計算された自由化に揺れるサウジ女性


フロランス・ボージェ(Florence Beaugé)

ジャーナリスト


訳:川端聡子


 この6月、サウジアラビアで長年禁止されてきた女性の運転が解禁となった。こうした女性の解放政策を主導するのはムハンマド皇太子だ。イエメンとの戦争の泥沼化とイランとの対立があるなかで、女性をとりまく環境の改善への努力を西側諸国にアピールする狙いがある。インタヴューに応じるサウジ女性たちは生き生きと自分の考えを語るが、言葉のはしばしに大きな変化への期待と不安が入り混じる。[日本語版編集部]

(仏語版2018年6月号より)

Manal AlDowayan. — « I am an Educator » (Je suis une éducatrice), de la série « I Am » (Je suis), 2005.
L’inscription signifie « l’ignorance est ténèbres ». Cuadro Gallery, Dubaï / www.manaldowayan.com


 「私たちが望むのは、つまりは普通の国です」。そうナジャット・Tは声高に言う。彼女はサウジアラビア王国の首都・リヤドで建築を学ぶ学生だ。こうした意見はいたる所で聞かれる。女性の置かれた状況がとりわけ厳しいことで知られる同国だが、そのサウジで変革の発表が増えている。ある女性が重要な役職に任命されたり、35年間禁止されていた映画館が再開されて客席は男女混合だったりしている。いまや軍隊と警察は女性を採用し、政府当局は公共の場所での男女混合についても許可を検討している。

 毎週、次々とタブーの終わりが宣言されている。もっとも注目されるのは、女性の自動車運転の禁止についてだ。原則として、今月[2018年6月]初めより、マーラム(父親や兄弟など男性の後見人)の同意がなくても女性に運転免許証が発行される。2017年9月、サルマン国王(82歳)の息子のムハンマド・ビン・サルマン皇太子(32歳)による経済・社会改革の一環として発表された。アバヤ(サウジの女性が公共の場所でまとう、頭のてっぺんからつま先まで覆う黒い衣装)の着用でさえ検討の対象にされている。2月にはある聖職者がラジオで「控えめ」な服装であれば充分ではないか、と述べた。その数週間後、米国を公式訪問中のムハンマド皇太子はインタヴュー中に、アバヤを着ていないムスリム女性も「他の人同様に」ムスリム女性である、とふと漏らした。サウジアラビアは、西洋諸国との良好な関係を構築することで是が非でも敵対関係にあるイランとの違いを示したいと考えている。そんななか、女性の地位の改革はムハンマド皇太子にとって[西側諸国との]コミュニケーションのための重要な一要素だ。PublicisやImage7といった西側の通信社は、援助を求められた。彼らの使命は、国際社会において低く見られているサウジアラビアのイメージを回復すると同時に、ムハンマド皇太子のイメージをよくすることだ(1)

 はたして、サウジ女性はこうした変革を喜んでいるのだろうか。それを知るのは容易ではない。表現の自由はなく、社会はとても細分化されている(人口約3000万人、うち3分の1は外国人)。そして若者たち——人口の70パーセントは35歳以下だ——は満足しているかに見える。しかしながら、多くの女性は、彼女たちの地位を通して自国が評価されることにうんざりしている。「蔑むような目で見られると気分が悪くなります。私たちに、どう行動するか指図しようとしているんです。ですが、サウジは部族が集まってできた国で、伝統を重んじる国です。私たちには自分のペースで進歩していく権利があります!」。こう叫ぶのは、大学で教鞭をとるホダ・アル=ヘレイシだ。彼女は政府に法案を提出する諮問評議会[サウジアラビアの立法府]に30人いる女性委員のうちのひとりだ(国王により150人の評議会委員が任命されるが、2013年に初めて女性の委員が認められた)。

 「30年前から要求してきたことがこの2年の間に獲得できました。これらの変化はとても大きいです。ここに来てみなければ、それを信じることはできないでしょう」とファウジア・アルバクルは語る。リヤドにあるキングサウード大学で教育社会学を教える彼女は、1990年11月6日、世界で類を見ない時代錯誤な措置である女性の運転禁止に対し、[社会の]関心を集めるためリヤドで車を運転した47人の女性先駆者のひとりだ。だが、女性にとって本当の分岐点となったのは、あらゆる公共の場で女性を付け回していた[イスラームの価値観に基づいて教育的指導を行う組織である]宗教警察「ムタワ」の権限が2年前に制限されたことだ。「このことで私たちの生活は一変しました。それまでは自分たちが『[社会の]規律から外れていない』かどうかを知るためお互いを監視しあっていました。街中いたるところでずっとつけ回されているように感じていたのです。私たちの人生はより幸せなものになりました」とファウジア・アルバクルは付け加える。

