フランスにおける不服従の選挙運動

諦めと無力感に陥った人々を奮い立たせる


フランソワ・リュファン(François Ruffin)

ソンム県第一選挙区選出の国民議会議員(「不服従のフランス」所属)


訳:村松恭平


 2017年5月、エマニュエル・マクロン氏が仏大統領に選ばれ、その数週間後に行われた国民議会議員選挙でもマクロン陣営が大勝利した。ところが、ソンム県ではあらゆる予想に反し、左派のフランソワ・リュファン氏がマクロン陣営の立候補者にも、国民戦線を率いるルペン陣営の立候補者にも打ち勝った。リュファン氏はアミアン発の新聞“ファキール”の編集長兼記者として長年この地方の窮状を目撃してきた。彼が制作・出演し、2016年に公開されたドキュメンタリー映画 Merci patron! は大きな反響をフランス社会にもたらし、セザール賞を獲得した。そんな彼の選挙運動は、いかなるものだったか?[日本語版編集部]

(仏語版2018年6月号より)

Picardie debout

 「ショック」。地方議会選挙の第1回投票の翌日、2015年12月7日付のフィガロ紙はこうした標題をつけた。「国民戦線がフランス全土で30%以上の票を獲得し(……)6つの地域圏で首位に立った」。そのキオスクで、フィガロ紙の隣に置かれていたユマニテ紙も同じ「1面トップ」だった ——「ショック」。

 「だが、どんなショックなのだろうか?」と私はすぐに疑問に思った。「そのショックは、一体誰にとってのショックなのだろうか?」

 数週間前から、その雰囲気は高まっていた ——「昨日、オワズモンでは数百人がマリーヌ・ルペンを迎えるために集まっていた……」。1,175人が暮らすオワズモンで。コンデ=フォリ、ソワソンといった田舎町や「インゲン豆祭」で、国民戦線(FN)のリーダーは人々を高揚させていた。ダウール、ビュシー=レ=ダウール、ケリユまで、ポスターを貼る人々が、ルペンに続いて立ち上がっていた。田舎の民衆が突然姿を現し、公共の問題に関わろうとしていた。残念ながら、それはマリーヌ・ルペンのためだった。

 パリ−アミアン間の電車内での、ある場面についても思い出す。「昨夜は真夜中までポスターを貼っていたのよ。凍えそうだったわ。何時間も皆を説得し続けたの。私が住む区域は忘れられていて、彼らにはビラが配られていなかったのよ!」。私の隣の席に座っていたこの女性は、かなり興奮しながら他の乗客に大声で喋っていた。彼女は誰のために活動しているのか? なんとなく分かった。なぜなら、彼女は私たちにはもうなかった熱情や信念にとりつかれていたからだ……。「日曜日の結果を見守りましょう!」と彼女はまとめた。これではっきり分かった。彼女は変化を期待し、それを信じている。だから、彼女はFNの支持者なのだ。地方議会選挙の第1回投票において、マリーヌ・ルペン氏はソンム県で41%、労働者の町フリクスクールでは45%もの票を獲得した。

 そこから出発しなければならないだろう。その電車内での私たちの動揺から。当時「左派」は大統領官邸において、[EUとの]緊縮協定に文句を言わず署名し、年間200億ユーロもの税額控除を企業に与え、全国職際協定(ANI)によって労働市場を柔軟化し、取るに足らなすぎて金融資本家たちにとっては痛くも痒くもなかった「銀行改革」を選んだ社会党の大統領によって代表されていた。そして彼は、マニュエル・ヴァルス首相、エマニュエル・マクロン経済大臣とともに、この路線を突き進んでいった。

 「でもそれは、左派ではない! 我々の左派ではない!」と人は言うだろう。では、「我々の左派」は一体何を提案していたのだろうか? 共産党(PC)、左翼党(PG)、ヨーロッパ・エコロジー・緑の党(EELV)、さらには労働者の闘争(LO)、反資本主義新党(NPA)が互いに衝突し、[リスト式投票制において]立候補者がまとまらない複数の選挙リストとなったために、わずかな得票数しか得られないのが確実な、政党間の果てしない分裂を提案していたのだろうか?

