金のかかるプロの軍隊 - 英米からフランスまで

ジャン・ルイ・デュフール(Jean-Louis Dufour)
軍事・戦略問題コンサルタント

訳・斎藤かぐみ

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 ジュペ内閣は財政支出縮小を優先事項にあげて文化予算の大幅な削減を行っているが、シラク大統領は兵役を廃止して職業軍人の軍隊に代える意向を発表した。だが、この重要な改革は民主的な諮問のないまま決定された。軍隊の要員の数は減るかもしれないが、英米の例が示すように軍事予算の増大を引き起こしかねない。[訳出]

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 シラク大統領は兵役を廃止して職業軍人の軍隊に代えることを発表し、大改革に名を残そうとしている。だが大統領の言葉に反して、人員の数の減少にはつながっても人件費の増大なしにはすまされそうもない。

 かれこれ一世紀というもの、一部人口の義務兵役、できれば一般的義務兵役、という考え方をフランス人は受けいれてきた。だが今後2002年までの間に、厳しい規律で知られる軍隊の多様な求人を満たす志願者を見つけなければならないことになる。具体的には、一方では多すぎる幹部(3万5000人の士官・下士官)の数を減らし、他方では毎年3万人の有能な志願者を労働市場から調達しなければならないことになるだろう。

 改革の成功が保証されているわけではない。国家が危機にある歴史的に特殊な時期を別とすれば、フランス人は軍服を着ることに抵抗をもっている。軍人という職業も変化した。社会の底辺者で隊列を埋めるだけではすまなくなった。以前は兵卒は勇敢であればまぬけでもよかった。だが、高度・高価な設備をあつかい、多国籍軍を通じて平和を維持・再建し、緊急の事態に瞬時に対処し、刻々と変化し予測不能な地形・環境下で作戦を遂行するためには、プロの軍隊は素人には務まらなくなっている。

 職業軍人の在役期間は短いが、有能な人材を募ることが絶対に必要となる。さしあたっては他国の経験から、潜在的な問題、避けるべきあやまち、直面しなければならない失望などをおしはかることができる。大陸のアメリカや島国のイギリスの事情とヨーロッパ大陸の端に孤立したフランスの事情とは、厳密な比較には不適切ではあるが。

 イギリスにとっては徴兵制は世界大戦の産物という歴史の偶然にすぎず、大戦が終わると、人生の大半を部隊と施設と基地で過ごす職業軍人という長い伝統にたちもどった。アメリカの場合はまったく違う。常設軍は歴史的伝統ではなく、「義勇」市民の「武器の所有・携帯権」が憲法修正第2条として規定された。徴兵制は、長らく受けいれられてきたばかりでなく、キャリアへの欠かせないステップとして求められてきた(国が負担する高等教育の権利が徴兵により得られる)。

 1968年、時代錯誤とおぼしき徴兵制に終止符を打つ意向をニクソン共和党候補が表明した際の理屈は、今日のシラク仏大統領のものと相通じている。第一に、技術的に職業軍人の軍隊が必要であるという考えである。50年代末、社会学者モリス・ジャノヴィッツは著書「Professional Soldier(1)」の中で相互核抑止、技術分業の増大という文脈にかなった軍隊の登場を予告し、職業軍人の割合を増やした精鋭部隊が対外行動に備えて常設されるべきであると主張した。

 人口の変化もものを言った。第二次大戦後のベビーブームのおかげで徴兵適齢人口が増え、兵卒の需要は次第に減った。また様々な研究の示すように(2)、軍事的需要が徴兵可能人口の50%を下回る場合には職業軍人化の傾向が見られる。

 ニクソン大統領の選択には政治的理由もある。実際には、アメリカ式「選択的徴兵(3)」は非常に不公平なものだった。この方式は60-70年代にヴェトナム戦争のために普及するとともに、まったく不人気なものともなった。アメリカ式徴兵制度は際限なく複雑になり、職業軍人の軍隊に切り替えることで国民人気を高めようとニクソン大統領は考えたわけだ。1972年には徴兵制に賛成する国民は13%にすぎなくなっていた。1947年3月にさかのぼる最初のプロ化の試みは翌年7月にあえなく断念されたが、その四半世紀後には改革はもっと容易なものとなっていた。

志願者さがし

 1973年6月30日、最後の入隊を4月1日としてアメリカ徴兵法の期限が切れた。10年前のイギリスと同様であり、切り替えの際に両国のぶつかった問題も似通っていた。わずかな例外を除いては、志願者は少数で能力も不充分だった。

 志願者集めの難しさは軍隊によりけりであった。陸軍に比べると海軍・空軍の場合は、ハイテクでエリートといったイメージのおかげで人集めはさほど難しくなかった。昨年12月、在仏イギリス大使館付武官は、半世紀来のイギリス最大のあやまちは徴兵制の廃止であったともらした。この将軍によると、蔵相によって1万のポストが削減されたが、志願者がいないために空いたままにしているとのことだった。

 フランス政府首脳はイギリス軍を見習おうとしているが、イギリス陸軍の状況は破滅的である。12万人の要員中1万5000人が不足しており、技術性の低い歩兵隊・騎兵隊・砲兵隊などのいわゆる「混合隊」では最悪である。1991年以降、混合隊の志願者は激減し、昨年を過去10年間と比較すると、歩兵隊で42%、騎兵隊で30%、砲兵隊で18%にしか達していない。海外展開もあるエリート部隊でも志願者は減ったが、幾分はましだった。

