不安定に耐えるか、外国へ逃げるか

アフリカの悲惨なサッカー事情


ダヴィッド・ガルシア(David Garcia)

ジャーナリスト


訳:清田智代


 2018年のワールドカップ・ロシア大会では、アフリカ大陸の5カ国全てがグループリーグで敗退し、決勝トーナメント進出を前に姿を消した。サッカー選手という言葉はしばしば裕福さを連想させるが、アフリカにおいては必ずしもそうではない。アフリカのプロクラブは依然として経営難にあり、また、そこで養成されたサッカー選手の多くは不安定な状態に耐えきれず、大陸を越えてヨーロッパの「黄金郷」に吸い込まれていく。アフリカにおけるサッカーのこの悲惨な現状について、コートジボワールの事情に迫る。[日本語版編集部]

(仏語版2018年7月号より)

photo credit : melody hansen
OE soccer

 アビジャン南東部にあるクマッシでは、学校が休業の期間、公立高校の校庭はサッカーの練習場となる。4月のとある日の午前中、メトロスターという名のサッカー養成アカデミーの生徒たちが、うだるような暑さの下でボールを蹴っている。コートジボワールの経済の中心都市アビジャンにはこのようなアカデミーが数多く存在しているが、アカデミーの共同設立者であるアリスティッド・B(1)がユースチームを指導している。プロのサッカー選手だった彼はチームで一番の選手を指名した。赤のユニホームとショーツを身に着けた9歳の子どもが前に出た。「ぼくはヨーロッパで活躍したいです」。彼は自信ありげに言い放った。彼はこのような冒険に潜むリスクを分かっているのだろうか? メトロスターの期待の星は頷いた。

 コートジボワール代表キャプテンを務めたヤヤ・トゥーレはマンチェスター・シティで月に100万ユーロ(2)を、ブラジル人スターのネイマールはパリ・サンジェルマンで月に300万ユーロ(3)を稼いでいる……。国際プロサッカー選手会(FIFPro)が2016年に54カ国の選手の労働組合に対して行った調査によると、彼らは年間72万ドル(62万ユーロ)以上の報酬を得るエリートの類に含まれるが、その割合は世界のサッカー労働者の2%に過ぎない。大部分の選手はヨーロッパやペルシャ湾岸地域、中国で活躍している。反対に、21%の選手の月給は300ドル(260ユーロ)以下だ。このような貧しい労働者の多くはアフリカのクラブに所属しているが、これらのクラブの給与額は世界で最も低い。世界規模では調査を受けた選手の41%が直近2シーズン中の給料の遅配に言及しているが、アフリカでのその割合は55%にのぼる。アフリカ大陸は、選手にとって飛び抜けて最も不安定だ。アフリカでは15%の選手が[所属クラブと]契約を締結していない。それに対し、ヨーロッパでは3%程度だ。契約金の不払い、給与の遅配、ケガと医療に対する責任回避といったことは、アフリカの選手にとっては日常茶飯事だ。ヨーロッパのサッカーリーグで才能が非常に高く買われるような恵まれた選手はまれで、反対に、アフリカの選手はしばしば契約なしの劣悪な労働環境の中を生きている。

 アリスティッド・Bや彼と同様にクマッシ出身の3人の選手仲間による証言は、アフリカの若者の多くが抱いている億万長者の夢とサッカー界における不平等の厳しさとの懸隔を物語っている。27歳のジュスタン・Sは、複数のクラブで相次いで経験した痛ましい出来事にも拘らず、今もなお再びスパイクを履いてサッカーをする希望を胸に抱いている。2007年、彼が17歳の時に初めてプロ契約を締結した。月給は76ユーロで、コートジボワールの最低賃金(91.50ユーロ)よりも低かった。229ユーロの契約金の支給が契約内容には含まれていたが、ついに履行されなかった。「クラブの女性会長は我々の情に訴えてきたものです。『私はあなたたちのママですよ。でも、ママにそんなお金はないのです』。私たちは騙されてきました」と彼は述懐する。2008年1月にチュニジアのクラブの入団テストに失敗した後、彼はコートジボワールの2部リーグで運を試した。これが地獄の始まりだった。「賃金労働者が日当5ユーロ稼いでいたのに対し、私は月に15ユーロ程度しか支払われなかった」。所属クラブの経営陣は、選手が1部リーグ昇格に向けて徹底的に活躍するよう駆りたてるべく、勝利ボーナス30ユーロを彼らにちらつかせた。クラブは2カ月間勝利を逃し、給料の支払いが遅れた。彼らの居住環境といえば、地下の劣悪な作業場を想起させた。選手たちは共同寝室で、自分のリュックサックを枕のかわりにして床の上なんかで眠ったものだ、とジュスタン・Sは語る。

