Brexitで一変する域内均衡 

分裂寸前のヨーロッパ帝国


ヴォルフガング・シュトレーク(Wolfgang Streeck)

社会学者、マックス・プランク研究所(社会研究部門)名誉所長

訳:村上好古


 EUは、ドイツ、あるいはフランス・ドイツを中心に、自由主義、さらに現代では新自由主義を掲げる帝国であると評される。しかし、難民問題、Brexitなどを契機に右翼勢力を中心とした反ヨーロッパ主義が高まりを見せるなど、その結束が揺らいでいる。この自由主義の帝国の統治の仕組みはどのように構築され、どういう問題を抱えているのか。[日本語版編集部]

(仏語版2019年5月号より)

Giorgia Siriaco.— De la série « Community », 2014
www.gioeucalyptus.com

 欧州連合(EU)とは何か。思い浮かぶ最も近い概念は、自由主義、より正しく言えば、新自由主義の帝国だ。それは、名目的な主権国家によって構成される階層構造を持った集まりであり、中心から周辺へと権力が配分されることでその安定が保たれている。

 その中心にいるのはドイツだが、フランスとともに形成する「ヨーロッパの中核」(Kerneuropa)という言葉の陰に隠れたがっており、一応はそれに成功している。ドイツは、イギリス人からそう呼ばれる「大陸の統一者」と見られるのを望んでいないが、実際はその通りである。一方、ドイツがフランスの陰に隠れているという事実は、フランスにとっては権力の源となっている。

 アメリカをはじめとする他の帝国主義諸国と同じく、ドイツは自らを周辺国に人類共通の良識と倫理的な美徳を広める「善良な主導的大国」と思っているし、他国からそう見られたいと思っている。そして人間の幸福にとってその価値があると考え、そのコストは自ら負担する(1)

 ドイツとヨーロッパのケースでは、この帝国を成り立たせる価値理念は自由主義に基づく民主主義であり、立憲的な政府であり、個人の自由である。つまり、政治上の自由主義理念である。そして同じ包みの中には、市場の自由と競争の自由が含まれ、都合に応じてそのことが前面に引き出される。要するに、経済的な自由主義であり、現在についていえば、新自由主義なのである。

 帝国主義の価値理念の奥底に潜む本当の意味であるとかその正確な中身、またその理念が特定の場面でどう適用されるかを決するのは、その中心にあって主導権を握る者の特権である。そのことによって主導国はその周辺国に対し、好意を与える代わりに一種の宗主権を及ぼす。

 名目的な主権国家の集まりの中で帝国主義の非対称性を維持するには、政治や制度面で複雑な準備を要する。周辺諸国は、中心国の個々の組織や価値を見習うべき手本としている幹部によって統治されなければならないし、中心国の利害と両立し得るように経済・社会的な内部秩序を整備するという意思を示さなければならない。こういう幹部が政権の座にあることが、この帝国の存続にとっては明らかに極めて重要である。アメリカの例が教えるように、この特徴は、民主主義的な価値観や経済的な資源、さらには人間の命といった面で代償を伴う。

 「小国」あるいは発展の「遅れている国」を指導している幹部はしばしば、帝国の下位メンバーとしての地位を求める。彼らは、必ずしも民衆が歓迎しない「近代化」計画を自国社会に講ずることについて、帝国首脳部が支援してくれることを期待している。帝国は、自らの理想に対する彼らの忠誠に満足し、反対勢力をおとなしくさせるための思想面、資金面、軍事面での手立てを彼らに与える。

 自由主義の帝国において、その結束は理論上、軍事力ではなく道徳的価値観に基づくが、現実は単純ではない。中心国の首脳部は、周辺国の場合と同様に、失敗を犯す。たとえば、ドイツとフランスは、陰に見え隠れするヨーロッパ中央銀行(ECB)の支援を受けつつ協調行動をとったが、ポピュリスト勢力の抵抗にあうイタリアのマッテオ・レンツィ氏の「改革派」政府を政権にとどめることができなかった。同様に、ドイツがフランスの大統領エマニュエル・マクロン氏を「黄色いベスト」や、また経済のドイツ化政策に対する反対者の怒りから守れないことも、我々の目に露わになった。

