日本によるひそかな「植民地化」 - 日常の中の東洋的記号

マルク・ボッシュ(Marc Bosche)
パリ経済社会高等学院教授

訳・斎藤かぐみ

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 アメリカ文化ほど乱暴でないとはいえ、我々のライフスタイルに極東文化が浸透してきていることも事実である。日本のシンボルのごとき製品が西欧社会をじわじわと「植民地化」する。新製品や映像、産業・経営モデルを通じて。中でも若い世代が影響に染まりやすい。[訳出]

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 植民地時代の勝者は敗者の文化にひそかに侵される運命にある、と心理学者ユングの自叙伝の中で述べられている(1)。1945年に米軍の占領を受けた日本の文化もまた例外ではないようだ。日本が欧米社会に与える影響は、あまり気づかれないままに強まりつづけている。

 日本の魅惑は、政治的イデオロギーや制度化された宗教などではなく、モノを通じて及ぼされる。たとえばアジア地域でアジア・メーカーの主導によって大々的に発展したファックス。表意文字たる漢字その他のアジアの文字を、アルファベット向けに考えられたキーボードなしでも簡単に送ることができるようになった(2)。ファックスは世界中で広まったが、そのアナログ的な記号処理がアジア文字の特性から必然的に出てきたものであることは忘れられがちである。

 ディスクマンから携帯電話、パソコン、ビデオカメラに至るまでのポータブル製品の増殖も同様である。パソコンの人気は80年代の東芝の努力に負うところが大きい。省スペース型の機器が熱烈に支持されたのは、狭い日本のオフィス事情に関係している。世界的企業によって作りだされたポータブル製品というモノが、何くわぬ顔で機器の利用方式も変えてきたのである。

 こういったモノの増殖現象の意味が必ずしも感知されているわけではない。欧米人にとっての文化とは、たいていは思想と価値の集大成であるとされ、日常的なモノの流れではない。という風に欧米人は極東からの影響を無視、ひいては否定することに長けているが、これは何もいまさら始まったことではない。

 数年前ですら、印刷術はヨーロッパの発明であるなどという教育が行われていた。だが木製・金属活字による印刷術は、中国や朝鮮では14世紀には知られていたのである(3)。1397年付けの朝鮮の金属活版印刷物も現存している。

 社会学者のサーリンズによれば、文化とはモノ自体の増殖、消費のための消費の膨張でもある(4)。文化という記号 - とおそらく感覚 - のゲームの支配者となるのは、こういった「増殖」の記号をコントロールして規範や基準を与える者であるとも言えよう。支配的となった社会文化の所産が元はどこから発したものかを特定することは、現代のような多国籍企業の時代には困難だが、大きな影響力を発している民族文化もいくつか見分けられる。アメリカ式ライフスタイルが物やサービスを通じてヨーロッパ中に侵入しているのはまぎれもない事実だが、日本やアジアのシンボルのような製品が入りこんでいることも認めざるを得ない。

経営方式からゲームまで

 集団による生産・労働方式という面でも、文化慣習の影響はある。企業文化、QCサークル、無欠陥運動、在庫削減、多機種対応型工程、総合的品質管理、コストの計画的削減などは、実際にも日本で発展したものである。

 品質サークルや品質管理など、元々は欧米で作られたり試されたりしたコンセプトもあると言って安心することもできるかもしれない。だが、「ロジスティック」や「プロダクティック」といった新しいルールは間違いなく日本発のものであり、欧米の工場に取りこまれたのは80年代になってからのことである。こういった発想が、個々の労働者を通じて欧米諸国の文化を変形する。総合的品質を求めるために一つ一つの行動に意味をもたせ、極度の緊張を強い、責任を非常に重要視するような職場の雰囲気は、欧米で自然発生したものではない。

 この方式は80年代初頭にアメリカ、特に日本との競争にさらされていた自動車産業で導入された。1981年に出版されてベストセラーとなったウィリアム・オオウチの著書「セオリーZ」(5)は、日本への視察旅行からの帰国後に書かれ、日本の経済的成功に促された欧米の経営方式刷新のはしりの一つとなった。

