接触なき世界へようこそ!

労働、家族、インターネット


ジュリアン・ブリゴ(Julien Brygo)

ジャーナリスト


訳:大津乃子


 COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の流行により、我々は思いがけず「インターネットが必要不可欠な世界」を経験した。それはITの巨大企業が望んでいた壮大な社会実験であり、感染症の終息が見えたとしても、インターネットなしでは何もできない世界への流れは止まらないだろう。しかしそこではあらゆる個人データが企業活動に利用され、当局による個人の監視も容易になる。またインターネットを使用しない、もしくはできない人々は自分の銀行口座にもアクセスできず、危機的な状況に追いやられてしまうだろう。[日本語版編集部]

(仏語版2020年6月号より)


 2020年5月6日、France 2[フランスの公共放送]の午後8時のニュースで朗報があった。外出禁止開始から50日目、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)が猛威を振るっている最中で衛生用品の欠乏によりフランスが苦しんでいる時に、パリ市長がようやくパリにある906軒の薬局を介してマスクの無料配布を行うと発表したのだ。しかし1つ条件があると、アナウンサーのアンヌ=ソフィ・ラピックスは伝えた。パリ市民は「インターネットで登録」しなければならないだろう。それからクーポンをダウンロードし、印刷するか薬局でそのまま画面を提示すると、公共交通機関で着用が義務付けられているこの用品を受け取ることができるはずだ。

 COVID-19が流行する前は馬の駆け足のような速度で進んでいたものが、今では台風の風速並みの速さで拡大し、あらゆる人を新しい世界へ連れ去っていく。「オールデジタル化」の世界へ。接触なき世界の実生活での試験が行われたのだ。これまでは失業手当の受給、身分証明書、滞在許可証や自動車のための書類を入手するためにインターネットが必要だった。現在では基本的な衛生用品を手に入れる権利だけではなく、仕事、健康管理、娯楽、教育、さらには家族と連絡を取り合うためにインターネットが必要だ。

 市場調査会社のメディアメトリによると、2020年3月17日から31日までの間、フランス人がインターネットを1日に使用する時間は2時間50分に達した。2019年3月と比較すると36%の増加だ(3月17日から4月26日の間、テレビの平均視聴時間は4時間41分で、昨年に比較すると33%以上増加した)。遠隔授業をせざるを得ない教員も、やむを得ずオンライン診療に移行した医者も、テレワークを満喫している、あるいはしていない管理職も、さらに学生たちに自宅で試験を受ける際の遠隔監視について説明する大学の事務局職員も(1)、フランス人の日常においてIT化が大いに進展していて、インターネットに接続できるデバイスを所有することがこれまでになく必要不可欠になっているようだ。インターネットがなければ、マスクも手に入らず、医者の診察もテレワーク(外出禁止の間、フランスの就業人口の4分の1が行った)もできず、社会福祉や年金のデータファイルにも、自分の銀行口座にすらアクセスできない。

 隔離期間の後に電車に乗ることはどうか? インターネットなしでは不可能だ。5月7日、フランス国鉄(SNCF)とオー=ド=フランス地域圏は、5月11日からリール駅を発着する地域圏急行電車(TER)に乗るための「先着順」でのクーポンシステムを実施すると発表した。

 クーポンは駅では買えない⋯⋯インターネットでのみ購入可能だ。フランスでは10年間で約5,000の職(窓口係、案内係など)が機械化やアプリケーション導入を進めるために削減されており(2019年だけで1,000の職がなくなった(2))、下準備はされていた。スマートフォンを持っていない、インターネットが苦手、あるいはインターネットに繋がっていること、したがって監視される可能性があることにただ単に抵抗したい人は、ほぼ何もできないような環境に置かれることになるだろう。

 しかしながら、当局も認める紛れもない事実がある。フランスにはインターネットを利用していない人が非常に多くいるのだ。2019年には、フランスの成人の5人に1人以上がインターネットで苦労していた。すなわち「コンピューター・イリテラシー」だ。コンピューターを使いこなせないことを意味するまだ慣用にはなっていない用語である(3)。2019年の1年間にインターネットを使用しなかった15歳以上の15%の人にとって、あるいは初歩的なITスキルがないと認める38%のユーザーにとって、1つの世界が閉じられつつある(4)