 高等教育を受けた女性たちにとって、次の目標は男性親族による後見人制度の廃止だ。サウジアラビアで効力を持ち、サウジ女性を生涯にわたり[男性の]劣位にある存在にしているシャリーア[イスラーム法]に基づくこの制度は今年2月に緩和された。ようやく女性たちは後見人(夫、父親、兄弟、息子、その他の親族男性)の同意なしで行政手続きを行い、働き、起業することができるようになった。だが、パスポートの交付や旅行、ことに結婚には常に後見人の許可が必要であることに変わりはない。

 キングサウード大学の女性史の客員教授で、ずっと以前からフェミニストのハトゥーン・アル=ファシにとって現在のムードは「ポジティブ」なものだが、毎日が闘いの連続だ。「男たち自身もまたプレッシャーを受けています。彼らは[改革に対して自分の判断で]どれだけ行動できる余地があるのかわかっていません」。彼女はそれを推し量りながら、政府系日刊紙アル=リヤドに毎週コラムを寄稿している。時折、その記事のテーマが微妙な内容で経営陣(もっぱら男性ばかりだが)が当局の不興を買う恐れがあると懸念した場合は、紙面に掲載されるまでに3週間を要することもある。同様に、宗教者たちの反応も心配だ。ムハンマド・ビン・サルマンが皇太子の座について以来、政治権力の言いなりになっているにせよ、彼らは王政の主要パートナーであり続けるし、もし必要とあればいつでも再びその存在感を発揮し得るだろう(2)。「みな手探りの状態ですが、それぞれの前進はひとつの勝利です」ともアル=ファシは言う。そして「率先して動こうとはせず、自分の考えを語らないこの臆病な男たち」と辛辣な言葉を口にした。

 大多数のサウジアラビア人には、こうした変化を受け入れる用意があるのだろうか。それとも、先祖伝来の慣習の名目で過去にしがみつくのだろうか。一致した意見はない。国民の93パーセントがインターネットを利用しており、利用率の高いインスタグラムやスナップチャット、フェイスブック、そして特にツイッターは世論調査の役割を果たさざるを得ない状況にある。とはいえ、こうした[ネット上の]自由空間は監視されており、国民は用心している。「この国の多くの人々は現在の変化を反イスラーム的だと感じています。でも、そうではない人々がいまでははっきり意見を述べることができるようになりました。以前はそうした声は聞かれませんでしたし、そうでなければ悪魔扱いされていました」とアル=ファシは説明する。彼女が「未来を信じている」としても、心配事がある。それはこうした変化が「たったひとりの人物」のおかげであるからだ。そのことを彼女は健全とは思えない。その皇太子はといえば、君主らしく、だが時に荒々しく、さまざまな改革を遂行することを決意する。ただ、政治面での開放は一切期待できそうにない。

30年前からベドウィン女性は運転している

 監視下ではあっても大統領や国会議員を選挙で選ぶ隣国イランとは違い、サウジアラビアには代議士を選ぶ選挙がない。ほとんどあらゆる権力が君主に集中している。体制が引き締められ、恐怖がはっきりと感じられる。権力を磐石にするためムハンマド・ビン・サルマンは、保守派であろうが進歩派であろうが反政府派を次々と監禁している。2018年5月から6月の間に一斉逮捕がいく度か行なわれたが、時にはツイッターに政治的内容の単純なメッセージを流したというだけの理由だった。多くの者はまだリッツ・カールトン事件のショックを引きずっている。リヤドにあるこのホテルでは多くの名士が拘禁されたのだった。2018年5月に起きた多くの活動家たちの逮捕もまた人々を驚かせた。

