野別
メール版・お申込 読者の横顔
リンク(国際) リンク(フランス)