自ら雇い主になったウェールズの炭鉱労働者

ブリギッテ・ペツォルト特派員(Brigitte Patzold)
ジャーナリスト

訳・安東里佳子

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 カーディフの北、アバデアーからヒアワウンにいたる街道の最後の曲がり角を過ぎると、そこが目的地だ。「タワー炭鉱、ウェールズ最後の深部炭鉱」という看板が、起伏に満ちた草原地帯を見下ろしている。街道の向かい側に、ぽつんぽつんと「ぼた山」が現われ、英国の旧炭鉱地帯「サイノン・バレー」の入口にいることを教えてくれる。ウェールズ南部に位置するこのサイノン・バレーは、サッチャー流の政治に対する抵抗の根城だった。タワー炭鉱は、英国の主要産業であった石炭産業の最後の鉱山であるだけでなく、そこで働く労働者によって買い戻され利益をあげているという点で、英国のみならずヨーロッパあるいはおそらく全世界でも唯一の炭鉱だ。

 炭鉱の入口では、だれも身分証明書の提示を求めない。ここを訪れる者はみな、仲間なのだ。この地方の人々は、タワー炭鉱を誇りに思っている。彼らは、1993年にロックアウトされた炭鉱労働者たちを支援して、炭鉱のサクセス・ストーリーに貢献した。現在のところ、タワー炭鉱は、そうした地元民に立派に応えている。ブラスバンドやラグビーチーム、身体障害者を対象とした乗馬学校や孤児院など、数多くの地元自治体の事業を後援している。

 道の端にそびえた巻揚げやぐらの脇で、最初にすれ違った炭坑夫がわれわれを社長の事務室に案内してくれた。かつてはラグビーマンだったろうと思わせるような体躯の男が、書類の山と積まれた机の向こう側で立ちあがった。もじゃもじゃの金髪、意志の強そうな顎のタイローン・オサリヴァン氏、54歳だ。気さくな人柄がにじみ出ている。かつての地域炭鉱労働者組合書記から、今はタワー炭鉱会社の社長に変身した彼は、功なり名を遂げた人だ。4年来、共同出資者となった同胞らとともに炭鉱を経営し、社会思想の理想を実現したことを誇りに思っている。「私たちは世界に向けて、労働者にも自ら会社を経営する能力があり、また社会主義がきちんと機能することを知らしめたのです」と、オサリヴァン社長は説明する。電気技師の学校を出た元炭坑夫で、父も祖父も炭鉱でなくしたという社長は、「資本主義システムの規則を自分たちのやり方で応用しながら、資本主義システムを丸め込んだのです」と言う。会社の利益は、労働条件改善や炭鉱開発のために再投資される。

 つまり、利益が上がっているのだ。石炭は収益を出さないと主張した保守党の予測に反し、タワー炭鉱の400人の炭坑夫株主たちは、補助金なしでも、また国際市場価格で売りに出しても、彼らの石炭に競争力があることを示した。「生産の30%をフランス、ベルギー、アイルランドに輸出してさえいます」。こう説明した後でオサリヴァン社長は、4年間あくことなく繰り返してきたであろう話、解雇された労働者が炭鉱を買い戻した次第を物語る。これら400人の生き残りにとっては、物語は幸福な経過をたどった。しかしながら、他のすべての炭鉱労働者にとっては容赦ない階級闘争の物語であり、一産業部門の完全な消滅、数十万人の失業という結果につながった。

 物語は、72年から74年の長期にわたるストライキで幕を開ける。全国炭鉱労働者組合(NUM)がヒース保守党政権に闘争を挑んだのだ。英国は電力供給源の80%をまだ国内炭に頼っていたため、NUMは強力だった。終わりをしらないストライキは英国の産業全体を麻痺させることになり、ヒース政権は崩壊した。