「1部リーグで 3カ月間無報酬なんて、よくあること」

 コートジボワールでは、このような状態は10年たった今もなお続いている。クラブの経営陣は、彼らなりにその事実を認めている。家父長主義者で、コートジボワール東部のアベングルにある国内1部リーグのクラブ、ASアンデニエ・アベングル(ASI)の会長ベルナール・アドゥ氏は、不利益を被った選手たちに目を瞑るよう促した。「劣悪な条件や給与の未払いにおいてもなお、選手はプレーしなければならない。給料や手当の未払いは後から取り戻せるが、試合はそうはいかないからね」とアドゥ氏は続ける。実際には、未払いの給料や手当が常に「後から取り戻せる」とは限らない。したがって、怒ったジュスタン・Sと彼のチームメイトは、2008年から2009年にかけて練習をボイコットするにいたった。選手たちは、経営陣宛てのメールでマットレスと扇風機を要求した。彼らは要望を満たしたものの、大きな不幸がチームを襲い続けた。ジュスタン・Sはマラリアを患い、21歳の若いディフェンダーは練習中にショック状態に陥り、その後病院で死亡した。ジュスタンと4人のチームメイトは我慢の限界に達し、シーズン中にクラブを退団することを決意した。不当な搾取よりも失業を選んだわけだ。

 彼のチームメイトのサミュエル・Kは、21歳にして既にプロのサッカー選手としての人生の苦しみを身をもって経験している。1部リーグに所属していた彼は、2016年の12月に負傷した。「アビジャンにあるシャンプルー・スタジアムでは大半のリーグ戦が行われるが、人工芝が擦り減っていて危険だ」と彼は証言する。「多くの選手がここで負傷するんだ」。クラブの会長は手術代の支払いに応じたが、それは他の選手にかかる移籍金を手にしたらすぐにでも……ということだ。6カ月後も支払いは依然として行われなかった。その後の継続治療費はコートジボワールサッカー連盟(FIF)が負担した。1部リーグの別のクラブに移籍後、2018年2月に彼は再び負傷した。そこの会長は、それでも彼に3日後に行われる次の試合に出るよう求めた。彼は断った。彼への給料の支払いは保留となった。「報酬が支払われないまま1カ月以上経つが、コートジボワールのクラブの会長なんてみんなそんなものだ」と、彼はひどく悔しがった。このような扱いに耐えているのは彼一人だけではない。

 「1部リーグで3カ月間無報酬なんて、そんなのよくあることだ」とアリスティッド・Bははっきり言う。「時々、基本給の支払いは1回もしくは連続して勝利することが条件になっている」。コートジボワールサッカー選手会(AFI)によると、最も高額な給与は450ユーロから600ユーロにわたる。この地域のサッカー選手の平均給与には230ユーロから300ユーロの開きがあるが、この額は2015年から年8%の成長を遂げているこの国の最低賃金の3倍程度だ。「サッカー選手がもともと短命のキャリアを遂げたところで貯金をはたいて家を買えるなんて、一体どうすればそんな風に思えるものか?」とAFIの会長シリル・ドモロー氏は話す。インテル・ミラノでディフェンダーだった彼は、アビジャン北部の裕福な地区ココディにあるAFI本部に我々を迎え入れた。コートジボワール代表の元キャプテンでもあるドモロー氏は、フランスのオリンピック・マルセイユとモナコ、次いでバルセロナのエスパニョールで活躍した。他のAFI設立メンバーもやはりヨーロッパで立派な業績を残してきた。コートジボワールのサッカー界の象徴であり、国内で絶大な人気を誇るディディエ・ドログバはイングランドのクラブ、チェルシーで欧州チャンピオンズリーグを勝ち取った。もう一人の国民的スター選手コロ・トゥーレもまた、イングランドのアーセナルにマンチェスター・シティ、そしてリバプールで活躍した。

