アメリカのコロンビア二重政策 - 麻薬というアリバイ

ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)
マサチューセッツ工科大学(MIT)教授
- この未発表記事は、1995年3月13日のMITでの講演を元にしている -

訳・斎藤かぐみ

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 コロンビア政府に対するアメリカの公式の姿勢は明々白々である。サンペール大統領は麻薬組織から選挙資金を調達していたとの疑惑をもたれ、アメリカ入国を拒否されている。大統領選挙を数ヶ月後にひかえたアメリカで、断固とした麻薬撲滅態勢という印象を世論に与える目的をもった措置ではあるが、麻薬カルテル・マフィアと並んで麻薬取引から多大の利益を受けている銀行・企業に対しては真剣な対策をとっていないという感は否定できない。麻薬取引の取締りはまた、アメリカ社会の最貧民層の調整手段ともなっている。[訳出]

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 ラテンアメリカで人権に関して最悪の国がコロンビアであるが、アメリカから最大の軍事援助(ラテンアメリカ向け援助のおよそ半分)を受けとっているのもコロンビア政府である。2つの現象には何か関係があるのだろうか‥‥ ラテンアメリカ人権問題の専門家であるシュルツ教授が1981年に発表した調査によると、アメリカの援助は「国民を拷問し、最も恥知らずなやり方で人権を侵害している政府に対して、異様な増大傾向にあった」。

 短絡的に考えればアメリカ政府は拷問を好むという結論になりそうである。だが相関関係と因果関係を区別して、もっと掘り下げてみるべきである。1979年にウォートンスクールの経済学教授のハーマンと私との共著の中で発表した調査はもっと大がかりなもので、ハーマンは拷問と軍事援助の関係を世界的規模で分析し、確かに相関関係があることを確認した。引き続き行った研究でハーマンは説明らしきものを見つけた。アメリカの軍事援助の規模と「ビジネス向けの環境」の存在を比較してみると、その間に密接な関連が見出されたのである。

抑圧の後押し

 驚くべきことだろうか? だが理屈は単純で誰もが知っていることだ。労働組合の責任者、農民指導者、人権活動家などの拷問・暗殺・投獄は、資本つまり「ビジネス環境」に有利な力関係を社会に作りだすことになる。この点でコロンビアの例は典型的である。コロンビア人権擁護常設委員会のカリソーサ委員長の言葉を借りれば「軍事化された社会を偽る立憲政の見てくれ」というわけだ。コロンビアは非常に豊かな国だが、国民の大半にとっては非常に貧しい国である。大きな問題は土地だ。少ないからではなく少数の手に握られているからであり、1961年の農地改革はまともに実施されてはいない。

 理由は単純だ。国を支配しているのは大地主であり、大地主に仕える軍隊であり、その費用はアメリカ納税者の負担である。現在のシステムはケネディ政権の手になるものだ。1962年にラテンアメリカ諸国にとって非常に重要なものとなる決定が行われ、ラテンアメリカの軍隊に新たな使命が与えられたのである。アメリカ大陸の防衛に代わる「国内の治安維持」、オブラートに包んだ言い方であるが要は国民の抑圧である。

 軍の目標計画、訓練、供給される装備の種類にすぐに変化が表れた。血ぬられたエピソードに満ちたラテンアメリカ諸国の歴史においてさえ前代未聞の抑圧が始まった。1962年の決定によって何が起こったかというと、ケネディ政権・第一次ジョンソン政権の対ゲリラ計画責任者であったメクリングの後年の表現によれば、「ラテンアメリカ軍部の強欲非道」の単なる容認から「ハインリッヒ・ヒムラーの撲滅部隊の方式」を用いる連中との「直接の共犯関係」へと移ることになったのである。これは本人の言葉以上に的を射た表現である。マクリントックの著書「Instruments of Statecraft」は、ナチスの専門家が1945年以降どのようにアメリカに迎えられ、対ゲリラ部隊向け訓練マニュアル作成の手助けをしたかを明らかにしている。

