演劇と民主主義 - 抵抗のための「市民の情景」

ジャンフランコ・カピタ(Gianfranco Capitta)
ローマ、イル・マニフェスト紙記者

訳・斎藤かぐみ

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 流行や大衆受けを追わない演劇がある。10年来、演劇がどれもテレビの真似ごとのように見えた中で、イタリア演劇のセンスと品格を保っていた演劇がある。「市民の情景」と呼ぼう。俳優も美術家もチームの全体が、社会と権力による変形への抵抗の場であることを自認していた。

 「市民の情景」という概念は、古代ギリシア、中世の大衆演劇、近年では戦後の一大社会参加の時代から継承されたものである。これによって、演劇は伝統と実験という往々にして人工的な矛盾を超越し、演劇に必要なものを再び勝ち得たのである。「市民の情景」は、おおむねマージナルなもので、公式の回路から外れ、宣伝から敢えて距離を置き、何よりも観客とのコミュニケーションを求め、この使命から外れることごとくを拒んできた。

 1993年のマルコ・パオリーニの「ヴァジョンティ物語」は、超近代的ダムに起こった山崩れのために数分間で2000人が死んだヴェネト峡谷の悲劇の追憶のために作られ、カルト演劇となった。この集団劇は、人々の家、小さな村の教会、郊外の住民センター、フェスティバルなどで上演され、事件に関心をもった多くの観客を集めた。劇の物語るのは実際の出来事であるが、役者もつとめるパオリーニの自伝的な回想と、ダム建設の道義的・政治的責任に関する司法調査の要素をないまぜにしたものだった。「ヴァジョンティ物語」はラジオでも聴取率の記録を更新した。

 劇の観客は参加し、回顧し、感情移入し、2000人の命を良心に負うべき為政者に憤る。3時間近い劇が終わってからもまだ、パオリーニと議論を続け、行動を提案し、忘れまいと約束する人々がその場に残っていた。演劇の記憶は歴史に立ち向かう武器となり、限られた空間を超えて劇は続く。

 パオリーニは「アルバム」と題した一連の芝居の作者でもある。駆けめぐられるのは彼の幼年時代と思春期、そして彼の世代(テロ暗黒時代、アルド・モーロ暗殺の時代である1968-77年に運命が決められた40歳代)の成長・成熟・政治的敗北である。ここでも観客は、皮肉な気持ちながらも懐かしく過去に沈み、答えを待つ問いにぶつかるのだ。

 パオニーニは、モノローグを一人で演じられる強みで観客とコミュニケーションをとりやすいとはいえ、例外的な存在ではない。「市民の情景」の他の多くのグループも、それぞれ同様の道をたどっている。80年前に第一次大戦の舞台となったトレントとロヴェレトの間に散らばる古い要塞では、ここ数年、若き演出家、マルコ・バリアーニが出演者50人を超える壮大なスペクタクルを演じている。戦争のナレーションが地元の出来事の思い出と結びつき、公式な歴史のかげの傷跡、村の住民だけではなく国民全体が苦しんでいる傷跡をさらけだす。

劇場を超えて

 バリアーニは、これもファシズムからの解放の歴史の記憶とレジスタンスの女たちに捧げられた別の劇も作り、現在は作家のペドラッグ・マトヴェイェヴィッツとの共作の一大「地中海構想」に専心している。他のはみだし者の演出家たちも、戦後50周年を機として現在について考えるような芝居を思いついた。こういったものが、トスカーナ南部のオルツィア谷の小さな要塞村を30年来拠点とするイタリアの芝居なのである。モンティキエロは歴史の本からそのまま抜けだしたような素晴らしい中世の村であり、住民は300人しかいないが夏には多くの観光客をひきつける。この村で、冬の夜な夜な「自家製ドラマ」と呼ばれるものを作りあげるために集まる習慣が60年代に生まれた。工場で働くための離村、テレビの力、言葉の変質、土地の権利関係、土地投機といった現代の問題が、村の歴史の似たような時代と関連づけられる。現代の最もデリケートな問題が劇で演じられるのは素晴らしい魔法だ。夏の夜の村の広場での芝居見物は強烈な体験だった。ダンテがうたった空と風景の下、過去と比較することで、市民の義務が今までになく強烈に感じられてくる。

 クラウディオ・ミスクリンの劇団ヴェレミールにも内輪の雰囲気がある。彼らの数年来の拠点は、フランコ・バサグリアの「精神分析革命」以前はトリエステ精神病院であった殺風景な館である。ミスクリンが自称するところの狂人アカデミーは、道徳主義におちいる危険を避け、狂気を口実にすることを拒みながら、解放の喜びと困難をうまく表現している。

 患者にとっては、社会制度によって限定され、盗みとられた表現の力の回復であり、劇団員にとっては、想像と創造の新たな関係の発見である。変に慎重になることも、無遠慮であることを恐れることもない。奪われた内なる夢を見せることは、特殊なひらめきに満ちた新しい人生の誕生に立ち会うことなのだから。

 刑務所で演ずる体験も多くの関心を呼んでいる。最先端をいくのは、これもトスカーナのヴォルテッラのグループである。「白い地図」劇団は、ロベルト・デ・シモーネの大衆オペラ「シンデレラ猫」のように、拘留者の自伝的な話や出身地の文化と結びついた話からとりかかり、数年後には拘留者の生活と自由への渇望についての脚本をまとめた。ピーター・ワイスの「マラーとサド」やリヴィング・シアターのリベルタンな伝統に触発された「ブタバコ」などはこの手法で多大な成功をおさめた。

 もう一つの重要なテーマは、マフィアをはじめとする犯罪組織との戦いである。犯罪組織の支配地域に拠点を置いた勇気のためもあって急成長している。代表作の一つは、ルチアーノ・ヴィオランテの「マフィアの死児たちのためのカンタータ」である。ヴィオランテは今年の選挙で下院議員に選ばれた。「市民の情景」に臨んで新たな義務を意識した者がここにいるのだ。


(1996年7月号)

All rights reserved, 1996, Le Monde diplomatique + Saito Kagumi

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