将来の発展に見せかけた土地の占有プロジェクト

アグロインダストリーを後退させるモザンビークの農民たち


ステファノ・リベルティ(Stefano Liberti)

ジャーナリスト、映画監督


訳:瀧川佐和子


 ブラジルのマト・グロッソ州での成功経験をもとに、同じ熱帯サバンナ地帯のモザンビークで単作大規模農業を再現しようとしたプロサバンナ計画。日本とブラジル、モザンビークの政府や企業家たちの思惑が絡まりあったこの計画は、農民たちの前代未聞のレジスタンスによって、その計画の見直しを余儀なくされている。[日本語版編集部]

(仏語版2018年6月号より)

Enrico Parenti. — District de Malema, Mozambique, 2017

 人里離れた叢林地帯にある村、ナカラリはモザンビークの首都マプトから北へ2000㎞のマレマ郡にある。マンゴーの木の下で地べたに座ったり、ぐらついた木のベンチに腰かける40人ほどの男女が訪問者を迎えている。彼らの周りにはマンゴーが枝から落ちてくるたびに、ぜんまい仕掛けのように飛び跳ねる子どもたちがいる。村の助役が口を開く。日焼けが刻み込まれた顔と長年土地を耕し続けたごつごつした手のアゴスティーニョ・モセルニア氏は「私たちは政府が言うことを信じるべきではないのです。NOと言い続けなければならないのです」と険しい表情で語り、近隣の村からやってきたばかりの農民組織の代表者に発言を譲る。モザンビーク全国農民連合(UNAC)のディオニッズィオ・メポテイヤ氏は「政府は窮地に陥っています。我々の闘いは初めての歴史的な勝利を収めました。我々は略奪を防ぎ、この土地は何世代にもわたって耕作してきた我々のものでしかないことをもう一度明確に示したのです」と断言する。軽やかな声の40代のその人は「この結果に至ることができたのは、我々が一致団結したからにほかありません。団結し続ける必要があります」と付け加える。

 ナカラリが震源となった民衆の動員は、アフリカで最も大きなアグロインダストリー計画のプロサバンナに、打撃を与えた——この土地の人々はそれが致命的であることを望んでいる。マンゴーの木の下での集会は、この長い一連の出来事の最終章でしかない。メポテイヤ氏は「町」で起きていることについて、各地の農村共同体に知らせるためにひっきりなしに動き回った。それというのもモザンビークのこの地域でインターネットはまだ幻の存在で、携帯電話もとぎれとぎれにしか繋がらないからだ。

 ©ル・モンド・ディプロマティーク日本語版

ゲイツ財団は「革新的なパートナーシップ」だと言う

 モザンビーク政府と日本のJICA(独立行政法人国際協力機構)、ブラジルABC(ブラジル協力機構)の三者による協力の成果であるプロサバンナは、モザンビーク北部3州の19市町村の地区を横切るナカラの長い回廊地帯に、商業的な農場を導入することを目ざしている。フランス本土の四分の一にあたる1400万ヘクタールのこの一帯は、世界的な市場をターゲットとする大豆・綿・トウモロコシといった「換金作物」に適していると考えられている。インド洋に面しているナカラ港はナカラ回廊地帯と鉄道でつながり、中国向けの輸出港となる。

 プロサバンナは、2008年から南半球とサハラ砂漠以南のアフリカ地域を席巻している農耕地の争奪競争に参入している(1)。主要農産品の価格が2倍さらには3倍になった世界的な食糧危機の後、大規模生産のための土地の獲得は安易に利益を追求する投資家、投機家たちの心をとらえている。それらの分野は農産物加工業者たちだけでなく、金融界のアクターたち、すなわちゴールドマン・サックスやメリル・リンチ、その他の金融機関で働いていた人々によって設立された金融ブローカー、投機的ファンド、あらゆる種類の投資ファンドなどをも引きつけている(2)。エチオピアからコンゴ民主共和国、セネガル共和国からスーダン共和国において国内市場向けではなく、収益性の高い海外市場向けの生産のために、数億ヘクタールが売られた(3)。地元経済にほとんど組み込まれていないプロサバンナのようなプロジェクトは「土地を単なる商品にし、農村の小規模農家にとっての土地の重要性はみじんも考慮されていません」と、国連人権委員会で食糧確保の権利についての特別委員会報告者だったオリビエ・デ・シュッター氏は述べる(4)

