密かに行われる虐殺

「ミャンマーの春」の終焉


ギヨーム・パジョ(Guillaume Pajot)

ジャーナリスト

訳:村松恭平


 アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟が政権を握ってから2年が経った今、ミャンマーでは表現の自由が脅かされている。ラカイン州では軍によるロヒンギャへの民族浄化作戦が行われた。政府や軍を批判すれば脅迫される。フェイクニュースが次々と生み出される一方で、民族主義的なヘイトメッセージもソーシャル・ネットワーク上で拡散している。[日本語版編集部]

(仏語版2018年5月号より)

photo credit : Jordi Bernabeu Farrús
ミャンマーとバングラディシュとの国境に集まるロヒンギャ族の難民。



 疑い深い様子で警察官が見つめる中、その医者はヤンゴンのインセイン郡区にある裁判所内に潜り込み、英国のロイター通信社のチョー・ソウ・ウー記者の蒼白くなった腕に注射を打った。近親者たちは、被告人席にいた彼の健康状態を心配していた。医者は急いでいるようだったが、プラスチック手袋をはめた両手は震えていなかった。裁判官が法廷に入ってきた時、医者は血が入った小瓶を手に持ち、その場から急いで去った。「医療検査は他の場所で行ってください」とその裁判官は叱責した。「二度と同じことを繰り返さないでください。ここは病院ではありませんから!」

 この出来事は気まずい沈黙を生み出した。裁判官は全くもって間違っているというわけではなかった。そこは病院ではなく、“かろうじて”法廷だったからだ。ちぐはぐに置かれたベンチの上には天井から破片が落ちていた。そこには家族や同僚、記者、外交官たちが密着して座っていた。じめじめして焼けるように熱い空気が法廷内に充満し、彼らの顔は汗だくになっていた。割れた窓ガラスはカーテンで隠し切れておらず、鳥たちが侵入し、法廷のあちこちに巣を作っていた。4月のその朝、ロイターのミャンマー人記者二人に対する13回目の審問が行われたのが、この老朽化した裁判所の中だった。

 27歳のチョー・ソウ・ウーと32歳のワ・ロンは、[2017年]12月から投獄されている。警察から手渡された、ミャンマー西部の軍事作戦に関する資料を持っていたことで逮捕された彼らは、植民地時代に遡る法律により、「国家機密」違反で14年の懲役刑を課される恐れがある。彼らはラカイン州のインディン村で、軍人と仏教徒の村人によるイスラム教徒10人の虐殺について調査していたが、まだ一本も記事を発表していなかった。そのロヒンギャたちの死体は、ある死体置場で見つかった。仏教徒が人口の大部分を占めるミャンマーでは、2017年8月25日以降、軍によって迫害されたこのイスラム系少数民族のおよそ70万人が、バングラデシュへ避難するためにこの国を逃れた。国境なき医師団によれば、一カ月間で少なくとも6,700人が殺されたという。国際連合人権高等弁務官事務所のザイド・ラアド・アル=フセイン氏は、これは「大虐殺行為」による「民族浄化」だとして3月に糾弾した(1)

 この法廷で行われたのは、茶番だ。前回の審問の時には、一人の警察官が逮捕に関する記録を「燃やした」と発言した。その後、原告側の証人が、非常に重要な情報を手の上に書いて出廷した。記憶障害というのがその理由だった。誰も、何の証拠も提出していない。ある警官によれば、差し押さえられた資料に含まれていた情報は、彼らが逮捕された時にはすでに新聞に掲載されていたという。ミャンマー軍はロイターの記者たちが調査していたインディン村での残虐行為について認識さえしていたし、それに関与した7人の兵士は禁固10年にも処せられた。しかし、二人の記者は拘留されたままだ。「彼らはただ自分の仕事をしていただけなのに」と妊娠5カ月であるワ・ロンの妻、パン・エイ・モン氏は嘆く。手錠をはめられた被告人たちは、法廷の出口でみずからの意見を訴えていた。刑務所に連行する小型トラックに警察官10名ほどがワ・ロンを力づくで乗せている間、彼は「私は記者であり、裏切り者ではないことを分かってほしい。私は自分の国を裏切ったことは一度もありません!」と叫んでいた。

 二人のロイター記者が裁判で経験した苦難は、すべての報道機関にとって“警告”になる(2)。ラカイン州で軍人の不正行為を調査したい者には、不幸な境遇が待ち受けている。アウン・サン・スー・チー国家顧問率いる国民民主連盟(NLD)と軍は権力を分かち合っているが(3)、両者は報道機関とNGOが生存者たちから収集した暴行と殺人の証拠を無視し、民族浄化作戦ではないと完全否定している。

 政府による公式発表では、この鎮圧は単にアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)の「テロリスト」たちを追い詰めるためのものだという。ARSAは2016年10月と2017年8月に警察署を何カ所か襲撃したことで知られることになった反政府グループで、[これをきっかけに]ミャンマー軍による血みどろの鎮圧が始まった。1991年にノーベル平和賞を獲得したスー・チー氏によれば、今回の危機は、「共同体の間に問題を生じさせ、テロリストの利益を促進させるための情報操作の巨大な氷塊」の下に埋もれている(4)。彼女はロヒンギャに対し、ひとかけらの同情も示さなかった。ロヒンギャはこの土地で何世代にも渡って暮らしてきたにもかかわらず、大多数のミャンマー人からは、バングラデシュから来た“好ましからざる移民”とみなされている(5)。政府系メディアの意見はどれも同じで、情報省に属しているGlobal New Light of Myanmarに倣い、ロヒンギャを「人間にくっつくノミ」にもなぞらえている(6)

