アルザスの特殊な事情

アラン・ビール(Alain Bihr)
著書「極右の影−国民戦線に映ったフランス人」
アトリエ出版、パリ、1998年

訳・富田愉美

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 ジャン・マリー・ルペン党首ひきいる国民戦線(以下 FN)は、政治の表舞台に出てきてからというもの、平均よりもかなり高い得票率を東部アルザス地方で示している。例えば1995年の大統領選挙の第1回投票の場合、有効投票に対する FN の得票率は、全国平均が15.1%なのに対し、アルザス地方では25.4%となっている。1997年の総選挙の得票率も、全国平均14.9%に対してアルザス21%となっている。さらに、今春に行われた地方議会選挙では、地域主義を掲げる分派の「アルザス第一」との競争で6.2%の票を食われ、3議席を持って行かれたことを差し引いても、FN の候補者名簿は20.6%の票を集め(全国15.2%)、13人の議員の誕生となった。こうしてみると、地方議員の椅子の3分の1以上を FN 候補に与えたアルザスは、極右が目立つという点で、南部のプロヴァンス・アルプ・コートダジュール地方と互角の勝負であると言える。

 こうしたアルザスの特殊性を説明しようとする試みは後を絶たないが、どれもこれも不十分であった。都市化、失業、治安、移民の四重奏から出てきた現象であるとするのが、極右票についてのもっとも普通の見方なのだが、ミュルーズ市以外にはうまく当てはまらない。FN の有効投票が30%強と最高記録を出したのは都市部ではなく、アルザス北部や北西部の農村地域である。その上、アルザスの生活水準はフランスの中でも地方としては最高であり、ここ数年の失業率に関しても全国平均を4〜5%下回っているのである。

 ストラスブール郊外での車の焼き討ち事件がマスコミの関心を引いたにしても、アルザスの治安は、裁判所に出された苦情や調書の数を総人口と比べてみれば、他の地方と比べて悪いものではない(1)。外国人の数はどうかというと、1990年の統計では全国6.4%に対してアルザス7.9%と、割合的に見ればフランス全体よりも確かに多いのだが、別のところで矛盾が出てきてしまう。FN が好成績を上げた地区は、ストラスブール郊外とミュルーズ市を除けば、外国人が少ない地域なのである。

 こういった普通の見方では FN の得票率の高さの説明がつかないことがはっきりしたことから、アルザス地方の特殊性といった方向に目を向け、そこに人々が極右に票を投じる固有の要因が隠れているのではないかと問うアナリストも出てきた。「アルザス人としてのアイデンティティ(2)」について、熱くも混乱した議論が交わされるようになった。

 なぜアルザスの有権者は FN を選んだのか。もともとの田舎の文化、保守的な(秩序、清廉、豊かさ、仲間内を好む)文化が今でも根強いという見方。消すこともできずに押し殺した過去(ナチス政権に対するアルザスの人々の曖昧な態度)が噴出しているという見方。さらには、アルザスが今では大きく依存するドイツ経済の動きとうまく結びついておけるように、「理想化された過去へのノスタルジー」と「フランスとのつながりを断ち切る」意向から「国境地帯アルザスの新自立主義」が再び生まれつつあるという見方(3)。このような様々な説明が試みられてきた。

 これらの要素について、実際に当てはまっているかについての議論はともあれ、一つの問いを立てることはできる。答えは見つからないままなのだが。なぜ80年代半ばになるまで、政治的現象とならなかったのか。なぜ80年代半ば以降は、それまではとは違って、どんどん影響が強くなっているのか。

 結局のところアルザスは、前向きで、力強く、自信満々のアイデンティティからフランスへの抗議票を表したどころか、「後ろ向きのアイデンティティ」に苦しんでいると言える。つまり、アイデンティティの危機といった問題ではなく、自分を見失い、自信を失っていることを特徴とするアイデンティティの問題である。ナショナリスティックで排外的な政党を求めた投票の意味は、こういう背景にのっとって理解しようとしなくてはならない。

おびやかされるアイデンティティ

 こうした「後ろ向きのアイデンティティ」は、第一に、もともと持っている地域文化が徐々に失わようとしていることに関係している。というのも、よその地方からアルザスに来た人には活発で豊かな文化的アイデンティティ(方言、「ワイン街道」と呼ばれる美しい町並み、料理、民俗)の表れと思えるものは、実際には中身のない外見でしかなくなりつつあるのだ。調査の結果によれば、ここ30年の間に、地域アイデンティティの中心であった方言の使用は徐々に減っている。就学期間が長期化し、公共の場では圧倒的にフランス語が使われる状況から、ますます方言は衰えていく。また、他の地方と同様に、伝統的な家族構造は縮小し、家族のつながりも弱まっている。宗教の実践に関しても、他の地方と同様に、社会の世俗化の影響を受けている。要するに、アルザスの特殊性はノスタルジックな次元にあり、過去を理想化する方向に傾いていることから、現在をつかむことも、未来に羽ばたくこともできないのである。

