NPOと参加民主制

ルネ・ルノワール(Rene Lenoir)
全国合同民間社会保健団体連盟会長、元大臣

訳・千野麻紀

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 投票を済ませてしまえば5、6年間は選挙のことを忘れてしまっても、市民が市民であることに変わりはない。行動的な人であれば、一つあるいは複数の市民団体での活動を通じて都市の運営に参加したり、政治的決定に影響を与えたりできることに気付いていくだろう(1)。これが参加民主制への第一歩となる。

 では、世界中に何千万といる市民団体のメンバーは皆、このような形で知らず知らずのうちに民主主義を実践しているということになるのだろうか。そうではない。なぜなら、第一に市民団体の実態はそれぞれ大きく異なっているからだ。さらに、市民団体はまだ新しい役割を手探りしている状態にある。公共の利益を活動の中心とする団体でも、「市民の対話」を組織化しようと努めている国でも同じことだ。ちなみに「市民の対話」とは「市民社会との対話」という代わりに欧州委員会が使っている用語法である。

 簡単に分類してみよう。市民団体はまず、人の輪として捉えられている。団体活動を通じて個性が開花する場のように考えられている。一緒に遠足に出かけたり、釣りに行ったり、球技をしたり、何かのコレクションをしたりするのが楽しいのだ。市民団体はまた、戦うための武器にもなる。人々は愛他精神によってだけではなく、意見や利益(とりわけ労働組合の場合)、あるいは地域や環境という財産を守るために結集する。さらに別のタイプの市民団体では、公共の利益を追求し、社会に欠けた部分を補うために人々が集まっている。

 市民団体のボランティアや職員は、一つの明確な目的に向かって努力しているがゆえに、完全に自由に独創性を発揮することができる。官公庁ほど分散されておらず、規則や規範に縛られてもいないため、新しい試みを実験できる。こうして癌患者のための在宅介護サービス、問題を抱えた青少年の非行防止のための相談員、成人の身体障害者を対象とした受入れセンターが誕生した。

 最も有力な市民団体は一般的にネットワーク化され、福祉政策に関わる公共サービスに近い役割を担っている。この分野には2つの対照的なモデル、アングロサクソン型モデルと大陸型モデルがあり、それぞれ異なる政治理念の上に立っている。アングロサクソン型モデルの場合、人々は諸給付の消費者と見なされ、社会活動に参加する市民、独創的な福祉サービスを思いつくかもしれない市民とは見なされない。収益性を気に病む英国の地方自治体は、政府に促されて一部の福祉サービスへの支出を止め、営利団体と非営利団体を競争させるようになった。入札と競争の制度に引きずり込まれた市民団体は、活動様式に異議を唱えて革新を行う能力の大部分を失ってしまった。貧困の軽減を使命とする慈善団体の方は存続しているが、これらの慈善団体は決して貧困の原因を追究したり、公権力による措置を問題にするような真似はしない。

 大陸型モデルの場合は、公共サービスが市民団体に委任される形になる。中心は福祉分野だが、フランスなどでは都市でも農村でも 、教育、レジャーやスポーツ、文化の分野についても市民団体への委任が行われている(2)。児童、問題を抱えた青少年、身体障害者、高齢者用の施設やサービスなど、福祉・社会医療の分野で市民団体に従事するフランス人の数は66万人(フルタイム従業員に換算すると41万2000人)に上る。その予算は国(政府、県そして疾病保険)から出ており、50年前から改革が重ねられている。こうした活動の元にはしっかりしたプロジェクトがあり、社会保健団体地域委員会からも高く評価されている。

 ドイツでは、幾つかの大きな市民団体連盟が税金から補助を受けて、似たような役割を果たしている。イタリアでは福祉分野の協同組合が発展し、介護サービスの代わりに身体障害者の雇用(1997年にはおよそ1万2000人)を推進している。これらの協同組合は地方連盟として結集し、強制的に企業に雇用を割り当てなくても独自のプロジェクトが実現できることを実証してみせた。

