禁止された反対運動と目覚めた若者たち 

カンボジアの首相が見る夢


クリスティーヌ・ショモー(Christine Chaumeau)

ジャーナリスト


訳:嶋谷園加


 中国や日本などからの投資を受け、経済成長が目覚しいカンボジアでは、7月に国民議会選挙が行われた。33年間首相の座を守ってきたフン・セン氏は、反対勢力を強引に押さえつけ、再びその地位に納まった。戦争やクメール・ルージュを知らない若い世代の中に、純粋な民主主義思想の萌芽が見え始めた矢先のことである。長らく権力の座にあり続けながらも首相の不安は日々つのり、言論統制や同族支配を加速させている。この国は再び動乱の時代を迎えねばならないのだろうか。[日本語版編集部]

(仏語版2018年7月号より)

「星に願う」坂本一樹
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 プノンペンに夜のとばりが下り、この時節ならではの快い涼しさがやってくる。散策する人たち、スポーツをする人たちが王宮から目と鼻の先にあるワット・ボトムパークへなだれ込んでくる。競歩をしたり、ズンバや体操のレッスンへ行くために、友人たちとここで落ち合う。ときおり、数百名の人々が複雑なコレオグラフ[ダンスの振り付けの一種]の練習をするために集まることもある。広場の片隅でボファ(1)は何週間か前から、男友達とその兄弟とともにカクテルを売っている。彼らは、午後5時から6時の間に設営し、午前0時には消えてしまう束の間のバーを開いている。これはちょっとした成功だった。客の年齢の平均は25歳を上回ることはない。「競争は厳しいです。私たちがここに来てから、他の場所に同じような店が2つ出来ました」とこの若い女性は言う。彼女はトンレサップ(大きな湖の意)の向こう側にある織物工場の秘書としての給料を補ういくらかの収入をこの活動で得ている。

 町は鼓動し、震え、せわしなく動いている。クメール・ルージュ(1975年-1979年)による住民の農村への強制移住ゆえに町が空になった際に受けた傷痕は薄らいでいる。プノンペンは活動的な首都の顔を見せる。外出したり、飲酒したり、リラックスする新しい場所が止むことなく開かれている。それらは、懐具合に合わせてピンからキリまである。街の酒場がより慎ましい客を迎える一方、もっとも裕福な人々はホテルの上層階にあるバーを選ぶ。

 ボファにとって、この喧噪は若い世代の持つ深い不安を隠してくれる。国民の60%近くを占める30歳以下に属する彼女は自分が恵まれていることを知っている。戦争もクメール・ルージュも知らない彼女は、プノンペンで成長した。10年前からこの町が年間平均7%の経済成長と歩調を合わせて変わっていくのを見ていた。それにもかかわらず、彼女にとってこの国の状況は不安定に見える。そして7月29日に予定されている国民議会選挙の予想におびえている。「私は敢えて政治の話はしません、投票に行くかどうかもわかりません。また、誰に投票するのかも」

社会は進化したが体制は硬直化している

 主要な野党、カンボジア救国党(PSNC)の不在はこの選挙にとって大きな欠落となった。この政党が、昨年の11月に最高裁の決定により解党させられたのは、裁判官らがこの党を「国家を転覆させるための反乱」を助長したとして有罪の判決を下したことによる。2017年9月13日深夜に逮捕された党首ケム・ソカーは刑務所で裁判を待っている。118名の党員は、5年間すべての政治活動を禁じられ、55名の国会議員の半数は海外へ逃れた。以前の党首サム・ランシーは完全にでっち上げられた罪状に基づいて訴追される恐れから2015年より亡命生活を送っている。カンボジア救国党は、1979年のクメール・ルージュの終焉以降この国の政治を支配しているフン・セン首相の率いるカンボジア人民党(PPCまたはクメール語でKPK)と張り合うことの出来る唯一の党だった(2)

 この解党は2013年の国民議会選挙の有権者(660万人のうち)300万人、それに近い数の票を一掃した。野党はこの選挙で44.5%の票を、2017年6月に行われた統一地方選挙では43.8%(3)の票を獲得していたのだ。このかつてない記録は、カンボジア救国党、サム・ランシー党と、ケム・ソカー率いる人権党の団結と、同時に新しい世代の有権者たちの登場という結果だった。「カンボジア救国党の投票の躍進を考えれば、カンボジア人民党は7月に地位を失っていたかもしれないのです」とある政治コメンテーターは言う。脅威はその後取り除かれた。政府にとってカンボジア救国党の解党は、「平和と安定(4)」と同義語だ。

