30年間のネオリベラリズム政策で廃墟と化した国

アルバニア、漂流する「優等生」


ジャン=アルノ・デランス(Jean-Arnault Dérens)
ロラン・ジェスラン(Laurent Geslin)

ともに「クリエール・デ・バルカン」のジャーナリスト、
Là où se mêlent les eaux. Des Balkans au Caucase dans l’Europe des confins,
La Découverte, Paris, 2018共著


訳:福井睦美


 1997年の暴動の後「破綻した国家」とみなされていたアルバニアは、今日ではバルカン諸国の安定の柱として紹介されている。しかし「過渡期」というラベルをはがしてみると、マフィアと結託した政権による権威主義的なネオリベラリズムによりボロボロになった国の実情がうかがえる。[日本語版編集部]

(仏語版2020年9月号より)


Linda Vukaj. — « Square » (Place), du projet « Suspended » (Suspendus), Durrës, Albanie, 2008
www.lindavukaj.com

 ドゥラスの南側に広がるアドリア海岸。そこにはアルバニアの現代史が凝縮されている。1945年から1991年までの共産党独裁時代、20kmにも及ぶ長い砂浜とそれに続く松林には数軒の国営ホテルと、党指導者らしか入ることのできない「Bllok」と呼ばれる地区の別荘があるだけだった。ヨーロッパで最も閉鎖的だった政権が崩壊するやいなや、樹木に代わって新しい建物が建ちはじめた。そのスピードはまたたくまに激化し、ホテルや建物が海へのアクセスをすべて遮断した。しかし2019年11月26日の地震のあと、そこに「虫歯跡」のような空洞が出現した。

 「多くの建物は砂地や沼地の上に建てられ、基礎が非常に浅かったのです。最初の揺れでそれらが崩れるのは当然でした」と土木工学教授のルルジェッタ・ボゾ氏は説明する。アルバニアでは、都市計画が存在したとしても、少なくとも権力と金を持っている者の中にはそれを考慮する人などいない。「幸いなことに、多くの建物には人が住んでいませんでした。建設は単にマネーロンダリングのためだったからです。そうでなければ人的損失はもっとずっと甚大だったことでしょう」とボゾ氏は付け足す。公式に発表された犠牲者数は51人だった。アルバニアは地震リスクの高い地帯に位置しているが、今回の災害は単なる「自然災害」とは言い切れない。ネオリベラルな規制緩和のマフィア的なやり方が被害を劇的に拡大したのだ。

 重大な物的被害をもたらした2019年9月21日の地震の2日後、民放テレビ局TVクランに招かれたボゾ氏は、余震の必然性について触れながら、違法建築の危険性を告発して警鐘を鳴らした。しかし「人々は私のことを気の違った老婆のように扱い、9月21日の『全体リハーサル』とも言える大地震の後、何の対策も取りませんでした」と彼女は嘆く。当局の唯一の反応は、リスクがあると警告を発した2人のジャーナリストを「パニックを起こす目的で虚偽の情報を広めた」として拘束したことだけだった(1)

 ドゥラスと並んで最も被害が大きかったのはティラナの約30km北にあるトゥマーネ村だった。この小さな村の位置する海岸平野は、第二次世界大戦後にエンベル・ホジャ(1908ー1985)が開墾のために他の地域からの「流刑者」を送り込むまでは長い間荒れ地だったところだ。ここでも、壊れた建物の残骸が片付けられた跡地にぽっかりと空いた空間と、残された瓦礫や割れたタイル片などが倒壊した家々や亡くなった住民たちをしのばせている。「トゥマーネの建物は1980年代初頭に建てられたものです。その頃は国を守るという大義名分のもと、あらゆる手段を使って街角ごとに何十万ものミニ軍事トーチカを建てていました。そのため民間の土木工事用セメントは足りておらず、こんなふうに簡単に崩れてしまう結果になったのです」とボゾ氏が説明する。

「アルバニア経済の奇跡」

 25人が犠牲になったトゥマーネでは、春になっても政府が約束した援助は被災者たちに届いていない。アルバニアでは過去30年以上にわたって国外に移住した人々からの送金が最も重要な収入源になっている。被災者の中には親戚や友人宅に避難している人もいれば、庭に急遽建てたテントでキャンプ生活を送っている人もいる。フィフォ家はガレージに避難していた。隣町のフシュ・ク―シェの企業に雇われ自宅で靴を縫製している母親の給料が一家の唯一の収入だ。繊維や履物などの労働集約型産業は活況を呈している。そのおかげでここ数年の年成長率は4%に近く(2017年、2018年など)、失業率は17.5%(2014年)から11.5%(新型コロナウイルス感染症流行前の2020年)に減少した(2)。仕事はイタリアの大手ブランドの下請けが多く、賃金は月150から250ユーロと低水準で、企業は在宅労働を優遇することで労働基準法の規制から逃れている。

