ヨーロッパのイスラム新世代

タリク・ラマダン(Tariq Ramadan)
コレージュ・ド・ジュネーヴ/フリブール大学教授(哲学/イスラム学)
著書に "To be European Muslim", Islamic Fundation, Leicester, 1998

訳・富田愉美

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 経済的に必要な時だけ快く迎えられ、ひとたび不景気が問題になると切り捨てられる移民たち。極右国民戦線の台頭が示しているようにヨーロッパにおいて、あるいはまた東南アジアにおいても、移民たちはスケープゴートになっている。移民の流入をコントロールする方法として、政府は開発協力を挙げているが、資金面の手当もなく、アフリカなど「南」の国々は、フランス政府のやり方に不信感を抱いている。
 しかしながら、ヨーロッパに住むムスリムたちの真の統合へと向けられた動きを示す事柄はいくつもある。こうした努力が実を結ぶためには、政府が極右の主張を断固としてはねのけ、社会がイスラムに対する単純視から抜け出すことが必要であろう。[訳出]

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 イスラム教は中世のヨーロッパにおいて、合理的で、政教分離を原則とし、近代的な西洋思想を作り上げるのに大いに貢献した。新たにムスリムがヨーロッパに現れたのは、ここ60〜70年前のことである。歴史的に見ればほんのわずかな期間に過ぎないのだ。他の宗教的マイノリティや民族マイノリティ(各国の事情に応じて、ユダヤ、カトリック、プロテスタント、東方正教徒、ポーランド人、イタリア人、ポルトガル人など)に関していうと、彼らが受け入れ国のなかに自らの居場所と権利を獲得するには、何世紀にもわたる議論と確執を経ねばならなかった。ムスリムたちのマイノリティ問題も、たった2世代や3世代でどうして解決できようか。

 おまけに、ムスリム移民の第一波を構成していたのは、北アフリカ諸国、トルコ、あるいはインド・パキスタンなどの労働者たちであり、つましい出身の、経済的な理由で押し出されてきた人々であった。彼らの教育レベルや地位の不安定さゆえに、ほぼ一世代の間は、ヨーロッパのイスラムの実態は考えにくかった。労働者にも居場所があるのだと考えられるようになるためには、第2世代、第3世代の登場を待たねばならなかった。こうしたことがフランスで明らかになる一方、イギリスの移民は、出身国、ひいては出身地域の社会構造を反映したグループとなることが多い。

 3つめの要因は国際的な諸事件の影響である。1979年のイラン革命以降の諸事件がイスラムに対するネガティブな見方を生み、それがヨーロッパ社会に広まっていったことは、どんなに強調しても足りないだろう。サルマン・ラシュディ事件、タリバーンの過激性、中東でのテロや暴力、アルジェリアでの日々の惨事などは、ヨーロッパに蔓延しつつある失業や落伍者排除、都市部の治安悪化などの社会問題によって生み出された社会的緊張の火に油を注ぐようなものとなった。

 ムスリムの存在についての議論が困難に、ひいては不可能となり、性急に移民問題と混同されがちなゆえんである。1997年にイギリスで発表されたラニーミード・トラストの優れた委託研究(1)のタイトルを借りて「イスラム嫌い」と言うこともできよう。ムスリムと言えば悪者というイメージになってしまったため、ヨーロッパのムスリム共同体で起きているうねりをまともに評価できなくなってしまっているのだ。

第2世代の影響力

 けれども、第2、第3世代は、ヨーロッパの様々なムスリム共同体内部のメンタリティが変遷していく過程で重要な役割を果たしている。それには、一見すると相反して見える二つのわけがある。一つには、ムスリムの若者で日常的な実践をしている者は比較的少なく、その結果、受け入れ社会への統合は、実際のところ同化の形をとる(2)。こうした現象を目の当たりにしたモスクの責任者や第一世代のムスリム組織の幹部は、それまでの彼らの行動のあり方について、考えざるを得なかった。政府や亡命活動家をバックにしつつも、若者の現状を受け入れざるを得なくなった。すなわち、彼らが話す言葉を話し、宗教教育の方向づけをし直し、社会的・文化的な活動のあり方の再定義が必要となったのである。

 その一方で、一部の若者が実践に回帰していることから組織の数は増加し、この15年の間に2倍にも3倍にもなった。こうした組織を活性化しているのは、どんどん活発になっている若者や、30代のヨーロッパ生まれのムスリムたちである。ヨーロッパの大学教育の経験者も多い。彼らの活動はムスリムのメンタリティに大きな変化を及ぼしている。なぜなら、彼らはヨーロッパが自分たちの居場所だと考え、それを強調する権利があると考えているからである。そこから世代間の差が生ずる。若者たちは初期の移民たちと違って、知的かつ社会的な場をはっきりと得ようとしているのである。