 日本文化のヨーロッパへの影響は、労働分野のほかに、ショッピング・センターを通じた「日本式」生活慣習の普及という形でも見られる。部屋のスペースをとらず若者に愛用されている布団。家具やインテリアのカタログをめくれば、障子・盆栽・卓袱台など、日本の存在感がよくわかる。ファッション・ブティックも日本の美学の触発を受けている。何もない白い壁にハンガーから洋服を吊りさげただけで他の飾りつけはなし、という売場づくりも日本的な発想である。

 他人の前でレーザーディスクの伴奏で歌を歌うカラオケ(6)なるアジア的発想がヨーロッパの若者に広まるなどと、誰が20年前には考えただろうか?

 こういった「植民地化」の最大の標的は子供である。日本マンガの読者増大は、もはや社会現象にもなっている。マンガ熱の元は、一日何時間もテレビで放映されている日本製アニメ(アメリカとの共同製作も多い)である。暴力と争いのうずまくハイテクゲーム・ワールドも忘れてはならない。有力ゲーム企業の一つは任天堂、従業員1000人足らずの京都の中小企業だが、1992年度の日本での最多利益企業である。同社の「ゲームボーイ」の後を、ソニーの「プレイステーション」とセガの「サターン」が追った。アメリカで90年代はじめに行われた調査では、任天堂の代表的キャラクター「マリオ」はミッキーマウスよりも人気者になっている‥‥

 欧米の子供たちは、一日何時間もアニメ、ハイテクゲーム、マンガ、ウォークマン、ミニコンポ、ビデオなど、日本的志向によって考えだされたソフトやハードに取り囲まれて過ごしている。思春期になった彼らを迎えるのも、ソニー・ミュージックのラインナップのCD、デジタルカメラ、ビデオカメラ、バイク、布団、パソコン、携帯電話、メイド・イン・ジャパンの極薄コンドームなどである。

 アップルの元経営者のジョン・スカリーは、同社のコンピューターが日本のミニチュア化志向にマッチしたことを強調していた。「日本で大成功した原因の一つは、モノをできるだけシンプルに、できるだけ小さくしようとしたことにある。(中略)日本的アプローチとは、世界を圧縮して本質をとらえ、表現し、操作しようとすることである。盆栽も、大戦後の日本が大挙して国際貿易に参入することにつながった小型トランジスターも、こういうミニチュア化志向に基くものだ。アップルの哲学も日本人から指針を受けた。マッキントッシュが発売当時、世界最小の事務コンピューターだったのも偶然ではない(7)。」

日本人の目のつけどころ

 だが欧米企業は、必ずしもミニチュア化の意味を自分のものにしたとは言えず、単に日常的なモノのサイズを小さくすることと解してきた。実はそれだけではないのだ。ソニーは1979年からポケットサイズのテープレコーダーを商品化していた。盛田昭夫は次のように書いた。「日本人は昔から小さな物や小さくまとまった物が好きだった。箱は入れ子になるように、扇子はたためるように、掛け軸はきちんと巻き物になるように作られている(8)」。1952年にソニーが取りくんでいたのは、アメリカのライバル企業よりも小さな電子製品というプロジェクトだった。50年代にトランジスターをラジオに組みこんでいく元になった着想を、盛田昭夫はこう語っている。「そこでわれわれは、ワイシャツのポケットにはいるような小さなラジオを作ることをめざすことにした。単なる『ポータブル』ではなく、『ポケッタブル』にしようと私は強調した(9)」。小型ラジオは、同じ50年代にソニーが発売する直前に、テキサス・インストルメンツの提携を受けた米リージェンシー社から発売されたのだが‥‥将来性がないということで販売中止になっていた!

