ナミビアのダム開発をめぐる二つの論理

セシル・フイヤートル(Cecile Feuillatre)
ジャーナリスト
イザベル・ブリ(Isabelle Bris)
ジャーナリスト

訳・清水眞理子

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 ナミビアとアンゴラの国境を流れるクネネ川の水力発電ダム建設をめぐって、何年も前から論争が繰り広げられ、さまざまな調査や協議がなされてきた。いよいよ、政府が決断を下す段階にさしかかっている。ラオスなど世界各地で見られるように、この大規模ダム計画もまた大きな波紋を投げかけてきた。開発を急務とする国家は、環境や人権で一線を引くより、経済上の必要に迫られる。その一方で、立ち退きを求められた地元住民の多くは少数民族であり、国際環境保護団体の支援を受けて反対運動を繰り広げる。[訳出]

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 ヘレロ語で「終わり」を意味するオホポホは、ナミビア北西部に位置するカオコランドの中心地である。世界の果てオホポホの人口は6000人。パン屋は1軒、賞味期限の切れた缶詰のならぶスーパーが2軒、ガソリンスタンドも1軒だけ。この町を過ぎると、もうガソリンスタンドはない。西洋文明の影はもはや、どこにも見当たらなくなる。岩がむき出しになった未開の丘陵をつたい、道は迷路のごとく続いていく。焼けつくような荒涼の地、カオコランドを北に進むと、ナミビア随一の絶景が開けてくる。アンゴラとの国境をなすクネネ川のエプパ滝である。この地域にはヒンバ族が生活している。16世紀半ばに大湖地方(1)から移動し、クネネ川周辺に住み着いた部族で、現在の人口は1万〜1万5000人を数える。元は同じ部族であったヘレロ族とは反対に、伝統的な生活様式を守っている。遊牧民であるヒンバ族の生活の糧はもっぱら家畜であり、牛やヤギの群を連れ、カオコランドのあちらこちらにクラールというテントを張って生活している。

 長いこと孤立し、あまり知られていなかったヒンバ族を表舞台に引き出したのは、「エプパ・ダム」である。植民地時代から構想のあったダム建設計画は、1990年の独立後に具体性を帯びるようになった。厳しい干ばつに悩まされ、エネルギー資源の乏しいナミビアは、旧支配国である南アフリカへ経済的に依存している(ナミビア・ドルの相場は今なお南ア通貨、ランドに左右されている)が、エプパ・ダムの建設でこれを弱めることができる。

 ナミビアは現在、エプパから上流100キロのルアカナにある唯一の水力発電所だけで、年間3.5%ほどの国内電力消費の増加に対処しなければならない。エネルギーの半分以上は、南アからの輸入に頼っているのである。

 鉱業省エネルギー局長のパウリヌス・シランバ氏は、「エネルギー自給率を75%に高めたい。エプパ・ダムと風力資源、埋蔵ガスの活用により、中期的には電力の輸入率を25%まで引き下げることができるはずだ」と語る。

 高さ163メートル、発電量360メガワットとなるダムの建設工費は、2兆5350億ナミビア・ドル(約52兆円)と見積もられている。1991年には、ナミビアとアンゴラの間でクネネ川整備協定が結ばれた。スウェーデン、ノルウェー、スイス、イギリスの業者が応札し、技術調査も始まっている。しかし、カオコランドの首長の一人、イクミヌエ・カピカ氏に簡単な、しかも英語で書かれた書簡を送っただけのナミビア政府は、間もなくヒンバ族の反対に直面した。サバイバル・インターナショナルのような国際的な環境保護団体や人権擁護団体が、計画は経済、社会、文化の破滅をもたらすとして、ヒンバ族を支援している。

あなたたち西洋人は・・・

 ダムが建設され、115億立方メートルの貯水がなされれば、ヒンバ族の放牧地である380平方キロメートルの土地が水没することになる。10万頭あまりの家畜を擁するヒンバ族は、長い歴史を通じ、季節的に転地する移動放牧と耕作のシステムを築き上げてきた。放牧地が失われれば、日常生活の基盤が破壊されるだけでなく、クネネ川沿いのヤシのような「もしもの備え」も失われる。ヤシの実や、時として栽培されるトウモロコシ、ぺポカボチャ、メロンなどは、大規模な干ばつの際に欠かせない食糧となっている。