 自分自身が次期首相候補者となるフン・セン首相にとっては、時代と、市民との間に徐々に深まる溝との戦いである。1990年から2000年生まれのベビーブーマーたちは平和とともに成長した。若いうちから、多くの人たちは数ある非政府組織や国内で創設された私立の学校で英語を学んだ。フェイスブックの活用によって、監視下にある既存のメディアの外で情報を得ることが出来る。5月2日に政府が通信省において内部と外部の接続を集中化させるとの告知をしたことで、今日まで相当自由だったSNSが脅かされている。この世代はSNSのおかげで、自由と民主主義思想の中に浸っていたのだ。「社会は進化しました。ですが体制は硬化しています」とこの若いコメンテーターは指摘する。

 すべてのカンボジアの戦争を生き残って、フン・セン氏は33年に亘ってその地位を占め、「少なくともあと10年(5)」は続けるという夢を見ている。彼は、もし選挙で彼の党を支持しなければ、再び内戦に戻ると国民を脅している。看板やポスターが1979年の1月7日の解放の記憶——ベトナム軍を前にしたクメール・ルージュの敗退——についてあちこちで言い立てている。ベトナムは当時、クメール・ルージュのかつての幹部が大多数を占める政府を設置したが、粛清を恐れて1977年にポル・ポト派を離れていたフン・セン氏もそのひとりだった。

 フン・セン首相は、1998年にクメール・ルージュ最後のゲリラと戦って人々を平和と安定に導いた救世主、という光栄に浴したいのだ(クメール・ルージュは、1993年5月の国連監視団による選挙の直前に、1991年10月23日にパリで調印された和平合意を破棄していた)。この論法はうんざりするほど使われ、彼と彼の党の正当性の基礎と見なされていた。実のところ、「1990年代以前に生まれた世代のおかげで、人民党とフン・センは正当性を享受してきたのだ。彼らは戦争の歴史を共有していた。しかしそれはもっとも若い世代には当てはまらない。この若い人々にとって民主主義は抽象的なものにとどまっているにせよ、政府は市民に奉仕すべきだという意識はあるのだ」と、カンボジア人の若い世代と政治についての調査(6)をネトラ・エングと共に行ったキャロライン・ヒューズは説明している。

 それはまさにフン・セン氏とその政府に向けられた非難であり、国民の困難を考慮していない、というものである。確かに極貧状況は明らかに減ったが(2007年の国民の貧困率47.8%に対し、2014年は13.5%(7))、格差は著しく広がり、地方の住民と若者を襲い(8)彼らの将来は出口がないように思われ、それが強い不満を引き起こしている。そして、初等教育の通学率は著しく向上したものの、30歳以下の若者の46.8%しか中等教育を終了しておらず、他の人たちは、主に貧困ゆえに高校へ進学するのをあきらめざるを得なかった(9)。そして耕作地が不足していることで、もっとも若い人たちは仕事を探して住む村を離れなければならない。計画省によると、地方の22%の家庭の成員のうちのひとりが、すなわち30歳以下の約250万人が1年の中で3カ月以上に亘り出稼ぎに行く(10)。都会もしくは外国へ出発するのだ。少なくとも100万人は、国境の外で暮らしている。主な行先はタイ、マレーシア、韓国だ。「これらの若者たちは、搾取され経済発展や成長から取り残されたと感じている。もっとも学歴の高い者たちですら、堕落した腐敗や縁故採用がはびこる公的部門で仕事を見つけるのに苦労している」とキャロライン・ヒューズは指摘している。

 「誕生してすぐ、助産婦がへその緒を切る頃」から人々は腐敗の影響をこうむる、というのはボファの表現で、会話の中でひっきりなしに繰り返される。トランスペアレンシー・インターナショナルによると、カンボジアの腐敗認識指数は180カ国中161番目に位置する。多くの非政府組織は、森林伐採や土地の買い占め、そして……経済や軍事、家族的な利益を混同するフン・セン氏を取り巻く一族が処罰を逃れて守られていることを告発している。非政府組織グローバルウィットネス(11)により2016年7月に発表された報告によると、フン・セン首相の側近、とりわけ娘たち、甥たち、兄弟と姉妹が5億ドル(4億3000万ユーロ)から10億ドルの財産を保有していると見積もられている。すなわち、少なくともカンボジア人ひとりの年間平均収入(1070ドル)の46万7000年分に相当するのだ!