 主導的な立場の国自体も、内政面の困難と無縁という訳ではない。自由主義に基づく帝国主義体制下でその国の政府は、自国の利益——あるいはそれに適うと自分で思っている考え——を擁護することが、民主主義から全体の繁栄といった理念に至るまで、一般的な自由主義の価値観を前進させるものだという印象を与えることに気を配っていなければならない。そのためには、帝国内で庇護を与えている国々からの支援が必要であろう。しかし2015年にアンゲラ・メルケル氏の政権が、人口問題とドイツのイメージの問題を同時に解決する目論みで、キリスト教民主党議員が反対していた移民の受け入れ制限数の引き上げに代えて、無条件の難民保護権を実現しようとしたときには、そうした支援を得られなかった。

帝国の規律を保つこと

 ドイツの国境を、もはや管理できない、あるいは国際法上の要請に関わることだとして開放するには、実際上EUがまとまってドイツに足並みをそろえることが必要だ。ところが、どのEU加盟国もそうはしなかった。フランスのように一部の国は黙り込んだし、ハンガリーやポーランドのようないくつかの国は自国の主権を公然と主張した。決して他国の政府、なかんずく主導的立場にある大国の政府を困窮させてはならない、という自由主義に基づく帝国主義の不文律をこれらの国々は国内の政治事情から破り、メルケル氏に内政面での困難をもたらし、彼女はそこから二度と立ち直れなかった。そうして彼らは、ヨーロッパの中心と東部の間に解消目途の立たない裂け目を、帝国の内政外交両面にわたって作り出した。もっともこの事件は、ヨーロッパにすでに内在していた分断にまた新たな分断を付け加えたに過ぎなかった。すなわち、ヨーロッパの西側ではイギリスとの、南では地中海断層線に沿った分断が、単一通貨の導入に伴って発生していた。

 自由主義の帝国は、他の統治理念に基づく帝国以上に恒常的な不均衡状態に苦しむし、常に下からの、それに横からの圧力にさらされている。加盟国に対する軍事的な介入ができないことから、その分離を防ぐために軍事力を使うことができない。イギリスがEUから離脱することを決めた時、ドイツもフランスもこれを引き留めるため直ちにイギリス諸島に侵入しようとは考えなかった。これまでのところ確かにEUは平和的な勢力だった。しかしながら、ドイツ、あるいはフランスとドイツが一体となった視点から見ると、イギリスの円満離脱は帝国の規律を打ち崩すものだったかもしれない。なぜなら、この規律に反意を抱いている他の国々も同様に、自分たちが離脱することを検討できたかもしれなかったからだ。

Giorgia Siriaco.— De la série « Community », 2014
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 さらにまずいことは、もしイギリスの離脱がいくつもの重大な譲歩によって食い止められていたとしたら、交渉の余地がないものとして作り上げられているアキ・コミュノテールを見直す交渉をその他の国々が要求する可能性もあったことだ。したがってイギリスは、譲歩を求めることなくEUにとどまる、すなわち無条件降伏するか、それとも非常に高い代償を払って脱退するか、という選択をしなければならなかった。しかも同国は、ドイツの目にはそう見える「健全な」市場経済の立場からしばしばフランスの国家主義に対抗し、ドイツがフランスから受ける重圧を和らげるのを助けていたという事実にもかかわらず、である。Brexitによって、こうした均衡関係は失われてしまった。

 フランスはこのことを完全に理解したうえで、ほとんど自分の目的も露わに、イギリスとの交渉において非常に強硬な姿勢で論陣を張った。つまり、イギリス人は自らの離脱の意思を守るべきだ、と。ドイツは一方で自らの最も重要な輸出市場を失うことを恐れ、また、この先イギリスの力を借りることなくフランスの野望を食い止めなければならないのだが、フランスは、帝国の規律に関するドイツの危惧を利用し、明らかに自らが求めるものを手にした。それではフランスに譲歩したドイツは、今後何年かにわたり非常に高くつくかもしれないのだが、全くメルケル氏流のやり方でその場しのぎで近視眼的な決定をしたということなのか? 将来にならないと分るまい。