 1955年のソニーによる小型ラジオの商品化の成功から四半世紀後の1979年、あっという間に人気を博したウォークマンが、またもや欧米電機メーカーの肝を冷やすことになった。欧米企業の経営者は、四半世紀の間にも「ポケッタブル」なモノの利点を学習せず、ウォークマンを単なるミニチュアととらえていた。小回りのきくモノによる一大革新を横目で見ながら、彼らに席捲されるままでであった。

 日本企業が踏む手順はいつも同じである。欧米に興味深い革新的アイデアを見つけると、目的の分野の技術を買ったり欧米のハイテク研究所に研究委託をしたり、時には欧米の発明者にプロトタイプ製作を促したりもする。製法や製品の新しい発想方式にチームの連中が通じるようになると、これを盛りこんだ新しいラインナップを生産する。市場革新を起こした革新的技術は、韓国・アメリカ・ヨーロッパでも早々に採用されて世界中に広まることになる。英語圏の研究者に残されたことは、論文に記録を残しておくことだけである。

 盛田昭夫は欧米のテイラー主義を恥ずべきこととした(10)。欧米企業は昔から、製品と製品マーケティングとを別々に考えていた。逆に日本製品は、新たなサービスとしてマーケティング的な発想から、機能面から考えられている。たとえばフジのレンズ付きフィルムは、ふと写真をとりたくなる欲求に応えた製品である。

 革新的な日本製品は、最初に多くの広告を打たなくても売れる。日本企業の経営者は、欧米にありがちなように市場調査を信じきったりせず、一般情報を細かく追いかけ、人間とその欲望についての知識を重視するのだ。欧米企業の管理職が受けているのは、現場から離れた所での抽象的な方式の訓練であり、生の素材の中に仕事のアイデアを見つけるような教育ではない。日本のエンジニアは、伝統的文化の中に今も(後どのくらいの間?)生きる現場教育と人間関係のおかげで、少量の素材の中に濃密なアイデアを詰めこむことを知っているのだ。

 こういった直観力が組織化の技術と結びついたおかげで、いつしか日本企業がライフスタイルを決めるようになり、日常のシンボルをつむぎ出している。穴だらけの岩にしみこむ雨のように欧米に侵入しているのは、極東発の製品・イメージ・経営モデルに結晶した有形のシンボルである。こういったシンボル製品が欧米文化に入りこんで、多国籍企業に大いに利するところとなっているのである。

(1) カール・ギュスターヴ・ユング全書第X巻
(2) ジェラール・アンリ「急がれる香港の文化アイデンティティ確立」(ル・モンド・ディプロマティーク1996年7月号)
(3) エティヤンブル「中国的ヨーロッパ」第I巻(パリ、ガリマール社、1988年)
(4) マーシャル・サーリンズ「人類学と文化記号論」(山内昶訳、法政大学出版局、1987年)
(5) ウィリアム・G・オオウチ「セオリーZ」(徳山二郎監訳、CBS・ソニー出版、1981年)
(6) VSD 1996年5月1日号
(7) ジョン・スカリー、ジョン・A・バーン「スカリー:世界を動かす経営哲学」(会津泉訳、早川書房、1988年)。訳文は仏訳による。
(8) 盛田昭夫「MADE IN JAPAN」(朝日出版社、1987年)
(9) 同上
(10) 同上


(1996年11月号)

* 小見出し「経営方式からゲームまで」から三つ目の段落「Z理論」を「セオリーZ」に、註(5)「William Ouchi, "Theory Z: How American Business can meet Japanese Challenge" (Reading, Addison-Wesley, 1981年)」を「ウィリアム・G・オオウチ『セオリーZ』(徳山二郎監訳、CBS・ソニー出版、1981年)」に訂正(2005年9月5日)
* 小見出し「日本人の目のつけどころ」の直前の段落「アップルの元経営者のジョン・スカリー」の前で改段落(2005年9月5日)
* 註(4)「マーシャル・サーリンズ『実用的合理性と文化的合理性』(1976年)」を「マーシャル・サーリンズ『人類学と文化記号論』(山内昶訳、法政大学出版局、1987年)」に、註(7)「ジョン・スカリー(およびジョン・A・バーン)『ペプシからアップルまで‥‥』(パリ、ガリマール社、1988年)」を「ジョン・スカリー、ジョン・A・バーン『スカリー:世界を動かす経営哲学』(会津泉訳、早川書房、1988年)。訳文は仏訳による。」に訂正(2005年9月5日)

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