 選手としての権利を行使するために訴訟手続きを踏む勇気のある者はまれだ。復讐が怖いからだ。FIF副会長のソリ・ディアバテ氏は一切の責任を回避する。「給料が支払われないことに不満を漏らしている若者がいるが、彼らは契約書の写しさえ持っていない。(……)契約がないのに何らかの裁定をすることなんてできない」とプロサッカーリーグ会長でもあるこの指導者は自身を正当化する。ディアバテ氏が彼の事務所で我々の質問に答えている間、FIFの従業員の一人がインタビューを撮影している。もう一人はやりとりに同席している。「FIFはFIFProが推奨しているような独立した、労使同数で構成された組織ではないんだ」とドモロー氏は言った。AFI所属選手はFIFに在籍していないのだ。FIFが使用者側をひいきするようなアンバランスが疑われる所以だ。FIFの執行委員を選ぶのはクラブの会長たちだ。

 コートジボワールではしかしながら、プロクラブの生き残りはFIFからの資金援助に懸かっている。各クラブは均等配分金として年に11万4000ユーロを受け取っているが、この平等主義的なシステムは全員一致の賛成を得ているわけではない。[コートジボワール1部リーグの強豪クラブ]ASECミモザは、フランス人ゼネラルマネージャーのブノワ・ユーの意見を反映し、このシステムはダイナミックで競争力のあるクラブのモチベーションを下げると非難する。ASECミモザは、全てのクラブに同額の固定額と、クラブの組織の程度によってスライドする変動額からなる補助金制度を強く奨励している。他クラブの大半の経営陣とFIFはこのような進展に否定的だ。

予算調整のためのあらゆる手練

 コートジボワールのサッカーは、内紛とは別に、とりわけ収入を生み出す能力の慢性的な不足に悩まされている。コートジボワールの1部リーグの平均観客数は1000人前後だ。唯一観衆を引き寄せているのは、ASECミモザ対アフリカ・スポールの試合だ。アビジャンのこの2チームは歴史的なライバル関係にあり、また、国内で最も威信がある。前回の対決には5000人もの観客が集まった。総額750ユーロというわずかな収入は、この2つのクラブに均等に分けられた……。観戦規模の小ささから、スポンサーは選手のユニホームにスポンサーロゴを付けるメリットはないと判断している。

 [フランスの有料民間テレビ放送局]カナル・プリュスは、2016年からFIFに対し1部リーグ戦の放送に年間230万ユーロを支払っている。FIFはこの契約金額の公表を拒否しているが、複数のクラブの経営陣が認めており、いかにもわずかな金額だ。これに比べて、フランスのプロリーグは2020年からシーズン毎に年11億5300万ユーロの放映権料を受け取ることになっている。「カナル・プリュスとの契約のおかげで、FIFはクラブへの補助金を40%増額することができるようになりました」とディアバテ副会長はそれでも強調して言う。それが十分なのかは分からない。ステラ・クラブの例をみてみよう。このクラブはアビジャン北部のアジャメという貧困地区の象徴的なチームだ。「支出を埋め合わせるには、年に9万ユーロほど足りません」、と冗談好きのサリフ・ビクトゴ氏は話す。彼は一方で、国の委託を受けて生体認証パスポート及びビザ手続を行うSnedai社のトーゴ及びベナン支社長でもある。「この不足分は我々のポケットで補っているんだ。10年以上も前から金を出しているのさ!」このステラ・クラブの会長は笑いを交えて言い足した。FIFの補助金は年間予算の4分の1にしかならず、2015年に2部リーグへ降格してからは、[フランス企業の]オランジュグループはスポンサーから手を引いた。それ以降、新たなスポンサーは現れない。クラブの選手たちもまた、不本意ながらもクラブに資金を融通している……。「選手たちには私は少なくとも1カ月半遅れて給料を支払っている。私も自身の資金調達をしなければならない。FIFは補助金を数回に分けて、それにいつも遅れて支給してくるのでね」とビクトゴ氏は弁明する。18年前から自身の愛するクラブの運命を支配しているが、それ以前は彼自身もまたステラ・クラブの選手だった。