 2022年までにすべての公的サービスをデジタル化するというミッション(「パブリック・アクション計画2022」)に取り組んできたフランス政府は2020年3月30日、インターネットをうまく使えない国民に、デジタル化の橋渡しを行う組合であるメドゥヌムが立ち上げた新しいウェブサイトSolidarité-numérique.fr[デジタル通信技術での連帯を意味する]を訪れるように勧めた。幸運なことにそのウェブサイトには問い合わせ先の電話番号が掲載されている。それは多くの国民を見捨てる前の最後の譲歩だったのだろうか? その数週間前、デジタル担当副大臣のセドリック・オ氏は「デジタル・パス」(IT講習の受講券)に割り当てられる予算を3倍にして3,000万ユーロに引き上げると発表していた。それはインターネットを利用していない国民1人につきおよそ2ユーロだ。政府と地方自治体が半分ずつ負担するこのあまりに少ない金額は、国民の間でますます深刻になっているITに関する格差を解消しようというものだ。この問題は人々の健康でいたいという願いに対しても、ますます重大な障害となってきている。

未来の医療のための実生活における試験

 外出禁止以前にも、パリのティボー・ザニノト医師は「オールデジタル化」の脅威をすでに日常的に感じていた。2019年の終わり、インターンだった彼はまだパリにある大きな病院の救急科の、彼の説明によると「前線」にいた。彼はそこで見たものですっかり意気阻喪してしまった。「70歳の患者たちは2日も3日も、廊下に置かれた担架の上にただ1人で放っておかれるのです。彼らが頼んだ水が届けられれば奇跡だし、機材は低級品で老朽化していました⋯⋯。空いているベッドを探すのにバカみたいに長い時間をかけなければならないことに加えて、我々は行ったすべての医療行為をデータ化するために1日に10時間近くもパソコンに向かわなければならなかったのです」。結局、12月にこの30歳の医師は病院を辞め市中の診療所に移ることを決めた。

 4カ月後、世界はザニノト医師の上に崩れ、彼は再びパソコンの画面に⋯⋯そしてウイルスに捕らわれている。「私はCOVID-19に感染してしまいました」と、2020年4月初め、彼は我々にビデオ通話で打ち明けた。表情にはまだ2週間に及んだ病気との闘いの跡が見えた。回復するとすぐに、彼は再びパリの18区に勤めていた同僚から引継ぎを受けた。外出禁止令が出てから2週間後、彼は診療の60~70%を、フランスで最も使われている民間のオンラインによる予約と診療サービスであるドクトリブを使い、設置されたカメラによって行っていた。「こういうことは絶対にしないと思っていました。温かみもないし触診もできません。しかしCOVID-19が蔓延するこの状況下では悪い方法ではありません。というのも、(複数の同僚と共用する)診療室では、デジコード[部屋の入口にある数字やアルファベットを入力する方式の鍵]やドアノブのせいでウイルスの感染から完全に自分を守ることは不可能だからです⋯⋯」

 しかしオンライン診察のルーティーンに慣れてきたと思ったザニノト医師を、ある事実が驚かせた。「数日が経った頃、50歳以上の患者はどこに行ったのだろうと思いました。彼らはオンライン診療を受けていないのです。私の端末では彼らに会うことはありません。現在、私の患者の平均年齢は25~30歳で、アプリやビデオ通話のシステムを非常によく使える人たちです」。この医師は躊躇せずに「社会的選別」に触れ、ドクトリブの成功と、彼がいる地区で未だに予約なしの診察を行う診療所の前の「順番待ちの長蛇の列」を対比する。