 79万9000k㎡と広大で、2800万人と人口の少ないモザンビークは、このあくどい土地の争奪競争の目的地となった。2010年のサウジアラビアのリヤドでの国際会議の時に、すでにジョゼ・パチェーコ農相はモザンビークの土地の50年契約の賃貸料をなんと1ヘクタール1ドルと安売りし「これが我々の価格です。というのは共同開発を信頼しているからです。我々は新しい緑の革命[訳注1]に共に取りかからなくてはならないのです」と自国のプロモーション活動をしていた(5)

Enrico Parenti. — District de Malema, Mozambique, 2017

 「経済発展に役立つ」という[途上国間の]南南協力の「近代性」の裏で、プロサバンナは小規模農家を大企業の臨時の契約社員に変え、モザンビークを世界中にアグロインダストリー産品を輸出するための中心地にすることで、農村の生産関係を壊している。2009年のイタリア、ラクイラのG8サミットの際、日本の麻生太郎首相とブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領の非公式会談で構想されたこの計画は、1970年代から1990年代の伝説化した、マト・グロッソの湿度の高い熱帯地域を世界的な大豆の生産地にした経験の再現を目論んでいた。当時、ブラジルのセラード開発事業[訳注2]は、緑の革命の父ノーマン・ボーローグ氏によると「世界でもっとも発展した農業地域」であり、日本の技術者たちの協力と巨額の資金援助を受けて推し進められていた。プロサバンナの三角関係はセラードの成功体験に着想を得て、ブラジルの技術を利用し、とりわけアジア市場における製品の商業化を日本企業に任せてモザンビークの北部を開発することを目的としている。

 発表の時から、プロサバンナは世界的な影響力を持つ指導者たちの賛辞を得ていた。2011年11月、韓国釜山での第四回援助効果向上に関するハイレベル・フォーラムでアメリカ合衆国のヒラリー・クリントン国務長官は「共通の試練に対する解決案を見つけるために共に活動しているこれら新興経済国」の努力に敬意を表した。ビル&メリンダ・ゲイツ財団を通じて、いくつものアフリカの開発計画を率いている大物ビル・ゲイツ氏はプロサバンナを「革新的なパートナーシップの規範(6)」に仕立て上げている。

 GVアグロは、ブラジルでも有名な教育シンクタンク機関のジェトゥリオ・ヴァルガス財団と関連するコンサルタント会社で、「革新的なパートナーシップ」の舞台裏で活発に動いている。GVアグロは前農務大臣ロベルト・ロドリゲスに率いられており、アフリカの南北2本の回帰線の間にある全ての地域における、アグロインダストリー分野の最成長企業をめざしている。一方でテテ州の石炭を採掘する、鉱山会社ヴァーレの顧問でもある前大臣は、プロサバンナの黒幕とみられている。というのは「未開墾地(7)」を単一栽培で開発した成功体験を引き合いに出して、モザンビーク北部をマト・グロッソのように開発できるのではないかと着眼したのは彼なのだ。そしてまた、出資を考えているブラジル人投資家たちのために、この土地の見学を企画したのも彼だった。プロサバンナの戦略プランと資金調達の仕組みもGVアグロが考案した。当初、主として日本政府からの3800万ドルの初期投資で開始したこのプロジェクトは、おあつらえ向きにナカラと名付けられ、個人投資家から20億ドルを集めたとされるファンドによって支援されている。このファンドは「地方の経済発展を活発にしながら、投資家に対して長期的な利益を産むこと」が目的であると明言している。同時に、モザンビークと日本の両政府は「小規模農家の様々な統合モデル」を支援してプロサバンナ開発イニシアティブファンドを設立した。

