炎の歴史への訣別

シモン・ペレス(Simon Peres)
イスラエル前首相、ノーベル平和賞受賞者

訳・斎藤かぐみ

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 「土地なき民が民なき土地を求める」と言ったのは、離散ユダヤ人(ディアスポラ)の祖国復興運動たるシオニズムの創始者テオドール・ヘルツルだが、パレスチナのアラブ人の存在、その後の行く末には気付いていなかった。ヘルツルが描いた中東初のユートピアは、一人立ちした現実を生んで彼の夢を踏み超えていった。

 散り散りとなって滅びかけたユダヤの民は、再生のために集結した。いにしえの故郷に戻り、生の息吹を与えた。古い言葉をよみがえらせ、生きた言葉とした。人口も武力も劣勢ながら5回の戦争に打ち勝った。キブツやモシャヴなどの新しい集団生活方式を産み出した。戦時中でも民主主義の自由が堅持される国家を育てた。独立した司法制度を築いた。すばらしい教育制度を敷いた。先進国に劣らぬ工業と農業とサービス業を発展させた。もしホロコーストに代償が与えられ得るものなら、イスラエルこそが唯一の代償となったのである。

 しかしながら、主眼となるはずのアラブの隣人との包括和平が、まだ果たされていない。未解決のままのパレスチナ問題は、イスラエルに対する攻撃の口実に用いられ、現在に至るまで安全保障上の最大のトゲとして突き刺さっているのである。パレスチナ問題は、解決すればパレスチナの問題として収まるだろうが、解決されなかった場合のリスクはパレスチナの地にとどまらぬものとなるだろう。その歴史ゆえに、また近くにアラブ諸国があり、多くのパレスチナ人ディアスポラが散らばっているがゆえに、燎原の火は拡大することになるだろう。

 オスロで我々が着手したのは、イスラエルとパレスチナとの和解である。オスロ合意に先立つエジプトとのキャンプ・デーヴィッド合意や、それに続くヨルダンとの条約の場合は、相手が国家であったが、パレスチナ人との合意はまったく別の様相を帯びている。オスロでは和平に至る方法についての合意に達したのだが、パレスチナなるものが承認され、中東史上で前例のなかったパレスチナ人独立の可能性が認められもした。合意は、既に実体のある何かについてのものではなかった。新しい何かがオスロで生まれたのである。

 オスロでは、パレスチナ人との真の和解に着手することが定められた。パレスチナ人は民族の誇りを認めさせ、イスラエルは歴史上の良心の呵責から解放された。イスラエルは、二度と他民族の運命を支配しようとはすまい ―― 我々の歴史観に反するがゆえに、パレスチナ人の憤激の源となっていたがゆえに。

マジノ線はもはや無益

 そもそもイスラエルが人口構成上も精神上もユダヤ国家であり続けるためには、パレスチナ国家の存在を必要とする。地中海とヨルダン川にはさまれた地域に、現在470万人のユダヤ人と400万人のアラブ人とが暮らしている。2つの別々の国家がなければ、両民族から成る単一国家が造られ、双方ともに激しい不満を抱くことになるだろう。民族分裂の悲劇が起こり、時を経てもイスラエルは武装を解くことならず、パレスチナ人の不満がテロを再燃させるだろう。

 2つの民族の間の土地の分割もかなり複雑な問題である。地中海とヨルダン川にはさまれた地域の面積は2万4000平方キロメートル、地域人口は20年後には倍増して2000万人となり、少なくとも半分がアラブ人、残りの半分がユダヤ人となろう。アラブ人がほぼ要求通りの土地(地中海とヨルダン川にはさまれた地域の20%)を獲得しようと、イスラエルが主要部分を保持しようと、双方ともに大幅な土地不足に悩まされて食糧が自給できない、というパラドックスが生じるだろう。それゆえイスラエルの関心は、パレスチナ経済が近代化して住民に適正な収入を与えるものとなることに向かうだろう。

 一方では貧しいアラブ経済が安い労働力を供給し、他方では豊かなイスラエル経済がそれを利用するというように、2つの経済が別々に進展することは避けなければならない。経済の分裂は、民族紛争を社会紛争に変じかねない。将来のバランスのためには国家は2つ、そして1つの経済を両国の協力の上に立って近代化することが望ましい。近代的で民主的なパレスチナ国家が繁栄する方が、イスラエルのためになる。

 国境と、その性格をめぐる問題がある。どのような国境を考えるかによって、線引きが簡単にも複雑にもなる。だが国家間の国境の意義は、現代ではほぼ失われている。国境は、経済の流れから我々を保護しはしない。経済はグローバルであり、国民性とは無縁の科学と技術の上に立つものだからである。市場は国家をしのぐものであり、国境をものともしない競争を通じてしか市場には参加できない。貿易や関税に関する最近の国際協定に目を通せば解ることである。

 もはや国境では武装攻撃は止められない。ミサイルもテロも国境にはひるまない。化学ミサイルや生物ミサイルから核ミサイルにいたるまで、国境ならぬ弾道に沿って飛んで行く以上、もはや対独防衛にフランスが築いたマジノ線のような国境要塞は無益である。

 容易にわかるように、もはや国境はテレビの電波を止めることもできない。現代の若者は、知識の90%をテレビから、残りの10%を学校での勉強から得ている。アラブ人であろうとイスラエル人であろうとフランス人であろうと日本人であろうと変わりはない。

 それゆえ国境を諍いの種とすることは無意味である。空港やホテルや工業団地や娯楽場などを建設して、協力の場とした方がよい。人々の交流こそ軍隊の対決に代わる最善の解決であり、国境に立つホテルこそ軍事基地にまさる最善の保険である。

 和平は新手の戦争遂行手段ではない。和平とは、「赤のインク」で書かれた歴史に終わりを告げ、新たな歴史を「緑のインク」で書き始めることである。次の世代の者たちが、新たな展望の下に、長生きをしつつ別の生き方を見つけることができるように。

 イスラエルが現れて50年になるが(私がヘルツルの手をとって彼の夢見た国への想像上の旅に連れて行くと、彼は目に映る物事に驚嘆する、という近著[*]を書き上げたばかりである)、犯した過ちは認めなければならない。我々は他の民族がいたことを考慮しなかった。彼らと隣り合わせて暮らす以上は、とりかかった歴史的な変革を成し遂げることが我々のためになる。隣人のうちに、良き隣人のうちに、新たな関係を結ぶ機会を、全世界の利益のために中東に包括和平をもたらす機会を見出すという変革を。

* "LE VOYAGE IMAGINAIRE Avec Theodore Herzl", Simon Peres (avec la collaboration de Patrick Girard), Ed. no1, 210p., 110F.


(1998年5月号)

All rights reserved, 1998, Le Monde diplomatique + Saito Kagumi

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