 2013年9月から首相を務めるアルバニア社会党党首、エディ・ラマ氏は、この「アルバニア経済の奇跡」を大々的に宣伝しており、特にイタリアでそのメリットをアピールしている。彼は、数十年に及んだ国外への移住の流れが逆転し、投資家だけでなくイタリア人労働者にとってもアルバニアが新たな「約束の地」になるだろうとまで主張している。しかしその主張にはどんな統計数字の裏付けもない。むしろ逆に、1989年以降アルバニアはヨーロッパで最も国外移住者が多く、2018年、19年も出国者数が入国者数を大きく上回る「社会減」状態にある(3)。ラマ首相は2015年6月、イタリア国営放送でこの「奇跡」の秘訣とされるものについて「アルバニアには上院も労働組合もありません、急進左翼もなければ、政治をするお笑い芸人もいない国なのです(4)」と説明していた。急進的左翼グループ「Organizata Politike」(OP)の活動家たちはその発言を打ち消そうと立ち上がっている。彼らは2018-2019年度に国を震撼させた高等教育の自由化に反対する非常に大きな学生運動の中心にいた。

 「発端は『試験を受けるためには受験料の支払いが必要』となった建築学部でした」と語るのは「大学運動」で最もメディアの注目を集めた人物の一人でOPの女性活動家、グレサ・ハサ氏だ。「2015年の改革は国公立大学と私立大学が公的資金を得るために競い合うことを予想していました。それが実際には授業料が値上げされることになっただけで、さらに多くの人にとって高等教育を受けるチャンスが遠のいたのです。学部授業料は年間350ユーロで、平均月給一カ月分に相当する額です。修士課程では年間1,700ユーロかかります」。2カ月続いたストライキの後、政府は授業料値上げを断念し、この運動によって新たな政治意識が生まれた。「社会主義の崩壊以来自明の理とされてきたネオリベラリズムのドグマに疑問が投げかけられたのです」とハサ氏は断言する。

 抗議運動は首都の北東、国の中央山間部の奥地にある小さな町ブルキーズのクロム鉱山にも広がった。第二次世界大戦末期以来アルブクロム社が採掘してきたこの鉱床は、2000年代にコンセッション方式でイタリア企業に譲渡され、その後2013年にアルバニア最大の投資ファンド、バルフィンが買収した。バルフィンのオーナー、サミール・マネ氏は国で最も富裕な新興財閥の一人に数えられている。それ以来、坑内で8人の労働者が死亡し、約40人の負傷者が出るなど事故が多発している。一方で2011年以降賃金は月額400ユーロのままで鉱山労働者に要求される「ノルマ」の厳しさは増している。「クロム採掘量は2013年に年間4万トンだったのが、今は9万トン採掘しなければなりません」と説明するのは、「御用組合」はすでにあったものの2019年11月に新たに設立された鉱夫連合組合の会長、エルトン・デブレシ氏だ。「新しい組合が合法的に登録されてすぐ、我々はブルキーズで大規模な集会を組織しました。するとその5日後、私と3人の同志に解雇通知書が送りつけられてきたのです」と彼は続ける。解雇された者は1997年以降地元の利権屋が引き継いだ「独立系」の炭鉱をみつけるしか再就職の道はない。「賃金はさらに低く、労働条件や安全管理はさらに劣悪です。いずれにしても我々労働組合活動家はブラックリストに登録されていますし」とデブレシ氏は付け足す。メディアは鉱山労働者の決起行動についてほぼ完全に黙殺している。「サミール・マネは社会党政権だけでなくメディアのオーナーにも直接のコネがあるのです。ジャーナリストの中には、これら一連の騒動について報道しないよう指示を受けたと認めている者もいます」と鉱山労働者の闘争を支援するためにブルキーズに「陣を構えた」OP活動家、フレンクリン・エリニ氏は明言している。