新聞から情報を得ていた農民

 この農村の改造と開発プランは、その地域で生活する小規模農家からかけ離れたところで作り上げられている。「私たちがこの計画のことを初めて聞いたのは、2011年の8月、パチェーコ農相がブラジルの新聞の取材に応じた時のことでした(8)」と家族経営の農家を支援するマプトの協会、「農村コミュニティ開発のためのアカデミック・アクション」(Adercu)事務局長ジェレミアス・ヴンジャーネ氏は回想する。「衝撃でした。政府は我々に一度も話したことがないものを外国に売っていたのです ! 」と、この黒く長い髭をはやし、説教師のように能弁な元ジャーナリストは憤慨する。「このインタビューが我々の目を覚まさせました。調査を進め、それがアグロビジネスを展開する多国籍企業にこの国の門を開くことを目的とする基本計画であることがわかったのです」。これらの調査を進めることは大して難しくはなかった。なぜなら同じ記事の中でブラジルの企業家が、とてつもなく安価な地代で彼らに土地を約束するアフリカの国に移住する構想に熱中していることを明言しているからだ。「モザンビークは、無料の土地があり、環境的な障害がほとんどなく、中国へ向けた商品輸送のコストがかなり安いという条件を備えた、アフリカの真ん中のマト・グロッソなのです」とマト・グロッソの綿花生産者協会議長のカルロス・エルネスト・アウグスティン氏は断言する。

 GVアグロが考え出し、プロジェクト推進者がお題目のように繰り返す能書きが何であろうと、ナカラ回廊地帯はセラードとの類似点がほとんどない。2つの土地が同じ緯度であるにしても、ブラジルの茫漠とした空き地よりもプロサバンナのターゲットにされたその土地ははるかに肥沃で、つまり地域農民にとってより重要である。とりわけ、1970年代にあまり人が住んではいなかったマト・グロッソとは反対に、この土地には、大半が国内で消費される食料のかなりの部分を生産する小規模農家が500万人も住んでいる……。

500万人が暮らす手つかずの土地

 モザンビークでは他の多くのアフリカの国々のように、土地は国家所有であり、売ることはできない。1975年の独立の際に国が手にしたこの特権は、1990年の憲法によって保障されている。法律によれば、政府は地域共同体あるいは個人に彼らの小規模農園(machambas)を耕作するための土地使用権(DUAT)を与える。しかし農村地域では誰も土地の所有権の書類を保持していない。その書類の重要性を農民たちは理解していないのだ。つまり、知らぬ間に土地の所有者が変わっているということもあり得るのだ。

 ナカラリから車でおよそ15分のところにあるウァクア共同体の人々はそのことがよくわかっている。2012年のある日、市町村連合区の役人が住民に書類へのサインを求めにやってきた。それと引き換えに、彼らは住民にいくばくかのお金と「社会的なプロジェクト」の実現を約束した。しかし、それはまったく別のこと、つまりDUATをすっかり放棄することを意味していた。「住民たちはだまされていたのです。彼らは住民たちが計画に参加することになるだろうと言い、住民たちが理解できない書類にサインさせました。住民は代償として4500~6000メティカル(60~80ユーロ)を受け取り、その土地から離れることを強いられたのです」とメポテイヤ氏は憤る。間もなくアグロモス社(Agromos)——ブラジルとポルトガルの合同資本の、アルマンド・ゲブーザ前大統領が保有するモザンビークの会社と関連のある会社——は主に大豆を栽培している9000ヘクタールの土地を手に入れた。「ここの大部分の住民が字が読めず、ポルトガル語もほとんど理解できないことを利用したのです」。現在、ウァクアはアグロモスの農作地に囲まれた形ばかりの村だ。会社に雇われた監視人が誰も近づけないようにしている。むき出しの土地は種が蒔かれるのを待っている。インゲン豆やキャッサバの小さな区画が広がり、マンゴーの枝が伸び、あちこちで子どもたちのグループが走り回るナカラリの風景とは著しく対照的だ。

 プロサバンナと直接の関係はないが、アグロモス事件はこの計画の推進者たちの意図を明らかにしている。あらゆる地域でウァクアと土地の収用の話は口コミで広がった。この経験を後ろ盾に、農民の代表者たちは政府に立ち向かった。「役人たちは開発について話すために私たちを連合区の本部に集めました。彼らはスライドを使って完璧なプレゼンテーションをしました。私たちはアグロモス事件についての質問をしましたが、彼らは答えませんでした。だから私たちはその部屋から立ち去ったのです」とメポテイア氏は詳細に語った。その時からマレマ郡は、月を追うごとに国中で支持され、急速に国境を越える異議申し立てのシンボルとなった。