 いずれにしても、若者に魅力となるような海外派兵の機会は減っている。ほぼ10年来、陸軍の75%がイギリス国内に駐留したままであり、海外派兵に対する若者の人気も低下している。無料の住宅、安価な食費、従軍・再従軍手当などのメリットの効果もはかばかしくない。戦闘部隊の基盤となる低賃金の一般兵にさえ、充分な人員は集まらなかった。1994年から多くの広告キャンペーンが行われたが、たいした効果はあがらなかった。要員の数の安定を求めるイギリス軍は、有能だが外国籍であるグルカ連隊を復活せざるを得なかった。

 米軍も同様の困難を体験したが、イギリス軍に比べると立ち直りつつある。だが、社会的弱者、人種・民族・言語マイノリティーに属する兵士の比率は、社会全体と比べて非常に高いものとなっている。国民軍というより「のけ者」部隊といった呈である。たとえば現在の黒人兵の割合は、部隊によって26%から40%の間である。また、イギリスと同様に失業率の影響は小さく、志願者集めは依然として困難である。陸軍では、大半の者が契約を更新しないために退役者の穴埋めとして要員の18%、9万人の補充を毎年必要としている。米兵の平均在役期間は5年半弱(イギリス陸軍の場合は4年半)にすぎず、従軍者への政府の学資援助は在役期間に比べて割の合わないものとなっている。

 1978年、米軍のプロ化の試みは、5年間の試行の後にあやうく中断するところだった。実際ペンタゴンが要員を確保できるようになったのは、やっと1995年のことだったのだ。要員確保に至るまでアメリカは金を惜しまず、俸給は徴兵時代と比べて60%の引き上げ、従軍手当は3000ドルとなり、人件費は80%増、募兵担当幹部の数は160%増となった。

 だが、こういった措置でさえ不充分だった。1979年、陸軍にはまだ1万9000人が不足していた。要求学歴・能力のレベルはゆるめられたが、80年代はじめには、新兵のレベルの低下、規律確保の困難が著しく、労働条件のひどさのために下士官候補も減っていった。

金のかかる優遇措置

 レーガン大統領時代にペンタゴンの予算が著しく増額され、米国募兵コマンド(USAREC)の攻勢が始まった。これは企業として活動する募兵機関で、現在では1万1000人の人員を擁し、1億1200万ドルの予算配分を受け、完全分権化され、アメリカ中に事務所をもっている。予算の上の手当の額・配分には、必要に応じて色がつけられる。場合によっては最も専門性の低い者、つまり退役後の文民生活にも使えるようなキャリアを得られそうにはない戦闘部隊の志願兵に、最も高額の手当をふりわけることもある。生産効率という考え方がここでは中心となっている。募兵担当軍曹の数は成果に応じて増減され、必要な限りの広告も用いられる。

 こういった措置はそれだけでは充分とは言えなかったに違いない。金銭面だけではなく、社会・教育面での手当も必要となった。ペンタゴンはモラルの問題や兵士を取り巻く環境に細心の注意を払っている。従軍者の生活の向上のために軍の銀行が至るところに置かれ、コンサルティングに加えて優遇利子も得られるようになっている。ボスニア米軍司令部のおかれたツズラでは、宿営地の中に旅行代理店が置かれ、休暇中の軍人と家族その他の再会の便をはかっている。

 志願者は、まともな職業訓練も約束され、従軍経験から生まれる連帯意識、軍の人的ネットワークを通じて退役後の再就職も保証されるとの説得を受ける。また住宅、融資、子供の学費援助、軍事病院での無償の治療などが、退役後も一定期間は受けられるようになっている。米軍は女性の採用にも成功し、陸軍での現在の女性比率は、フランスの4%弱に対して13.7%にも達している。

 元フランス軍司令官のシュミット将軍は、軍制改革に関する議会の諮問の際に、新制度のコストは50%上がると答申したが、実際は過小評価かもしれない。職業軍人の軍隊には、それなりの環境の整備が必要である。プロの兵士は、広い兵舎などよりも社会的に尊敬されることを求めるだろう。

 質のいい職業軍人の軍隊をフランスで実現するためには、それに見合った出費を認め、数年にわたって継続すべきだろう。こういった重要な社会的変化には、意識を改革し、軍人への道を選んだ者に対して新しい見方をすることも必要だろう。軍隊の変革がゆるぎない政治的意志によって進められるなら、シラク大統領の思惑も成功するかもしれない。

(1) Morris Janovitz "Professional Soldier: A Social and Political Portrait" (Free Press, New York, 1960年)
(2) ベルナール・ボエーヌ「専門社会学の出現と発展の条件 - アメリカ軍事社会学のケース」(パリ第5大学博士論文、1995年)
(3) 選択的徴兵により、不可欠で有能な人材のみを徴兵し、国家的優先事項とされる学問を志す者には兵役を免除することが可能となる。このようなシステムは特に海外緊急派兵などの際に不公平なものとなる。


(1996年7月号)

All rights reserved, 1996, Le Monde diplomatique + Saito Kagumi

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