テレワークの普及がもたらす負の側面

パリジャンの田舎移住、理想と現実


ブノワ・ブレヴィル(Benoît Bréville)

ル・モンド・ディプロマティーク編集長


訳:清田智代


 フランスでは、魅力という面でいえばパリやリヨンといった大都会が圧倒的な優位にあった。しかしパンデミックで都会のメリットがすっかり削ぎ落された現在、都会に住んでいた人々の関心は田舎に傾いている。地方への移住、自然の中でのテレワークといえば響きはよいが、一方で地方間格差や不均衡を助長しうることを忘れてはいけない。[日本語版編集部]

(仏語版2020年12月号より)

Taryn Elliott


 「のびのびとできる町、アレス(Alès[フランス南部の自治体名])」、「空気がおいしいソローニュ(Sologne[フランス中央部の地方名])」、「セーヌ=エ=マルヌ(Seine-et-Marne[フランス中央部、首都パリ近郊の地域圏名])の大いなる挑戦」……パリの地下鉄でこの種の広告を見かけないことはない。こうした自治体の広告は通路やホームのあちこちに掲示されており、乗客がこれを見て今の生活を変えたい気持ちになるよう仕向けている。こうした広告は、パリの中心部からビジネス街のラ・デファンス地区へ通じるメトロ1号線上で特に多く見受けられる。ほんの1年前には、パリはロンドンやニューヨーク、そしてシンガポールとの国際的な誘致競争に挑み、企業の本社や大規模イベント、超エリート層の「ホワイトカラー」を呼び込もうとしていた。しかし今では、小さな町々が地下のメトロでひっそりと、パリで働くエグゼクティブ層を引き抜こうとしている。

 状況を一変させたのは新型コロナウィルスの蔓延だ。外出制限や「感染症対策」と呼ばれるものは、レストランやカフェ、コンサート、美術館、店舗、大規模なイベント、様々な人と出会える可能性、空港から駅までの移動の利便性といった大都市が持つ魅力をすべて削ぎ落とした。こうしたものに代わって、パンデミック以降の生活は「電車(もしくは自転車)通勤・労働・睡眠」の単調な日々に集約され、この生活が一体いつ終わるのかは誰も知る由もない。したがって、こう疑問に思う人もいるだろう。都市生活の楽しみが禁じられているというのに、どうして狭くて家賃が法外に高いアパルトマンの中に閉じこもっていなければならないのだろう? 小さな町や田舎にある庭付きの大きな家で快適に過ごした方がよいのではないか? テレワークは、多くの勤め人やスキルのあるフリーランスにこの可能性を開くようだ。また、インターネットショッピングならどんな商品も手に入るので、自然のそばにいながら都会人のように生活することができる。

 これは春の外出制限のときに多くのフランス人が試みたことである。パリやリヨン、リールといった都会の住民は、外出制限が発令されるとすぐに別荘地や実家を目指したため、道路は渋滞して駅は混雑した。

 3月と4月の外出制限でパリを離れた市民の数は45万1,000人を上回ったという。この数はパリの人口の4分の1を占め、また、通常時の移動量の4倍に当たる(1)。同じような現象は、世界中の多くの大都市でも起こった。ニューヨークのマンハッタンにあるいくつかの高級街では、人口の40%以上が転出した(2)。ファイナンシャル・タイムズは、ロンドンは毎日がまるで日曜日のような「人気のない都市」と報じた。この日刊紙によると、銀行家たちは姿を消し、彼らとは異なる身なりをした新しいタイプの人々が現れたという。つまり膝あてがほどこされた黒いズボンに埃っぽい長靴を履いた建設業者、安全ベストを身に着けて人影のないエントランスホールを往来する警備員、ライクラ素材のウェアで人通りのない街路をランニングもしくは自転車で疾走する若者たちのことだ(3)

 「早く、遠くへ逃げなさい。そしてすぐには戻ってこないように」。紀元前5世紀にはすでにヒポクラテスが感染症に対してこうした行動をとるよう強くすすめていた。逃げることができる人々は、嬉々としてそのすすめに従った。1348年にアヴィニョンで黒死病が蔓延したとき、教皇の取り巻きたちは、この病から逃れようとそそくさと立ち去った。19世紀にパリでコレラが流行った時も、パリの住民たちは感染症から逃れるべく同じような行動をとった。しかし今般のコロナウィルスにおいては、田舎へ逃れた都市生活者たちは単なる避難だけでなく、外出制限の期間をより快適に過ごすことをも追求した。