 リヤド南のスワカにある庶民が行き交う市場で、女性たちは[女性解放が進む]状況の進展に不安を抱いている。彼女たちはみな黒いアバヤ、ヒジャブやニカブで隙間なく体を隠している。誰も本当の名前で話すことはない。ここではこの改革は脅しとして受け止められている。「私は女性の運転や最近起きているすべてのことに反対です」と60代のある女性はニカブ越しに唯一見える目に涙をいっぱい浮かべながら語った。彼女は服を売りはじめて22年になる。「女性にとって働くことはイスラームの教えに反していません。でも、他のすべてのことは私たちが守らなければならない貞節の教えに反しています」。そう話しながら彼女はそっと周囲をうかがい、大きな声で付け加えた。「皇太子万歳!」

Manal AlDowayan. — De la série « The Choice » (Le choix), 2005.
Cuadro Gallery, Dubaï / www.manaldowayan.com  

 そこからすぐの場所で、アイメイクした目と白いマニキュアをした爪しか見えない25歳のヌーラ・Lさんも、女性に与えられた「運転する権利には反対」だと言う。彼女の夫は朝晩、彼女の通勤の足を確保してくれている。「このように、私たちはこの生活に馴染んでいます。私たちは西洋人ではありません」と彼女は主張する。彼女は働くことを楽しんでいる。「夫は私に問題なく[労働の]許可を与えてくれました。私は家にお金を入れていますし、退屈しなくなりました」

 そこからほど近いヒジャブ市場でも女性たちの反応はそれほど違わない。しかしながら驚くこともあった。「運転?」。50代のイブティサム・Sさんとノール・Kさんはニカブの下で笑い出した。「私たちは30年も運転しているわよ。ベドウィンの女性たちは運転する権利を持ってるのよ。それに私たちにとって他にどうしろというの? こんなに遠いのよ!」。ふたりとも首都から北へ50キロほどの村かテントに住んでいるのだ。

 「私はお金が欲しいので働いています。労働は神の恵みです。そのうえ、預言者ムハンマドは私たちに労働を奨励しています」と8人の子供を持つある未亡人は語った。彼女の友人が付け加えた。「それがイスラームの教えに反することでなく、男性との交際でさえなければ、私たちはしたいことをしていますよ!」。いまや彼女たちは4人になって、下着を売る台の周りで用心深く意中を打ち明ける。「いままで女性に運転が禁止されていたのは、女性を守るためだわ。男性は責任を引き受けなければならないから」とひとりの女性が強調すると、他の女性たちが力強く同意した。

ターイフでの厳格な男女隔離

 ヤスミーン・Dさんとマリアム・Nさんは、経済学の学生で、ヒジャブ市場でアルバイトをしている。ふたりとも、朝から晩まで携帯電話をタップしている。マリアムには、結婚披露宴で出会った医学生のフィアンセがいる。ニカブを外していたマリアムを遠くから見た彼は、彼女の両親に結婚の許しを願い入れた。「いまの改革は、いい方向へ向かっています。運転免許のおかげで私たち女性は自立するでしょう!」と、ヤスミーンが笑顔でVサインをしながら言う。その反面、ふたりとも後見人制度を信頼し、この制度で「[自分たち女性は]守られていると思う」と言う。将来について質問すると、「とにかく、社会で必要とされていると感じたい」とマリアムは言った。

 サウジ女性たちは[自立や社会進出への]野望を持ち、それを隠そうともしない。「彼女たちはあらゆるチャンスに飛びつきます。男たちよりも生き生きとしていて、まるで復讐でもするかのようです!」と、ある若い企業経営者が言う。少女たちの97パーセントは学校教育を受け、大学生の60パーセントを女性が占めている。実際のところ、女性の自由化(それは男性の自由と比べるとまったく不充分なものだが)は、アブドゥッラー国王の治世(2005~2015年)に始められた。中でも、女性が商店で働くことを認めたのはアブドゥッラー国王だったのだ。彼女たちの仕事のほとんどはレジ係や売り子など地味なものだったが、そこからあらゆる分野への道が開けた。ただ、裁判官は例外だ。他のイスラーム諸派同様、ワッハーブ派でも女性が裁判官の職務に就くことはシャリーアにより禁じられていると考えられている。また同時に、アブドゥッラー国王は、数十万人の若者に外国留学のための奨学金を与え、受給者の30パーセントが女性だった。「こうしたあらゆることが精神の解放に役立ちました。いまや若者はSNSで外の世界と繋がっています」と、大学教員のホダ・アル=ヘレイシは強調する。「経済危機のせいで単一収入では生活できなくなり、その一方で女性はキャリアを身につけたいと考えています。多くの場合、そうした女性たちを、夫や父親、兄弟たちは精神的に支えています」