 イギリスに関しては、EUから離脱するという決定が、反「社会主義」ではなく国民主義の考えに従ったものであったという点を考慮すると、歴史的な誤りを犯してしまったのかもしれない。BrexitはフランスをEUで唯一の核保有国にしてしまったし、国連安全保障理事会の常任理事国ポストについても同様だ。

 緊密さが高まったEUの中で「登山パーティーのザイルの先頭に立つ」というフランスの野望——それは、ドイツの経済力をフランスの利益のために奉仕させるというに等しい——がドイツに呼び起した複雑な感情は、全くと言っていいほど他のEU加盟国から理解されないだろう。一旦イギリスが舞台から退場すれば、フランスはヨーロッパの統一者としての地位を切望するようになるかもしれない。主権国家としての統一ヨーロッパの中でフランスがその支配権を持つ、というフランス流のヨーロッパ国家を目指す計画に加わるようドイツに圧力をかけるのだ。イギリス人は、こうした展開を外部から押しとどめることが内部からそれを妨害するよりも難しいということを思い知らされるのかもしれない。1960年台にド・ゴール将軍が、当時のヨーロッパ経済共同体(EEC)にイギリスが加盟するのを防ぐために費やした努力のことが思い出されるが、その理由は、この国が十分「ヨーロッパ的」ではないというものだった。

 帝国の統治は当然ながら、経済的あるいは理念的なものだけでなく、特にその領域の周辺部における地政学的な配慮に従う。最も端に位置する諸国の安定は、なかんずく資本主義に基づく帝国の場合、その経済的な発展にとって不可欠なものである。ひとつの帝国が別の帝国と接するその場所では、その帝国が拡張主義的なものであろうとなかろうと、協力的な政府を自らの仲間にとどめ、また非協力的なものを排除するために、帝国は相当に高い代償の支払いを承諾する傾向がある。

 こうした中で、逃げるかあるいは寝返って敵側につくと脅しをかけることのできる国の幹部は、その内政があまり感心できない場合であっても、より負担の大きい譲歩を引き出すことができる。これは、クロアチアだとかルーマニアといった国の場合に当てはまる。ここでは結局、軍事力が登場する。これは、価値観が持つ力であるソフト・パワー、つまり影響力とは区別されなければならない。言うことを聞かない一定の住民に対し武力を行使することが自由主義の帝国にとってたとえむつかしいことであったとしても、その帝国は友好的な政府を守ることができる。帝国の兵士が進軍してくることに脅威を感じる隣国を持つ友好的政府に、この隣国に敵対する国民主義的な姿勢をとるための手段を与えてやるのだ。その代り、主導的な権力は、たとえばEU加盟国間で議論になっている問題に対する支持といったかたちでの譲歩を求めることができる。バルト諸国は、難民の受け容れや割り当てについて沈黙を守ったが、これはロシアに脅威を与える程ドイツが兵力を増強し派兵していることに対する見返りなのだ。

普通選挙の脅威

 自由主義の帝国の中心にいる各国やその国民は、軍事力に訴えることなく自らの意思を押し通すことを期待するだろう。しかし結局のところ、それは一種の幻想だ。大砲なくして帝国で主導権をとることはできない。メルケル政権が国内総生産(GDP)の2%に達するのを目標に国の軍事予算をほぼ倍増させることを約し、アメリカとNATOの要求に屈したことを理解するには、こうした見方が必要だ。この目標が実際に達成されると、ドイツの軍事支出はロシアの軍事費を40%以上越えることになり、そのすべてが通常兵器の開発と購入に充てられる。これはバルト諸国やポーランドといった国をEUに固く結び付けておくための手段であり、もうひとつの選択肢であるアメリカに頼ることはこれらの国にとってさほど魅力的に思われなくなるはずだ。こうしたシナリオはおそらく、難民や同性婚といった価値観の問題について、ドイツがEUの東部加盟国に反対を放棄したり控えたりしてもらうのを可能にするだろう。ただ同時にロシアが、既にそれを企ててきたことだが、核兵器を最新のものに更新する理由を与えることにもなるだろう。またウクライナのような国がロシアに対し一段と挑戦的な姿勢をとるのを促すことにもなりかねない。