 79年にサッチャー女史が政権に就いたとき、彼女は一つの思いに取り付かれていた。炭鉱労働者ならびに英国でもっとも急進的とされていた炭鉱労働者組合に報復することだ。どうするかといえば、ガスや原子力エネルギーに置き換えることで、石炭産業を完全に消滅させるのだ。ガスの価格が石炭よりも30%高かろうと、原子力への投資が莫大なものになろうと、そんなことは問題ではない。問題は、経済というよりも政治なのだ。そして、サッチャー首相が勝利を収めることになった(1)

 84年から85年にかけての炭鉱労働者の長期ストライキは実際、失敗に終わる。マードック氏傘下の報道機関による非難攻撃、諜報機関による激しい圧力など、保守党政権はあらゆる手段を駆使した(2)。83年から90年にかけ、鉱山の閉鎖が続出する。そして、18万1000人いた労働者の数は、6万5000人に減少する。

 メージャー政権も、炭鉱閉鎖政策を継続する。92年10月、ヘーゼルタイン産業大臣は、英国営石炭会社がまだ所有していた50炭鉱のうち31カ所を閉鎖し、炭鉱労働者3万人もの大量解雇を発表した(3)。ウェールズ南部で採炭が続けられていた最後の炭鉱、タワー炭鉱の閉山も時間の問題だった。

熾烈なる闘争

 しかしながら、炭鉱労働者たちは黙ってはいず、ロンドンまで炭鉱閉鎖反対のデモ行進をした。女たちも、同様に闘った。例えばタワー炭鉱で働く炭坑夫の妻アン・ジョーンズさんは、最も活発な活動家の一人だった。周辺の谷あいの地区ではどこでも、地元民が炭鉱労働者のために寄付活動を組織した。組合の資金は、「違法活動」を名目に凍結されていたのだ。サッチャー政権は事実、労働組合と闘うために、ストライキ権を制限する様々な条文を国会で採決させていた。こうして、占拠、ロックアウト時のピケの突破などの行動はすべて非合法となった。地元選出のアン・クリュード代議士が象徴的な意味を込めて炭鉱を占拠したが、政府は妥協しなかった。

 保守党は目的を達成すべく、「分断作戦」に乗り出した。94年4月、次のような提案を行ったのだ。2日間のうちに炭鉱閉鎖に賛成する労働者全員に、通常の解雇手当に加えて9000ポンド(約165万円)の手当を支給するというものである。総額にして1万8000ポンド(約330万円)は、負債をかかえた炭鉱労働者たちには魅力的な提示額だった。

 オサリヴァン氏は他の組合幹部とともに、この提案に対抗すべく仲間を結集しようとした。しかし、ほんの30名ほどが提案を拒否しただけだった。「私たちは少数派で、敗北を悲しむしかありませんでした」と、オサリヴァン氏は当時を振り返る。4月19日、炭鉱の閉鎖が署名された。その夜、ケン・デーヴィス、グリン・ロバーツ、フィル・ホワイト、その他3名の不屈の男たちは、苦い思いを噛み締めながら、アバデアーのパブ「フル・ムーン(満月軒)」に集まった。そこで、そのうちの一人が「鉱山を買い戻したらどうだろう」と提案した。この考えが、彼らを動かした。

 しかしながら、受け取った金額の約半分を投資するように解雇仲間を説得する仕事が残っていた。最初、180名の炭鉱労働者たちがこの計画に乗った。後にその数は239名に増えていく。数日間で、共同資本としてかなりの額が集められた。

 しかし、炭鉱労働者である彼らには、経済的に信用を得られそうな買収提案の方法が思い浮かばなかった。「その時に、一生に一度の考えが浮かんだのです」と、オサリヴァン社長は語る。彼は、かつて政府に労働組合の資金凍結を助言したコンサルタント会社、プライス・ウォーターハウスに話を持ち込んだのだ。このコンサルタント会社は、4万ポンド(約740万円)という低額で炭鉱労働者のために働くことを承諾したが、見積もり調査費の1.5倍を成功報酬として支払うという条件付きだった。「4カ月後、プライス・ウォーターハウスは出費がかさみすぎて、私たち以上に計画の成就を願うようになっていました」と、オサリヴァン社長は話す。