Manal AlDowayan. — De la série « The City and I » (La ville et moi), 2010.
Cuadro Gallery, Dubaï / www.manaldowayan.com

 だが実際には、すべてが家族や環境、居住区域に左右される……。マンスール家の女性たちは毎週末に集まり、一家の邸宅の庭に設置されたベドウィンの巨大なテントの下で、祖母を囲んで夕食をとる。リヤドの騒がしい車の音ははるか彼方だ。人口600万人のリヤドは、砂漠の真ん中につくられた広大かつ平坦な都市だ。マンションはなく、砂色をした住宅が無限に広がっている。大通りは埃をかぶったずんぐりと低い椰子の木に縁取られ、未来的な超高層ビルと、女性たちがそぞろ歩くいくつものアメリカ式商業施設がこれに面している。

 マンスール家は昔ふうの裕福な中流家庭だ。一家は、どちらかというとみな保守的だ。「私は、いま行われている変革について懐疑的です。“彼ら”はサウジアラビアがドバイみたいになることを望んでいるんです。私は自分たちの信条をしっかり守っていますし、ニカブを脱ぎたくはありません」と50歳前後の女性が言う。そして「ムスリムであることは私のアイデンティティです」と続けた。「車の運転についてはどうなの?」と聞いてみると、一家の女性たちは「それが強制されたものでさえなければね!」と賛成だった。彼女たちにとって重要なのは、あらゆる領域において「選択肢があること」だ。一家のうち、米国で6年間暮らした経験のある女性は、自分は運転手を雇い続けるほうがいいと言う。「お金はかかりますが、そのほうが疲れないですから」。彼女のように、多くのサウジ女性がパキスタン人やインド人、あるいはバングラデシュ人の運転手を雇っている。後見人制度について質問すると、「ある一定の年齢、たとえば21歳から、きっと後見人なしで済むようになるでしょう」というのが彼女たちの予測だった。マンスール家の若い女性たちは、母親や叔(伯)母の言うことを聞くが、自分の意見も躊躇せず言う。学生の女性たちは、そのほとんどが「外国に2、3年留学して、その後ここに戻りたい」と話す。みな働くことを望み、結婚もしたいが、「30歳までは独身でいたい。そして2、3人以上の子供は持ちたくない」と考えている。アバヤについてどう思うか聞くと、彼女たちは「実用的でエレガントで、少しコートみたい」と答えた。

 ヌーラ・Fさんは、獣医学の教育を受けられなかったことを残念に思っている。女性に対し、獣医学の門戸はいまなお閉ざされたままだ。その代わり、学術研究に取り組み、それから特に乗馬をしている。彼女は、いつかオリンピックのサウジアラビア代表選手になれると確信した。「兄が私に言いました。『試合に出るのはいい。だけどテレビに映ったり、新聞で自分の意見を述べたりするのは論外だ!』と。私はこう返したの。『私の人生よ。あなたは自分のことを心配なさい!』って」。サウジアラビアにおける男女の不平等について意見を求めると、彼女は「伝統」と「宗教」というふたつの言葉を明確に区別しながら、「それは伝統に由来しているのであって、宗教とは関係ないわ」と答えた。

 ヌーラ・Fさんの従姉妹であるレーマ・Bさんは、アバヤの製作とインターネット販売のビジネスに乗り出した。モダンで色鮮やかな彼女の作品は、まるで女王のドレスか花嫁衣装のようだ。SNSのおかげですぐさま注文が殺到した。彼女の幾人かの友人も、ネットでの販売業を選択した。ネット販売業は、特に女性たちの間で広がりを見せている分野だ。ある女性は調理済食品を、そしてある女性は宝石などの装飾品をネットで提供しているし、他にはプロのメイク師もいる。大方が何とかやっている。週末、彼女たちは先ごろ男女隔離のなくなった場所、たとえばカフェ・バティールなどにヴェールを脱いで集まる。それは、男の子たちに出会う滅多にないチャンスなのだ。

 リヤドから西へ750キロメートル行くとターイフの町がある。ここでは、リヤドはほとんど自由主義の町に見えるかもしれない。メッカまでわずか65キロメートルだ。だが、世界中からやって来る巡礼者とオープンに接触があるジッダ[サウジアラビア西部のマッカ州にある。首都リヤドに次ぐサウジ第二の都市]とは違い、人口100万人のこの町はいまも極めて保守的だ。ここでは男女の隔離が厳格に行われている。どのレストランもカフェも、このルールを守っている。そして黒装束の女性ばかりだ……。