 福祉分野での保護や支援に深く関わるタイプの市民団体は、雇用の創出を促進する。職員の数は増え続け、フランスでは100万人を超えた。と同時に、この100万人を超えるボランティアを動員する市民団体は、社会活動への市民の参加も促進している。しかしながら、アングロサクソン諸国のように企業組織として見なされるようになるにつれ、市民団体が平凡な経済主体に成り果てるいう深刻な問題が生まれてくる。活動の倫理と手法を、発注元の政府や地方自治体が決めるようになる。こんなふうに道具になってしまうなら、協議や創造性、新しい試みを実験する権利などは失われてしまう。

 第二のタイプの「参加型」市民団体は、ある一定の社会的カテゴリーを支援し、擁護し、代表する団体である。最も貧困な階層、あるいは自ら声を上げることができない人々との連帯という分野で、多くの例が昔から示されている。フランスでは「民衆援助隊」「カトリック援助隊」「ATD-第四世界」「エマウス」などが挙げられる。全国合同民間社会保健団体連盟に後押しされた「アレルト(警告)」グループには全国の60の市民団体が集まっており、先日の「社会からの排除反対」法案の策定と採択にも大きな影響を与えた。もはや対処不可能な難問に対する解決策について、組織力の弱い市民が国家の介入に頼らなければならないとしても、団体組織化を通じて政策提言や官公庁との対話を進めていくことは必要だ。

ブラジルでもマリでも

 カナダのケベック州は、利用者自身を福祉・医療サービスに関わらせることに成功した。70年代初め、モントリオールの東にあるオシュラガ・メゾヌーヴ地区に最初のコミュニティサービス地域センターが設けられた。苦境に立つ人々が短期の訓練を受け、ボランティアの助けを借りながら、同じ境遇にある隣人に対する相談と助言を任された。こうしたセンターは制度作りや病院送りという安易な手段に逃げなかったため、ケベック州全土に広がって、福祉・医療分野の公的ネットワークの一員となっていった。

 今や多くの社会紛争の舞台が企業から都市に移ったため、都市運営への市民の参加という面でも数々の実験が試みられている。アメリカ合衆国、そしてブラジルのポルト・アレグレ市に両極端の例を見出すことができる。アメリカ政府は、裕福な郊外地域が都市中心部の大衆地域との「脱連帯」を計る動きを阻止することを断念した。クリントン大統領は93年、少なくとも住民の6割が貧困ライン以下の生活水準の地域に事業所を開く企業に対して、減税処置を取るという政策を打ち出した。この政策はアメリカ都市部の分断を容認するばかりで、将来の町作りに住民を参加させようとはしていない。 リオ・グランデ・ド・スル州の州都ポルト・アレグレの「住民参加型予算」の実験(3)は逆の道を行っている。希望する全ての住民は、市議会と並行して設けられた決定機関を通じて、自らの町のことを自ら決めることができる。この改革を実施したのは、88年に労働党から初めて選出されたドゥトラ市長(昨年11月に州知事に選出)だったが、次のヘンロ市長(92〜96年)とポント現市長によって引き継がれている。

 ヨーロッパにも似たような例がある。オランダの「社会再生」政策である。政府は地元コミュニティに大きな責任を与え、住民が市民団体(ヴァエーナギング)という形でスポーツ、音楽、園芸などの団体活動を行うことを奨励している。洗練された都会的な討議の場(ヴァガーダリング)も設けられ、誰もが解決案について自分の意見を述べられるようになっている。 さらに、何か都市計画があれば、間に入る団体がプロジェクトに対案を出すことができ、そのための専門調査の資金を官公庁から受けることができる。

 フランスでは、自治体と政府が協定を結んだ場合に諮問委員会を設置することになっているが、実際には協定の14%についてしか設置されていない。地区住民や集合住宅の住民の生活条件に実質的な変更を加えるような行為や作業に当たっては、事前に住民に対して諮問しなければならない(1982年6月22日付の法律第4条)のだが、ごくわずかの例外を除けば同法の規定は死文化している。 若干の地区委員会が設置され、イヴリーヌ県マント・ラ・ジョリ市(4)のヴァル・フレ地区などは選挙まで行った。パリ北郊やマルセイユ北郊では、多くは女性によって構成される移民団体が、市当局とのインターフェースのような役割を果たし始めている。しかし全体的に見ると、市民団体が重要なパートナーとして認められた自治体はまだ稀である。「市民団体を制度化しようと動きは、偶然の産物でなければ会計上の必要性から出てきたものであり、質が問われた結果であることは少ない」と、オルレアンのシュウール市長は最近の市政報告書の中で語っている(5)