「森の中にある憩いの場」

 地方に移った都市生活者たちは、田舎で見つけた静けさや澄んだ空気、家族団らんの朝食、そして彼らにとってまるでバカンスのような期間に満足気な様子を隠さず、メディアは彼らのことを幸福な亡命者として大きく報じた。長らく都会は圧倒的に優位な場所とされてきたが、これは究極の「田舎の巻き返し」といえるだろう。これは「[人口10万に満たない]中規模都市」や「都市周辺地域(France périphérique)」にもいえるかもしれない。4月1日放送のフランス・キュルチュール(France Culture[公共ラジオ放送局の文化チャンネル])では、ジャーナリストのブリス・クチュリエが「かつての農村住民の都市への大量流入の逆現象」で「現在地方の過疎化に苦しんでいるフランスが抱える地理的なアンバランスの是正に貢献しうる」のではないかと予言した。一方で4月10日付けのフィガロ紙は「今、都市生活者が強く抱いている地方への思いはますます強くなり、テレワーク化が進むだろう」と断言した。経済学者のオリヴィエ・バボにいたっては「住宅市場のバランスの激変」を予測した。すなわち「価格や雰囲気、静けさ、とりわけコロナ禍によって非常に貴重となったこの空間等、都会にはない多くの利点」を持つ田舎の土地に有利に働くだろうという(4)

 アリスとフェルナンドは2人ともコメディアン。外出制限の解除以降、彼らはパリのアパルトマンをフランス北部のノルマンディ(Normandie)の家と取り替えた(フランス3[国営テレビ局傘下のニュースチャンネル]、11月9日放送)。セリーヌは「集合知の推進[訳注1]」のスペシャリスト。彼女もまたパリを去り、今では中部にあるソローニュ(Sologne)の「森の中の憩いの場」かヴィエルゾン(Vierzon)の「コワーキング」スペースでテレワークをすることで「陶芸や写真撮影」のために時間を捻出している(ル・モンド、7月24日掲載)。クレールはヨガ講師で、外出制限中は西部シャラント地方(Charente)のセカンドハウスに幸せを見出した。そこから離れるつもりはない(マリ・クレール、11月11日掲載)。シャルルとマガリは都会へ戻ることなど全く考えられず、本当に中部ロワレ(Loiret)に居を構えてしまった(フィガロ・マガジン、10月23日掲載)。ヤンのように「二拠点居住」を選ぶ者もいる。すなわち、北東部にあるニエーブル(Nièvre)には自然を身近に感じられる家を、パリには大学生の子どもたちや仕事の約束のための仮住まいをもつことだ(パリジャン、10月23日掲載)。外出制限の解除以来、この手のルポルタージュは途絶えることがない。アメリカやイギリスの新聞雑誌でも、登場人物がキャスリンやアンドリューという英語圏の名前であったり、移動先がアメリカのハドソン渓谷やイギリスのケント州であることを除けば、全く同じような記事が掲載されている。

 フランス社会の地理的特性は、数カ月で逆転してしまった。パンデミック以前であれば、メディアが地方、つまり「田舎」の境遇に関心を抱くとしたら、それは「黄色いベスト運動[フランス政府に対する抗議活動]」、国民連合[フランスの極右政党]への投票、就職難、小規模商店の廃業、鉄道駅の廃止、燃料価格の高騰に対する住民抗議、郊外住宅地の単調さ、公共サービスの欠如、公共交通機関の不足等を悲惨に報じるためであった。しかしこうした課題は報道から姿を消し、今都会のニュースで取り上げられるのはもっぱら田舎にある庭付きの家での暮らしのようだ。反対に、1年前であれば創造性やイノベーション、知性がもてはやされていた大都会は、今や田舎の引き立て役にすぎない。

 この逆転現象は、フランスという国は、支配層の色めがねを通してしか見ることができないことを物語っている。シャルルとマガリは外出制限に満足していただろう。しかし規模の小さな町や田舎のすべての人にとって、それは喜ばしいことではなかった。住民の多くは相変わらず仕事に赴き、農業従事者は収穫作業で人手不足に直面し、高齢者はますます孤独に陥った。コロナ禍以前から経営が不安定だった小規模な店の多くはとどめの一撃を受けた。パリとは違って設備がほとんど整っていない病院の混雑ぶりは言うまでもない(5)。これほどの課題が山積している状況では、都会人が田舎で庭付きの家に住んだとしても、田舎にとっては何の慰めにもならない。