 「ここでは何もできません。常に監視する男性がいます。決して放っておいてくれません!」と、イスラーム学を学ぶ快活な学生、サルワ・Tさん(26歳)はため息をつく。「幸いなことに父は私を信用してくれていますが、友人たちの場合は違います。彼女たちが『外出させて』と懇願するたび、後見人が『だめだ』と言い、彼女たちをぶつこともしょっちゅうです」。友人の多くはボーイフレンドがいる、とサルワ・Tさんは言う。彼女たちの両親は娘が授業に出ていると思っているが、娘たちは運転手にボーイフレンドの家まで送ってもらっている。非難されるにもかかわらず、婚前に性交渉を持つのはよくある話なのだ。中絶は、母体の命に明らかな危険がある場合を除き厳しく禁じられているが、女性なら誰でも処方箋なしで薬局でピルを手に入れられる。

 サルワ・Tさんの話では、ターイフでは、娘たちが結婚(常にお見合い結婚だが)するのは、腹立たしいけれど「自由が欲しい」からだ。いったん結婚し、子供ができて母親になれば、女性は家庭内で権限を持てる。子供たちの教育や家計の支出は自分の管轄範囲だ。一夫多妻制(8~10パーセント)については、独身女性の「解決策」だという声が定期的にあがることはあっても、若い世代にはあまり見られなくなった。

 授業のない時、サルワ・Tさんはテレビを見て過ごす。トルコとインドの連続ドラマが大好きなのだ。サウジアラビア男性に対し、幻想は持っていない。「サウジの男性は、愛というものをわかっていません。ただセックスがしたいだけなんです……」

 社会科学研究者のムハンマド・アル=アムリによれば、お見合い結婚であろうがなかろうが、いまや結婚した半数近くが離婚という結果に終わっている。彼は、このほど新聞や雑誌でその「社会に重大な結果をもたらす」問題に触れ、警鐘を鳴らした。サルワ・Tさんの友人であるハディージャ・Sさん(28歳)は、暴力を振るう夫と離婚した。いまは彼女の後見人となった兄と暮らし、美容院で働いている。「兄の心配は、近所の目です。ここでは他人がどう言っているか、それだけが大事なんです!」。また、友人ふたりは、宗教警察の時代を懐かしむ。「少なくとも街中で追いかけ回されることはなかったもの。いまは違うわ! 男性がしつこくつきまとってきて、電話番号を聞かれます!」。彼女たちは「女性が権利を持つ」国へと発つことを夢見ている。ターイフでは、[女性が権利を持つには]さらに「少なくとももう1世代」の時間がかかるだろうというのが彼女たちの考えだ。

「かつてないほど激しい弾圧」

 [サウジアラビア最大の海岸リゾートエリアである]ジッダ・コーニッシュ、ユネスコの世界遺産に登録された旧市街・アル=バラド歴史地区、数々の野外彫刻、そして世界各国の料理のレストラン――ジッダは人口400万人(このうち84万人は外国人)で、紅海に面した商業都市だ。メッカに行くにはこの町を経由しなくてはならない。それによって[外からの]多種多様な影響を受けてきた。間違いなくサウジアラビアでもっとも魅力的な、そして進歩的な町だ。加えて、伝説では「人類の母」イヴが埋葬されたのはこの地ではないかといわれている。

 ここにも途方もない規模の大通りと、信じられないほど数多くの商業施設がある。この国のどこよりも、女性が息苦しさを感じずに済む町だ。たいてい、アバヤはベージュ、ブルー、薄いグレーで真珠やファスナーで飾られている……。おしゃれをするのは当たり前のことで、美容整形も頻繁に行われる。社会の熱狂が感じ取れる。いまよりずっと以前から、サウジアラビア人は、他のどこよりも、ここジッダで映画や絵画、文学などの芸術に自己表現あるいは気晴らしの方法を見出していたのだ。

