空缶回収に込められた業界の論理

さあ、リサイクルしましょう!行動するのはあなたです


グレゴワール・シャマユー(Grégoire Chamayou)

著書La Société ingouvernable, Une généalogie du libéralisme autoritaire,
La Fabrique, Paris, 2018(当記事はこの著作に着想を得ている)


訳:村上好古


 ゴミの分別収集はアメリカで、実は、空瓶の回収コスト負担を避けたい飲料品業界が推進してきた面がある。これは業界の社会的責任を消費者に転嫁するものであり、消費者は環境に対する大きな道徳的責任を負わされている。その論理はどのように組立てられているのだろうか。[日本語版編集部]

(仏語版2019年2月号より)

photo credit: Classic Film
Iconic 1970 PSA Ad, "Keep America Beautiful"


 1台の車の窓から手が伸びゴミ袋を投げ出すと、それは路肩で破裂した。モカシン靴をはいた厳めしい風貌の男の足もとにゴミが散らばった。羽根飾りをつけたインディアンだ。大写しになる。男は撮影カメラに向かって、こちらを見つめている。泣いている。くぼんだ頬を伝って流れる涙をカメラはズームアップする。そこでナレーション、「環境汚染、それは一人一人から始まります。これを止められるのは、その一人一人なのです」。テロップで「アメリカをいつまでも美しく」(Keep America Beautiful)と流れる。

 インディアンは自然を表している。私たちは文明だ。彼は、私たちの良心の呵責を表している。このみすぼらしい男はしゃべれない。が、開いた眼は閉ざした口の代わりをしている。植民地化される前のこの穢れ(けがれ)ないアメリカ、それが汚され、荒らされ、殺戮を受け、私たちはそれを傷つけ続けている。そしてそれは無言で、そのことで私たちをとがめている。するとスローガンが現れる。環境汚染の原因、それはあなただ。だから、それを治すのも当然あなただ。すべてはあなた次第だ。あなたの罪、あなたはそれを晴らすことができる。あなたが行いを改めさえすればよいのだ。

 この広告は1971年に広まったものだが、こうした教訓的メッセージの著作者の背後にいるのは誰なのか。信じられないかもしれないが、1953年に設立された「アメリカをいつまでも美しく」という組織は、環境保護のために設立されたNGOではなく、コカ・コーラやアメリカン・キャン・カンパニー(American Can Company、アメリカの製缶会社)などの飲料、包装業界の配下にある企業連合なのだ。

 アメリカではずっと以前から、飲料の販売に関しデポジット制度があった。つまり、顧客は何セントか余分に支払い、空瓶を持ってきたときにそれを返してもらう、という制度だ。容器を再利用するこのシステムは、材料のリサイクルとは異なり、ガラスを溶かし直すことなくそのまま詰め替えをするだけなので、効率がよく、永続性があり、またゴミを減らせるものであった(1)

 事情が変わり始めたのは1930年代になってからだ。禁酒法の時代が終わり営業が再開されると、ビール業界は金属製の缶を考え出した。飲捨てできる容器への移行は魅力的な展望を開いた。回収と洗浄・点検など再利用のためのコストが不要で、各地元で瓶詰などを行う中間業者を省き、生産に集中し、遠距離まで販路を広げることができる。

 飲捨て容器が普及すると当然ながらゴミは増える。けれども業界はその責任を取らなかった。1950年代の初め、炭酸飲料の製造業者は、ペプシを筆頭に次いでコカ・コーラと、ビール醸造業へそろって参入した。

 この変化は目を見張らせるものだった。1947年には、炭酸飲料の100%、ビールの85%が再利用可能な瓶で販売されていたが、1971年では、それぞれ50%、25%でしかなかった(2)。この頃から、空缶や飲捨て瓶が側溝や道路の分離帯、土手道、ピクニック場などを覆い尽くすようになった。人々はこれを何とかしなければと思った。請願書に署名を集め、対策を講ずるよう当局に求めた。1953年、ヴァーモント州議会はデポジット制度を義務化する最初の法律を採択した。企業にとっては深刻な警告であり、この法制化が「いつかは業界全体に影響するような前例(3)」になるのではないかと恐れた。「アメリカをいつまでも美しく」は同じ年、こうした運動を阻むために設立された。

 1936年夏、コンチネンタル・キャン・カンパニー(Continental Can Company)は、全く新しい缶入りビールを市場に投入するに当たり、新聞紙上で大々的なキャンペーンを行った。新製品の数々の長所を取り上げ、とにかく便利なこと、つまりちょっとひねるだけで開く、味と新鮮さが保たれる、それにとりわけ「直接飲めて、空瓶を持って行かなくてもよい」と自慢した。飲捨て缶入りビール販売の最大のセールスポイントは、まさに飲捨てできるという点にあった。デポジットが増えれば、それだけ持ち歩かなければならない無用の空瓶が増えるのだ。1枚の写真がある。ふたりの男がシャツ姿でボートに乗っており、それぞれのポーズは、午後の長い魚釣りの間で何度も繰り返されるだろう一連の情景のふたつの場面を描いたものになっている。一方は肘を突き出して飲む、もう一人は腕を振り上げて湖面に空缶を放り投げようとしている。飲んで、捨てよう!