政界とのつながり

 ビクトゴ氏は他のプロクラブの経営陣と同様、所属選手への報酬を予算調整の手段として利用している。彼の言うところによる真面目さとプロフェッショナリズムを示すために、彼は自身の無欲ぶりと経営者としての経験を強調する。クラブの経営陣の中には不正で打算的なことをして、あたかもコートジボワールのサッカーのレベルを下げようとする者がいる。「もしフランスのように財政の番人がいたら(フランスではリーグ管轄の経営監視委員会(DNCG)がプロクラブの会計を監督する)、クラブの半分以上が降格する[訳注1]でしょうに」と彼は断言する。

 有力なサッカー選手代理人であるアブドゥライ・ディアバテ氏はこの見解を裏付ける。「補助金だけで生き延びているクラブもあります。彼らは成長するにはどうしたらよいか、何ら考えを持っていません。こうしたクラブの経営陣は企業家ではありません」とアベングルのASIのゼネラルマネージャーでもあるディアバテ氏は嘆く。「企業家精神」はコートジボワールのサッカーの低成長に対する救済手段となるだろうか? ASI会長のアドゥ氏は、仕事のパートナーのディアバテ氏が描いているこの企業家像に合致した人物のようだ。実業家のアドゥ氏は、高速道路の料金所の設備を専門とするフランス企業のGrenobloise d’électronique et d’automatismes社(GEA)のコートジボワール法人を経営している。彼はアビジャンにある豪奢な別荘で我々をもてなした。アドゥ氏は2014年にクラブを引き継いだ。彼がチームを受け継いだ当時、選手たちには最低賃金である90ユーロ程度という雀の涙ほどの金額しか支払われなかった。この企業家は選手の給料を引き上げ、競争力のあるチームを築き上げてきた。それは試合の結果に表れてきた。「今年に入り、給料は定期的に支払われるようになりました。だんだんと、ですがね」とディアバテ氏は含みをもたせて少しちゃめっ気を見せながら話した。

 大きな野望に駆られたアドゥ氏は、クラブのスポーツ面での発展に尽力するだけでは物足りなくなった。2016年12月、彼はアベングルの選挙区で議員に当選した。「クラブは私の当選に30%から40%程貢献してくれました」と彼は認めた。「私のことを知らなかった人々も、私をテレビで見ていたのです」。3月、彼はアベングルが州都のアンデニエ=ジャブラン州の地方議会の議長職に立候補した。「アフリカでは、政治家だけがクラブを経営できるのです」とアドゥ氏は断言する。「もし明日にでも自分が地方議会の議長になったら、クラブの発展に金を費やすでしょう。実業家は、自身に何の利益にもならないクラブには投資をしないでしょうから」。彼はおそらく、ASタンダ[1部リーグ所属クラブ]の会長の軌跡をたどっている。会社の社長でコートジボワール北東部のトランスア=アッシュエフライの首長で議員でもあるセヴラン・クアベナン・ヨブア氏は、2015年と2016年に1部リーグを2度制した。

 コートジボワールでは、政界とサッカー界の互恵関係には古い伝統がある。1980年代にはサンプリス・ジンスー氏がコートジボワールのサッカー界に君臨していた。彼はコートジボワールの[初代]大統領で国家独立の父として知られるフェリックス・ウフェ=ボワニの娘婿でアフリカ・スポールの会長であり、クラブの資金繰りの問題を経験したことがなかった。「サンプリス・ジンスーはあらゆるところに自由に出入りできたのです。クラブは外国でのキャリアに惹かれる選手を引き止めるだけの財力がありました」とアフリカ・スポールの現会長アレクシ・ヴァグバ氏は懐かしそうに話す。彼はアフリカの他国の才能を発掘しようとさえした。40年前からアフリカ・スポールのサポーターであるヴァグバ氏はクラブの古き良き時代を経験したが、その後クラブは緩やかに後退していった。「企業家としては繁栄しましたが、サンプリス・ジンスーはクラブを永続させませんでした。アフリカ・スポールは一度も財産を持ったことがなく、練習場さえないのです!」と彼は残念がる。というのはコートジボワールで二番目に大きなこのクラブは、選手が使用する芝生の練習場をレンタルしているからだ……。クラブの練習の場所は「移動式」だ。朝になるとバスが選手たちを迎えに来て、夜になれば彼らを送り届けるのだ。