 リヤドで映画館が公式に再開される3カ月前、法律で禁じられているがスカーフを着けて学校へ行きたいと望むフランス人少女を描いたファイザ・アンバ監督の Mariam[日本未公開]がジッダのアルバブ・アルヘラフで上映された。オーストラリア帰りのあるサウジアラビア人が2017年にオープンしたこのユニークな文化的スペースで、男女60人ほどの若者がこの作品を観た。アンバ監督は、上映後に行われたディスカッションでの若者たちの考えに「仰天」させられたと認める。「彼らは初対面の人の前で臆せずに個人的な経験を語ります。『私がヒジャブを着用しなかったから、彼が去っていった』とかね。まったく逆の体験を話した子もいます。ボーイフレンドは、彼女がヒジャブを着けるのを認めなかったのです。『私はクリスチャンです』(サウジアラビアではイスラーム教以外の宗教を信仰することは禁じられている)と発言した子までいました。その時、ある20代の男の子が立ち上がり、こう言ったんです。『あなたの作品は、つまりは他者を認めるということについて語っているんですね。そして、私たちにはそれが欠けている』」と、アンバ監督は振り返る。

Manal AlDowayan. — De la série « The Choice » (Le choix), 2005.
Cuadro Gallery, Dubaï / www.manaldowayan.com

 アビル・アブスレイマンさんは、サウジアラビア初の女性旅行ガイドだ。観光客が押しかけてくるというわけではないが、アル=バラド歴史地区を誰よりもうまく案内する。彼女は、西側のマスコミが押し付けたサウジ女性の「ステレオタイプ」なイメージに不満を持っている。「『運転ができるようになり、やっとあなたたちも自由になるんですね』と言われショックでした! ええ、サウジは他の国とは違う。でも段階を踏んで進歩していきます。10年前には、ここまで達成できるとは誰も思いもしなかったでしょう」

 2005年、ラジャー・アルサネアの小説、Les Filles de Riyad[タイトルの意味は「リヤドの娘たち」](3)の出版が物議を醸した。4人の女性がメールの交換を通し、それぞれの人生や恋愛を語るという内容だ。それほどショックなことは何もないが、伝統に抑圧された女性の日常生活が描かれている。もともとはレバノンで出版され、サウジでもあっという間に密かに広まった。2015年には、小説家で医師のハナ・ヒジャーズィー(4)Deux Femmes de Djeddah[タイトルの意味は「ジッダの二人の女」]もまた社会に衝撃を与えたが、検閲で引っかかることはなかった。この小説では、ふたりの女性がいくつもの制限に苦しめられ、最後には自殺する。この小説は概ね歓迎され、人々に読まれたが、作者は「男性にも読まれた」ことを強調する。だが、多くの女性読者はこの悲劇的な結末に批判的だ。「女性読者は、ふたりのヒロインが違う結末を迎えることを望んでいたのでしょう。それは私の励みになっています。彼女たちはヒロインの行く先に希望があると思っていた、ということですから」

 リナ・アル=マエーナさんは、車の運転ができるようになるということを、特にシンボリックな出来事ととらえている。「人生の針路を自分自身で決めること、そしてもちろん、いつの日かこの国の針路も」と期待する。40代の彼女を押し留めるものは何もない。彼女は、スポーツを通じて女性が解放されるのではないかと考えている。12年前、女性がスポーツをすることは禁じられていたが、彼女はサウジ初の女性のバスケットボール・チームをつくった。現在は諮問委員会のメンバーだ。1年前から女子にも体育の授業が公立学校で義務付けられたが、これは緊急措置だった。WHOによれば、サウジ女性の70パーセントが体重過多で、40パーセントが肥満症に苦しんでいるというのだ。

 サウジアラビアの近代化プロセスは不可逆的なものだろうか? リナ・アル=マエーナさんは、そう確信している。「もう保守主義者の時代ではありません。彼らが声を張り上げたところで少数派です」と断言する。特に、女性の労働市場への大量参入は経済的な要請だ。それでも、皇太子の[改革の]発表で民主化の問題について一度たりとも触れらていないことに変わりはない。実際、地方選挙が唯一この国で行われる投票だ(5)。ある40代の女性ジャーナリストは語る。「外国では、ムハンマド皇太子は腐敗に立ち向かう改革派の若い皇太子として紹介されています。でも、弾圧がこれほど激しかったことは未だかつてありません。確かに私は女性として、以前より多くの自由を手に入れました。でも公共の言論の場は狭められてしまいました。通りを歩くことはもう恐れませんが、ヴェールをとってあなたと話すことは怖いのです。国王による独裁がかつてないほどに横行するのではないか、そう危惧しています」





(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年6月号より)