時給はわずか3ユーロ

 ティラナでは毎晩、OP活動家の若者たちがNo Logoセンターと名付けられた賑やかな場所に集まり、理論的な議論をしたり、映画を鑑賞したり、グラスを傾けたりして過ごしている。不動産投機を免れたこの古い建物には、急成長中のコールセンタービジネス労働者の組織化を目ざす新しい労働組合「連帯」の本部も入っている。この組合の代表トニン・プレッチ氏によると、コールセンター業界は「賃金労働者人口の7%以上にあたる2万5千人から3万人を雇用」している。担当する顧客と「キャンペーン」内容によって決められるオペレータの時給は2.50~3ユーロで、ボーナスや勤続手当についてはそれぞれの企業が独自の全く不可解なシステムを適用している。「契約時に提示されるのは基本給だけです。ボーナスは口約束で、説明なしに撤回されることもあります。たった1日の病欠で勤続記録が白紙になることすらあります」。「コールセンターのアウトソーシングで世界最大の専門家チーム」を自称するフランスの多国籍企業、テレパフォーマンス社に勤めるプレッチ氏は経験を語る。世界78カ国に事業展開している同社は人事労務管理について常に批判を受けている。2019年7月18日、シェルパ[経済犯罪に取り組む弁護士からなるフランスの市民団体]と国際労働組合連合会UNIグローバルユニオンは、「配慮義務」の法律の名において人権を尊重するよう警告を発している(5)。テレパフォーマンス社のアルバニア拠点は主にイタリア市場をカバーしており、この市場はアルバニア人が事実上ほぼ独占している。

 「英語とフランス語についてはコールセンターが旧植民地に置かれるなどして競争は熾烈です。イタリア語に関しては唯一の競争相手はルーマニア人ですが、彼らはアクセントがある、と言われています」と自身もこの業界で働くイルディ・イスマイリ氏が説明する。フルタイム従業員の各種特別手当てを含めた月給は、企業が都市間で賃下げ競争をしている状況下でも500ユーロに達することもあり、アルバニアでは悪くない。だが「ティラナよりも時給が20~30セント安い地方に移動する企業がどんどん増えています」とプレッチ氏は付け加えている。

 コールセンターは首相の楽観論を裏付ける唯一の産業部門に違いないらしく、確かにこの部門はイタリア人労働者をも惹きつけている。「イタリアのバーリ出身の同僚がいます。彼の住むプーリア地方で仕事を見つけるのは不可能なのです。月に500ユーロあれば、ティラナではなんとか生活できますよ」とイスマイリ氏は強調する。こうした非正規雇用の地域移転について、2人の組合活動家は国際連帯で闘おうとしている。「私たちは特にサービス業労働者連盟のUNIグローバルユニオンの枠組みの中で連携を広げています。というのも、労働者が賃上げを要求すれば顧客企業はもっと条件が魅力的な国に去っていく、という経営側の論理がどこも同じものだからです」。新型コロナウイルス感染症の流行のさ中、アルバニアは6週間の厳重なロックダウンを行ったが、コールセンター企業は真っ先に営業再開を果たした中に入っていた。

大麻マネーによるまやかしの好景気

 ティラナの中心部に増える建設現場を見ると景気の良さを信じてしまいがちだ。建設中の高層ビル群はこの地区の人口密度を上げようとしている。それは今後10年で首都の人口が理論上「180万人」に達する可能性がある、という市当局の奇妙な人口増加予測に対応しようというものだ。国の総人口の3分の1近くにあたる90万人強が集中するティラナ県は、1991年以降すでに人口が2倍以上に膨れ上がっている。共産主義体制時代には禁止されていた農村からの脱出は「不法居住」地域の増殖を伴う20年間の急激な都市開発につながった。しかし、この国内の人口移動は終焉を迎えつつあり、同時に国全体の人口は減少を続けている。1991年に327万人だった総人口は2019年には286万人にまで落ち込んだ(6)

 イタリア人建築家ステファノ・ボエリが創案したティラナ2030年計画により「200万本の植樹」を行ってティラナを「緑の大都市」にする予定だと、首相の側近エリオン・ヴェリャイ市長が明言する。しかしちょうど再開発が終わったばかりの首都のシンボル、スカンデルベグ広場には車両優先の考え方から広大な駐車場が設けられた。市の中心部にたくさんのショッピングセンターができているからだ。新設される環状道路がまもなく交通渋滞を緩和するとされているが、この道路は1990年代からの定住者が土地の所有権を合法化できないまま暮らしているイッツベリシュト地区のような「不法居住」地帯を無造作に切り崩している。住民らは今、何の補償もなく土地を追い出され、その多くが海外に移住するしかない状況になっている。

