「連帯経済」こそ第三の道

ジャン・ポール・マレシャル(Jean-Paul Marechal)
レンヌ第二大学講師

訳・斎藤かぐみ

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 右派勢力の一部による民族戦線[訳注:通常の訳語は国民戦線]との選挙協力は、フランス社会の亀裂の大きさを現すものであった。マスコミや主要政党幹部がいかに非難しようとも、極右による憎しみの言葉が支持をひろげている。背景にあるのは政治不信と、失業問題に象徴される経済・社会不安である。
 それゆえ民族戦線に立ち向かうためには、グローバリゼーションや情報革命や、その結果である生産性の向上が提起する問題に答えることが必要である。欧米諸国はかつてないほど豊かになったのに、社会はかつてないほど不平等になっている。貧困にあえぐ人々はヨーロッパに何千万人といる。こういった閉塞状態から抜けだすために、新たな手がかりを考えてもよい頃だろう。「連帯経済」によって、労働と収入と社会保障を切り離すことを提案したい。[訳出]

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 一方には増えつづける豊かさがあり、他方には不完全雇用(1)と深刻化する貧困があるという、これまでにない事態に直面した先進国がとるべき道は、過去15年ほどの経験に従うならば、困窮とやや低めの失業(アメリカ)か、困窮とやや高めの失業(大陸ヨーロッパ)の、いずれかとなる。このような見方を受けいれる者が見誤っている点が2つある。情報革命がどのようなものであるかという点と、閉塞状態から抜けだすために使える経済の論理は複数あるという点である。別の経済の論理として、労働の時短・再編、最低限の社会保障をともなう生存保障収入、そして「連帯経済」の展開が挙げられる。

 情報革命は、18世紀の蒸気機関の革命や19世紀の鉄鋼の革命という過去の技術革命とは異ったものである。電子や情報処理や電気通信やバイオテクノロジーの出現と普及がもたらした技術改革である情報革命は、単なる機械化だけではなく自動化をも可能とする。

 機械化と自動化は、まったく別のものである。機械化が人間の肉体労働の機械による代行であるのに対し、自動化の場合は、人間の労働を代行する機械自身が作業の管理やエラーの修正も行う。つまり自動化とは、人間の努力や記憶や決定の手段の技術的手段による代替である。

 自動化によって生産システムのリエンジニアリングの条件が整えられる。雇用に関しては破滅的な効果がもたらされる。旧来の工業(鉄鋼、繊維、自動車)だけでなく、情報技術分野に直接関わる業界も、人減らしをするようになっている。近年のアメリカの解雇者の数にはすさまじいものがある。AT&Tで8万3000人、ナイネックスで2万2000人、ヒューズで2万1000人、GTEで1万7000人、コダックで1万4000人、ベルサウスで2万人、ゼロックスで1万人、USウェストで9000人、といった具合である(2)

 これらの数字を納得するために新自由主義論者が引き合いに出すのが、ソーヴィの「流出」理論(3)である。技術進歩の結果として、労働人口が農業から工業へ、工業からサービス業へと「流出」する次第を説明する理論である。彼らによれば、情報革命は長期的な失業状態を生みだすものではない。新たな生産システムを絶えず考案していくべきであるし、雇用はと言えば、充足されない多くの要求のために第三次産業で自然に創出されることになるからである。一見もっともらしく感じられるのだが、各点ともに反駁の余地がある。

 情報技術を反映した商品が大量に出回るようになるにせよ、先進工法による生産によって必要となる労働力は減少する。多くの機械の製造とインフラの設営を必要とし、雇用を削減する以上に創出した19世紀の産業化とは、大きくかけ離れたものである。

 二点目として、工業から押しだされた労働力が過去数十年にわたって第三次産業で雇用された(フランスでは1949年の710万人から1990年の1420万人に増加した)ことが挙げられているが、この動きも長くは続かないだろう。理由は、第三次産業で追求されている情報化である。フランスでの同部門の生産性の向上は年間2%と、アメリカの0.5%と比べて急上昇している。しかしながら、銀行や保険なども含めた産業分野全体を襲いつつある現実に対して、よく反論として出されるのが、非営利サービス部門における雇用の増加である。

 広まりつつある考え方は、農業や工業や営利サービス部門の過剰労働力は、将来的には非営利サービス部門に自然に流出するというものである。この理論は、ある重要な事実を考慮に入れていない。生みだされた富の新たな再分配メカニズムが早急に設置されなければ、「善隣サービス」の発展は短・中期的には、サービスを受けようとする個人や法人の支払能力の問題にぶつかることになるだろう。自由主義論者は、雇用問題の解決を生産効率の向上に見ている以上、再分配の実施には及び腰であるだろう。だが、そのような見方もまた、事実に反するものである。生産性と雇用は70年代末までは正比例の関係だったが、今では反比例の関係となっている。経済協力開発機構(OECD)の大半の加盟国で、生産性の向上は雇用を創出どころか破壊するものとなっている(4)

 こういった技術・経済上の大変化と、それにともなう生産と雇用と収入の一体性の崩壊を考慮しようとしない旧態依然の政策は、生産性の向上にばかり目を向けている。人間が社会に、富の生産活動を通じて関わっていく可能性は、多様にあることが見落とされている。しかるに、カール・ポランニーが示したごとく人間の要求は、市場によって充足される以前に、互酬と再分配と家政という三大原理に従った生産と再分配の作用によってカバーされているのである(5)