「再教育」の審問のための出頭

 この動乱の時期に、取材相手は我々に政治的な内容を話すことに関し秘密を守るように依頼してくる。ある女性は、人民党の看板の上に靴を投げつけるところを映した写真をフェイスブックの自分のページに載せたために投獄された。自由アジア放送の2人のジャーナリストはスパイ行為の疑いで昨年の11月から裁判を待っている。彼らは、外国へ情報を流したとして起訴されている。30局以上あったラジオ局の中で、米国が資金支援をしていた自由アジア放送とボイス・オブ・アメリカは、野党の中継所と見なされ禁止された。紙版のカンボジア・デイリーは廃刊し、プノンペン・ポストは、かつてカンボジア政府のために仕事をしたことのある、広報関係の代理店を持っていたマレ―シア人の投資家に買い取られた。これらの2つの英語系新聞は王国の社会的、政治的動向について譲歩することなくつぶさに報道していた。カンボジア人権センターのチャック・ソプアップ氏はケム・ソカー氏の裁判で証言するために、5月にプノンペン法廷へ出頭させられた。もっとも、ケム・ソカー氏の逮捕や、昨年11月の救国党の解党の時も、注目に値するようないかなる団結も見られなかった。

 2013年の7月から12月の間に、救国党は国民議会選挙の不正を指摘した後に、再選挙を要求していたが、あの時の高揚感はまだ存在するのだろうか? 約1万人のデモ参加者やストライキ参加者、とりわけ権力にあれほど恐れられた繊維産業の人々はどうなったのか(12)? 一時期、救国党の顧問をしていたとある若い大学教員は、活動家たちが抱いているあきらめの感情からくる世論の無気力さについて説明する。「リーダーなしでどうやって組織できるのでしょう? 主要な指導者たちは逮捕を恐れて国を離れるか、黙り込むかどちらかなのです」。2013年の団結の際の救国党の主要なデモ参加者や活動家は、労働者または地方から来た農民だった。支援体制もなく移動することは難しい。高等法院が救国党の解党を決定した時、警察が首都の周辺の街道に非常線を設置したことや雇用者らの忠告が、もっとも活動的な人たちの情熱をも抑え込んでしまった。例えば、この若いコンポンスプー州の小学校教師は、地域の指導者に「再教育」の審問のために出頭させられた。「彼は、私がフェイスブックのページに社会的問題を連想させるような内容のものを掲載したと非難しました。私に警戒するように促し、“反対側”へはみ出さないよう忠告しました」。11月以降、とりわけ公務員や僧侶が監視されている。数カ月で精神的負担を背負わされてしまったのだ。彼らが救国党の解党を理由として選挙のボイコットを呼びかけることは、司法の追跡を受けるリスクがあると、早々に内務省から警告された。8万人の兵士と軍人が投票の「安全を保証」するために動員されている。

民主主義の英雄の暗殺

 「私たちの世代は大きな自由の空間の中を生きています。……その自由は、政治のタブーを前にして阻まれますが」と短編映画祭のプロデューサー兼オーガナイザーのスム・シッテン氏は、あきらめ顔で認めている。このように現実にぶつかり痛い目に遭った若いカンボジア人たちは、彼らのエネルギーと才能を別のところで発揮している。それは、ほんのこの10年で大変な活気を見せているデジタル分野のスタートアップ企業の創設、または芸術においてだ。メッセージを伝達する流儀はと言えば、チョ・テアンリーによるシリーズ『サヴァイビング』で描かれた人物像では、すべての人々が同じようにつま先立ちで体を前に傾け不安定な姿勢を保ち、不安感を強調している。彼らは頭を上げ、沈んでしまわないように注意を払っていなくてはならない。「これは私たちが溺れてしまう限界点にいるという表象なのです。私たちは何とか生き延びています。すべてが不安定なのです」と、この画家は既に2015年にこう説明していた。

 その不安定さを、2016年7月のケム・レイの暗殺の際に強く感じることとなった。この45歳のカリスマ的政治評論家は、フン・セン一族の財産について暴露したグローバルウィットネスの報告書において彼のコラムが掲載された直後に、街の真っただ中で殺害された。そして100万人以上の人々が、民主主義の英雄とされているこの人物を称えるために葬儀に参列した。「彼は紛争から政治を抜け出させる可能性を秘めていました。また新しい考え方を提供していました」と彼の友人で、草の根民主党(GDP)の幹部、ヤン・セン・コマ氏は説明する。ケム・レイ氏はこの団体の設立者の一人でもある。