 私たちの陣営が地元にあまり根付いていなかったことも、私たちを追い込んでいた。アミアンのような、少しばかりブルジョワ的な町であれば、きっと勢力範囲を[FNに対抗して]ふたたび拡大させることができただろう。おそらく、リールでも。しかし、その周りにある小さな町や村、庶民階級の“溜まり場”となった都市周辺地域では、[アミアンやリールのような]町で発せられる反ファシスト的な教訓は何の効果もなかっただろう。むしろ、逆効果だったかもしれない。

 GoodyearからFlodor、Magneti MarelliからHoneywell、ParisotからAbélia Décorsまで、私はそうした企業の工場が次々と閉鎖されるのを記者として目撃してきた。無関心ではなくとも、少なくとも無力感に陥った労働者たちが味わった社会的激震を目の当たりにしてきたのだ。それは静かな大変動だった。これらの企業名の背後には解雇された労働者たちがいたが、見習いから臨時雇いまで、過酷な状況で働く彼らの子どもたちが、さらに目に見えない形で存在していた。

 こうしたグローバリゼーションと自由貿易は、高学歴者・会社の管理職・教員が手を組んだおかげで定着した。彼ら中間層はグローバリゼーションと自由貿易を受け入れ、それらに反発しなかった。さらに、彼らの大多数は2005年の欧州憲法条約にも賛成票を投じていたのだ。逆に、十分な能力を持たない労働者の失業率は、管理職よりも5倍高く、彼らは「幸福なグローバリゼーション」のみならず「幸福なオルターグローバリゼーション[訳注1]」にすら期待を抱かないようになった。今では彼らの経済的・社会的転落に、それとは別の“政治的・道徳的”苦痛を付け加えなければならない。FNに投票し、この排斥された政党に自らの立場を見出すならば、彼らの社会からの排除は正当化されるのだ。まさに二重の苦しみと言えよう。

 エマニュエル・トッドにとって重要な「左派の社会学的な二つの核心の分裂」(divorce des deux cœurs sociologiques de la gauche)、クリストフ・ギリュイの「無気力な都市の周辺部」(périphéries atones)、シャンタル・ムフの「左派のポピュリズム」(populisme de gauche)、アントニオ・グラムシの「大衆の情熱」(passions populaires)など、左派の理論について私は知っている。しかし、その実践において、私たちはそれこそ「大衆的」になれるのだろうか?

 まずは、「第一の円」を駆り立てることだ。

 私は選挙区ではあまり知られていなく、市長や県議会議員よりも知名度はなかった。確かに、15年ほど前から私はファキール(Fakir)という新聞を発行してきた。しかし、「一面」に掲載している「誰とでも反目し合う」(Fâché avec tout le monde)というスローガンは、あまり有力な武器にならないことが分かっていた —— 地元メディアを含め、どれだけ多くの人の神経に障り、訴訟までも次々と起こされたことか。私は共鳴者・支持者たちを頼りにしていた。彼らは、ラジオ、たとえばFrance Interでの、あるいはファキールでの私の仕事を高く評価してくれた。私が集結させ、熱狂させ、鼓舞し、拡大していかなければならなかったのは、この「第一の円」だった。それは地味で目立たない活動だった。公会堂のロビーの隅で、夜に Merci patron!(原題の意味は「社長さん、ありがとう!」)(1)を何度か上映した。観客は10人、時にはそれよりも少なかったが、人数はどうでもよかった。一部の人々は、私の「長広舌」に興味を惹かれないだとか、「選挙なんか知ったことか」、「自分の庭で有機人参を育てているほうが大事だ」と私に言った。それでもやはり、映画の上映が終わると彼らは「第一の円」に加わってくれた。