国際的な抵抗キャンペーン

 「すべてはブラジルへの旅から始まったのです」とヴンジャーネ氏は語る。プロサバンナと30年前にマト・グロッソで起こったことの類似性を検討することで、モザンビークの組織は自分たちで現状を理解することに決めた。2012年11月、5人の代表団がブラジル内陸部に向かった。彼らは衝撃を受けて帰ってきた。「私たちは何百㎞も駆け巡りましたが、広大な大豆畑しか目にしませんでした。ただ一人の農民もいなければどんな農村共同体も存在しなかったのです」と農村共済組合(ORAM)のアベル・サイーダ氏は思い出す。「土地全体が伐採されていました。いのちを感じるものは何一つなかったのです。なぜなら殺虫剤と肥料の過剰な使用が砂漠を創りだしたからです。私たちの土地も同じように殺伐としたものになるかと思うと悪夢を見るようでした」。その旅のドキュメンタリーは地域の言葉に翻訳され、モザンビーク中に広まった(9)

 「我々は行動を起こすことにしました。というのも誰からも情報を与えられない状態が続いたからです」とナンプラのモザンビーク全国農民連合地域支部議長コスタ・エステバオ氏は説明する。組織のバッジと黄色いTシャツ、野球帽をほこらしげに身につけた彼は、政府を激しく非難する。「私たちは発展に反対しているのではなく、農民たちも参加し、意見を求められるべきだと思っているのです」と彼は明言する。「ところが、彼らはとにかくすべての計画を私たちに知らせずに作りあげました。そして私たちに農村の開発について話しながら、それを押し付けようとしたのです。けれどもそれは何十年も耕し続けた土地を、農民から巻き上げることだったのです」。ナンプラから車で30分の小規模農園に鍬で穴を掘り、トウモロコシの種をまきながら彼は話を続けた。「最終的なマスタープランを見たとき、私たちに持ちかけられていたのは全くの詐欺だということがわかったのです」。GVアグロと株式会社オリエンタルコンサルタンツグローバル、NTCインターナショナル株式会社という日本の2つのコンサルタント会社によって入念に練り上げられた文書が図らずも流出したことで、農民の不安は確固たるものになった。そこには「耕作や土地の管理を伝統的な方法で行う農家を、商業的な種子と化学肥料[の使用]、民間名義の土地に基づく大規模農業に追い立てること」と書かれていた(10)

 当初は単なる地域的な運動だったが、動員数は急速に増えた。ブラジル、日本そしてモザンビークで農民運動と様々な組織は情報を共有し、活動を連携させた。モザンビークの23の組織がこの三国の政府に宛てた公開書簡の中で、彼らは「生活に直接影響のある社会的、経済的、そして環境的に極めて重大な」ことにかかわる問題について、広く開かれた、透明性のある、民主主義的な討論が完全に欠如していること」を告発した(11)。国際的に活動する約40の組織がこの文書に連署し、それを広めた。エステバオ氏自身、その当時モザンビークのサバンナから東京の衆議院の豪華な廊下に送りだされた。「私は日本の国会議員と会うために日本に招かれました。私たちはプロサバンナ計画に批判的だと彼らに言いました。それは私たちの生活様式を危うくするからです」

 デモ、海外使節団、公開書簡、モザンビークの農民組織をブラジルの農民組織や大学教員、日本やヨーロッパの市民社会組織と結びつけた世論の動向、これら全てがこの計画を弱体化させることになった。「抗議はあらゆる地域に広まりました。私たちは共同体に情報を伝え、役人の空手形に同意しないようにするためのキャラバンを組織しました。それは大変なことでした。私たちは途方もない距離を走り回ったのです。ですが、素晴らしい結果を得ました。上から押し付けられた開発モデルは受け入れないと声を大にしてはっきり言う人々の声を、モザンビーク政府は初めて聞かなければならなくなったのです」とヴンジャーネ氏は語る。

