労働のオートメーション化に関する幻想

ロボットは失業の犯人か


フロリアン・ビュトロ(Florian Butollo)

社会学者。ザビーネ・ヌス氏とMarx und die Roboter(Dietz, Berlin, 2019)を共編 

フィリップ・シュターブ(Philipp Staab)

社会学者。Digitaler Kapitalismus(Suhrkamp, Berlin, 2019)の著者  

訳:生野雄一


 数年来、ロボットが人間の労働を代替し、多くの人々が職を失うとする議論が盛んだが、コンサルタントやメディアの喧伝によるところが大きい。現実には、企業は生産工程の急激な変化を望まず、費用対効果を吟味して慎重な対応をとるものだ。ドイツ発の「インダストリー4.0」を例にとって、著者はこの議論の真相を探る。[日本語版編集部]

(仏語版2019年12月号より)

Lorenz Duremdes
 www.flickr.com/photos/162494162@N07/

 経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、1930年の論考で、将来、機械化によって「シフト制で1日3時間労働、つまり週15時間労働」が可能になり、「残りの時間を経済活動以外のことに使える」日が来るだろうと思い描いた(1)。以来、労働のオートメーション化の問題は絶えず世間の議論の的になってきた。ここ数年、「労働のデジタル化」という仰々しい言い方で再びこの問題が問われている。

 テクノロジーによって人間の労働を機械が代替する分野が急速に広がっていくという。工場では、小型ロボットが最後の仕上げをし、「モノのインターネット」というネットワークシステムが生産プロセスおよび顧客との関係を合理化し、人工知能がサービス産業で働く人々にとって代わるというのだ。その結果その先にあるものは、これまでに類をみない夥しい数の失業者の出現、すなわち、ケインズが予想したように「人間の労働力の新しい使い途を見つける速さよりも労働力を節減する方法を見つける速さが勝ることによって生じる、テクノロジーによる失業」である。

 しかしながら、現実の産業界をよく調べてみると、テクノロジーによるオートメーション化は限定的な成功に止まっていることがわかる。となると、ロボットが社会を席捲するというまことしやかな恐怖はどこから来るのだろうか。

 それはとりわけ、蒸気機関、電気、ITよる産業革命のあとに続く「第四次産業革命」として企業が激しく仕掛けたマーケティングに由来する。これは多くの国で行われたようで、人工頭脳を備えた機械をネットワーク化することで、一つ一つ異なる、顧客ごとにカスタマイズされた商品を生産できる、そんな時代が到来する、というものだ。この考え方は、なかんずくダボスの世界経済フォーラム(WEF)会長のクラウス・シュワブ氏によって広められた(2)。この考え方をドイツ政府は「インダストリー4.0」と命名し、それは2011年のハノーバー産業技術見本市[通称ハノーバーメッセ]においてはじめて一般に公表されたが、華々しい宣言と現実の間に存在する不調和をはっきりと示した。

 この経営戦略を展開する原動力となったのはドイツ産業界の力というよりは、当時の経済情勢等によるところが大きい。2008年の金融危機の後、各国の中央銀行によって採用された通貨の大量供給政策は、金融市場が自信を失っていることもあって、新たな投資分野を必要とした。「第四次産業革命」というマーケティング戦略がこれに応えて、新しいテクノロジーを使って、労働の場での古い機械室をグローバル資本主義の若返りの泉に変えようと提案した。当初はWEFの後ろ盾を得て展開されたこのテーマは、ドイツ国内の産業構造がとりわけこれを受け入れやすいものだったことからドイツで容易に具体化した。

 それ以来、数多のコンサルタントが企業向けの経営戦略コンサルティングや一般大衆への啓蒙活動にコストをかけるなどして論点の普及に注力し、マッキンゼーその他のコンサルティングファームに最も大きな恩恵をもたらした。人間労働の機械による代替は、一部の人々は嘆くが、すぐにも効率化メリットを得なければならないことの裏返しに過ぎない。その意味で、「社会にとっての悪」(失業)とは「ビジネスにとっての善」(利益)と同義である。