 若者たちが活発になり、ヨーロッパ文化を取り入れていくことにより、北アフリカや中東やアジアのイスラム運動に参加してきた年長者たちは、自分たちのこれまでの活動の仕方や考え方などに関して、ヨーロッパとの関係から包括的に検討し直す方向へと向かっている。このことは勢い、学者(ウラマー)などを中心にムスリム共同体内部に大変な議論を巻き起こすことになった。すなわち、イスラム法学(フィクフ)上の問題を問われた学者たちは、ヨーロッパ式の生活の現実に適応した新たな見解(ファトワ)を示していくことを通して、自らの姿勢を計り直すようになった。

 イギリスの「ヤング・ムスリムズ(YM)」「イギリスのイスラム社会(ISB)」や、「フランスのムスリム青年(JMF あるいは EMF)」「ムスリム青年同盟(UJM)」「全仏イスラム学生連盟(AEIF)」をはじめ、多くの組織がヨーロッパで活動している。彼らの活動は、もっと明確なイスラム神学・法学の枠組みをヨーロッパの事情を考慮するウラマーによって作り出そうとすることも含め、根本的な問い直しを行っている。

 このように、80年代、90年代というのは、西欧におけるイスラム思想の再生の必要性が、次第に強く意識されていく時代であった。ヨーロッパ人となった若いムスリムたちは、直接的にあるいは間接的に、明確な回答を求めて疑問をぶつけていくようになる。ヨーロッパを、9世紀のウラマーの用語や地政学的観点を借りて言えば、ムスリムたちがマジョリティとしてイスラム法に則って平安に暮らす場所である「ダールル・イスラム」に対する戦場としての「ダールル・ハルブ」であると考えるべきなのだろうか? 言い換えるならば、果たしてそこで生きてゆけるのか? もしそうだとすれば、各国の法に対するムスリムたちの関係はどうあるべきか? たとえば、あるムスリム青年がいたとして、ヨーロッパの国の国籍を取得して、市民としての役割を完全に果たすことが、彼に可能なのだろうか? イスラム学者たちが、しっかりと細かく統一的な見解を示したためしのない疑問が沢山あるのだ。

 90年代に入ると、神学・法学上の意見交換が増えている。ムスリム世界におけるウラマーも、ヨーロッパに腰を下ろしたイマームや知識人たちも、イスラムの本質をめぐる議論に加わっている(3)。過去のイスラム法学上の最重要な見識も考慮される。学者の間だけでなく、ヨーロッパのムスリム共同体においても、ほぼ一致した見解となっているのは、以下の5つの原則である(4)

 ― ムスリムは、居住者としてであれ市民としてであれ、自分が住んでいる国と道徳的かつ社会的な契約により結びついていると考えねばならず、その国の法律を尊重せねばならない。
 ― ヨーロッパの法律(つまり「ライシテ(政教分離)」の枠組み)の下で、ムスリムがイスラム教の要諦を実践することは可能である。
 ― 「ダールル・ハルブ」という呼称は、コーランから出てきたものでも預言者の伝統に連なるものでもなく、時代遅れと考えられる。ヨーロッパにおけるムスリムの存在を肯定的に捉えるための別の概念が提案されている。
 ― ムスリムは自分をおざなりではない市民として考えなくてはならず、みずからの価値観を尊重しながら、居住国の社会、団体、経済、政治に参加しなくてはならない。
 ― ヨーロッパの法律の下でも、ムスリムは他の市民と同様に、みずからの信条に基づいて判断することを何ものにも妨げられない(5)

 理論的な枠組みが徐々に形成されていく一方で、現実の場でムスリムのアイデンティティを表明する姿勢の復活もはっきりとしたものになってきた。様々な圧力にもかかわらず、諸国の法律がアイデンティティの尊重を保証することを、若者たちは理解している。差別の根拠となっているのは、むしろ部分的で客観性を欠いた法解釈であり、すでに引用したラニーミード・トラストの報告書に見られるように、解釈が排外的な性質を帯びていることもある。

 その結果、数多くのムスリム組織の活動内容も変わってきている。正統な権利を獲得していくための必要なステップとして、公民教育や市民参加という側面を強調するようになっている。地方によっては、専門機関の協力を得たりもしながら、関心喚起のための集会を組織したりしている。

 隔離状態から抜け出そうとする意識を表わすものとしては他に、講演会や金曜礼拝の際に、住んでいる国の言葉を活用しようとする動きなどが挙げられる。イギリスでは、「フォシス(学生連盟)」や ISB、YM といった組織に参加している若者たちが、バーレルウィやデオバンディーといった伝統主義の運動の、コミュニティ重視の風潮に立ち向かっている。アングロサクソンの多文化システムのおかげでインド・パキスタン人としての文化的アイデンティティが相当に保護されていることを認めながらも、青年組織のリーダーたちは「ゲットー化」から引き起こされる差別と戦っている。