 人権擁護、人種差別反対、排外主義反対、女性の社会的地位の向上、持続的発展といった思想運動を出発点とする市民団体は、数十年前からヨーロッパで重要な役割を果たしており、国家の立法や欧州連合(EU)の法案に影響を及ぼす圧力団体となっていることも多い。それだけに、草案の段階でフランス政府や欧州委員会が支持していたにもかかわらず、市民社会との対話に関する条項がアムステルダム条約に盛り込まれていないことが惜しまれる。国家(を代表する行政機関)は未だに、代表民主制を補って活性化させる参加民主制の利点を理解していないのだ。

 最後のタイプの市民参加の方法として、制度化された権力の枠組みの外での自主組織が挙げられる。幾つもの例が発展途上国で見られる。ラテンアメリカでは、生産者運動や教育グループ(60年代にパウロ・フレイレが始めた運動を指す表現を用いれば「意識化」グループ)が組織された。マリの綿花生産地帯では、80年初めに「トン」と呼ばれる村民会が地域の予算と呼べる仕組みを作り上げた。生産した綿を自分たちの手で流通に乗せ、売上げの数%を学校、診療所、製鉄道具、共同倉庫などの公益事業に割いている。フランスでも、託児施設の不足に父母が動き、託児施設の1割にすぎなかった保育園が、10年の間に4割を占めるまでになった。

 このようにして結集した市民は、多くの場合は行政当局と協議しながら、時には行政の隙間を縫いながら、多種多様な活動で成果を上げている。形こそ違っても、市民団体の運動は世界中で発展している。世界のゲームの規則が大多数の人々の理解を超えている以上、問題解決のために、自分たちの特殊事情を訴えながら地域レベルでの組織運動を計るのは当然の成り行きである。世界全体から国家、そして個人へと下って行くと、地方自治体と市民団体に出会う。これは幸いなことだ。なぜなら、個人が権力と裸で向き合うという独裁体制の夢は市場の夢ともなっているからだ。しかし人間は、自由や名誉、尊厳や神、社会構想など、何であれ価値のためならば死ぬことも辞さない情熱の生き物であり、生きるためにあるいは単に生き延びるために、自発的に結集する。それを分かった民主主義システムは、地元に密着した地方自治体や市民団体に、ますます大きな責任を託しつつある。

 民主主義にとって得るところは多い。スケジュール上の制約を受け、財政問題に悩まされ、当初予想していた以上にばらばらなグループを盛り立て、討議の筋を通そうとする中で、管理能力とともに市民の知恵が育っていく。ある意味では全く正当な業界利益や職業利益を守ろうとすることから離れてみると、小さな都市や社会の文化的なまとまりを追求していくことも目標に掲げるようになる。人間をまるごと捉えようとする人類学的な発想が市民団体活動の根底にあるとしても、何も驚くには当たらないことなのだ。

(1) クリストフ・ダビッチ「政治参加の新しいかたち」(ル・モンド・ディプロマティーク1997年6月号)。
(2) オディール・ジャンコヴィアック「二つとない網目」(ル・モンド・ディプロマティーク1995年3月号)。
(3) ベルナール・カセン「ブラジルの参加型社会の実験」「民衆権力の解剖」(ル・モンド・ディプロマティーク1998年8月号)。
(4) パリ北西郊にある工業都市。[訳注]
(5) ジャン‐ピエール・シュウール『都市の未来』(フランス政府刊行物等出版会、パリ、1998年)。


(1999年1月号)

All rights reserved, 1999, Le Monde diplomatique + Chino Maki + Saito Kagumi

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