 94年12月31日、ヘーゼルタイン産業大臣は「炭鉱労働者の夢が現実のものとなった」ことをラジオで発表した。数日後、タワー炭鉱会社は9万ポンド(約1700万円)の利益を計上した。すべての「調査」がタワー炭鉱の非収益性を予想していたのとは正反対の結果である。というのも、無煙炭は売れ行きがよく、山のように注文が来たからだ。最初の3年間、利益は売上の20%に達した。生産量は、95年の44万トンから98年には60万トンに伸びている。当初239名だった社員は、今日では400名以上になる。

 この特異な会社で働くためには、8000ポンド(約150万円)の株を購入しなければならない。失業率20%という貧しい地方にあっては、これほどの額を用意できる者はまれで、しばしば銀行から借りざるを得ない。投機の対象とされるリスクや外部からの影響を限定するために、「買収発起会」(4)は株の譲渡先を社員に制限した。退職者も株を保有することは可能だが、年間4回開かれ、役員6名の選出などを行う株主総会での議決権は失う。

揺れる将来

 労働者株主で構成されるタワー炭鉱会社は、サッチャー元首相の持論である「大衆資本主義」に加担するものではないのだろうか。オサリヴァン社長は、こうした反論を退ける。「私たちはただ、労働者たちがかつての国営企業や今日の資本家よりも炭鉱を上手に経営できることを示しただけです。この経験は、手本になるはずです」

 労働条件の改善を目的とした利潤の再投資は当然、いくつかある周辺の旧国営炭鉱では行われていない。ブライアン・エイモス氏は、その辺の事情に通じている。タワー炭鉱に雇用される前の5年間、そうした炭鉱で働いた経験からだ。「仕事は出来高払いです。つまり、石炭を満載した炭車1台につきいくらという具合に支払われます。炭車1台で10〜15ポンド(約1800〜2800円)の収入です。2人で組んで週15〜18台分、出炭できます。もしも石炭価格が下がったら、社長はその分を給料から差し引きます」。週給700〜900フラン(約1万3000〜1万7000円)を稼ぐために、炭鉱夫は19世紀を思わせる条件の下で働く。機械の代わりに、ポニーが炭車を引くこともまれではない。坑道を支える木組みは、今にも崩れ落ちそうだ。出水や死亡事故も絶えない。エイモス氏が働いたことのある炭鉱のうち5カ所は、安全性の問題で閉鎖を余儀なくされた。

 だが、タワー炭鉱でもすべてが理想的とはいえない。確かに、給料も労働条件もいいし、月収1万2000フラン(約22万円)の労働者の給与と役員の報酬との差は、最大で2倍にすぎない。年間の有給休暇は36日あり、病欠であろうとも給与は支給される。欠勤率はゼロに等しい。しかし、あらゆる集団で見受けられるように、争いも発生している(5)

 「もっとも深刻な争いは、時間外労働についてです。給料を上積みするために、できるだけ時間外労働をしようとする者もいて、役員の中にも同調者が出る始末です」と説明するのは、タワー炭鉱の労組を取り仕切るデーヴィッド・デーヴィス氏だ。組合の活動は、いまでも活発だ。社員は、それぞれの職分に応じた権利を守るために、労働者組合、中級管理職組合、上級管理職組合の三つに分かれて組合を組織している。「炭鉱労働者たちは、いつも闘ってきた。闘争によって、どうにかまともな生活を勝ち取ってきたのです。炭鉱労働者はですから、自分たちの利益を守り続けようとするのです。しかし、今はみんなが同じ船に乗っています。意見を一にしなければなりません。世間に注目されているのですから。私たちが暗礁に乗り上げたら、あざ笑う者がいるでしょう」と、デーヴィッド・デーヴィス氏は語る。