 これらの論理は部分的には行動も支配している。同様の分析に基いて社会学者のジャン・ルイ・ラヴィルが(6)が示したのは、時代と場所に応じて重心は異るものの、経済活動には3つの極があるということである。貨幣的かつ営利的(市場)、貨幣的かつ非営利的(福祉国家による再分配)、非貨幣的かつ非営利的(善隣経済、つまり近隣の個人間での物やサービスの交換)の3つである。

 自由主義政策もケインズ主義政策も、それぞれに貨幣系の極に固執してきた。3つめの極は無視され、つぶされてもきたが、第二次世界大戦直後のフランスでは人口の49%に関わるものだったのである。大戦後は自由主義が席捲し、大部分の国で経済活動は市場原理のみに従うようになった。3つの極の均衡を取り戻すべきである。それには少なくとも2つの方法が考えられる。労働の時短・再編、および「連帯経済」の展開である。

 労働時間の短縮は、反対論者がどう言おうと、雇用維持のためだけにでも必要である。フランス経済だけを例にとっても、1991年の必要労働量は1896年当時の57%(600億時間に対して341億時間)に過ぎなくなっている。一世紀の間にフランスの国内総生産(GDP)は10倍に、時間当たりの生産性は18倍に増えたが、年間労働時間が3000時間超からおよそ1500時間にまで(I)短縮されたことによって、雇用はわずかに(1896年の1900万人から1990年の2210万人に)増加している(7)。同様の変化は先進国全体に見られるものである。1960年から1990年にかけての年間労働時間は、アメリカでは1960時間から1800時間へ、カナダでは2030時間から1750時間へ、日本では2450時間から2090時間へと推移した(8)

 こういった数値はさておき、労働時間の短縮の問題は所得の問題と切り離せない。しかるに経済の王道を行く見解には反するが、所得の減少は検討事項となり得ないのである。所得の減少が検討事項とされる場合に見落とされているのは、第一に労働時間の短縮が労働の再編と生産性の増大をともない、企業にとって好ましくない効果の緩和にもつながる点、第二に一般家庭の購買力増大がマクロ経済的に好ましい効果、つまり需要をテコとした景気浮揚をもたらす点である。

 労働の時短・再編は必要であるが、それだけで大量失業を解決できるものではない。並行して行うべきことは、支払能力のある堅固な需要に乏しいために充足されにくい、社会・環境上の要求に見合った雇用の掘りおこしである。法人格の付与などにより、「連帯経済」(9)と呼ばれる新たな試みを発展させることである。

 「連帯経済」という表現に示されているのは、利益の最大化を目的とするのではなく、高齢者援助や託児や環境保全といった充足されざる要求に応じるために世界各地で積み重ねられた経験である。これらの経験 - すでに何百万人もが関わっている - を持続的なものとするのは、営利的(提供されるサービスの有償化)・非営利的(再分配)・非貨幣的(ボランティアの貢献)な別々の資源のバランスのとれた組み合わせである。託児所でボランティアと職員が働き、職員の給与を子供の親の負担と政府補助とでまかなう場合などが例に挙げられる。

 3つめの経済領域を理にかなったものとし、ルールを定めることが必要である。この目的でベルナール・エムとジャン・ルイ・ラヴィルが(10)提言した手段は、政府が契約によって委託する活動分野の設定から、ボランティア活動の社会的な認知(無給ながら社会への貢献となる労働による、退職年金や医療保険などの権利の取得)や、連帯経済プロジェクトの自主決定権の(権利と手続を通じた)保証におよぶ。失業対策との混同を避ける目的がある。

 こういった活動全体の発展は経済への関わりと社会への関わりを同時に促進するものであるが、市民社会と政府介入との接点を問い直すことが必要となってくる。決めていかなくてはならないのは、民間で何を引き受けるのかという点よりも、プロジェクトの担い手への自治体からの支援方法である。公共ボランティアなんて、と目を剥く方々には、自由主義的な手法で「善隣雇用」を発展させても、所得格差が増大し、つまりは社会の中で「下働き」が発展するばかりであると申し上げたい。

(1) 不完全雇用という概念は失業より広く、失業者、求職意思喪失労働者、非自発的パートタイマーの総称である。
(2) Jean-Jacques Salomon により "Europe-Etats-Unis: progres technique et myopie des economistes", Futuribles, Paris, n゜211, juillet-aout 1996 に引用された数字。
(3) Alfred Sauvy, La Machine et le Chomage, Hachette, coll. "Pluriel", Paris, 1982.
(4) Eileen Appelbaum & Ronald Schettkat「先進国における雇用と生産性」(国際労働雑誌、第134巻4-5号、国際労働研究所、ジュネーヴ、1995年)。
(5) カール・ポランニー「大転換」[吉沢英成ほか訳、東洋経済新報社、1975年]。
(6) Jean-Louis Laville (sous la direction de), L'Economie solidaire. Une perspective internationale, Desclee de Brouwer, Paris, 1994.
(7) Jacques Rigaudiat により Reduire le temps de travail, Syros, Paris, 1993 に引用された数字。
(8) Olivier Marchand, "Une comparaison internationale des temps de travail", Futuribles, Paris, n゜165-166, mai-juin 1992.
(9) Jean-Louis Laville、前掲書中。
(10) Jean-Louis Laville & Bernard Eme, "Economie plurielle, economie solidaire", Revue du Mauss, n゜7, 1er semestre 1996.
(I) 5月号による訂正。


(1998年4月号)

* 11段落目「年間労働時間が3000時間超から1000時間ほど」を「年間労働時間が3000時間超からおよそ1500時間にまで」に訂正(1998年5月)

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