 ナミビア人権協会オホポホ支部代表のステイン・クム・カトゥパ氏は、怒りの声を発する。「この土地はヒンバ族の物だ。政府は計画に際し、ヒンバ族の移住を約束した。だが、どこに移住させると言うのだ。よそには放牧地もなければ、水場もない。もし、ヒンバ族を都市に定住させると言うなら、それは死刑執行に署名するようなものだ。家畜のいないヒンバ族などありえないからだ」

 失われいく土地で恒常的に暮らしているヒンバ族は千人程度に過ぎない、とダム工事推進派は主張する。だが、最も強硬な反対派の一人であるカピカ首長は、川の両岸で1万人もの住民が影響を受けるとする。「ヒンバ族の社会は生活様式や習慣の面で重大な変化をこうむることになる」と、カピカ首長は演説のたびに繰り返す。アンゴラとナミビアの国境に歩いて渡れる浅瀬がなくなれば、川の両岸に暮らす親族たちはバラバラになる。その上、160ある先祖の墓が水に沈むことになる。「墓は、ヒンバ族のアイデンティティの中心にあり、社会や土地とのつながりの中心的存在である。交流の場であり、移動放牧の出発点である」と、カピカ首長は書いている。墓はヒンバ族にとって、単に神聖な性格を持つだけでなく、部族長の権威や社会組織の基盤でもある。埋葬された先祖の最も多い者が、共同体を代表する最有力者となるのである。

 NGOは、域外からの人の流入がヒンバ社会に大きな変化をもたらす点を強調する。計画によれば、1000人の労働者(ナミビア人450人、アンゴラ人450人、100人程度の駐在員)の流入が想定されている。家族も含めると、5000人近くになる。急激に人口が増加すれば、エイズ、アルコール中毒、売春といった問題をもたらすおそれが出てくる。1000の雇用が創出されるにしても、英語を話せず、この種の仕事に必要な能力もないヒンバ族には縁のない話だろう。このような反対論に対して、建設推進派は開発の利点を挙げる。インフラもなく、投資家に見放され、60%以上の失業者を抱えるナミビアでも最貧のカオコランドが、ダム計画によって開発されるのだと政府は言う。実際、オホポホのヘレロ族住民はこうした考えを支持している。彼らにしてみれば、5年を要するダム建設は経済特需と同義語である。

 シランバ・エネルギー局長は強調する。「この地域を、貧困から脱出させなければいけない。ダムはカオコランドにとって好機だ。ヒンバ族は開発を受け入れなければならない。あなたたち西洋人は、伝統的で原始的な部族の姿を残したいのかもしれないが、あなたたちを喜ばせるためだけに人々が貧困の中に取り残されるなんて、まともなことだろうか。人々は学校に行き、靴を履くべきなのだ。私自身、貧しい家の出身だ。勉強することができたからこそ、今の地位を得ている。エプパ・ダムはインフラ、ホテル、レストラン、学校をもたらすだろう・・・。スウェーデンが数十のダムを建設しても、誰も文句ひとつ言わなかったではないか。どうして我々がたった一つダムを作ろうとするだけで、よってたかって叩かれなければいけないのか」

 実際、問題は国際的な広がりを見せている。ヒンバ族が外国人を魅了するからだ。その風俗、西洋化への長い間の抵抗、美しさは、観光名物となっている。オーカー土と赤い油脂を混ぜたものを身体に塗り、乳房を露出し、重い鉄のアクセサリーで身を覆い、山羊革の短いスカートを重ね着したヒンバ族の女性は、本物に飢えた欧米人にとって理想の夢として、旅行業者の手で紹介される。ヨーロッパのジャーナリストもこれに飛びつき、自らを守るすべを知らない純情無垢な野蛮人として、ヒンバ族のことを伝えてはばからない勢いである。