 役員の中でもっとも若いジョン・デーヴィス氏(36歳)は、もっと多くの若者を雇うことが重要と考えている。なぜなら若者たちにとっては、給料のよさよりも就職それ自体が大きな問題になっているはずだからだ。「94年まで、私たちは階級闘争に明け暮れました。しかし今は、チーム・スピリットを示さなければならないのです。しかしながら、タワー炭鉱の株を保有しているせいで、社員は資本家の卵になってしまい、もはや金のことしか考えなくなってしまいました」。ジョン・デーヴィス氏は、多国籍企業がある日、途方もない値を付けて炭鉱の買収にかかるのではないかと気がかりでならない。いったい何人の労働者がそのおいしい餌を拒否できるだろうか。94年4月のように、拒否組は再び少数派になってしまうのだろうか。

 タワー炭鉱の石炭埋蔵量が10年分しか保証されていないだけに、仕事をなくすのではないかというジョン・デーヴィス氏の不安は募る。だから、彼はオサリヴァン社長が打ち出す多角化計画を支持している。例えばセルティック・エナジー社と合併して、ウェールズ南部マーガハムにあるヨーロッパ最大の石炭埋蔵地を開発しようとの計画がある。そこから数キロ離れたところにある国営製鉄会社ブリティッシュ・スチール社が、露天掘りされるコークスの理想的な買い手になってくれるだろう。オサリヴァン社長はまた、巨大な観光施設開発のアイデアも暖めている。見学者たちはそこで、消滅の道をたどる一産業部門の歴史を学ぶようになるだろう。しかし、炭坑夫株主たちは、多角化計画のリスクを恐れている。そのようなわけで、タワー炭鉱で採用されている直接民主主義は、欠席率が右肩上がりの株主総会で社長の提案に背を向けてしまう。

 「月面をふわふわ歩く人の考えですよ。鉱山の拡張に努めて、別の炭層を探すことに投資すべきです。そうすれば、財務リスクを減らしながら、マーガハム計画と同じぐらいの人数を雇用できるでしょう」と、石炭生産にともなう公害の軽減と鉱山開発調査を担当する、地質学者のトニー・ショット氏は言う。

 組合のスローガンの中には、記憶に刻み付けられているものもある。地域組合連合の横断幕にはこう書かれていた。「警戒を怠れば自由もない」。オサリヴァン社長は、このスローガンを引用し、タワー炭鉱の中で労働組合が生き続けていくことを訴える。「上の者はいつでも、権力と特権をほしいままにしようとする傾向があります。すべての革命がそれを物語っています。だからこそ下の者が、指導者層を監視し続けなければなりません」。彼は、週に一度や二度は坑道に降り、「下の者」の仲間入りをする。「仕事場の仲間意識は何にも代えられません。そこでこそ、対等の立場で本当に話し合えるのです。ドアを開きっぱなしにしておいても、社長室まで来て私と話をしようとはしたがらない者もいます。こちらから会いにいくに越したことはありません」。地下へ降りていけばいくほど、「月面をふわふわ歩く人」の計画も、勢いを増していくに違いない。

(1) モーリス・ルモワンヌ「英国炭鉱労働者の長期スト」(ル・モンド・ディプロマティーク1985年1月号)
(2) Seumas Milne, The Enemy Within. The Secret War Against the Miners, Pan Books, London, 1995.
(3) セルジュ・アリミ「後退する英国経済」(ル・モンド・ディプロマティーク1993年1月号)
(4) TEBOチーム(Tower Employees Buy-Out Team)は6人の組合活動家で構成され、1名の例外を除く他の5名がタワー炭鉱の取締役となった。
(5) タワー炭鉱に関する資料としては、ジャン・ミッシェル・カレ著『燃える石炭、あるいはあるユートピアの建設』(ARTE出版・ル・セルパン・ア・プリュンム社の共同出版、パリ、1999年)参照


(1999年7月号)

All rights reserved, 1999, Le Monde diplomatique + Ando Rikako + Ikawa Hiroshi + Saito Kagumi

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