植民地化を受けた者の文学上の故国 - 何語で書くべきか?

アルベール・メンミ(Albert Memmi)
著書「植民地化を受けた者の肖像」(ガリマール社、パリ、1985年)
「ユダヤ人その他について」(セー・ド・バルティヤ社、パリ、1995年)

訳・斎藤かぐみ

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 誰のために何語で書くべきか? 口語の伝統をもつ第三世界の国々の著者たちは、この普遍的な問いに答えようと試み、苦悩する。書くことには読者との出会いが必要だが、植民地時代の長い夜からぬけ出したばかりの国々には、読者なるものは不在のままだ。新しい国造りに貢献したり抑圧された人々を弁護したりという義務、絶望の兆候にほかならないアイデンティティへの内閉の拒絶、創造のために必要な異議、などの間で作家は引き裂かれている。 [訳出]

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 植民地化された地域の作家、亡命暮らしをしたり刑務所から出てきたりした作家は、もはや何も失うもののない者の絶望からの率直さを共有している。第三世界の多くの国で、彼らの状況は不安ではっきりしないままである。かつての苦難に、作家という職業の自由な営みにはさらに厄介な別の苦難がとって代わり、付け加わりすらしているかのようだ。

 植民地時代には、宗主国の言語で書かなければ読まれることはまずなかった。一部の学識者を除いては、大学関係者も管理職も有産階級も、少なくとも文語については、母国語よりも宗主国の言語に長けていた。一般大衆はずっと読むことを知らずに過ごしてきたから、何も読みはしなかった。作家がそれでも民衆の言語にこだわろうと決めたとして、どういった出版社に持ちこみ、どういった販路に乗せることができただろうか? 作家が自分の内でも出会う恐るべき心理的障害もあった。植民地化を受けた側にまつわるあらゆることが、内面化された不信の対象となっていた。独立後に生まれた若者には、父や叔父が公共の場で母国語を使うことを往々にして恥じていたなどとは想像がつかないだろう!

 作家は今では自由だというのに、何が母国語の使用を妨げるのだろう? 自由であるばかりか、長いこと求められていた権利を行使すべき時機だというのに、作家はためらい、決意を迫られて足がすくみ、決意の時期を遅らせようとしているように見える。作家の使用言語の問題に関してこれほど論議が行われているのは、植民地時代の終わり以来のことだ。だが真理は単純であり、こういった作家たちは結局はフランス語や英語の作家なのだ。弱さや裏切りではなく、異議はあろうが避けて通れない遺産なのだ。率直に認めて議論を終わりにした方がいい。こういった作家たちの時代が歴史的に存在し、民族の過去から消し去ることはできないのである。

 学校で最初から2つの言語を習っている新しい世代については、事態はそれほど明らかではない。結局は同じようにフランス語や英語の作家となることを大部分の者が選ぶのはなぜなのか? アルジェリアで、モロッコで、アラビア語化が進むチュニジアでさえ、またフランス語・英語圏のブラック・アフリカのほぼ全体で、期待に反し、幾多の誇らかな宣言にもかかわらず、文学の所産の主要な部分が相変わらず旧宗主国の言語で書かれているのはなぜなのか?

独立後も未解決

 しかし、民族文学の物理的な条件は非常に改善されているのだ。民族資本の出版社があちこちで設立され、国が販売網を整備・管理している。文学賞が設けられ、劇団が結成され、映画も第一歩を踏み出した。こういった状況は芸術的創造を促し、いくらかの金と名声を創作者に期待させるものに違いない。だが残る障害も新たな障害も数多くある。民族資本の出版社は、官庁の利点も政党のダイナミズムもないままに両者の欠点を合わせもち、風通しよく気前よくあるべき分野だというのに、重々しく、細かい点にこだわり、効率が悪く、資力がない。出版社は、作家が言葉づかいと無責任な態度で人心に不安を与えるのではないかという不信をもっており、用心して厳しく当たる。読者は国外では散らばり国内では限られているから、国内出版は自殺行為のようなものだと若い作家は皮肉につぶやく。