 その一方で、都会を逃れてきた人たちが「へんぴな田舎」や「都市周辺地域」に溶け込むことはない。そういうことがあるとしたら、活気があって魅力のある、一部の田舎に限られる。たとえばフランス南部や西部、都市近郊の別荘や休暇を過ごすための住まいがある地域といったところだ。実際のところ、田舎のすべてが大都市に対して巻き返しを図る必要はなかった。ペルシュ(Perche)、ブルターニュ(Bretagne)、ドルドーニュ(Dordogne)、ランド(Landes)、ヴォークリューズ(Vaucluse)、ヴェクサン(Vexin)、ガティネ(Gâtinais)といったいくつかの地方では、コロナ禍以前から人の移動が流動的になり、不動産市場が活性化したことで難局をうまく切り抜けることができた。また、「都市周辺地域」はどこも同じように表現されることが多いが、実際は大きな地域間格差が存在している。都会のエリートが一気に移住してきたら、この差はますます拡大しかねない。パリやリヨンといった大都会の人々の中で、一体どれだけの人が都会を離れてベルフォール(Belfort)やメッス(Metz)のような地方都市の郊外へ移住しようと思うだろうか。

 その上、裕福な都会人の田舎への転入は、必ずしもありがたいことばかりとは限らない。たしかに人口の増加によって地元の商人や職人の生活が潤い、地元の税収が増え、潜在的な雇用の創出につながるかもしれない。しかしそのためには、新しい住民たちが(オンラインではなく)地元の商店で買い物をし、(パリにある会社ではなく)地元の職場で働くことで地域の社会に溶け込むこと、都会暮らしの習慣を捨て、田舎を都会の延長だとか都会の生活様式を続けるための舞台だという考えを改めることが必要だ。ところがいつもうまくいくとは限らない。地理学者のグレタ・トマージが南西部ドルドーニュ(Doldogne)を例に指摘しているように(6)、新旧の住民が関わりあうことはまれで、よく出入りする場所も社交範囲も異なっている。都会の富裕層が田舎に来ることで、地方の不動産価格が大都市の給与水準の影響を受けて上昇し、「地方のジェントリフィケーション」現象が生じる。これによって地元の住民、特に若い人たちは、その町に住み続けることが難しくなる。

 しかしながら、これまで多く報じられてきた都会人の大移動の行く末は未知数だ。たしかにこの25年で4倍に跳ね上がってきた(7)パリの不動産価格の急騰は、この3月以降ペースダウンしている。その一方で、「大きな王冠」と呼ばれるパリ郊外[訳注2]の不動産価格は急上昇し、大したことのない戸建て物件でも数日で売れてしまう。不動産案内のウェブサイトでは、大都会近郊にある戸建て物件の検索数がこれまでにないほど増えている。調査を実施すれば、いつも同じような結果が確認できる。つまり大都市の住人は、庭付きの家や田舎の町に夢をみているということだ。しかしいざ住むとなると、夢と現実の間には大きな隔たりがある。それぞれ自分の願望を労働の需給環境やサービスの有無、親戚や友人との距離、学校の評判、不動産価格と折り合いをつける必要があるからだ。だから願いがいつも現実になるとは限らないのだ。

 そもそも、都市生活者が自然を身近に感じる生活を夢見るようになったのは、コロナ禍がきっかけというわけではない。今から遡ること1945年、フランス国立人口研究所(INED)が初めて住居に関する全国調査を実施したとき、パリ市民の56%(フランス人の72%)が庭付きの家で暮らしたいと回答したという。「フランス人の大部分は、都会から離れたところに自分だけのものであるなにがしかの土地を持ち、庭をつくり、家の周りを花壇で囲み、花や野菜を育てたい」と、この調査を実施した研究者たちはこのように報告した。

 それ以降、調査を行うたびに次のことが確認できる。すなわちフランス人の70~80%は、小さな一戸建ての家を理想としているということだ。アメリカの行政は郊外での広範囲な戸建て住宅の開発を推進してきたが、フランス政府は反対に、長い間国民の意向に逆らってきた。つまり第二次世界大戦が終わると、INEDの調査結果にも関わらず、集合住宅や団地の建設を優遇してきた。国家の再建と人口の増加に対応するために、迅速に、そして数多くの住居を建設する必要があったのだ(8)。戸建て住宅の熱烈な推進派であったヴィシー政権[第二次世界大戦中、ドイツに降伏したときにつくられた傀儡政府]とは一線を画したい新政府の思いは強かった。国民も、2つの大戦中に分譲された欠陥住宅の大失敗という経験が各々の脳裏に焼き付いていた。それはあくどい不動産開発業者が原野や泥地上に建てた粗末な造りの住宅で、土地は未整備のまま一区画単位で売買されていた。運悪く欠陥住宅に当たってしまった多くの人々にとって、小さな家を持つ夢は悪夢となり、おまけに欠陥部分を修理するのに約20年もの年月を要した。