道徳再教育に向けて

 30年経って、この種の広告はあり得ないものとなった。しかし、根底では何も変わっていなかった。飲捨て容器の長所、それはやはりいつになってもこれを捨てられるということだ。ただ、そのことを最早あまり大っぴらには言いにくかった。最初のメッセージを2番目のもので修正する時が来ていた。

 1971年のCM、例のインディアンが泣くというものだが、ここでは腕を振り上げて放り投げようとする同じ動作が見られるものの、その後に続く画像が違っている。涙する先住民の姿は、過去のものと比べ、別の意味を与えられている。今や封殺されたかつての内容は、「私を買って。とても便利よ。少し酔って気分がよくなったら、湖面に投げ捨てていいのよ」と語っていた。これが姿を消し、公式にこんな風に置き換えられた。「私は投げ捨て可能よ。でも、待って。もし、捨ててはいけない場所に私を捨てたら(もう実は捨てちゃったわね)、きっと悪いことをしたと思うわ。私たちが奨めていたことは、もうこれをきっぱりやめるように、また、そんなことをすると罪になるって、きつく言っておくわ」。こうして問題は行動の違いにあるとされ、そこから当然のように解決策が導き出された。道徳の再教育に力を注ぐことで解決が図れるだろうというのだ。汚染問題に終止符を打つには、皆が個々人で環境に対して良識ある行動をとるようになれば足りるのではないか。

 しかしながらエコロジスト運動の方はどうかというと、この業界がもっぱら自己の利益のために、それまで慣れ親しんできた容器の再利用システムを意図的に廃し、飲捨て容器を選択したとしてその責任を問うた。1970年代の初め、メーカーをデポジットシステムに戻らせる運動が広がった。1971年にオレゴン州で、次いで翌年ヴァーモント州で、この趣旨に沿った瓶容器に関する法律が採択された。業界は激しく怒り、言葉の使い方の度を過ごすほどだった。アメリカン・キャン・カンパニーの役員であり、同時に「アメリカをいつまでも美しく」の会長でもあったウィリアム・F・メイはこう言って激怒した。「我々は、メーン州、マサチューセッツ州、ミシガン州、それにコロラド州で今年予定されている瓶容器に関する住民投票に、あらゆる手段で対抗しなければならない。これらの地域では、共産主義者、あるいは共産主義の考えを持った人間が、各州がオレゴン州と同じ道を選択するよう策動している」(4)

 規制をかけるという脅しに直面し、ガラス製容器製造業協会(Glass Container Manufacturers Institute<CGMI>)は1970年、数百万ドルの予算を投じた大PRキャンペーンを行った。 第1回アースデイの2日前、この協会はロサンジェルスでリサイクルに関する実験プログラムを提案した。提携を結んだ組織、学校、教会などを通じて、空瓶や広口瓶を持ってくるよう住民に呼びかけ、住民は集めたガラス500グラムにつき1ペンスを、このために設営された各地のセンターで受け取る仕組みだった。それから1か月もしないうちに、1週間につき250,000本がこの都市で集まった。この成功に力づけられCGMIは翌年、「ごみ投棄に反対する週」に全国規模のリサイクル計画を準備した。

 リサイクルはこうして、デポジット制度義務化と飲捨て容器禁止に向けた計画に対する代替案として、業界主導で推進された。業界ロビーに率いられた反撃が勝利に終わると、リサイクルは「発生源からの削減を義務付ける計画の補完策ではなく、唯一の解決策(5)」となった。業界が推進する最初のゴミ分別活動の実行期間中、家庭ごみの量は爆発的に増加した。

 そこで、再利用にかかるコストを回避するためデポジットシステムを解体し、構造的に反環境保護的となる決定をしたのとまさに同時に、業界は、消費者に環境問題に対する責任を負わせるという方策に訴えて出た。これは、自分を除くすべての人に当てはまる規範を主張するという、典型的な道徳上の二枚舌である。自分自身の責任をうまく回避するために、他人に責任を負わせるというのだ。