スピードファクトリーというアディダスのこけおどし

 次から次に新機軸が現れ、コンサルタント業界では議論が急激に加速する。「インダストリー4.0」という魔法の物語では、第一次から第三次までの産業革命は数十年に亘ったが、それに続くデジタル革命では事態は急加速した。2017年には、日本がハノーバーメッセに「ソサエティー5.0」という独自の未来展望を発表した。その2年後には、この大胆さもおとなしいものにみえた。というのも、コンサルティングファームのアクセンチュアが「インダストリーX.0」(10.0と読む)なるスローガンを打ち出したからだ。4.0からX.0の間の6回にわたる産業革命の行方などは、どうやら誰も不思議には思わないようだ。

 こうした産業革命と称するものが次々に打ち出されてくるのは、おそらくは現実が示すところのものを前にしたパニック反応を表わしているのだろう。実際のところ、ドイツのエンジニアが生んだめざましいイノベーションは数多のコンサルタントが当て込んでいたよりはるかに少なかった。そうして、子細にみると、「インダストリー4.0」の基本的な方向性には真に新しいものは何もない。およそ40年来工業界を支配してきた合理化の傾向を、将来に向けて単純に延長したものだ。それは、不断の製造オートメーション化、それと一体になった製品のますます進むカスタマイゼーションである。こうした未来図が思い描いているものは、完全にオートメーション化された生産によって、一つ一つ異なる商品を大量生産と同じコストで供給すること(ドイツの業界用語でLosgrosse 1[ロットサイズ1]と呼ぶもの)だ。実現にはほど遠い。

 ドイツのほとんどの企業は、慣れ親しんだ製造工程を覆すような、リスクがありコストのかかるアイデアに対しては慎重だ。多くの企業はそのコストが収入の増加に見合わないことを危惧する(3)。ムンシュ・ヘミー・プンペンのケースがそのいい例だ。ノルトライン=ウエストファーレン州の産業用ポンプメーカーで、世界市場でのドイツの「隠れた王者」のひとつであるこの企業は、経営上のリスクをそこに集中させ、可能な限り全ての製造工程に「4.0」の工業用ソフトを導入した。モノのインターネット(インターネットに接続された装置が相互に情報交換する)、間断ないデータフロー、協力企業のためのデジタルサポートシステムが、今や製品購入者のニーズに柔軟かつ迅速に応えることを可能にする。理屈の上では、今や、工場では200色以上の200万種類のポンプを製造することができる。ムンシュ・ヘミー・プンペンは顧客層を多様化し、なかでも、製鉄化学業界への依存から解放される。しかし、結局のところ、これが同社により多くの収入をもたらすことはなかった。つまり、「顧客は我々にますますカスタマイズされた製品を要求するが、より高い対価を支払うつもりはない」と、同社の経営者は明言する(2019年1月18日付けヴィルトシャフトヴォッヘ誌)。

 この事例が「インダストリー4.0」に関する議論に共通する問題を示している。メディアは熱狂し、テクノロジーにスポットライトを当てるが、具体的な経済的有用性を見失っている。実際、企業はテクノロジーをそれ自体のために導入することはなく、製造工程を変えようとする場合にはより有利な費用対効果を求める傾向がある。企業は、全面的に変更するよりもむしろ、新しいテクノロジーを既存の工程に組み込みながら小規模の試行錯誤を経て進めようとする。経営者は、「インダストリー4.0」を一気に適用する大掛かりな戦略と考えるよりは、予備的なメンテナンス、サポートシステム、光学式の品質管理、といった個別のアプリケーションパッケージのなかで適切な仕組みを選択することを好む。上手くいったプロジェクトがある一方で、具体的な効果が得られない数多くの事例もあり、実験的に導入したプログラムを解体することすらしばしばだ。

 最も注目を集めた例はアディダスが「インダストリー4.0」のパイロットプロジェクトとして構想したスピードファクトリーと呼ぶ工場で、2017年に始動したときにはメディアは大騒ぎだった。バイエルン州のアンスバッハとアメリカのアトランタの工場で導入され、現場は大幅にオートメーション化されている。簡単に仕様変更ができるロボットの柔軟性によって、都市ごとに異なる(パリモデル、ロンドンモデル、ニューヨークモデルなどの)特別仕様の商品を市場に遅滞なく供給することが可能になった。同社は、しばしばこのショーウインドー拠点を新しい時代を告げる証しとしてきた。「私が1987年にアディダスに入社した時には、製造工場がアジアに移されたところでした。今や、そのサイクルは閉じて生産が戻ってきます(4)」と、同社の社長は2016年には説明していた。