 しかし、この「第一の円」の大部分は、高学歴者と歴戦の活動家によって構成されていた。このような活動家は、活動家でない人々の心に訴えることは必ずしもできなかった。たとえば活動家は、不服従のフランス(France Insoumise)、共産党、緑の党、アンサンブル(Ensemble)といった政党間の一体性を私たちが強調することを望んでいたが、人々が当然結束しなければならないことを忘れていた。人々が一つにまとまらなければ、私たちが敗北することは間違いなかった。

 あるいはまた、私は政策綱領を求められた。不服従のフランス、共産党、緑の党などの綱領を受け入れたが、何でもよかった。私は知識人の多いこの「第一の円」が、アミアン、ベルトクール、ポン=レミまで人々を説得しに行くよりも、教育や演劇に関する法案を作成したり、あるいはもっと悪いことには、[第六共和制を念頭に置いた]新憲法をめぐる研究会を開いたり、原発に関して言い争ったり、最低賃金を1800ユーロにするか1500ユーロにするかで揉めたりすることばかりに時間を使い過ぎるのを懸念していた。

 仲間たちは、私が「労働時間削減に関する教育キャンペーン」を実施することも望んでいたであろう。しかし、労働総同盟(CGT)がそれに尽力したものの、すでに失敗し、諦めの状態に陥っていた。私たちにはあと数週間しかなく、その時間はこの国のイデオロギーをひっくり返すには十分ではなかった。“教育”は、選挙の勝利にはこだわらず「見解を広げる」ことしか目指していない立候補(candidatures de témoignage)に慣れ親しんだ団体がすぐにやる反射的行動だ。私たちはむしろ、私たちが持っているテーマの中から、その時すでに有権者に響いていたテーマを見つけなければならなかった。教育を行う必要はなかったのだ。

 私は政策綱領の代わりに、「私たち」vs「彼ら」という2つから成る論法を展開した。貧乏で、労働者で、下部にいる「私たち」に対して、金持ちで、株主で、上部にいる「彼ら」というものだ。私が個々の家を訪問し、何度も繰り返し語ったのはこの考え方だった ——「こんにちは。あなたは人類の1%が、残りの99%の人々よりももっと多くの富を占有している世界に私たちが暮らしていることを知っていますか?(女性が同意し、ゲームに乗ってきた。1点を獲得。)おそらくあなたは最も裕福な上位1%に属していて、すべてがうまくいっていますね……。(女性が笑ったので、これで2点。)そうでなければ、自分の身を守る方法があります。唯一の方法でもなければ最良の方法でもありませんが、それは今も昔も政治、すなわち投票です。いずれにせよ、投票によって私たちは有給休暇、社会保障、産休などを獲得してきました……。裕福な彼らは投票しに行き、自分たちの利益を守ることを忘れないのです!」。その時、女性たちはしばしばこう締めくくっていた。「まったく、その通りだわね」(3点目を獲得。)

 この論法に、ある一つの取り組みを加えた。スローガンとして「立ち上がるピカルディー!」(Picardie debout!)、マスコットとしては、地域伝統のマリオネットである「ラフルール」を選んだ。私たちは地域の特徴を採用したのだ。というのも、この地域は産業不況に襲われただけでなく、2015年の地域圏改革によって“ピカルディー地方”の名前が地図から抹消されたからだ。オー=ド=フランス地域圏に吸収され、リールの支配下に置かれ、パリからは軽視された。私たちがすべきことは、この地域の住人に少しばかりの誇りを取り戻させることだったし、今でもそれは変わらない。

 したがって、有権者への公約にはこう書いていた ——「明日、私は国民議会議員としてあなた方に不可能なことを約束することはできません。(……)しかし、以下のことを誓います。大臣の前でも社長の前でも、私は尻込みしません。屈することもありません。政府や政党の“兵隊”にはなりません。私はあなた方の声を届けます。(……)もし私を議員として選んでいただいたら、私の声は、あなた方の多くの声によって支えられます。大臣や社長を動揺させる際に、私の正当性は強化されるでしょう。あなた方のおかげで、私は彼らの前で恐れることはないでしょう。あなた方を代表することを私は誇りに思います」