 コートジボワールのクラブの大半は本拠地を持っていない。事務所がないので、経営陣は彼らの自宅かホテルのバーで仕事の交渉相手に対応する。「アフリカのサハラ砂漠以南では、インフラの面でも組織の面でもプロフェッショナリズムが発達していません」とFIFProのアフリカ支部の事務局長であるステファン・ビュルシュカルテ氏は話をまとめた。しかしながら、コートジボワールで最も裕福なクラブはその例外だというのが大方の見解である。ASECミモザが唯一、正真正銘のプロサッカーチームであることに異論を唱える者はいない。アフリカ・スポールと同様、スポーツ商業従業員協会[ASECミモザの正式名称]もまた高い地位にある者たちによる支援の恩恵にあずかっている。現クラブ会長の兄にあたるジョルジュ・ウェニャン氏は、ウフェ=ボワニ元大統領の右腕を務めた。共和国大統領府で儀典長だった彼は、ウフェ=ボワニ政権でナンバー2の人物とみなされていた。「このことはコートジボワールのサッカーにはいつも政治的な癒着があることを示しています。このようなつながりがなければ、クラブは大きくなれません」とヴァグバ氏は評する。

 1989年からASECミモザの会長を務めるロジェ・ウェニャン氏は、アフリカ・スポールのジンスー氏とは異なり、発展するための資金をクラブに提供してきた。彼はASECミモザをサハラ砂漠以南のアフリカで最も組織化されたクラブの一つへ導いた。ASECミモザは、ソル・ベニと呼ばれるココディのエブリエ潟沿いに建てられたクラブの本拠地と10ヘクタールに及ぶスポーツ複合施設を持ち、クラブの評判にふさわしい設備を自由に使用できる。そこには2つの練習場に加えアカデミー、管理事務所、クラブのメディア向けビル、そしてプール付きのホテルさえ備えられている。広報責任者で15歳以下のユースチームの指導者……そしてゼネラルマネージャーのユー氏は、これらの職務を巧みにこなしている。彼は我々を国内に比類のないこの敷地の中を案内した。

 我々はアカデミーの教室に入った。13歳から17歳までの十数人の生徒が保健センターとセルフメディケーションの授業を受けている。「ファブリス、このアカデミーに入る前、学校のクラスには何人の生徒がいましたか?」ユー氏は訊ねた。その子が答えた。「45人です」。他の子が答えた。「70人です」。「ミモシフコム」[ASECミモザのアカデミーの名称]のクラスの生徒数はコートジボワールの学校教育ほど過剰ではない。生徒のうちの2人が翌日ヨーロッパへ飛び立った。彼らはフランスとベルギーで行われる試合に出場するのだ。コートジボワール最良のアカデミーは、12歳から18歳の未来のプロ選手45人を養成している。これらえり抜きの若者たちは、大体アビジャンの貧困地区出身だ。30万ユーロの年間予算は農産物加工分野の企業Sifcaグループによって全面的に保証されている。この企業は3万人の従業員を有するコートジボワール最大規模の雇用主だ。ASECミモザは所属選手に月給500ユーロから800ユーロを支給している。ヨーロッパやアジア、北アフリカ、南アフリカのクラブで選手が受け取る報酬に比べればあまりにも少ないが、この額はコートジボワールの他のクラブで提示される給与の3倍だ。収入はスポンサーからだけでなく、その半分は国内外へ移籍する選手の移籍金を出処とする。「クラブが培った才能ある選手を引き止めるのに十分な財力がないので、我々は彼らを売らざるをえません。クラブは少しばかりの金を回収はしますが、これではショーとしての試合がさらに貧しいものになります」とユー氏は認める。