 業界は大量の広告キャンペーンを行って、ゴミ問題を「個人の責任の問題であり、生産プロセスとは関係ない(6)」とすることに成功した。つまりゴミを発生源から減らすということとは関係ないというのだ。私たち個人にしてみれば、すべてが私たちのか弱い双肩にかかっていると想像すると、おそらく自尊心がくすぐられる。けれども、私たちが台所で容器を分別する傍らでは、直ちには目に見えないものの、自治体をはじめとする他の関係者が、家庭ゴミの急増に対応するため、借金をしてインフラ整備に投資しなければならなかった。つまり、「飲料業界によって生み出された包装資材のリサイクルシステムの費用を(自発的にも、同時に税金を通じても)負担し、企業が追加的なコストを負担することなく活動を拡大するのを許容している(7)」のは、結局、市民なのだ。

 1970年代、業界は、戦闘的な環境運動の論理を逆手にとり、小さくても責任ある行動をとって「闘いに参加し」、「闘い続けよう」と呼びかけた。涙を流すインディアンの広告キャンペーンには、「環境汚染を撲滅する71のこと」を紹介したパンフレットがセットになっていた。業界と対立することなく、業界の利益と両立し得る非敵対的な方向に向かうよう誘導しながら、すでに明らかになっていた何か行動したいという[消費者の]欲求を満足させるというかたちで、素直に参加してもらえる運動の推進に努めたのだ。

 この戦術が持つ心理的な力、それは耳にして何かしらとても気持ちよいということにある。すべては私たち次第であり私たちには「一段すぐれたことをする」能力があるということは、よく考えると本当のことでもある。この戦術は、具体的な日常生活の場などで、今この場でものごとを変えようという強い意欲を一定の方向に導こうとする。ただし、こうした意欲を非敵対的なものにしてしまうという罠が仕掛けられている。業界のリサイクル推進運動はこの種の戦略、つまり、非政治的な用事にかかずらわせておくことで、潜在的な反対を封じ込むというものだった。

政治活動に代わるもの

 無駄に終わることが多いと言われる政治活動に代わるものとして、この一風変わった「道徳上の新自由主義」では、個々人の小さな活動の積み上げが提起された。しかしながら、すぐに実態は異なるものとなった。環境に関する規制導入計画を葬り去るために、業界は積極的に政治活動を行ったのだ。彼らは単なる寄せ集めとして行動するどころか、協調行動をとることができるコングロマリット集団に結集した。

 1960年代、生まれたばかりの環境運動では、フェミニズム運動と同じく「個人的なことがらが政治的なこと」でもあった。日常生活の細部に至るまで支配・服従の関係を排除しなければならなかった。自分の個人的な習慣を変えようと努めることと制度を変えるために闘うこと、自分で堆肥づくりをすることと政治活動を行うこと、これらは互いに別のものではなかった。個人に責任を負わせるという業界の論法は、このふたつの側面を切り離し、対立させた。すなわち、個人に自分の行動をちょっと変えさせて、政治活動に代わる解決策にしたのだ。社会全体の変革と個人の変革との間には対立関係があると偽った認識を広げ、制度改革が必要であるのに、今やこれがとてつもないことだとか不毛だとか言って、個人が行動を変えることによる自己完結的な問題に置き換えた。これで集団行動も衝突を起こすこともなく、少しずつ事柄を変えることができると考えたのだ。

 この歴史にはある種のパラドクスが含まれている。デポジットシステムは、目に見える金銭的な利益に動かされていた。消費者は、50セントを取り戻すという経済的に分りやすい動機から空瓶を持ってきた。利益を動機として統制が行われる仕組みであり、古典派経済学的な人間観と大いに一致する。ところが、業界は別のものによってこのシステムを置き換えることを望んだ。それは逆に無私無欲を行動原理の基本に置くものだった。今や純粋に全体の利益への配慮から各人はゴミを分別するものとみなされ、そこには明確な利己的動機は介在しない。こうして、経済的人間(ホモ・エコノミクス)と政治的人間(ホモ・ポリティクス)の間に3番目の類型が登場する。道徳的人間(ホモ・エティクス)であり、個々人が持つ小さな徳性で構造的な巨悪に応戦するべく、それぞれの立場で「責任」を負った主体だ。

 ただし、この新たな道徳による統制は、同じ主体にとってやはり不可欠なもうひとつの統制、すなわち経済的な統制に取って代わるものではない。前者は後者を排除したりせず、いっしょに併存するのだ。道徳的な主体と呼ばれる同じ個人が、その通りであると同時に、なお一層強く、常に経済的主体とも呼ばれるのである。各人は、相反する命令が提起する相克をうまくコントロールしなければならない。経済合理的であると同時に、環境保護面からみて責任ある行動をとらなければならないのだ。

 責任を負わせるということは、個人の内面の対立関係をそのまま言い換えたのと同じだとみることもできる。つまり、「板挟みによる統制」と結び付けられた「不幸な良心」の新たな姿なのだ。



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年2月号より)