 2017年、ティラナ市が交付した建築許可の件数は前年比で83%も増加した。大麻栽培が爆発的に増加しており、そのための資金は十分にある。イタリアの金融警察ガルディア・ディ・フィナンザの推計によると、廃棄処分された大麻草は2014年に4万6千株だったのが、2016年には75万3千株にものぼり、それでも全栽培量の10%にしかあたらないとみられている。かつてはアルバニア民主党(PDS)の拠点だった南部のラザラット村に集中していた栽培が、現在は国内全域に広がっている(7)。2017年、ラマ首相側近の一人サイミール・タヒリ内務大臣は、いとこの1人が連座したマリファナ3.5トンのシチリア島ヘの大規模な密輸事件への関与の嫌疑をかけられた。検察庁は当初タヒリ大臣に懲役12年を求刑していたが、結局裁判所は2019年秋、無罪判決を下し、「権力の濫用」の軽微な罰のみを課した。その間にも大麻マネーは政治システムを潤し、ティラナの街を醜悪に変える新しい建築物に大量に流入し続けている。

「破綻した国家」からの再生

 ファトス・ルボンヤ氏は、建築現場の柵の周りを迂回して歩きながら憤っている。これらの柵のせいで歩行者は歩道から道路にはみ出さざるをえない。「建設工事は何年も続くのに、公共空間の侵害について誰も憂慮していません」。彼は「自由主義」に傾倒した罪で1974年に失墜した国営放送トップの息子で、1991年に釈放されるまで最も過酷な収容所にいた。エンベル・ホジャの独裁時代には、家族の誰かが「思想的に逸脱」した場合家族全員が処罰されていたのだ。それでも、作家でありアナリストでもあるルボンヤ氏が国を代表する左派論客の一人であることは変わらなかった。「スターリン主義体制の崩壊後、アルバニアは長い間、二党体制と称される特異な競合体制に翻弄されていました。マフィア的政治グループは二つの利害陣営に分かれ、一方は民主党を支持し、もう一方は社会党、つまり旧労働党直系の後継者を支持していたのです」と彼は説明する。

 1997年春、この対立によりアルバニアは凄惨な「内戦同然」の状態に陥った。国外移民の初期世代の貯蓄を飲み込んだ「無限連鎖講(ネズミ講)」と銀行の破綻が引き金となり、南部に集中していた社会党支持者と北部で支配的だった民主党支持者の衝突が勃発したのだ。死者数は少なくとも2,000人にのぼったと推定されている。紛争の激化を食い止めるために7,000人の国際介入部隊の動員が必要だった。同時に何十万もの武器が国内に出回り、隣国コソボにも流出した。共産主義体制崩壊後のアルバニアは「破綻した国家」と見なされた(8)

 その後の15年間は、「強引」な政権交代のたびに再び暴力の脅威に晒されながらも国の再建が非常にゆっくりと進んだ。2005年までは社会党が政権を維持し、その後民主党が政権復帰を果たした。両党とも強固な支持者基盤を持っているため、抗議活動は容易に深刻な事態に発展した。2011年1月、社会党が民主党の「独裁」に抗議してデモ行進を行った際には4人が死亡した。一方で「学生たちは政党、特に野党政党の『大学運動』への介入を拒否しました。彼らは、人々が民主主義と呼んでいるものが実際にはクライエンテリズムの論理に食い荒らされた堕落した多元主義であることを理解したからです」と、自身も「大学運動」に熱心に参加している社会学者のアーリンド・コーリは説明する。

 「2013年の選挙は転機となりました。犯罪組織はいつまでも続く政情の変化に困り果てており、秩序を望んでいたからです。当選者は政権に長く留まる切符を手に入れるだろうと目されていました」とルボンヤ氏は続ける。「社会党党首エディ・ラマは、犯罪組織の利権になるところを洗い出し、それら全てを与えると約束したのです。そうして彼は選挙に勝ち、今や全面的な権力を手中に収めています。次に行われた2018年の国会議員選挙は形式的なものでしかありませんでした」。右派野党はすぐに議会から撤退した。代議士らは2019年2月に任期を返上し、続く6月30日の市政選挙もボイコットした。国際選挙監視団はこの時の選挙に関して痛烈に批判する報告書を発表している(9)。それによると半数以上の自治体では与党の候補者リストしかなかった上に、非常に多くの不正や有権者への圧力が認められた。