 だが実際には、生産が自国に回帰したのは、せいぜいで年間50万足の靴でしかなく、これはアディダスの全世界生産量のおよそ0.5%だった。アディダスグループは生産能力の全部を国内に戻すつもりはなかった。それもそのはず、スピードファクトリーで生産される靴一足の売値は250から350ユーロの間にあるからだ。実際、高度にオートメーション化された少量モデルの製造はコストが高く、裕福な顧客層のためのニッチ商品だけが採算に乗っていたが、それは一般大衆向けの商品群を補完するものでしかなかった。スピードファクトリーは工業生産の将来を体現するというのとは大きく異なり、時流を素早く掴み、さらには時流を形成する能力を示したい企業のイメージ戦略の売り込みの手段だった。しかも、去る11月11日、アディダスは、これら2拠点を来春には閉鎖しさらにはそれらをアジアに移すと発表した。アジアでは2つの納入業者が新しい製造手法を採用する予定だ。

 たとえ「ロットサイズ1」の一般的な目的がエンジニアの単なる甘美な夢などではないとしても──それもまずありそうにないが──次のことは自問してみる必要があるだろう。製造業者にとってカスタマイズされた製品を提供することが使命なのだろうかと。このマーケットはすでに、今日幅広い商品群を最も早く各家庭に直接届けているオンライン取引の巨大企業に牛耳られている。アリババの経営を退いたジャック・マー(馬雲)氏は、その目標を最近次のように語った。すなわち、あらゆる商品を世界中のどんなところにでも72時間以内に配送する、というものだ。この「ロットサイズ1」の中国版は「人工知能を持つ」工場というややこしいプロジェクトよりも効率的だということが明らかになるだろう。

面倒な課題を避ける

 経済的に必要だとか、さらには歴史的必然だとされているオートメーション化路線は、何よりもまず、グローバリゼーション戦略と関連している。そしてグローバリゼーションはそれ自体がデジタルテクノロジーを拠りどころに1990年代に生まれたものだ。そうしたなかで、ロボットを悪者にすることは、経済の大きな方向性を問い直すことを忘れさせる。ケインズが言及したテクノロジーによる失業は大いに誇張されており、現実の資本主義の荒廃振りから眼をそらさせる役割を果たしている。人間と機械の間の理屈上の代替性だけでなく、労働内容の進化や新たな雇用の出現をも考慮したいくつもの研究は、ロボットが労働者にとって代わるというメディアの予想とは異なり、雇用が増加するとさえ示唆している(5)。あとは、いくらの賃金でどういう条件下でどんな製品を作るのかを決めるだけであり、これこそ政治のテーマなのだが、誰もがこの問題を避けているようにみえる。

 すでに何年か前から米国でみられるように、今日、政治の世界でデジタル化によるオートメーション化を誹謗しているのはとりわけかつて金融資本主義やグローバリゼーションを擁護してきた人たちで、それは、マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツ氏であり、かつての世界銀行のチーフエコノミストであり米国財務長官であったローレンス・サマーズといった人たちだ。彼らがいうには、雇用の不安にさらされている労働者や低賃金または失職した労働者は、名前のないテクノロジーの犠牲者である。今日、ロボットをその犯人だとする人は、自らが決めたことの不幸な結果から眼をそらそうとしている。


  • (1) John Maynard Keynes, « Perspectives économiques pour nos petits-enfants », dans La Pauvreté dans l’abondance, Gallimard, coll. « Tel », Paris, 2002.

  • (2) Klaus Schwab, La Quatrième Révolution industrielle, Dunod, Paris, 2017.

  • (3) この項はドイツ産業界のデジタル化効果に関して現在行われているある研究からヒントを得ている。

  • (4) Cité dans Think Act. COO Insights, Roland Berger, Munich, 2016.

  • (5) Cf. par exemple Katharina Dengler et Britta Matthes, « Folgen der Digitalisierung für die Arbeitswelt », IAB Forschungsbericht, Nuremberg, novembre 2015, ou la contribution d’Alexander Herzog-Stein dans le rapport « Digitalisierung der Arbeitswelt ! » (PDF), Mitbestimmungs-Report, n° 24, Fondation Hans-Böckler, Düsseldorf, septembre 2016.


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年12月号より)