 耳炎に気づき、炎症と診断し、風邪を治療すること⋯⋯「どうしたらパソコンの画面で喉の奥や炎症を起こした耳の本当の色が見えますか? 画面に映る色は修正されています。私はできるだけ多くの質問をして診断するように心がけています。みんな慣れていくだろうと思います。これは未来の医療のための実生活での試験なのです。というのも、今のところ他に選択肢はありませんから」と、パソコンのカメラに向かって彼は言う。「技術的にはむしろうまくいっていますよ」とザニノト医師は率直に認めている。「いずれにせよ、パリの公立病院で使われている古くてひどい機材よりはかなりよく機能しています」

 確かにドクトリブは、彼が憤慨した公立病院の荒廃した組織とはほとんど無縁である。健康保険システムによると2020年3月の最終週のフランスにおけるオンライン診療の件数は、50万件近くに達した⋯⋯2019年1年間では6万件だったのに対してである。フランス政府とインキュベーターであるアゴラノフの支援により創立されたスタートアップ企業のドクトリブは、企業価値が10億ユーロを超えてユニコーン企業の仲間入りを果たしており、外出禁止期間のオンライン診療の件数は250万件に達した。加入している医師が支払う会費(臨床医1人につき月額129ユーロ)を資金源とするドクトリブは、2017年末に3万人の医療専門家が加入していて1,200万件のアクセスがあると表明していた。それが1年半後の2019年5月には、8万人の医療専門家が加入し、毎月の患者のドクトリブのウェブサイトや携帯のアプリへのアクセス数は3,000万件になっていた。

 2020年4月の初めに、1日の遠隔診療の件数は1,000件から10万件になっていた。それは2019年1月に始まったサービスで、79ユーロの利用料を課していたがCOVID-19による危機以降、課金が中断されている。「そして件数は1時間ごとに増えています」と、ドクトリブの共同創設者で社長のスタニスラス・ニオ=シャトー氏は新聞で語っていた。同氏は「コロナウイルスの流行が終息した後でも、フランスでの診察の15~20%は遠隔で行われるだろう(5)」と予想している。いずれはドクトリブが医療過疎地問題に対する解決方法の一部になるだろうことを疑う者はいない。同時に、外出禁止が終わったころにはこの若い経営者の銀行口座の財産が増えていることも間違いないだろう。「猛烈に働いていた(6)」このテニスの元チャンピオンは、2018年にはドクトリブの他の共同創立者とともに経済雑誌チャレンジによるフランスの長者番付に名前を連ねた。

 銀行取引情報、個人情報あるいは医療に関する情報を問わず、保険会社、広告代理店、治安維持組織そしてオンラインショップの経営者にとってこれは非常に大きなチャンスになる可能性を秘めている。現在、ドクトリブを使って受診している数百万人のフランス人が、とてつもない金脈、すなわち彼らの健康に関する詳細な情報(診察履歴や処方箋だけではなく電話番号あるいはEメールアドレス)を与えているのだ。2020年4月21日、政府は行政命令を出して、国民健康保険基金とヘルス・データ・ハブ(ヴィラニ報告を受けてエマニュエル・マクロン大統領が始動させた、人工知能を使って機能する健康に関する新しいプラットフォーム)に、「保健衛生に関する緊急事態の管理と新型コロナウイルスについての理解を向上させるために、保健衛生データの使用を容易にすることのみを目的として(7)」外出禁止期間中のユーザーの膨大な量の情報を集めることを許可した。

 細かい点ではあるが、健康保険のファイル、病院の請求書、死因、障がい者の福祉医療データそして補足的医療保険[公的医療保険を補完する私保険]の保険給付請求書のサンプルをすべて保管しているこのプラットフォームは、2018年末にフランスにおける「データ保持者」に認証された米国企業マイクロソフトのクラウド(「雲」を意味する、デジタルデータを格納しておく場所のこと)に置かれている。クラウド法に従い、米国の治安維持組織や諜報組織はそのサーバーにあるデータにアクセスできるだろう(8)。フランスの情報処理及び自由に関する国家委員会(CNIL)は、2020年4月23日に出した声明でそのことを強く懸念していたが、政府は彼らの見解を共有していない。フランスや外国のハイテク企業の経営者たちが、なぜ大統領官邸が主催する「Choose France」(「フランスを選んで」)サミットのために毎年ベルサイユ宮殿に列をなすのか、より理解できるというものだ。