 厳しい批判に直面した政府は、腐敗対策部門の創設を要とした改革に着手した。そして、高校の最終学年の卒業試験において賄賂を使って不正が行われていることを止めさせるために、新しい教育相が任命された。1月には公務員の給与を6.8%上げ、そして4月には月額210.60ユーロに到達するように、10.7%上げた。繊維産業で働く70万人以上の労働者の最低賃金はかつての129ユーロから145ユーロに定められ、関連の業界で働く女性労働者たちは産休手当を獲得した。首相は熱心に、伝統的に野党に忠実な有権者たちに対しアプローチする。彼は封筒にいくらかの紙幣を入れ配りながら、演説と出会いの場を増やしている。フェイスブックでは自ら進んで芝居気たっぷりに振る舞い(国民1600万人のうち)1000万人のファンを集めた。「フェイスブックは、私を国民に近づけてくれた上に、人々の直接的な要望に耳を傾けられるようにしてくれた」と、2016年3月6日に書いている。「私はこのようにして素早く効果的に問題を解決できるのです」。プノンペン・ポストによると、実際には、彼のページが獲得した「いいね!」のうちカンボジア由来のものは5分の1しかなかった。他はフィリピンやミャンマー、ブラジルで登録されたアカウントから来たものである(13)

フン・セン氏の子供たちの出世

 若い世代への歩み寄りの印として、フン・セン氏と人民党は彼らの子供たちの昇進を増やしている。首相の長男、フン・マネット将軍はかくしてカンボジア王国軍参謀長に昇格した。首相の末っ子のフン・マニ氏36歳は、議員であり、カンボジア青年連盟(UFJC)を指揮している。「これは若い世代をゲームと余暇で気晴らしさせるのに役立っています。政治の問題からうまく逃げて、本質的な問題には答えない、という策略です」と匿名希望のコラムニストは苛立つ。毎年、カンボジア青年同盟は、クメールの正月(4月半ば)時のアンコールソンクラーン(Angkor Sangkran)を開催している。多くの会員たちが、ゲームや伝統舞踊に参加している——文化やクメール人の誇りをただ称えるために。

 「クロマー」という、この農村の人々の典型的な四角いスカーフの着用がそこでは課せられている。「世間の人々は、若い世代がアンコールの伝統的な衣装を身に着けているのを見たがるのです」と2013年からこの祭りの運営者のひとりであるティス・チャンダラ氏は詳しく語る。彼はこの活動が安定性のために役立つと理解している。「私たちは弱々しく分裂したカンボジアを望んでいません。ことわざにあるように、“一本の箸だけでは折れてしまうかもしれないが、一束の箸ならば折ることが出来ない”」。このバッタンバンの貧しい家庭出身の若者にとっては、チャンスを逃すなど論外だ。彼は定期的にフン・マニ氏に接触している。「私は、彼がフン・セン氏の息子だということをほとんど忘れています。彼は本当に私たちと近いのです。私は彼を兄のように思っています」。では、政治は? 救国党の解党についてのコメントはない。「私にとってはキャリアが大切なのです」と彼は言う。「私の両親は、私が自分の身を守るよういつも促してくれました。彼らは私に言ったものです。“何よりもおまえ自身が我が身を立てることなしに変化を望んではいけない”と」

 ルンド大学(スウェーデン)の東南アジア専門の准教授、アストリッド・ノリアン=ニルソンは、「このクメールの誇りを喧伝するやり方は若者の注意を逸らします。政府を批判すれば国を攻撃するものと見なすというシステムの構築に向かっています」と言う。彼女によれば、2012年にノロドム・シハヌークが亡くなってから、首相が王位を正当に継承するために企てている術策にある派閥が関与しているということだ(14)。ニルソンは多くの例を引用し、庶民から王になったスダチ・コンの人物像と自分を重ねるような演説や映画や、またあるいは救国党解党の2週間後に催した豪奢な平和式典について言及している。「現政権の独裁的な偏向に対し神的な正当性を与え、王位の継承といった概念を導入することが狙いなのです」と大学教員は続ける。

 そのうえ、この前の2月に、タイには既に存在するモデルに倣って王への不敬罪を採択し、弾圧のための武器を補い完全なものにした。はやくも救国党の元活動家2人が捕らえられたが、それは首相の独裁主義の前で無関心なノロドム・シハモニ王を批判したからだった。「この法律は君主制と専制的現体制を結びつけ、その独立性を弱めています」とアストリッド・ノリアン=ニルソンは結論付け、フン・セン氏は子供たちを優先して引き継げるように権力を移行させるだろうと見ている。彼が次の選挙で勝つことが確実となれば、首相の王家を築く野望が実現されるのは言うまでもない。[訳注





(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年7月号より)