チュニジアの鉄腕政治

イニャシオ・ラモネ編集長(Ignacio Ramonet)

訳・斎藤かぐみ

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 「開放ともてなしの伝統」を誇り「平和と静けさのオアシス」(1)を名乗るチュニジアを、今年は400万人以上の旅行者が訪れる見込みである。政府は先頃独立40年を祝し、主だった経済的成功を数えあげた。チュニジアの経済的成功は確かに見過ごせない。

 国民1人当たりの収入は2000ドルと、アフリカ国家としては生活水準はましと言えよう。他のアフリカ諸国と比べて貧富の差はひどくはなく、貧困ライン以下の者は20人に1人程度である。財政赤字も小さく、児童の就学率は先進国並である。女性の社会進出も各方面で見られ、アラブ諸国のうちでは最も進んでいる。

 ウォルフェンソン世銀総裁は、4月のチュニジア訪問の際に、経済自由化と欧州地中海地域への統合政策を継続するよう促し、チュニジアを「地域における世界銀行の優等生」と評した。この小国を「北アフリカのシンガポール」とすることを思い描くベン・アリ大統領は、世銀総裁の讃辞に鼓舞されたに違いない。

 ベン・アリ大統領にとっては、自由化には権威主義がつきものである。1987年にブルギバ大統領を失脚させて権力の座に着いたベン・アリ元軍総長は「新時代」の幕開けを宣言したが、この「新時代」はすぐに政財界の癒着、警察の取締り強化、反対勢力狩りなどの特徴をあらわした。警察官の数は数ヶ月の間に2万人から8万人に増え、政治結社は禁じられた。新体制はまず1990年に穏健派イスラム党アンナハダ(再生)への攻撃を始め、ガヌーチ党首はロンドンに亡命せざるを得なかった。数百人の活動家が逮捕され、「国家転覆の陰謀」を理由に軍事法廷で裁かれ、不公正な裁判で終身刑をも含む刑に処せられた。アルジェリアの混乱にこりた欧米の首脳は、チュニジア政権のはなはだしい権力濫用を非難せずに放置した。こういった欧米の共犯的態度に勇気づけられた政府は、チュニジア労働者共産党などの左翼勢力をはじめとする他の民主的野党の支援者に対しても同様の抑圧手段を用いた。

 暴力的方法に訴えたりはしなかった数千人の関係者が、新法によって逮捕されて重刑を科せられた。1993年11月22日に可決された新法は、基本的人権をさらに制限し、思想犯の監禁を認めている。

 警察と監獄で拷問は日常茶飯事であり、アムネスティ・インターナショナルは人権侵害を重々しく非難したが不成功に終わった。「拘留中に拷問や虐待を受けて調書に署名することを強いられたと訴えても、判事は意に介しない。逮捕後の数週間、数ヶ月にわたる拷問の跡を見せても判事は取りあわない(2)。」

 犠牲者の家族と弁護士も厳しい監視の下に置かれる。人権保護団体に訴えたことを疑われたら今度は彼らが逮捕され、尋問され、虐待される。

 あらゆる新聞・メディアが、猿ぐつわをかませられ、沈黙を強いられている。外国の新聞は必ず検閲を受ける。野党は6つのみ認められているが、党員は監視下に置かれ、ベン・アリ大統領の「民主憲法連合」の前には無力である。ベン・アリ大統領が1994年に99%の得票率で大統領に再選され、「民主憲法連合」が国会議員の88%を占め、全市町村を掌握していることも当然ではなかろうか?

 こうして誰の口から出ようと批判という批判は政治的犯罪と見なされる。高名な医師でもあるチュニジア人権連盟のマルズーキ総裁はそれをいやというほど味わった。1994年の大統領選の際、ベン・アリ大統領に対抗して立候補する意志を表明しただけで、むりやり逮捕されて数ヶ月の禁固刑を受けた。報復は近親者にもおよび、弟は15ヶ月の禁固、甥は30ヶ月、擁護者の一人のホスニ氏は8年の懲役に処せられた。

 シラク仏大統領は、昨年10月のチュニジア訪問の際、ベン・アリ大統領がイスラム原理主義の脅威に「然るべき回答」を与えていると賞賛したが、その頃も民主主義勢力に対する抑圧は続いていたのだ。主要な合法的野党たる「民主社会運動」のモアダ党首は、自由の侵害を批判する文書を出したかどで昨年10月9日に逮捕され、裁判のまねごとの後に11年の禁固となった。

 チュニジア政権は、経済自由化の成功と無知蒙昧の撲滅を口実として、国家の治安維持にやっきになっているように見える。あらゆる表現の自由は迫害され、率直な民主的論議は窒息させられ、反対勢力は残酷に罰される。こういった鉄腕政治がベン・アリ大統領の恐怖体制を当面は可能にしているのだが、しかし、あらゆる独裁は、ぬきがたく市民の抵抗を育むものではなかろうか?

(1) Financial Times 1995年11月28日号
(2) 「チュニジア - 国際社会の不問による抑圧の強化」(アムネスティ・インターナショナル報告、1996年11月2日)


(1996年7月号)

* 筆者名のカタカナ表記「イグナチオ」を「イニャシオ」に訂正(2003年7月27日)

All rights reserved, 1996, Le Monde diplomatique + Saito Kagumi

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