 この報告書にもかかわらず、欧州連合(EU)の中にはこの選挙やラマ氏の政権の民主的正当性に疑問を呈した国はない。ラマ政権は野党勢力不在の国会を擁し、メディアを法外な権力を持つ行政当局の管理下に置いている(10)。しかも西欧諸国は裁判官一人ひとりの信頼性を「検証」するという司法改革の推進を後押しした。その結果、司法システムは完全に社会党の監督下に置かれることになった。

 2014年6月からEU加盟国候補となっていたアルバニアにようやく加盟交渉の開始が認められたのは、新型コロナウイルス感染症渦中の2020年3月24日だった。当初フランスとオランダは反対を表明していたが、アルバニアが法治国家の基本原則に明確に違反していることについては言及していなかった。両国にとってアルバニア加盟反対は基本的に自国の内政配慮によるものだった。というのも2005年のEU憲法条約国民投票が否決されて以来、両政府はEUの拡大について留保の立場を表明することで世論の支持を取り付けているのだ。

スニーカーで闊歩する「破壊的」スタイルの首相

 1991年まで国を支配していた特権階級の出身であるラマ氏が政界に入ったのは1997年で、当時のファトス・ナノ政権で文化大臣に就任したのが始まりだった。その後首都の市長の座に就いた。国際的なサミットの場でも常にスニーカーを履くなど造形芸術家としてのイメージを駆使し、ラマ氏は「破壊的」なスタイルを磨いている。それと同時に特にイスラム教テロリズムとの戦いにおいて、またより広い意味でバルカン半島の「安定化」において、EUにとって不可欠なパートナーだとアピールしている。大っぴらな政教分離主義者でヨーロッパ統合の熱烈な支持者でもあるラマ氏は、矛盾を覚悟のうえで、トルコのレセップ・テイップ・エルドアン大統領と友好関係にあることも隠しておらず、トルコ政府が指名手配していたギュレン派の教師たちを容赦なく国外へ追放した(11)。また、コソボとセルビア間の関係正常化という難題にもコミットしており、領土見直しを含むコソボ大統領ハシム・ターチとセルビア大統領アレクサンダル・ヴチッチの間の対話を全面的に支持している(12)。首相はこの立場を取ることでコソボに関する合意を一刻も早く実現したい米国の支持を得ている。

 ラマ首相は、近隣諸国や政権担当期の民主党よりもさらに断固としたネオリベラリズム政策を進めている。公共支出を削減し、高等教育、観光、医療、公共事業などの部門で国際通貨基金(IMF)から苦言を呈されるほど官民連携を優遇している。IMFはアルバニア政府が民営化を進め過ぎているとさえみており、2017年の調査速報では「官民連携による公共投資の野心的なプログラムは、大きな予算リスクをもたらす(13)」と指摘している。実際のところ、常習的に官民連携を採用すること自体よりも、民間企業への入札を決定する際の往々にして非常に不透明な条件が問題視されている。

 文化の分野でも官民連携事業が一般化している。2015年10月の省令により国の主要な文化遺産や施設の管理が民間事業者に委託できることになった。中でもティラナ国立劇場のケースでは非常に象徴的な闘いが繰り広げられた。1939年、イタリア占領の初期に建設された国立劇場は、首都の特徴的な建築様式であるファシズム建築の主要な建造物の一つだ。警察が武力を行使して侵入を試みた2019年7月24日以来、建物は俳優らによって継続的に占拠されており、新型コロナウイルス感染症拡大以前は週3回の夜の公演に何百人もの観客が集まっていた。「我々はこの劇場を見捨てるわけにはいきません。シェイクスピアが初めてアルバニア語で演じられたのはこの舞台だったのです」と演出家のロバート・ブディナは語っていた。ところが政府は2020年5月17日(日)午前4時、公衆衛生の非常事態下であることを利用して、警察の厳重な取り締まりの中でこの建物の解体を命じた。それに続き議会は官公庁街の絶好なロケーションにあるこの劇場周辺の広大な区画を、投資家のシュケルキム・フュッシャに売り渡す特別法を採択した。フュッシャは社会党とつながりのある新興財閥で、そこに高層ビルとショッピングセンターの建設を計画している。唯一の代償は新劇場の建設だが、それは今までよりずっと狭いものになる。「これは公共の財産と空間のまぎれもない略奪です」とブディナは激しく抗議している。



Linda Vukaj. — « Dustwomen » (Femmes de ménage), du projet « Suspended » (Suspendus), Durrës, Albanie, 2008
www.lindavukaj.com