 ケネディを取り巻くインテリ連は問題解釈のための自前の辞書をもっていた。1965年にマクナマラ国防長官がバンディ大統領国防顧問に語ったところでは、ペンタゴンの負担によるラテンアメリカ士官の教育は、「アメリカの目的をよく分からせ、明らかに好意的な見方を植えつける」こととなった。大事なのはこのことで、というのも「ラテンアメリカの文化では」軍人は「国民の安寧を害するような行動をとると思われる指導者を権力から遠去ける」気構えがあると考えられていたのである。マクナマラ長官が念頭においていたのは、数年にわたって拷問・暗殺などの国家テロを日常茶飯事としたブラジル立憲政を倒した1964年のクーデタだったと思われる。

トルヒーヨの虐殺

 だが、ゴードン駐ブラジル大使が正しく予測したように、「経済の奇跡」が生まれた。軍人蜂起は「自由主義世界にとっての大勝利」であり、「民間投資にとって著しく改善された環境を作りだす」ものとゴードン大使は見ていた。事実、外国投資家や一部のブラジル企業にとって変革は喜ぶべきもので、経済関連の新聞雑誌は変革を称賛してやまなかった。特権階級の並はずれた富は大多数の人々の悲惨な状況を忘れさせた。だが、これこそ「経済の奇跡」なる特殊用語が意味するものではないだろうか? 「経済の奇跡」は、1994年12月19日に金融バブルが崩壊するまでのメキシコにもあった。次いでアメリカ納税者は、例によって金持ちを厳しい市場の法則から保護するための協力を求められた。

 コロンビアでは、公式のテロ装置が「政治・経済・社会分野での全面戦争」を目的とするものであるという率直なまでの宣言を国防相が行ったことがある。公式には、ゲリラ組織との戦いだけが問題だったのだが。1987年、ある上級士官は「真の危険は、反乱者が心理戦に訴え、民衆をコントロールし、大衆を操作することだ」ともらした。「コロンビア・ドクトリン」の詳細は20年後には入手できるようになるだろうが、今でもトルヒーヨ村の恐るべき虐殺についての公式レポートの中にかいま見ることができる。1990年3月、ゲリラと通じているとの疑いをもたれた農民30人余りが軍・警察によって虐殺されたのだ。

 トルヒーヨの悲劇が調査されるに至ったのは、「正義と平和(Justicia y Paz)」という組織のねばり強さのおかげである。だが、続く4年の間にさらに350人の村人の虐殺が行われ、ほとんどがまったく罪に問われないままなのだ。「正義と平和」によれば、後に米州機構(OAS)事務総長に就任した当時のガヴィリア大統領が見せた公正な態度なるものは、ありとあらゆる調査請求に対して「4年間にわたって耳をふさぐ」というものだった。次のサンペール大統領は、少なくとも同胞を犠牲とした残虐行為に対するコロンビア政府の責任を認めたという点では評価に値する。

 こういった出来事のかげには麻薬撲滅政策があるらしい。コロンビアは70年代末に一大コカイン生産国となった。なぜか? なぜラテンアメリカの農民は、自分には必要のないコカを栽培するのだろうか? 答えは「南」の諸国に押しつけられた政策の中にある。欧米先進国とは逆に「南」の諸国は市場開放を迫られ、特に補助金を受けたアメリカ農産物の輸入によって農業は壊滅状態となった。農民は、近代経済の掟に従った「合理的生産者」となるよう、つまり輸出作物の生産への転換を行うように求められた。そして農民はまったく合理的に、コカやマリファナなど最も換金価値の高い作物への転換を行った。別の理由もある。1988年にアメリカはコーヒー農家に対して、相場水準の維持協定を破棄するよう強制し、コロンビアの主要輸出産品であったコーヒーの価格は40%下落した。収入が落ちこみ、飢えた子供をかかえたコーヒー農家が北米ドラッグ市場に活路を見出したからと言って驚くにはあたらない。第三世界に押しつけられた新自由主義政策が、麻薬取引増大の主要な原因の一つだったのだ。アメリカの麻薬取締り政策も一枚かんでいる。取締りのために比較的害のないマリファナからコカインなどのハード・ドラッグに需要が移ったため、コロンビアはマリファナ生産をやめ、高収益で持ち運びしやすいコカインの生産に集中するようになった。