 公共サービス、保健衛生、娯楽など、COVID-19の流行の間、「すべてをデジタル化に」の流れにせき立てられなかったセクターはほとんどない。教育セクターにおいては、外出禁止は接触なき世界の実生活での試験に特にうってつけだった。フランスではすでに教師たちは、国民教育省が「相互利用可能な統合・接続サービスをモジュール化し拡張性を持たせたパッケージ」と説明する「デジタル・ワークプレイス」(ENT)上で、授業での出席をとらなければならない。数年前から、生徒の親はオンラインで子どもたちの成績表や連絡帳を見ることができる。しかし新型コロナウイルスによって、すでに取り入れられていた新しい決まりごとが大幅に増えた。一連の新語をともなって、万人が直感的に理解できるものとされるニュースピーク[訳注]が登場した。

 フランスで建築学を教えており匿名での証言を希望しているヤスミナ・B氏は皮肉を込めてこう説明する。「2020年3月、私が勤める学校の幹部は、非常にわかりにくい新しいテクニカルなツールの説明書を我々のために記録的な速さで作成しました。その中には“ペダゴテック”[職業訓練や教育学の分野に特化したライブラリー]のような聞き慣れない言葉や、“ビッグブルーボタン”[オープンソースのウェブ会議システム]からアクセスできる“ムードル”[授業で利用できるインターネットを使ったフリーの学習支援ソフト]のような新しいソフトウェアや“レナテール”[技術・教育・研究用国立通信ネットワーク]というサービスが出てきます。少人数での講義では、教員は“自分たちの画面を共有する”こと、“動画は非公開にしてオフラインにする”こと、生徒に“PDFファイルをフォワードする”ことを求められます。内容がちんぷんかんぷんでよくわかりません。我々は、彼らが送ってくる資料を理解するためだけに研修を受けないといけないかもしれません」

 遠隔教育は、教員の私物であるIT機器の性能に左右されることに加えて、現場を混乱させている。それは授業を生徒がいつでも視聴を止めたりランダムに再開できるテレビドラマのようなものに変えてしまった。「超ハイテクのせいで我々は本質的なことを考えられなくなっています。つまり授業の中身と生徒たちのことです」と不平を漏らすB氏は、教師という職を、デジタル・アプリケーションとともに放り出してしまおうかと真剣に考えている。「今や我々は人生をコンピューターの画面の前で過ごさなければならないのです。私は本当に頭の中で拒絶反応を起こしています。大きな声では言いませんが、我々の目の前にいるのは、ツールを完璧に使いこなす“デジタル・ネイティブ”、“ミレニアル世代”であり、彼らに追いつかないといけないのは我々なのです!」

 世界規模で見ると、遠隔教育により学校教育の不平等は増している。「圧倒的大部分の国で教育の継続を確実にするために遠隔教育が行われている一方で、COVID-19の流行により教室から締め出され、すべての学習者の半数にあたる約8億2,600万人の生徒と学生が自宅でコンピューターを使えず、43%(7億600万人)は家からインターネットにアクセスできない」と、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は2020年4月21日の公式発表で警鐘を鳴らした。フランス国立統計経済研究所によると、15歳から29歳のフランス人の19.2%は、この分野(IT、通信、ソフトウェアあるいはIT機器のトラブル解決)において少なくとも何らかの能力に欠けている。教員の誰もが逸話の1つくらいは話せるかもしれない。「Eメールの本文を件名の欄に書いて送ってきた」生徒もいれば、「回答をするたびに新しいスレッドを立てる」生徒もいるし、フェイスブックで「いいね」をもらったりコメントをするには秀でているが「Eメールで添付ファイルをいつまでも送信できない」生徒もいる。B氏がただ1つ確信していることはこうだ。「仕事はかなり増え、それは我々のプライベートの時間を侵食しています」