 20年前は、試合に大賑わいの光景が約束されていた。[ASECミモザの本部にある]幹部フロアにはかつての所属選手のフォトギャラリーがあり、クラブの栄光の10年間を蘇らせている。1990年代、コートジボワールの最優秀選手はASECミモザでプレーし、またコートジボワール代表チームの中心をなしていた。代表チームは3度ワールドカップ本大会への出場権を獲得し(2006年、2010年そして2014年)、2015年にはアフリカネイションズカップ(ANC)[アフリカ各国の代表チームによるアフリカ大陸選手権大会]で優勝した。バカリ・コネ氏は元代表選手の一人だ。オリンピック・マルセイユ(2008-2010)の元フォワードである彼は、アビジャン北部の下町ウィリアムヴィルで育った。1994年、彼が13歳の時にASECミモザからスカウトを受け、アカデミーの第1期生に仲間入りした。「17歳の時、家族を養うためにキャリアを積んでいくことを夢見ていた。アカデミー生の全てがそうしていた」と「バキー」は落ち着いた口調で証言する。彼はASECミモザで4シーズン過ごした後、カタールで1年プレーした。フランスリーグでの見事なキャリアの前ぶれだった。

 2016年に出身クラブに戻ったこのサッカー選手は今や管理責任者として働いており、デビュー時の黄金時代を思い出す。ASECミモザとアフリカ・スポールのサポーターは、座席を確保するためにアビジャンのウフェ=ボワニスタジアムの前で寝たものだ! そんな時代は過ぎ去った。サッカーのテレビ観戦の普及は、ファンと好みのチームとの関係を変えてしまった。「ASECミモザのサポーターはスポーツショーの消費者のようなふるまいをみせます。サポーターはショーを見比べます。一方は、世界的なスター選手が出場する欧州チャンピオンズリーグのテレビ中継。もう一方は、ASECミモザ対バッサム[1部リーグ所属クラブ]のスタジアム観戦。それは気温40度の中、質の悪いサッカフィールドで行われる、大したことのない試合です。サポーターの選択は火を見るよりも明らかです」とユー氏は素っ気なくまとめる。

ヨーロッパの黄金郷に吸い込まれていく選手たち

 コートジボワールの1部リーグは1960年、ANCの第1回大会の3年後に創設された。アフリカのサッカーは数十年でそこそこの進歩を遂げてきたものの、欧州司法裁判所から致命的な打撃を受けることになる。1995年12月15日のボスマン判決[訳注2]で、ヨーロッパのプロチームに適用されていた外国人選手枠[訳注3]が撤廃された。2000年6月23日に調印されたコトヌー協定[訳注4]により、この措置は在欧アフリカ人まで拡大された。したがって、アフリカ大陸のサッカー選手たちはヨーロッパの黄金郷に吸い込まれるように、国際サッカー連盟(FIFA)が定める最低年齢の18歳で大挙して国外に出て行った。「ボスマン判決の拡大はアフリカを変えてしまいました」とソリ・ディアバテ氏は認める。我々の若者たちは何千万ユーロも受け取る選手を夢見ています。彼らは出発したがっています。できるだけ早く」そして何が何でもだ(4)。若者の中でも最もポテンシャルのある者たちは、多くがヨーロッパ各国の代表チームに入るために二重国籍を選択する。したがって、EURO2016[ヨーロッパ各国の代表チーム間で行われる大会]の本大会では、40人ものアフリカ系の選手がヨーロッパのチームでプレーした(5)

