動物に市民権はあるか?

豚も牛も鼠も、法廷へ出頭せよ!


ローラン・リツェンブルジェ(Laurent Litzenburger)

ロレーヌ大学歴史研究センター(CRULH)客員研究員

訳:村松恭平


 現代では、人間が動物をペットとして飼う場合、彼らの行動に注意を払う必要がある。飼い犬が子どもにかみつけば、その責任は飼い主にあるとみなされるだろう。場合によっては、その飼い主は裁判所に出廷することにもなる。ところが、中世ヨーロッパにおいては、出廷しなければならなかったのは動物自身だった。[日本語版編集部]

(仏語版2018年7月号より)

Karen Knorr. — « The King’s Reception » (Château Chambord), de la série « Fables », 2003-2008
© Karen Knorr - Galerie Les Filles Du Calvaire, Paris

 1408年、フランス王国とその周縁地域において、とても風変わりな裁判が二件並行して行われた。ポン=ド=ラルシュ(ノルマンディー公国)とサン=ミエル(バル公領)で、子どもを殺したとして訴えられた豚数頭が絞首刑に処せられたのだ。その何年か前の1386年には[カン南方の町]ファレーズで、こちらも幼児を殺したとして訴追された一頭の豚が人間の姿に変装させられ、この地域の豚たちの前で裁かれ、そして処刑された(1)

 このような裁判は13世紀半ばから近代まで、西欧キリスト教世界全域で行われていたようだ。これまでに判明したケースの大半は16世紀に遡り、それ以後はこうした慣行は減少し、啓蒙思想を前にして消えてなくなった。妖術裁判が登場し、後退したタイミングとそれは重なっていた。もっとも、動物裁判の例は数が少なかったため、“遠い過去に存在し、残存していた裁きの風習の表出でしかない”と歴史家たちは長い間言い続けてきた(2)。先駆的な諸研究においては、中世から19世紀にかけて大陸全体で200件ちょっとの訴訟事件があったことを社会学者のエドワード・ペイソン・エヴァンズが突き止めた。フランス王国内に関しては、歴史家のミシェル・パストゥローが1266年から1586年の間で60件ほどの事件を数えた。さらに地域を狭めれば、ロレーヌ地方とバロワ地方では14世紀から18世紀の間に34件のケースがあったことが、古文書によりわかっている。それらの資料はおそらくは不完全であるため、研究者たちが思いがけない発見をするにしたがって、今後修正される可能性がある。しかも、それらのケースの大半は法廷と処刑にかかった費用や会計資料など、間接的な調査方法によってしか知られていない。つまり、今日私たちが持っているような好奇心を、当時はかき立てていなかったということだ……。

 さらに驚くことに、この動物裁判は人間の裁判のしきたりに従っていた。動物たちは意識を持つ存在であり、固有の意思に駆られ、みずからの行為に責任を持ち、判決を理解できるとみなされていたのだ。たとえば1457年、ブルゴーニュ公国のサヴィニでは、1頭の雌の豚と6頭の子豚が5歳の子どもの「故殺と謀殺」で告発された。弁護士たちは豚の所有主は弁護したものの、動物のほうは弁護しなかった。所有主は裁判費用としてかかった分の罰金が言い渡されただけだったが、雌の豚は有罪とみなされ、絞首刑に処せられた。子豚たちについては、彼らに責任を負わせられる証言が一つもなかったため死刑を免れた。

 裁判の予審の間は、人間と同様、動物もまた再犯防止のためにしばしば拘留された。そして時おり厳しく監視された。おそらくは、彼らが特に動き回り、“二足歩行の彼らの仲間”よりも理性を備えていないように見えたせいだろう。1408年のサン=ミエルでは、かくして何人かの弩(いしゆみ)の射手が幼児を殺した豚の見張りを2日間行い、「彼らの友人たちと一緒にお酒を飲むために」10スーを受け取っていた。ポン=ド=ラルシュではこうした拘留は24日間続いた。

 司法機関の役割は判決が下された時に終わり、公安権力がその判決を実行する責任を負っていた。人間の裁判と同様、判決は事件の文脈によってそれぞれ異なっていた。1416年のアンヌクール(ヴォージュ県)でのように、被害者が怪我をしても死ぬに至らなかった時には訴訟手続きが取り止めになることもあれば、(サヴィニの子豚たちのように)時には証拠不十分で被告が無罪を宣告されることもあった。反対に、犯人を特定できなかった場合には、動物の群れごと処刑されることもあった。殺人を犯した動物に対する判決は、人間に対するものと同じだった。すなわち、絞首刑だ。見ている者の記憶に焼きつけようと、彼らの死体は時おり絞首台の上にしばらくの間さらされた。ミシェル・パストゥローが強調するところの「“正当な裁き”の実行を演出していた」このような司法手続きは、見せしめになることを意図していた。

 法廷への出頭を命じられた動物の種類はある程度限られていた。幼児を殺した豚が圧倒的に多く、猫、牛と続く。当時の田舎や町では豚の数が他の動物よりも多かったことをこれらのデータは示している。田舎や町の至るところに野良豚の群れがいた。通りや広場、墓地で彼らは自由に歩き回り、しばしば“清掃人”の役割を果たした。町の当局は時おり気を揉んでいた。豚たちが給水場を汚染するのではないかと恐れていたからだ。1607年に遡るロレーヌ公の命令により、ナンシーの住民たちが町の中で豚を飼うことを禁じられたのはとりわけこの理由による。農作業中に家に一人で残された幼児に豚たちがもたらした脅威もまた無視できるものではなかった。中世末の農民たちの証言によれば、子どもが「犬や豚に対して、自分で自分の身を守ることができる年齢に達するまで」面倒をみなければと心を配る父親たちがいた。フランスやイギリス、そしてヨーロッパの他の地域において、裁判所は各家庭に対し、子どもや家畜にもっと注意を払うよう厳命し続けた。