疑わしい教育の継続性

 このデジタル化社会へのリハーサルで大成功した者は、ヴェルサイユ宮殿の「Choose France」サミットに列をなすスタートアップ企業とITの巨大企業だ。「我々が仕事で使用するように言われているソフトウェアは、ミニテル[フランステレコム・オレンジが運営していた情報通信サービス]とWindows 95の間のどこかに位置するものです」と、サンリス(オワーズ県)の高校で哲学を教えるフロリアン・プチ氏は皮肉を言う。「我々はデジタル・ワークプレイスやイプロフ(教員スタッフと管理部門の間のインターフェース)のようなアプリケーションを使うように言われていますが、外出禁止期間の当初からまったく機能しませんでした。どれもアクセス数が制限を超えてしまったのです。そのため私は他の教師たちと同じようにスラック(米国の「チーム・コミュニケーション」のプラットフォームで、2020年2月から3月の間に利用数が350%増えた)に移動するように生徒たちにお願いしました」と同氏は説明する。「[プラットフォーマーによる]個人データの収集の問題は非常に厄介です。なぜなら我々はそれについて何も知らないからです。しかし他に選択肢はありません。非常に疑わしい教育の継続性の名のもとに、教師は毎日生徒とインターネット上で繋がりを持つように言われているからです。授業はグーグル・フォームを使った選択問題になりました。生徒たちはグーグルのアカウントを持たないといけません。まったく授業になりません」。隔離期間の間に「オールデジタル化」の世界が突然襲いかかってきたというが、すべてはすでにレールが敷かれていて、今回のコロナウイルスによる危機が試運転の機会となったに過ぎない。

 そして銀行セクターもまた1980年代を思わせる自由化にさらされている。2019年12月末に、ダンケルク(ノール県)在住の建築家で個人事業主であるユーゴ・ブリク氏は、銀行の担当者から呼び出された。その2カ月前、銀行はこの28歳の若者にEメールで通知を行っていた。その内容は「欧州決済サービス指令(PSD2)に従って、お客様のマイページにアクセスする際のセキュリティーレベルが強化されます。そのためお客様のマイページにログインするときは、お客様の操作であることを確認するためにスマートフォンをご使用ください」というものだった。ブリク氏は2019年に「スマートな電話機」を持っていない約23%のフランス人に属していた(9)。彼はアプリケーションをダウンロードしていないので自身を認証できず、こうした説教をされることになった。

 呼び出された日、ブリク氏の担当者は強い調子で、遠隔で追跡できる機械であるスマートフォン、とりわけアプリケーションがなければ、彼はもう自分の銀行口座に、たとえインターネット経由であってもアクセスできなくなると言った。「その上、私が呼び出されたCIC銀行の支店に入ってまず目についたのは、販売用のスマートフォンのショーケースでした。しかし私の内なる本能が、この機械を買ってはいけないと言いました」とブリク氏は打ち明ける。それから半年後、外出禁止にもかかわらず、彼は未だにスマートフォンを持っていなかった。今のところ、彼は取引明細書を郵送で受け取っているが、もう振込やオンラインでの買い物はできない。自身を認証できないからだ。

 一方で彼は1日に何度も暗証コードを打ち込んでデジタル生活の喜びを味わうことも、スマートフォンのバッテリーの減少に合わせてストレスのレベルが変わることもない。ロンドン大学シティ校付属のキャスビジネススクールの調査によると、自分が置かれた環境に対する我々の認識は、携帯電話のバッテリーが5%か95%かによって変わるのだ(10)。「私はいつもインターネットに繋がっていたいとは思いません。すでに仕事、娯楽、Eメールの送信のために多くの時間をコンピューターに使っています⋯⋯そのせいで腰がとても痛いです。私は自分のポケットの中に常にインターネットを持ち歩きたくありません。絶対に嫌です。スマートフォンを持っていることが、今や自分のお金を自由に使えるための判定基準になるなんて、信じられません」と、ブリク氏は打ち明ける。