 読者の問題は明らかに使用言語の問題につながっている。植民地時代の作家は誤解のうちに生きていた。自国の人々のために主張しても聞いてもらえず、宗主国には立ち向かいながら聞いてもらおうとし、つまり本当の読者に飢えていた。次いで独立の時代がやって来て、徐々に民族が確立された。作家は自然な読者に、つまり作品に用いた言語だけでなく、自分でもわななきながら発見した無意識の心のひだや記憶の共鳴までもページの隅々から理解するような読者に、ようやく出会えたのだろうか? そんな奇跡のような読者、別の国の作家にとっては平凡で、文化共同体によってさりげなく与えられているような読者は、彼らには見出せないままなのだ。

 学校教育の進歩には確かに見るべきものがあり、そう遠くない将来に新世代の読者が生まれることが期待されるが、確実に読まれるためには進歩の結果を気長に待たなければならないのだろうか? そもそも何語で書くべきなのか? 日々の雑事のための民族言語は、現実的につまり具体的に選択されたのだろうか? イスラム法学者のベン・バディスの有名な言い回しがある。「イスラムは私の宗教、アラブは私の言語、アルジェリアは私の祖国だ。」だが以後はどうなったのか? 実際にそうなのか? これに対して、次のアフメッド・ターレブ・イブラヒーミー教育相の言葉のような勇気ある分析もある。「(アルジェリアの学校は)事実上の二言語主義に支配されている‥‥ 我々にとっては、国益にかない、事情に応じた二言語主義である。」

 国の運命を左右するような技術的分野には、アフリカの伝統的言語は用いることができない。マグレブ諸国のモデルとされるエジプトで、技術者や医者の教育が今でも英語で行われているのは賢明なことだ。性急なアラビア語化は国の技術・経済発展を妨げるだろう。当面は、国語が最終的にどのような形をとるべきかの論議が激しく行われている。古典アラビア語か、潜在的な読者である大衆の俗用アラビア語か? それとも新聞やラジオがたくみに押しつけようとしている第三のアラビア語か? 議論はののしりに変わり、売国だの過去の遺物だのという非難合戦となり‥‥ 書き言葉は相変わらずフランス語や英語のままで、屈従を見せかけて旧宗主国の読者に向けられる‥‥

 毎年十数冊にのぼるマグレブ諸国の良質の著作は、ほとんどがパリで出版されている。官庁ののろさや検閲者の不信や読者の貧しさを乗り越えるのは困難だから、こういった著作がアルジェ(アルジェリア)やラバト(モロッコ)やチュニス(チュニジア)の本屋のウィンドウに並ぶことがほとんどない、というのは不幸なパラドックスである。確かにフランス文化は世界で最も評価されているものの一つであり、フランス語を話す者にとってはもとより、フランス語を話さない者にとっても、パリはすさまじい魅力をおよぼし続けているが、新しい時代に向けた多くの宣言や約束や挑戦のあげくに、このままの状態でよいのだろうか?

 アラビア語では素晴らしい文化的伝統が表現されており、消し去ろうとすることなど考えられない。だが唯一のアラビア語はもはやなく、多くのアラビア語、古典アラビア語と複数の口語アラビア語があると言うのが正しい。ブラック・アフリカでは百余りの言語が話されており、ほとんどが文字をもたずテキストの伝統をもたない。アルジェリアのカビリア語や広くはモロッコのベルベル語などのような、情熱と不安をかき立てる困難な問題もある。多数民族が少数民族に自分の文化を押しつけるのは、結局は法を装った暴力によってなのだ。

 これは作家が避けられない新たな恐るべき問題である。大多数の人々に用いられる言語以外の言語で書くことに甘んじれば、大衆と特権階級との溝を深めることになる。道義上の問題だけではなく、大衆と文化的に距離を置くことは、社会的にも経済的にも悪い結果をもたらすだろう。長い目で見れば学校教育が溝を埋める役にも立つだろうが、現在のジレンマは書きとめておこう。今日明日の損失を避けて速く進むためにとヨーロッパ言語が選ばれているが、この選択は、時間をかけることでしか修復できない新たな損失を招くことになるのだ。