 世俗の裁判所によって判決が下されたこうした裁判とは別に、さらに古く、そしてさらに長い期間続いた第2の動物裁判の形態が存在する。それは、教会に関連する事件を主に担当していた宗教裁判所が、作物に害を与える昆虫や齧歯(げっし)類に対して起こした訴訟だ。資料が残っている最初のケースは、1120年にラン[パリの北東]で野鼠と毛虫を相手にしていた。そして、この種の事件の痕跡は19世紀に至るまで見つけることができる。ロレーヌ地方で1692年から1733年の間(ロレーヌ公国が1766年にフランスに併合される前)に起こった4つのケースによって、この図式を詳しく説明することができよう。

 各農村コミュニティは彼らの手に負えない被害に直面した時、宗教裁判所による仲裁に訴えた。裁判所は使者を派遣し、告発された昆虫や齧歯類に対して「自ら」裁判所に出廷するよう命令させた。判事は公判の際、彼らのうちの一匹に対し、仲間とともに被害を受けた畑から立ち去るよう命令した。もしそれらの有害動物が命令に従えば、農村コミュニティは神に祈りを捧げて感謝することができたが、災いが続けば、そのコミュニティには罪があり、神が彼らを罰しようとした[と理解された]。裁判所はその際、世俗当局も宗教当局も参加する一般行列の実施を要請し、被害を与えた昆虫や齧歯類に対する破門宣告によってその一般行列は締め括られた。1719年にナンシーに隣接したトンブレンヌの広い牧草地の草を脅かしたバッタも、その9年後にユルモン村のブドウ畑の甲虫目も、破門を経験した。神が望んだ自然の均衡の崩壊がこれらの裁判を正当化した。

 野生動物の大多数は妖術裁判でしか登場していない。普通、家畜の群れや孤立した人間を襲ったり子どもを食べるために、サタンが狼やその群れにさえ姿を変えていた(あるいは、それらを操っていた)。悪魔とストリゲス[女や犬の姿をした吸血鬼]、すなわち男の魔術師と魔女は彼らの邪悪な主人と同様に変身することができるとみなされ、鼠や野兎、カラス、[その他の]鳥、犬(飼い犬とはもうみなされていなかった野良犬)にも姿を変えることができた。妖術裁判にも動物裁判にも登場していた唯一の動物は猫で、眠っている大人や揺り籠の中にいる赤ん坊に襲いかかるために、悪魔はしばしば猫に姿を変えていた。

 こうした裁判手続きを理解するために、多くの仮説が述べられた —— 民間に普及した迷信の名残、社会に重くのしかかる脅威を排除しようとする意志、処刑される動物の仲間たちに恐怖を植え付けたいという願望、鍋釜たたきや謝肉祭のように自然と社会の秩序を反転させようという試みなどだ。

 今のところ、このような裁判を起こす機会について規定する法文は一つも見つかっていない。[動物や昆虫による]こうした犯罪は、社会の基盤そのものを揺るがした。子供への暴力は神聖を傷つけるもので、有害動物の責任とされた農業災害はコミュニティの存続と安定を脅かしたからだ。哲学者のルネ・ジラールの考えに従えば、我々はここでスケープゴートの動機を読み取ることができる。すなわち、判事たちはそうした犯罪をより全体的な危機の表れとして見ることができたであろうに、彼らは個別のケースの中に社会を傷つけるあらゆるものの源と原因を探そうとしたというものだ(3)。歴史家のロベール・ミュシャンブレッドによれば、各々の裁判はかくして、超自然的なものにさらに大きな力を与えることによって呪術的信仰と迷信を人々の心により深く植え付けたという(4)

 いずれにせよ、こうした裁判は工業化前の社会における宗教的懸念に応えたもので、神によって確立された人と動物の間のヒエラルキーを回復させようという意志を示していた。創世記によれば、神は自分の形に似せて人を創造し、人が「海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのもの」を服従させることを可能にした(創世記1章26節)。神が創ったこのヒエラルキーを動物が侵害した時には、裁判が宇宙秩序を回復しなければならなかった。“裁判”は、この言葉の中世的な意味において、一つの真の思考体系を形成する社会の保護メカニズムのようなものだった。すなわちそれは「想像上の構造(……)、精神的な表象のシステム、しきたりのシステム、行動のシステムであり、意識と無意識の狭間に位置し、世界に意味をもたらすことができ、その世界に[人が]影響を及ぼすことができる(5)」。常に動物と共存することで生じる危険性に順応し、社会を回復させるための様式であったこうした裁判は、言葉に表せないものに理由づけを行い、人間の主導権を取り戻す役目を果たしていたのだ。



  • (1) Michel Pastoureau, Une histoire symbolique du Moyen Âge occidental, Seuil, Paris, 2004.
  • (2) Edward Payson Evans, The Criminal Prosecution and Capital Punishment of Animals, William Heinemann, Londres, 1906.
  • (3) René Girard, Les Origines de la culture, Fayard, Paris, 2004.
  • (4) Robert Muchembled, La Violence au village (XVe-XVIIe siècle), Brepols, Tournai, 1989.
  • (5) Amaury Chauou, Le Roi Arthur, Seuil, Paris, 2009.

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年7月号より)