 PSD2の実施は、表向きには2019年9月に施行となったが、規模の大小を問わずオンラインで商売をしている人々、スマートフォンを持っていない彼らの顧客たちに非常に不安を与えたため、誰もがスマートフォンを持つ必要があるという決定的な前提条件を伴う「厳密な認証」の部分は、欧州銀行監督局によって2020年末まで導入が延期された。期限が1年遅れても、将来の見通しは変わらない。何事にもスマートフォンを通すことが必要になるだろう。もしすべての銀行が、これに代替する厳密認証システムを設けるのであれば話は変わるが、そんな計画はなさそうだ。

 ブルケルク(ノール県)にある家族経営農場にいるブリク氏は、電話回線網の末端にあり、ブロードバンド接続ができない「人口密度が低い地域」に住んでいる18%のフランス人の1人だ。2万2,500の農村、国土の63%がそうした地域である(11)。ただ1つの解決方法は、毎月30ユーロを払って携帯電話のネットワークをコンピューターでもアクセスできるように変える4Gルーターを使うことだ。中庭の反対側には農場の主屋があり、自分たちの住まいを教育農場にした彼の両親であるジャッキーとアニーが住んでいる。「両親の場合はもっと悲惨です。彼らはまったく自分たちの銀行口座にアクセスできないのです」とブリク氏は話す。

 外出禁止のため、筆者は彼らに電話で話を聞いた。庭仕事が上手な60歳代の2人は、既成事実を前にして新しい年を迎えた。彼らはクレディ・ミュチュエル[フランスの協同組合銀行]にある彼らの環境教育団体であるラ・フェルム・デ・ザーヌ[ロバたちの農場]の銀行口座にもうアクセスできないのだ。息子同様、彼らもスマートフォンと「厳密な自己認証を行う」ためのアプリケーションを持っていない。従業員が1名おり、また常に金銭的な取引があるので、この障害により彼らは不利益を被っている。ブリク氏の父親はとりわけこの地域で行われる「成人に達した移民たちが家賃を支払うのを支援する募金活動」を気にしている。

 約10km離れたブルブールにある取引店のクレディ・ミュチュエルの支店で、「あなたの環境教育団体にスマートフォンの費用を払ってもらえばいいのです」と言われたと彼は説明する。「幸いにも、郵送による取引明細書の送付はまだ廃止されていません。まだ有人対応してもらうための唯一の方法は、我々の担当者が仕事をしている時間帯に支店に行くことです。40年前に逆戻りしたのです。つまり、すべてを支店で人間の手で行っていた時代にね⋯⋯」と、彼は指摘する。しかしブルブールのクレディ・ミュチュエルの窓口は、フランス国内の他の多くの支店と同じように、今年、閉鎖される予定だ。「約束がなければ会えなくなるまでの時間を活用してくださいね」と、外出禁止の前に銀行員は彼にそう告げた。2019年3月15日のル・フィガロに、フランス銀行連合によると2009年から2016年の間にフランス国内における銀行の支店の14.6%がなくなったとある。ブリク氏が呼び出されたCIC銀行の支店には、昨年からもう窓口はない。約束がない顧客は入店を拒否される。最終的な閉鎖の前の最後のステップなのだろうか?

 「強制的に実施されたこれらすべてのこと、遠隔医療、インターネットでの確定申告、遠隔教育、QRコード(スキャンできるアイコン)を使った証明書などのおかげで、当局は我々のことをすべて把握できるようになります。つまり、仕事、収入、社会保障、銀行口座、どこにいるのかなどの情報です。スマートフォンがないと、何にもアクセスできなくなるでしょう。それは本当に地獄のような光景です」と、ブリク氏の父親は不満を漏らしながら、2019年に社会保険事務所から健康診断を勧められたことを思い出している。「そのためにはドクトリブで登録しないといけなかったのです⋯⋯公的サービスもこれらのアプリを使って事務職員の費用を節約し、できることはすべてアウトソーシングするのです」。彼は一呼吸おいてから続ける。「インターネットは遊び道具から手錠になったのです。我々の世代はインターネットの良い面(映画、ブログ、知識の共有など)を利用できたといえるでしょう。しかし次の世代はどうなるのでしょう?」と彼は問いかけ、外出禁止の間にイスラエルで適用された位置情報による監視システムや中国ですでに行われている社会信用システム(12)のことを混ぜこぜにしてあげつらう。