 政治を変える方策がなく、社会のあらゆる階層が政権とそれに結託した財界に「身動きを封じられている」ような状況下で、ますます多くのアルバニア人が国外脱出の道を探っている。「2013年6月の選挙で社会党が勝利した1年後、政権が変わっても何も変わらないだろうことに気づいた人々は再び国を捨て始めました」とルボンヤ氏ははっきり言う。公式統計によると人口は1991年以来恒常的に流出しているが、2014年以降そのペースが加速していることが多くの指数からうかがえる。国外移住の希望者が多い証拠に、2018年度の「グリーンカード」(米国の滞在許可証)の抽選には、アルバニアの総人口の14%にあたる36万7,000人が応募していた(14)

 同じく2018年、フランス難民及び無国籍者保護局(Ofpra)のデータによると8,261人のアルバニア人がフランスに難民認定を申請しており、この数はアフガニスタン人に次いで2番目に多い。しかしフランス政府は2013年にアルバニアを「安全」国に分類すると決定した。これに対し各種団体は反対意見を出したものの国務院がそれを確定したため、申請のほとんどが却下され、強制送還が相次いでいる。2017年のフランスからの強制送還先は、EU圏外の国ではアルバニアが圧倒的多数を占めていた。

 アルバニアは昔から国外移住者の多い国だった。共産主義体制時代には国の領土から逃げる者は「反逆者」とされ、国境警備隊は何の前触れもなく発砲していたがそれでも変わらなかった。その体制の崩壊後、イタリアとギリシャという2つの移住先が台頭してきた。特にギリシャはアルバニア南部の二か国語話者でギリシャ正教徒の人々を惹きつけ、移住者の多くが定住しギリシャの市民権を得た。しかし、2008年から2010年のギリシャ危機により20万人が母国への帰還を余儀なくされ、逆にアルバニアからの出国は不可能になった。 移住者は国内に残る家族への送金の激減を強いられたため、それを頼りにしていた多くの人々は貧困に陥ることになった(15)。新型コロナウイルス感染症流行の経済的影響を評価するのはまだ難しいが、移民の流れが逆になり、西欧で職を追われた労働者がアルバニアに戻ってくる可能性がある。そうなればいまだに国外移住と所得移転という安全弁だけで「持ちこたえている」この国を不安定にするに違いないだろう。



  • (1) Cf. « Séisme en Albanie : deux journalistes interpellés pour “fausses informations” », Le Courrierdes Balkans, 24 septembre 2019.
  • (2) Sources : Banque mondiale et Fonds monétaire international (FMI).
  • (3) Source : Institut albanais de statistiques (Instat), Tirana.
  • (4) « Edi Rama : “L’Albania è meglio dell’Italia ? Perché è senza sindacati” », Linkiesta, 6 juin 2015.
  • (5) Cf. le site de l’association Sherpa
  • (6) Sources : Eurostat et Instat.
  • (7) Cf.Jean-Arnault Dérens, Laurent Geslin et Simon Rico, « Albanie : pouvoir, police et armée sont gangrenés par le trafic de drogue », Mediapart, 17 novembre 2017.
  • (8) Lire Paolo Raffone, « L’Europe peut-elle oublier l’Albanie ? », Le Monde diplomatique, septembre 1997.
  • (9) « Republic of Albania, local elections 30 june 2019 », Bureau des institutions démocratiques et des droits de l’homme, Organisation pour la sécurité et la coopération en Europe (OSCE), Varsovie, 5 septembre 2019.
  • (10) Cf. Katerina Sula, « Médias en Albanie : le gouvernement Rama réimpose la censure », Le Courrier des Balkans, 19 décembre 2019.
  • (11) Lire Ariane Bonzon, « Refuge européen pour les réseaux gülénistes », Le Monde diplomatique, octobre 2019.
  • (12) Lire « Dans les Balkans, les frontières bougent, les logiques ethniques demeurent », Le Monde diplomatique, août 2019.
  • (13) « Albania : staff concluding statement of the 2017 article IV mission », Fonds monétaire international, Washington, DC, 2 octobre 2017.
  • (14) Cf. Louis Seiller, « Exode à la loterie : le rêve américain pour s’enfuir d’Albani », Le Courrier des Balkans, 3 septembre 2018.
  • (15) Cf. Arlind Qori, « Albanie : avec la crise, la diaspora revient sans gloire au pays », Le Courrier des Balkans, 2 octobre 2014.

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年9月号より)