 したがって、フランス政府は長い間集合住宅に注力していた。戸建て住宅の開発規制が解除されたのは1970年代以降のことで、田舎の土地は少しずつ開発された。フランスが7年から10年ごとに1県分の土地がコンクリートで固められ、その土地の半分を戸建ての家々が占めていることに気づいてから50年が経つ。しかし政府は、20年前から都市のスプロール化に歯止めをかけることを最優先項目とし、2000年12月の「都市再生連帯法(SRU法)」、2010年7月の「環境のための全国的取組みに対する法律(いわゆるグルネルⅡ法)」、2014年3月の「住宅を持つ権利と新しい都市計画に関する法律(ALUR法)」などが制定された。都市周辺、特に大都市をとりまく「二つ目の王冠[郊外地区のうち、より都心から離れた地域]」で空間を有効に利用するための「高密度化」が必要性なことは、都市計画と銘打ったあらゆるシンポジウムのプログラムに組み込まれている。

 このようなわけで、ジュリアン・ドノルマンディ住宅担当大臣(当時)が去年の5月に都市生活者の田舎移住への願望に対して歓迎の意を表したことは驚くべきことだった。「ロックダウンの経験は、国土整備について考え直すきっかけになりました。人々が再び移動できるようになってはっきりしたことは、国民の土地に対する強い欲求です。コロナ禍により、私たちの土地は、不動産としてかつてないほどの魅力を発揮したのです」と彼は発言した(9)。「テレワークが大いに寄与しました。今では新しい社会モデルの実現の可能性が見えています」。しかし、「ホワイトカラー」たちがこぞって大都会を離れ、ペルシュ(Perche)やヴェクサン(Vexin)といった田舎の家でテレワークをすることを意味するこの「社会モデル」は、結局は著しいスプロール化を招くのではないだろうか。しかもあろうことに、自動車の利用がますます増え、ZoomやAmazonといったIT企業への依存を強めていくことだろう。「自然への回帰」だなんて、よく言ったものである。



  • (1) « Population présente sur le territoire avant et après le début du confinement: résultats consolidés », Institut national de la statistique et des études économiques (Insee), 18 mai 2020.
  • (2) Kevin Quealy, « The richest neighborhoods emptied out most as coronavirus hit New York City », The New York Times, 15 mai 2020.
  • (3) Ben Hall et Daniel Thomas, « Every day is like Sunday in a deserted City of London », Financial Times, Londres, 27 mars 2020.
  • (4) Olivier Babeau, « Le coronavirus prépare-t-il la revanche des campagnes ? », FigaroVox, 24 mars 2020.
  • (5) Cf. Salomé Berlioux, Nos campagnes suspendues. La France périphérique face à la crise, Éditions de l’Observatoire, Paris, 2020.
  • (6) Greta Tommasi, « La gentrification rurale, un regard critique sur les évolutions des campagnes françaises », GéoConfluences, 27 avril 2018.
  • (7) 1㎡当たり1万7,000フラン (約2,500ユーロ)から1万500ユーロ(1995年~2020年)
  • (8) フランスの人口は、1946年から1960年の間に、1890年から1946年の間の2倍の速さで増えている。
  • (9) « Julien Denormandie : “Je veux revitaliser les villes moyennes !” », « L’immo en clair », SeLoger - Radio Immo – Le Parisien, 14 mai 2020.

  • 訳注1]アメリカのマサチューセッツ工科大学のThomas W.Malone教授の定義によると「ある目的のために知的生産活動を行う個人の集合」 を指す。たとえばインターネット百科事典のWikipedia、Amazonのユーザー評価のようにビジネス領域でも活用されている。
  • 訳注2]パリを囲うように近接する地域を「小さな王冠(petite couronne)」、より遠方に位置する地域を「大きな王冠(grande couronne)」という。なお、これらの地域はメトロポール・グラン・パリ(Metropole du Grand Paris)という広域行政組織を形成し、同地域において統一の公共サービスを提供している。

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年12月号より)