 残念ながら、その機会はすぐにやってきた。2017年末、ワールプールがアミアン工場の移転を発表したのだ。この会社は私の選挙区の外側に位置していたが、私は争点を把握していた —— ワールプールは危機に陥った労働界の象徴となり、闘争が行われていた。その闘いをFNにゆだねてはならなかった。私はただちにEUおよび商品の自由流通を問題視するビデオを発表し、[フランス国外から輸入される製品への]「50%の特別付加税」を要請した。しかし、ルペン氏も同じ考えであった上、彼女のほうが明らかに支持を得ていた。アミアン工場に到着した時には、私たちはあまり歓迎されなかった。しかし、フランス民主主義労働同盟(CFDT)代表のフレデリック・シャントレル氏は、もう15年前、すなわち2002年に私がその工場で撮影したルポルタージュのことを覚えていた。それはファキールの特集で、洗濯機製造工場のスロヴァキアへの工場移転をテーマとしていた。その後、私たちのパンクスタイルのトラックは人々を引きつけ、そこに描かれた一枚のイラスト —— ラフルールがシルクハットをかぶった雇用主の尻を蹴飛ばしているイラスト —— の前で、労働組合チーム全員の写真を撮った。数週間が経って、関係が築かれ、ワールプールの労働者たちを私たちの集会に招き、「敵は株主であり、外国人ではない」と繰り返した。彼らに助言を行い、協力関係が結ばれた。

 2月、パリのサル・プレイエル[パリ8区にあるコンサートホール]において、Merci patron! でセザール賞を獲得した私は、特別なメッセージを労働者たちに捧げた[訳注2]。「なぜこんなことが30年間も続いているのでしょうか? それは、被害を被っているのが労働者たちだからです。したがって、何もできないのです。(……)誰かがこう言うのを想像しましょう —— “国会議員は競争力がないから、議会をワルシャワに移転させなければならない”。そうなれば、国民議会ですぐに議論が起こり、何かしらの法案ができるでしょう。ですが、実際は労働者の話なので、議論も法案も生まれないのです」

 その夜にはこの動画がソーシャル・ネットワーク上でシェアされ、私は少しだけ「人気者」になった。それから、マクロン氏と二度対面した時、特に彼がワールプールの工場前に赴き、私が「あなたはここでグローバリゼーションの敗者たちに囲まれていますね……」と挨拶した時にも。結局、私が敵とみなしたのはマクロン氏だけだった。FNに関してはほとんど非難しなかった。社会的にも経済的にもうまくいっていない人々は、この国を一度すら統治したことのないマリーヌ・ルペン氏や彼女の父親が自分たちの不幸の責任を負っているとは考えないだろう。FNは人々の怒りや希望に別の道を開きながら、また、フランス人と移民の間の対立とは別の対立を仕掛けながら、闘っているのだ。

 もう一つの左派の社会学的核心である“高等教育を受けた人々”はどうだろうか? 彼ら中間層は、より少ない努力で説得できることは間違いないだろう。社会階級という観点から、この階層は私により近いからだ。また、Merci patron! がセザール賞を獲得したことによって、私は彼らから認められるようになった。次に私たちは、教育、健康、社会、交通、エコロジーに関する「実験会合」を開いた。特別のビラを入念に作り、小学校、中学校、高校、病院の入口で配布した。そして、文化資本を強化し、脅かされた産業の先に自分たちの将来を開くため、 エルヴェ・ケンプ、パトリック・プルー、ドゥニ・ロベール、ミシェル・パンソン、モニク・パンソン=シャルロといった知識人たちを私たちの集会に招いた。

 こうした出会いは、とりわけ数週間の間ずっとビラを配り続け、個々の家を訪問してくれた熱心な活動家たちのためのお礼だった。建物から建物へ、街路から街路へ、地区から地区へ、住民たちの諦めの感情を払いのけ、希望をかき立てたのは彼らだ。私たちの公開討論会やコンサートは、彼らの努力にふたたび意義を与えること、そして、私たちが創ろうとしている世界を前もって味わえるように、喜びを与えることも目的としていた……。