 実際に、ナカラ回廊を新しいマト・グロッソに変換するという壮大なプロジェクトの推進者たちは怖気づき始めた。新たな農地植民地主義の代理人のように思われないかと心配して、最初にプロサバンナの妥当性について懸念を表明したのは日本人だ。GVアグロの招きでモザンビークを訪問していたブラジルの企業家たちは、もはやこの計画に興味がないと告げた。ブラジルのABC(ブラジル協力機構)の技術者たちは帰国した。20億ドルを集めたとみなされているナカラ基金は目立たないように閉鎖され、プロサバンナは中断された。

理解されなかった計画

 「我々は事前評価を間違えたのです」とJICAのプロサバンナ担当官の横山浩士氏は話す。マプトの中心の近代的な建物にあるJICAの本部で、彼はいかなる予備調査も行わなかったことを率直に認める。「初めはマト・グロッソでの経験を再現できると考えていました。そうこうするうちに2カ所の状況はとても異なっていて、ここでブラジルの開発モデルを実施するのは合わないと気づいたのです」。横山氏は今日「小規模生産者の支援」の必要性に言及し、プロサバンナの核心だった大規模農業化の計画を白紙に戻し、「関連する農村共同体に意見を聞く仕組みを備えたマスタープランを作り直しているところです」と説明する。GVアグロはもはやこのプロセスに加わっていない。推進者たちは教訓を忘れないと断言し、振り出しに戻ることを提案している。

 ラクイラのG8での公式発表からほぼ10年後、プロサバンナは挙式の前から破たんした結婚を思い起こさせる。日本は投資をしたうえ威信もかけていたため撤退できないが、ブラジルはすでに手を引いた。そしてアフリカのアグロビジネスのかなめにすることを切望していたモザンビークは、シンプルな協力計画を実行することにした。それはまだ机上の空論で、あまり信用されそうにもないが……。

 農業省の建物に行ってみればこの降格ぶりがよくわかる。アフリカ最大の農業開発プロジェクトと見なされていたこの本部は、建物の隅に追いやられている。がらんとした室内にはパソコンも電話もなく、モザンビークと日本の2本の小さな旗が目立つ机の向こうに、プロサバンナの国内調整役のアントニオ・リンバウ氏が座っている。彼は明白な事実を否定するという、骨の折れる仕事を任されている。「私たちはブラジルのセラードモデルを広めるつもりは一度もなかったのです。小、中、あるいは大企業を優遇しながら、私たちの国にぴったりあった農村開発の促進を常に望んでいたのです。国民の食糧主権は私たちの優先事項です」と断固として主張する。彼によれば、その計画は「遅れや誤解があるが」進められるだろうということだ。

 しかし、ナカラ回廊地帯では、プロサバンナ計画は亡霊のようだ。ナンプラ郊外のサバンナの真ん中に、風変わりなカテドラルのように孤立して、この計画の一環で建てられた数少ない建築物の一つである土壌分析研究所がそびえたっている。人気のない荒廃した建物の中で、何人かの学生とひとりの女性農学者がやる気なく装置のデモンストレーションをしている。「計画はよくできていましたが、今はすべて凍結されています。理解されなかったのです」とその地域のプロサバンナの責任者アメリコ・ウァスィケーテ氏はお仕着せの台詞を口先だけで繰り返す。

 車で数時間行ったナカラリのマンゴーの木の下で、「プロサバンナ」という言葉を口にするだけで、激しい怒りで人々の顔色が変わるのを目にする。「彼らが何度来ようとも、私たちは決して言いくるめられたりはしない」とモセルニア氏ははっきりと言う。その横で、ヴンジャーネ氏は「歴史的な勝利」を勝ち取ったことに満足しているが、「政府は発言を変えました。けれども私たちは警戒し続けています。なぜなら政府はまたこの計画に取り掛かるかもしれないからです」と慎重な姿勢を示してもいる。

*このルポルタージュはピューリツァー賞の助成金を受けた。またこのルポはリベルティ氏とエンリコ・パレンティ氏が制作した、牛肉と大豆単作農業の世界的産業についてのドキュメンタリーの一環をなしており、2018年秋に封切りが予定されている。https://www.soyalism.com




(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年6月号より)