 「ヨーロッパのクラブは18歳から20歳のアフリカ人選手を安値で獲得し、その後転売して値上がり益を得るのです」とユー氏は強調する。その過程で彼らはしばしば選手の育成費用の補償を出身クラブに支払うことを拒否する。コンゴ民主共和国の首都キンシャサにあるチーム、エーグル・ベールが、ジュニオール・カバナンガの育成費用をベルギーのクラブRSCアンデルレヒトから得ることができなかった不運がそれを例証している。「あらゆる悪行を植民地支配のせいにすることはできないが、選手の取引においてその影響を無視するのは難しいことです」と2007年から2010年にかけてFIFAの国際関係部門のトップを務めたジェローム・シャンパーニュ氏は断言する(6)。「鉱石や石油と同じように、選手たちもまた出身国から採り出され、豊かな国、とりわけヨーロッパで搾取の上値段を吊り上げられるのです」

 落胆したアフリカ・スポールの会長はまさに今、自らの地位を譲ろうとしているところだ。ヴァグバ氏は、我々が出会ったホテルで小声で秘密を打ち明けた。「クラブには発展に必要な財力がありません。私はこのクラブをASECミモザのようにするためにあちこち走り回っています。アフリカ・スポールをベルギーの投資家に移譲しようとしているところなのです」。クラブを引き継ぐことになるこの投資家は、クラブの経営陣の一人と2つ向こうのテーブルで交渉しているところだ。選手の後は、クラブが買収の対象となるのか? 確かに、コートジボワールのサッカーには強い欲望を掻きたてるものがある。

 アフリカに深く根付いたカナル・プリュスは、親会社のボロレグループと同様に現地のサッカークラブを支援する戦略を明らかにしている。「カナル・プリュスはフランスの1部リーグの視聴者への露出機会と発展のための資金を提供してきました。コートジボワールのサッカーリーグもまた、同じビジネスモデルをもってプロフェッショナル化することができるでしょう」とコートジボワールのテレビチャンネル「スポーツプロダクション」のディレクターは信じようとしている。商業化のテクニックに熟練したこのおしゃべりなエディ・ラビン氏は、「1部リーグという商品」をより魅力あるものにして、今どきの若い大衆を惹きつけるために試合を「イベント化」しようとしている。同じ[観戦]料金で参加できる催しやダンス、コンサートは、常に試合の前後を盛り上げることだろう。このタイプのイベントはコートジボワールに独特な音楽ジャンルのクペ・デカレのリズムに合わせ、3月24日に初めて開催された。これで選手の大流出にけりがつくだろうか? ある国際的な調査によれば、2018年にコートジボワールを離れたサッカー選手は173人にのぼるというが(7)



  • (1) クマッシのサッカー選手の名前は、本人の要望により仮名とした。
  • (2) Afrik-foot, 31 décembre 2017.
  • (3) L’Équipe, Boulogne-Billancourt, 24 septembre 2017.
  • (4) Lire Johann Harscoët, « “Tu seras Pelé, Maradona, Zidane” ou… rien », Le Monde diplomatique, juin 2006.
  • (5) « Euro 2016 : 40 joueurs d’origine africaine », 9 juin 2016, www.football365.fr
  • (6) Lire sur notre site l’entretien avec Jérôme Champagne : « Dans le football, le rideau de l’argent à remplacé le rideau de fer ».
  • (7) « Les footballeurs expatriés dans le monde : étude globale 2018 » (PDF), Centre international d’étude du sport (CIES), mai 2018.

  • [訳注1] DNCGは一定の法的及び財政水準を満たさないクラブチームに対し、下部リーグに降格させる権限を持つ。
  • [訳注2] ベルギーのサッカー選手ジャン=マルク・ボスマンがクラブ間の移籍について起こした訴訟に対し下された判決。この判決によってクラブとの契約を満了した選手の移籍が自由化され、またEU加盟国籍の選手はEU域内のリーグで外国人枠から除外されることになった。その結果として選手の移籍市場の活発化や年俸の高騰、クラブチーム間の戦力不均衡の拡大などを引き起こし、1990年代以降のヨーロッパのサッカーに重大な影響を与えた。
  • [訳注3] 各クラブチームが選手登録や出場させることができる外国人選手の数の上限。
  • [訳注4] EUとアフリカ・カリブ海・太平洋植民地諸国(ACP諸国)間で結ばれた国際協定で、開発援助や貿易を通してACP諸国の貧困撲滅を目的としたもの。


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年7月号より)