 ヨーロッパのイスラムは政治的、財政的な自立の道を見つけたようにみえる。大規模なモスクや機関は相変わらず政府と結びついたままであるが、それでも徐々に数々の組織が政府への依存から抜け出しており、同様に相当な数の礼拝場が、コミュニティ内部で集めた資金でもって建設されている。若者たちの活動は自己資金でまかなわれて、行政補助金の恩恵にもあずかっているものもある(6)。貴重な自立‥‥。

 ヨーロッパのムスリム組織は、母国のコミュニティの正式代表をめぐる「名士たちの戦い」からは徐々に遠ざかっている。こうした動きにより、下から選ばれ、政治的、財政的にも自立した、本当の意味での代表となることが組織に期待できるのではないかと思われる。コミュニティ内部に現実に存在する多元性も、表立って取り扱われるようになっている。スペイン・イスラム会議、ベルギー高等会議、あるいは1997年11月にできたばかりの英国ムスリム会議などの構成を見れば、まだ数多くの問題があるにしても、それがわかる。

 進みつつある根本的な変容を示すものとして最後に挙げられるのは、ムスリムの最近の文化、芸術作品である。イギリス、スペイン、フランスなどの数々のグループが、ヨーロッパのイスラム文化を産み出しつつある。すでに知られているジャンル(ラップ、バラエティ、大衆演劇)の真似にとどまる者もいれば、真のアレンジの才能の証明のような者もいる。彼らの芸術は、少しずつアラブやトルコ、インド・パキスタンの文化から抜け出し、住んでいる国の慣習や好みを考慮に入れながらイスラム的価値観を尊重する道を探っている。近いうちに、さらにオリジナリティある作品、ヨーロッパ・ムスリムのアイデンティティの表現といったものが現れてくるだろう。

 しかし、実際にはまだ日常的な差別や、不信感、排斥という現実があり、ムスリムたちは、しばしばヨーロッパでの居心地の悪さを感じている。共生への道には障害が多く、それは法の問題というより、ますます根付いてきている「イスラムやムスリムというのは、本質的に『統合不可能な』ものである」という偏見に起因するものである。

 つまり、正しい情報と教育が早急に求められているのである。なぜならば、あまりにも単純化されたイスラム観は、統合が進展してきているという理解を広める障害となるからである。積極的な対話も多くもたれるようになってきている。自分たちをもっと知ってもらおうというムスリム側の努力(異教徒間の交流、モスクの開放日、大学での討論会など)や、ムスリムの風刺に走るまいとする一部の知識人やメディアによって、互いを尊重する未来への展望がわずかながらも開かれている。

 ムスリムの統合に関して、受け身的で消極的に捉えるのでなく、「ヨーロッパの建設」におけるムスリムの貢献というものをもっと考慮すべきである。ムスリムの存在はヨーロッパを豊かにするものである。ムスリムの存在を通して、世俗社会における精神性のあり方や、宗教的・文化的な多元性の公平な扱いといった事柄に関して、われわれはもう一度よく考えることができるのだ。さらに言えば、物の理解、倫理、社会正義などといった問題について社会に問いかける人々と、ムスリムたちは自然に通じていくことになるだろう。

(1) 英国ムスリム調査委員会(Gordon Conway 委員長), Islamophobia: Fact Not Fiction, Runnymede Trust, 1997.
(2) 60%から70%の者がラマダンの断食を実践していると答えているが、日々の祈りを捧げる者は12%から18%にすぎない。75%から80%の者は、母国語をまったく又はあまり話すことができない。 cf. To be European Muslim, Islamic Fundation, Leicester, April 1998)
(3) 十数人のウラマーたちが、1992年7月および1994年7月にシャトー・シノン欧州人文科学研究所で、ヨーロッパにおけるムスリムの存在に対してイスラム法の枠組みを与えるべく会議を開いた。イギリスにおいては、1990年以来「イスラム財団」がこうした路線でのイニシアティブを発揮している。1997年3月にはロンドンで「法的見解と研究のための欧州会議」も設立された。 cf. Sawt Uruba(欧州の声), 欧州イスラム教会連盟、ミラノ、1997年5月(アラビア語)。
(4) アッタハリール、アル・ムワッヒドゥーン、アル・ムハージルーンなどの過激なグループは、これら5原則とは大きく異なる立場を取り、ムスリムの宗教的生活のみならず現世的・世俗的生活をも具体的に規制するシャリーアのヨーロッパにおける厳密な適用を主張している。メディアには異常に取り上げられているにせよ、彼らは孤立した少数派にすぎない。
(5) めったにはないことだが、イスラムの原理と矛盾しそうな法的義務があった場合は、何の原理が優越するか、また(あるいは)適応が可能かを見定めるための研究が必要になるケースとなろう。
(6) 1997年にイギリス及びフランスのムスリム組織は、欧州委員会の「ヨーロッパへの思い」プログラムに補助金を申請して認められた。 cf. 1997年度委員会年次報告書、欧州委員会事務局、ブリュッセル。


(1998年4月号)

All rights reserved, 1998, Le Monde diplomatique + Tomita Yumi + Saito Kagumi

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