 再興されたばかりで、どうにかこうにか確立されつつある民族が、こういった自己分裂に甘んじるなどということがどうしてできようか? 時が経てば、言語の統一がなされなくても、二言語制ないしは多数言語制を考えることができるようになるのかもしれない。だが、国の草創期には、文化の回復を欠いた民族解放など堪えがたい欠落、基礎となる言語を欠いた文化の回復など不条理ではないか。集団のアイデンティティという厄介(ここで長々と述べるにはあまりに重要)で若い民族国家につきものの問題が立ちはだかる。民衆の統一、近代国家の形成を成功させるためには、深く根ざした共通のアイデンティティを前提とすべきではないだろうか? 集団の神話、起源や過去や母国語や祖先の神話、そして共通で均一で不可分のものであるべき未来の神話が、現実と分かちがたく結びつく領域の境目におそらく我々はいるのだ。

芸術家かつ市民

 若すぎるがゆえに多くを求めるか覚束ないかといった民族のうちで、市民かつ芸術家として最善の道を模索する作家の困惑をわからずにはいられまい。言語の職人、神話に通じた者として、どんな決定も自分と人々にとって激烈な結果を引き起こすような分野で、早急な決定が作家に迫られる。どんな解決も即座に完全に満足のいくようなものではない。とらえどころがなく、ばらばらで、疑いぶかい読者を、作り出し、まとめ上げ、納得させなければならない。人々は昔は一つであったとしても今は違うから、まだ人々を一つにするための言語はない。植民地化のなごり、階級や社会集団によって実に不平等な文化の発展の度合、宗主国の文明の影響の相違、人種や部族による物の見方の存続、こういった状況で何を言うにしても苦しい選択は避けられないだろう。

 いずれにせよ、何らかの民族の概念をあらかじめ必要とするという点で、使用言語の決定は困難なものとなる。運よく主流言語があったとしても、すばらしいが大衆には理解しにくい言語を選ぶべきなのか? かつてのヨーロッパの国々のように大衆言語を選ぶべきなのか? だが大衆言語を選んだ場合は、まだ弱々しい民族から、必要な伝統の水脈、文化の宝庫を奪うことにならないだろうか? 作家から不安と罪の意識を取り除くことができるほど明快な解決など存在しない。自分の作品や民族の未来にとって重大な結果を引き起こさないような解決など存在しない。

 植民地時代の苦難に続いて独立の激動の苦難があり、現在は、確立途上の民族の集団的表白の苦難の時代だ。この苦難も不安を招かずにはおられない。反乱は危険であるがゆえに、自国民への異議申し立てよりも高揚感が大きい。一方、自由とされる国で自由とされる市民として、大衆の至らなさ、特権階級の不正、権力者の誤りなどを明らかにする新たな義務が作家にある。自分の紐帯を揺さぶること、そして自分と闘うことが必要となるのだ。新手の不安分子と見られないためにはどうすればよいのだろうか? かつて自国民と連帯する反逆者だった作家は、今や裏切り者との嫌疑をかけられ、肩身の狭い思いをしている。裏切り者であるよりは反逆者である方が苦痛は少ない。

 ということで、サルマン・ラシュディやタスリマ・ナスリンの時代となる。エジプトのナギブ・マフフーズはノーベル賞作家だが、カイロの往来でナイフで襲われた。ラシード・ブージェドラーのようなアルジェリアの知識人は、足どりを日々くらますことで何とか生活の安全を得ている。アブデルラーティフ・ラービを投獄したのは植民地政府ではない。

 作家はある種の事柄については黙るべきなのだろうか? 書くことは常に何らかの面で、あばくことであり異議をとなえることである。服従することは筆を折ることに等しい。閣僚となった作家はそれでも作家なのだろうか‥‥? 本来の意味での脱植民地化は終わった。各人がそれぞれ自分を探すだけではもう足りないだろう。固有の民族・人種・宗教問題を超えて、現代の人間全体の共通の定義を、我々全員で見出していかなくてはならないのだ。


(1996年9月号)

* 小見出し「独立後も未解決」直後の段落「何かにつけて口をはさもうとする」を「用心して厳しく当たる」、 同三つ目の段落「いつからそうなのか」を「以後はどうなったのか」に訂正、小見出し「芸術家かつ市民」直前の段落「文化の回復を欠いた」の前に「国の草創期には、」を挿入、同三つ目の段落を大幅に改定、最終段落「問題を通じて」を「問題を超えて」に訂正(2009年1月7日)

All rights reserved, 1996, Le Monde diplomatique + Saito Kagumi

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