 麻薬取引を語る際に問題とすべきことはまだある。銀行の役割である。OECDの研究によれば、麻薬取引の利益は世界的に見れば年間5000億ドルにのぼり、その半分がアメリカ金融システムを経由している。OECDによれば、コロンビアが得ているのは残りのうちの2-3%、年間60億ドル程度にすぎない。あるアンデス法曹協会・ラテンアメリカ人権協会の会員がメキシコの日刊紙「エクセルシオール」に語ったところでは、麻薬の「ビッグ・ビジネス」が行われているのはリオ・グランデの北側なのである。

 アメリカ化学産業もこれを裏付けるだろう。コロンビアで麻薬撲滅宣言が出される6ヶ月前の1989年、コカイン製造に用いられる化学薬品550万トンを地元警察が発見した。アメリカ大企業のロゴを付けたものが多かった。CIA報告は、ラテンアメリカ向けの化学薬品の輸出が合法的な需要をはるかに上回っていることを警告していたし、アメリカ議会の調査部は、麻薬製造に用いられる化学物質の90%以上が米国産であるという結論を下した。麻薬撲滅活動が本当に麻薬だけを標的としているのなら、捜査の有力な手がかりがここにあると言えよう。

巧妙な社会政策

 わかりきったことだが、実際には「撲滅活動」は、米国外ではゲリラ掃討活動の隠れみのとなり、武器輸出にもつながるものとなり、米国内では一部の国民を刑務所に放りこむ口実として用いられている。日ごとに第三世界化しつつあり、治安部隊が(まだ)民族浄化を行わないような社会では、利潤をあげるためには役立たずだから人権などは認められない市民連中を片づけるために、何か別のやり方を見つけなければならない。連中を投獄するというのは、ケインズ的景気回復につながるという点で健全な論理に基いている。

 拘留者の大半が犯したのは犠牲者のない単なる軽罪である。コカインの場合を例にとろう。ゲットーで多く用いられるのはクラックで、その所持には重い罰が待っている。逆に白人の居住地区で多く用いられるのは粉末で、罰はずっと軽い。階級差別立法の典型的な例である。アメリカの囚人人口比率が他の先進国と比べて際立っており、増加が続くことが予測される理由がよくわかる。

 つじつまは合っている。コロンビアの人権活動家のサラテ・ラウンは私にそう書き送った。彼女の手紙は発表を前提にしたものではまったくないが、一部を引用するのは有益と思う。「本当に悪いのは経済システムだという点で、つじつまは合っていると確信しています。アメリカ国民が、外交政策をはじめとして、他人の問題と自分たちの現実をつき合わせてみることが大事です。麻薬の場合を例にとりましょう。貧しい母親から生まれ、社会から見捨てられた子供たちは、コロンビアでは何の未来もなく、マフィアの手下になるかコカイン製造工場で働くかしかありません。さもなくば『死の部隊』に雇われるか。貧しい母親から生まれ、生きのびるために街角でコカインを売ったりディーラーのための見張りになったりせざるを得ないアメリカの子供たちと同じです。唯一の違いは、スペイン語を話すか英語を話すかということだけ。同じ悲劇を生きているのです。」

 サラテ・ラウンは正しい。注意深く練り上げられた社会政策によって、悲劇は両国で激化している。流れを変えるために我々が何もしないなら、何が起こるかは想像にかたくない。


(1996年8月号)

All rights reserved, 1996, Le Monde diplomatique + Saito Kagumi

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