パラメトリック保険の向かう先

 PSD2が「金融サービス業界から好意を持って迎え入れられなかったのは」、それが「銀行データの開示への第1歩となる」からだ。会計事務所デロイトのエキスパートであるジュリアン・マルドナト氏は自身のブログでそう書いている。同氏は、これは銀行にとっても⋯⋯大きなチャンスになり得ると楽観視している(13)。車やトラック、あるいは家庭用ロボット掃除機のように、銀行は「自律して機能するもの」になる運命なのだ。ハッキングやネット詐欺対策の名のもとに推進されてきたPSD2により、デジタル化の動きは加速し、銀行データというまさに虎の子が商品化されるだろう。2015年に可決され、2018年に発効したこの自由化により、「アグリゲーター」と呼ばれる情報収集を行う多くのスタートアップ企業(リンクソ、バンキンなど)が、顧客により良いサービスを提案するために彼らの銀行口座にアクセスすることを許可されるだろう⋯⋯。

 それは銀行業界の専門用語で「パラメトリック保険」というもので、マルドナト氏は我々にこう説明した。「近所の食料品店で、クレジットカードを使って頻繁に品質の低い(遺伝子組み換え作物をたくさん使った)食品を買う男性がいるとします。アグリゲーターは提携先の自然食品店で買い物をするように、その男性に提案するでしょう。また、ある女性が請求書のガソリン代が上がり続けていると気づいたとしましょうか? スタートアップ企業が彼女にもっと燃費のよい車を購入するように勧めるでしょう」。さらに続けてこのようにも説明してくれた。「これらの銀行データにより、さらに別のものを売り込む機会をみつけることもできます。保険を例にとってみましょう」と、この専門家は2つの具体的な例を挙げながら言った。「ポールは車を運転しており、月に3回、ガソリンを満タンにします。保険会社は彼を“毎日車を運転する人物”とみなして、安全運転のための予防運転のコーチングを勧めるのです」。あるいは2つめの例はこうだ。「タイに行こうと計画しているロールがいるとします。彼女はインターネットを使って航空券を購入し、現地での宿泊の費用を払います。保険会社は彼女を“これからも旅行する人”とみなして、彼女に保険の海外での適用範囲の見直しを勧め旅行にふさわしい保険を提案できるのです」

 「すでに100万人を超えるフランス人がパラメトリック保険に乗り換えました」とこのファイナンスの専門家は言った。おそらく、次に来るのは「支払いへの同意機能」である。PSD2の3つ目の側面であるこの機能は、GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)にとって有利にはたらく。それはセルフドライビング・ファイナンス(「金融の自律的な運用」)で、これらのITの巨大企業はインターネットに接続された機器(マイクと音声認識機能を内蔵している。アップルのシリ、アマゾンのアレクサ、あるいはグーグルホームなど)を通して我々の会話を入手できるようになるだろう。そしてSMSで許可を得れば、我々に代わって振込をできるようになるだろう。「アマゾン、グーグルそしてアップルはすでにPSD2のライセンスを取得しましたが、まだ使用はしていません」とマルドナト氏は詳細を説明する。お金が常に動き回っている世界が始まる。そしてその世界では機械が我々の欲求(そして買い物も)などを予測する。インターネットを利用しているという条件で。

 超インターネット社会に向けたこのリハーサルは、困難な立場にいる数百万人の市民を見捨てるにもかかわらず、グーグルの元CEOであるエリック・シュミット氏を非常に喜ばせた。今年の5月10日、CBSの番組で彼はこう告白した。「外出禁止の数カ月のおかげで我々は10年分の飛躍を果たせました。インターネットはわずかな間に必要不可欠なものになったのです。これがなければ、ビジネスも生活もそして自分の人生を生きることもできないのです」



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年6月号より)