 フランスは、その防衛予算はすでに何とかこの不可思議な意味を持つGDP2%ラインに達しているが、ドイツが軍事支出倍増によってその経済パフォーマンスを弱めるのではないかと期待しているかもしれない(もっとも、兵器の輸出と生産という点では、フランス・ドイツの協力関係にとって好ましいものにも見える)。さらになお重要な点は、ドイツのヨーロッパ主義者の支持を得てマクロン氏が構想しているようなヨーロッパ軍では、ドイツの通常兵器戦闘能力の著しい増強が、フランス陸上部隊が弱体である点を補うことになり得るだろうということだ。こうした事情は、フランスでは並外れた軍事予算が核戦力のために費やされていることで説明がつく。この戦力は、同国のウランやレア・アース入手ルートを断ち切ろうとする西アフリカのイスラム戦闘集団に対してほとんど使いようがないのだ。

 すでに明らかなように、ヨーロッパ帝国——ドイツ帝国であるにしろフランス・ドイツ帝国であるにしろ——は単なる自由主義ではなく、新自由主義に基づいている。帝国というものは一定の社会秩序をそのメンバー国に課すが、それは帝国の中心で通用しているものに倣ったものだ。EUのケースでは、国民経済は域内市場に関する「4つの自由」(商品、資本、サービス、労働力)と、それに、ユーロというドイツ的な単一通貨で成り立っており、ユーロはマーストリヒト条約によってすべての加盟国の単一通貨としての使命を与えられている。この点に関してEUは、新自由主義的な国際主義の考え方に厳格なまでに忠実であり、これはフリードリヒ・ハイエクが構想し歴史的に現代化させたとおりのものである。その根幹となる思想は、[各参加主体の]「権利の平等性」という点にある。形式上はなお主権を持つ各国民国家のための同一の法体系であり、国際的な市場が円滑に機能するにはこれが不可欠だという前提から出発して具体化されたものだ(2)

Giorgia Siriaco.— De la série « Community », 2014
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 新自由主義のアキレス腱は、ハイエクはもちろんカール・ポランニーも示しているように、「民主主義」である。「権利の平等性」とそれに則った通貨制度では、民衆に基礎を置き多数決で意思が決まる民主主義が政治的な経済領域に介入することは厳しく制限される。自国が新自由主義の帝国の一部となっている各国政府は、自国民を世界市場全体の圧力にさらすに際し、選挙による制裁を恐れてはならない。国民の幸福のためということはもちろん——たとえ国民がそのように受け取らないとしても——、いずれにせよ間違いなく資本の蓄積という利益のためになるからだ。したがって帝国は、各国政府が普通選挙の影響の及ばない位置に立てるよう、そのための国内あるいは国際的な組織を整備してやる必要がある。言い方を変えると、新自由主義に基づく国家は、自らが市場との関係では無力であると示したいのである以上、市場の自由な動きを政治的に修正することを要求する社会勢力との関係では、厳しい姿勢をとらなければならない。この状況を適切に特色づけるのが「権威的自由主義」と表現される政治上の主張であり、その起源はワイマール共和国に、あるいは新自由主義の経済学者と第3帝国の「桂冠法学者」(Kronjurist)カール・シュミットとの友好的な出会いにさかのぼる(3)

 権威的自由主義は、自由市場経済を政治的な民主主義の危険から守るため「強い国家」形態をとる(4)。EUにおいては、それは何よりも国際化の結果である。つまり、規範制定権のある上級国際機関に各国政府が自国の経済を任せてしまうことができるような制度的な仕組み、たとえば閣僚会議だとか、超国家的な裁判所、中央銀行とかいったものを構築するのだ。各国政府はこうして、もはやそれを引き受けたいと思わないし、その能力も持たない国家主権に属する責任から逃れることができる。