「まっとうに殺せ」

 ところが、ヒンバ族もほどなくマスコミの使い方を学んだ。1997年には、エプパのヒンバ族のカリスマ的指導者であるカピカ首長が、NGOに担ぎ出されてヨーロッパに出向き、キャンペーンを張った。成果は上々で、多くの者が彼の抗議に耳を傾けた。旧宗主国のドイツは計画に関与しないことを約束した。怒ったナミビア政府は、NGOがヒンバ族を操っていると非難した。ヒンバ族とともに暮らした半年間の経験を著した若いフランス人女性ソラン・バルデ(2)は反論する。「いったい誰が誰を操っているのでしょう。ヒンバ族の人たちは間抜けではありません。自分たちの商業価値、象徴価値を認識しています。彼らは西洋人の後ろめたさを突くことを覚え、とりわけ墓を移転したり水没させたりするなど怪しからん、と西洋人が考えていることを感じとったのです」

 1998年2月7日、ダム問題のすべての関係者がそろった集会が首都ヴィントフークで開かれた。カピカ首長はその場で演説した。「我々は変化という変化に闇雲に反対しているのではない。ダム計画について詳しく検討した結果、外国のいかなる団体とも無関係に、我々としての結論に達したのだ」。集会では、フィージビリティ・スタディ(実現可能性調査)の結果が発表された。この調査はアンゴラ、ナミビア、スウェーデン、ノルウェーの専門家が集まった合弁会社ナマンにより行われ、クネネ川流域でのダム建設地について、三つの案を対象に環境と社会に対する影響を評価した。そして、エプパより下流のベインズ地区にすれば、水没面積も57平方キロメートルに抑えられ、自然や人間に対する影響が最小になると結論付けた。

 しかし、エネルギー省は「ベインズは費用がかさみ、収益性が低いので、投資家にとって魅力が少ない」とする。さらに、ダムを最大限に活用しようとすれば、アンゴラ内戦で完全に破壊されたゴヴェ・ダムとの連動が欠かせないが、和平協定の実施に追われるアンゴラ政府にとって、ダムの修復は優先課題とはなっていない。

 実際のところ、ナミビア政府は否定するが、ダム建設地はエプパに決定済みのようだ。「政府はヒンバ族をどこまでもバカにしている。この問題は極めて政治的なものだ。カオコランドは政府支持派ではない。ダムができれば、政府は与党SWAPO(南西アフリカ人民機構)の発祥地であるオヴァンボの住民を入植させることができる。政府の関心はその一点にあるのだ」と、ステイン・カトゥパ氏はため息をつく。さらに強い口調でソラン・バルデも言う。「ダムはサム・ヌジョマの肝いりになっています。大統領の業績として残そうというわけです」

 ヒンバ族も幻想を抱くのはやめた。すでに1994年の時点で、カオコランドの賢人の一人、カチラ・ムニヨンバラ氏は首相に対し、「殺したいなら殺せ。ただし、住民の許しを求めるような振りはやめろ。殺すなら、まっとうに殺せ」と言明している。シランバ・エネルギー局長は、安心してほしいといった口調で話す。「軍隊を出動させるのは論外だが、ダムは建設されることになる。いずれにせよ、伝統を守るヒンバ族は次第に消えていく。そのプロセスはもう始まっている」。確かに、4〜5年前から旅行業者はカオコランド観光に力を入れ、訪れるヨーロッパ人の数も爆発的に伸びている。

 近代的生活に引き付けられた若者たちは、白人相手にティーシャツと引き換えに自分たちのアクセサリーを売り払い、町に出て仕事を探すようになった。シランバ局長は語る。「観光に任せておけばよい。あとはもう、時間の問題だ」

(1) アフリカ東部の湖水地帯。
(2) ソラン・バルデ『赤い大地に立つ裸足の人々』ロベール・ラフォン社、1998年、パリ


(1999年7月号)

All rights reserved, 1999, Le Monde diplomatique + Shimizu Mariko + Ikawa Hiroshi + Saito Kagumi

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