 大統領選の第1回投票の夜、ルペン氏はこの選挙区で29%、マクロン氏は23%の票を獲得した。ジャン=リュック・メランション氏の得票率はマクロン氏に迫る22%で、庶民地区ではトップだったが、田舎では大差をつけられた。1%の差ならば追いつける! 私たちは、投票を放棄する貧困者・工場労働者・若者たちによる棄権[訳注3]をただ思い止まらせなければならなかった。とりわけ、いつも「[新しく選ばれた]大統領にチャンスを与えなければならない」という考えに基づいて、国民議会議員選挙を、新大統領陣営に大量の票をもたらす“波”にしてしまう無力感を打ち破る必要があった。

 [国民議会議員選挙の]第1回投票の結果、私たちはFNを粉砕した。FNの得票率は16%、私たちは24%。共産党が強い町で、数週間前にルペン氏が勝利したフリクスクールでは、私たちは41%の票を獲得した。選挙区レベルではマクロン陣営の候補者が34%を獲得し、私たちを圧倒した。4,000票の差があった。しかし、すでに私たちの勝利だった。庶民階層も、田舎に住む人々さえも、左派にふたたび戻ってくることができることをその結果は証明したのだ。工場労働者たちは、極右に投票することを強いられてはいない。

 ちょうどその夜、私たちは「マクロンに“ノー”を! 日曜日にこの“金融家”を阻止しよう!」という4ページのビラを7万部印刷した。日中は一生懸命、個々の家を訪問し、階段を駆け上がった。夜は、毎晩、お祭り的なデモを行った。1分たりとも無駄にできなかった。月曜日には80人が集まり、ブラスバンド、太鼓、片手鍋、そしてスピーカーを持ってサン=モリスの町中を歩いた。その翌日には、アブヴィルとアミアンで同時にデモを行った。それから、ロンゴー、フリクスクール、ラ・サラマンドル、ルヴロワ、ソレイユ=ルヴァンでも。投票の前日、私たちは詩を配り、横断幕には「思いの丈を述べてください」と記した。

 6月18日日曜日、私たちは56%の票を獲得して、勝利した。フリクスクールでは74%だった。1週間で1万票を獲得したのだ。それらの投票用紙はどこから来たのか? 棄権が多かったにもかかわらず、どうやって私たちの陣営を奮い立たせることができたのか? 彼らは何に説得されたのか? 私たちが行った多くのイニシアティブの中で、何が最も有効だったのだろうか? そして特に、他の場所では[今回の選挙運動の]何をまねることができるだろうか?

 選挙キャンペーン中、政治エリートたちは、「片手鍋を持っても選挙には勝てない」と嘲笑していた。あり得ないことではないだろう。信念と熱意を人々に与えるための方法を、そして、無力感から人々を抜け出させるための方法を、一体誰が知っているだろうか?



  • (1) Lire Frédéric Lordon, « Un film d’action directe », Le Monde diplomatique, février 2016.

  • [訳注1] 原語は”altermondialisation”。「もう一つの世界は可能だ」というスローガンのもと、金融中心で新自由主義的なグローバリゼーションではなく、公平・公正で社会的な意味での別のグローバリゼーションを指す。オルターグローバリゼーション。
  • [訳注2] フランソワ・リュファンによる実際のスピーチの様子は、以下のリンクから動画で観られる: Télérama(2017年2月24日)
  • [訳注3] 原文ではこの「棄権」を“abstention différentielle”と表現している。これは、選挙での勝因が、他の候補者よりも多数の票を得たことにあるだけでなく、投票しなかった人々の棄権の多さもまた勝者にとって有利に働いたことを意味している。たとえば、貧困層が投票に行かなくなればなるほど、富裕層が支持する候補者の勝利の可能性が高まる。


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年6月号より)