 これに加えて、国民的アイデンティティが欠けていることも挙げられる。歴史的というよりは地政学的な理由で、アルザスは、対抗しあう二つの国にまたがっていると同時に、板挟みにもなっている。そこにあるのは、半分はフランス人、半分はドイツ人であるとともに、フランス人でもドイツ人でもないというような自覚と自己定義である。不確かであいまいな自覚と自己定義であるゆえに、ヨーロッパの他の地域と同様にフランスでも起きている国民国家の危機を敏感に反映するものである。

 フランス国内では周辺地域になるアルザスの過去30年は、ヨーロッパの真ん中に放り出され、ライン経済圏に統合されてきた年月である。ドイツがヨーロッパで力を強めるのを目の当たりにし、良くも悪くもドイツの影響を受けるには絶好の位置にあった。良くも悪くもというのも、ライン経済圏への統合は、アルザスの繁栄の大きな要因だとしても、脆さと弱さの契機にもなっているからである。例えばドイツやスイスとの国境を日常的に往来する6万人余りの人々にとっては、統合とは必要以外のなにものでもなく、こういった人々の数は年々増えている。国境をまたぐことで、移民の一種になっているわけなのだ。

 ライン経済圏への統合は、アルザスの建設用地や住宅の5分の1が国境沿いのドイツ人やスイス人たちに買われている形でも表れる。好調なアルザス企業をドイツ資本が買収するといった形で表れたりもする。アルザスは、フランスの他の地方よりは恵まれているにしても、ドイツやスイスの隣人たちと自分たちを比べれば情けないと感じている。とはいえ、この隣人たちにますます目を向けてしまうのである。

 さらに、アルザスのライン圏統合・衛星国化の動きには、フランスという国が地方分権という建前で手を引いているという要因が大きい。置き去りにされたアルザスには、目の前の巨人ドイツが鬼のように見えてくるだろう。そして、投げやりで意地の悪い母親のように見えてくる母国に対して、古い憎しみを再燃させることだろう。フランスがアルザスを闘技場の只中に投げ出して、強く豊かな隣国のなすがままにしている、というような印象が広がっている。こうして、アルザスの人々が昔からもっている国民コンプレックスが悪化していった。このコンプレックスには、国民アイデンティティの欠如、国民になりたいという強い要求、母国に対しては恨みつらみと助けを求める不安な気持ち、隣国ドイツに対しては羨みつつも心穏やかでない賞賛の気持ちが入り混じっている。

 こうした条件が整えば、独特のナショナリズム論を持った FN の発言が、人々に受け入れられるのも当然である。FN は次の3つの点を誇張して主張する。一つ目は、国民の統一性とアイデンティティに対して、外国人がさまざまな形で体現している脅威。二つ目は、「国民優先」という健全な考えの実施、そして国外(と国内)の脅威に対する城壁や盾の役割を果たす強い国家の追求。そして最後は、国民共同体に帰属するという正しい誇りである。

 捨てられるのではないかというアルザスの人々の不安の先には、政治的な権威への期待が見受けられる。地方レベルの権威だけでない。欧州統合の現段階では、自分たちをしっかりと守ってくれる国家レベルの権威がなおさら期待されている(4)。別の言い方をすれば、FN 票は、アルザスの架空の新自立主義の表れ、「国家がのしかかっている」ことに対する不満ではなく、その反対である。つまり、「国家というものが十分でない」ことに対する不満であり、国家がもっと身近で、もっとうまく立ち回ってほしいと求めているのである。

 となると、アルザスの FN 票が特殊ではないように見えてくる。プロヴァンス・アルプ・コートダジュールといった、ジャン・マリー・ルペンが好感を得ている他の地方でも、FN 票は「フランスへの求め(5)」を表している。複雑かつ曖昧で、方向性も定まっていない求めだが、ナショナリスト勢力も対抗勢力も政治の争点にしようとしている。

 すぐには応えられない求めであるがために、ナショナリスティックで排外的な方向に進み、他者への憎悪に満ちた拒絶反応を社会的なきずなの成れの果てとするような羽目になっているのである。

(1) 全国平均8.9%に対し、アルザスでは8.6%。「法務省統計集」(フランス公文書出版会、パリ、1997年)249-251ページ。
(2) この議論で対立したのが、「アルザス再発見−極右の逸脱とアイデンティティの後退を前にして−」と題して特集号(第129号・1995年秋号)を組んだ「セゾン・ダルザス(アルザスの季節)」(ベルナール・ルモー編集のストラスブールの雑誌)と、「ラント・ウン・シュプロッホ(土地と言語)」(第118号・1996年春号)で「アイデンティティと自由」宣言を行って反駁したアルザス文化運動の賛同者たちである。
(3) ベルナール・ルモー 「国境地帯アルザスの新自立主義?」(ル・モンド紙1995年4月29日号を参照。この記事は、前掲「アルザス再発見」の中でも引用されている。
(4) マーストリヒト条約批准の際、アルザスは過半数が賛成票を投じた。バ・ラン[ライン]地方で68.6%、オー・ラン地方で61.4%。
(5) ジャン・ヴィアール「フランスを求める地方」参照(ベルナール・ルモー、フィリップ・ブルトン監修「ストラスブールからの呼びかけ」に所収、ニュエ・ブルー社、ストラスブール、1997年)。


(1998年5月号)

All rights reserved, 1998, Le Monde diplomatique + Tomita Yumi + Saito Kagumi

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