 国際化は、正統派政治学が「マルチレベル外交」(5)と名付ける方法を、各国政府に提供する。これは国際的な権限受任関係を利用した交渉過程を意味するもので、各国の行政官は、自分たちの政策の淵源が多国間にまたがる事項なので変更はできない、といったかたちで内政に持ち込むことができる。そしてこの点がまさに、(新)自由主義の帝国が各国の幹部を引きつける魅力のひとつになっている。彼らは、金融化した資本主義が逼塞(ひっそく)し自らの正当性の根拠とする数々の期待に応えられなくなっているまさにその時、この種の道具に頼ることができる。法律家のピーター・ラムゼイは、イギリス指導者層出身者が率いるBrexit反対派の闘争の激しさについて、「これらの幹部は自分の権限を強化するために、その国の内部に目を向けるのではなく国の枠組みを超え政府間をまたぐ協定事項に訴えていたのだ」と解説した。「自らの国としての性格を否定し、また国家の権威が国民という政治的な共同体から生まれるという事実もまた否定した、そんな各国家で構成された自発的な帝国がEUなのだ」(6)

 自由主義の帝国で主導的な権力を持つ地位を保つことは容易ではない。フランスが共にいようといまいと、ドイツがもはやいつまでもこの役割を演じ続けられないだろうことは徐々にはっきりしてきている。領土的に拡大することは、ソ連とアメリカの例が同時に示してくれているように、どの帝国にとっても死へと導く誘惑だった。一方防衛という点では、ドイツの国民的な意見は根っから平和主義であり、軍隊の派遣に関するどんな瑣末なことでも統制するため議会が行使する憲法上の特権が放棄されることは全くなさそうだ。ラインの向こう側のドイツの政界にとって理想の婿であるマクロン氏のためであっても、そのことに変わりはないだろう。

 また、ドイツの「強い通貨」政策の犠牲となった地中海諸国向けに、補足的に帝国の資金調達増加の必要が予想されるし、中央ヨーロッパ諸国、およびその親ヨーロッパ的な指導者を支える構造的な資金についても同様である。フランスが成長力の弱さと増大する財政赤字に苦しんでいるだけに、ドイツだけがその役目を担えるとみられるが、必要な資金移転の額は同国の能力をはるかに越えている。

 2015年の難民受け入れ問題以来、「ドイツのための選択肢」(AfD)が最も重要な野党となっていることにも留意しなければならない。この政党は国粋主義者であるが、それは特にその孤立主義的で反帝国主義的な姿勢に基づいてそう言われる。ドイツの自由主義的な帝国主義者は、興味深いことに彼らを「反ヨーロッパ主義者」に分類している。彼らがおぞましくも人種差別や歴史的修正主義に接近していることを一旦別にすると、AfDの国粋主義は、帝国のために支出するのを拒むことに示されるのであり、他国はもちろんそれぞれ勝手に振る舞うことになる。また、この党はロシアと対立するよりも宥和を求める立場をとっており、これは「左翼党」(Die Linke)の左派と同じである。「アメリカ第一」を唱えるトランプ支持者の考えとも無視できない類似性があるが、もともと彼らのこの考えは帝国主義であるというよりも孤立主義的であり、ヒラリー・クリントン氏やバラク・オバマ氏が奉じる自由主義に基づく帝国主義と対立するものなのだ。

*この論文の原典は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのブログ上に次のタイトルで公表された。The European Union is a liberal empire, and it is about to fall[欧州連合は自由主義の帝国である、そして今崩壊しつつある], 6 mars 2019


  • (1) Sur la question de l’hégémonie, cf. Perry Anderson, The H-Word : The Peripeteia of Hegemony, Verso, Londres et New York, 2017. 

  • (2) Cf. Quinn Slobodian, Globalists : The End of Empire and the Birth of Neoliberalism, Harvard University Press, Cambridge (Massachusetts), 2018.

  • (3) Cf. « Heller, Schmitt and the Euro », European Law Journal, vol. 21, no 3, Hoboken (New Jersey), mai 2015. 

  • (4) Andrew Gamble,The Free Economy and the Strong State : The Politics of Thatcherism, Palgrave Macmillan, Londres, 1988.(邦訳、『自由経済と強い国家――サッチャリズムの政治学』小笠原欣幸訳、みすず書房、1990年)

  • (5) Robert D. Putnam, « Diplomacy and domestic politics : The logic of two-level games », International Organization, vol. 42, n° 3, Cambridge, été 1988.

  • (6) Cf. Peter Ramsay, « The EU is a default empire of nations in denial », blog de la London School of Economics, 14 mars 2019.


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年5月号より)