 政府の発言や軍へのあらゆる批判は、“国益に対する攻撃”だとみなされる。さらに、NLDはロイターの記者たちの逮捕については口をつぐんだままだ。報道機関が特に狙われている。ロヒンギャに対する軍の排斥キャンペーンが始まって以降、逮捕者が増加している。2017年6月、軍人をからかった風刺のために日刊紙The Voiceの編集長とコラムニストが逮捕され、拘留された。その訴追は4カ月後になってようやく撤回された。同じ時期、中国との国境に近いシャン州では反政府の民族グループに接触した3人の記者が軍によって捕まり、2カ月の間拘禁された。2017年10月には、トルコのテレビ局TRTの記者2名、そして彼らの通訳と運転手も刑務所で2カ月を過ごすこととなった。ルポの撮影のために、首都ネピドーにある議会の近くでドローンを飛ばしたというのが彼らの罪だった。2017年だけで、11人の記者が逮捕された(7)。「今起きているのは情報をめぐる戦争で、メディアがその最前線にいます」とタルン・ザウン・テットは語る。彼は民主ビルマの声(Democratic Voice of Burma)という放送局のプロデューサーで、報道の自由を守る団体である「ジャーナリスト保護委員会」の創設メンバーだ。彼は当局と対話を再開しようとしているが、政府側は聞く耳を持たない。「NLDが野党だった時は、記者たちはNLDと良好な関係を持っていました」と彼は言う。「今では、私たちは敵とみなされています」

 ロヒンギャ危機の震源地であるラカイン州北部は、触れてはならない話題となった。この地域は軍によって厳重な規制が課され、国連の監視員もメディアもそこへの立ち入りが禁じられている。軍は報道陣向けのツアーを企画しているが、制約が非常に多い。住民の生活が平常に戻っているようにみられる瓦礫の野原を通るツアーで、そのルートは定められている。週刊誌Frontierの記者で、数カ月前からこの地帯を取材していたごく少数の記者のうちの一人、ムラット・チョー・トゥは「これはプロパガンダ作戦です。当局は舞台とインタビューを劇作品のように準備しています」と考える。

 ミャンマーの中心部から遠く離れ、仏教徒とイスラム教の間の不信感によって蝕まれたこの貧しい地域でミン・ミン記者は生まれた。彼はRoot Investigative Agencyの創設者で、フリージャーナリストからなるこのグループは、ラカイン州で非常に大きな影響力を持つ仏教徒の民族主義者に関する調査で知られている。29歳のミン記者は、警戒しながらこの危険地域を取材している。街には彼の顔写真が貼られ、何者かが彼を車で轢き殺そうとした。彼の家の玄関では爆弾が一度爆発したが、犠牲者は出なかった。損傷を受けたその壁を見て、彼は考え込まされた。「今日、本当に自由になる唯一の方法は、この地域を離れることです」と彼は打ち明ける。現在は故郷の町から数百キロメートル離れたヤンゴンで一年のうち数カ月を過ごしているものの、それだけ離れた場所でも彼の安全は確保されたわけではない。私がこの経済の中心地[ヤンゴン]のカフェでミン記者にインタビューをしていた時、一人の男が彼をじろじろと見続けていた。その男はついに立ち上がり、彼の首を掴んで「ラカイン州について話すのをやめろ」と耳打ちした。その後、その男は再びテーブルに座り、何事もなかったかのように飲み物を飲み続けた。

 海外からの非難に苛立った人々の大半は、軍と政府の周りで一致団結している。報道機関に対する不信感はすさまじい。報道に関する法律を専門とする弁護士で、ロイターの記者たちを弁護するThan Zaw Aung氏は、「溝は深まりました。記者たちは、この国について悪いイメージを与えるトラブルメーカーのように見られています」と残念がる。社会に広がる敵意に直面した多くの記者は恐怖にとらわれ、自己規制を行っている。

 大勢の仏教徒の村人たちから殺すと脅されたムラット・チョー・トゥは、ラカイン州に戻ることを拒んでいる。他のジャーナリストたちはその職さえ辞めている。報道の自由の夢は潰えた。約50年続いた軍事独裁が終わった後、退役将軍だったテイン・セイン大統領が2011年に着手した「ミャンマーの春」には、凍てつく風が吹き付けている。「ミャンマーの春」では未曾有の改革が実施された。政治犯の釈放(8)—— 政治犯支援協会(AAPP)によれば、有罪判決を受けたか、もしくは裁判を待っている86人の“良心の囚人”[訳注1]がまだ残っているという ——、出版前の検閲の廃止、独立系日刊紙の発行許可などだ。ニュースサイトのThe Irrawaddyのように国外に拠点があったいくつかのメディアは、ミャンマー国内に事務所を開設するようになった。2016年4月には反体制派だったアウン・サン・スー・チーが権力の座に就いたことで、多くの希望が生まれた。「私は自分を、国のために働いている人間だと考えていました」とThe Irrawaddyで民族紛争の調査を行っているラウィ・ウェンは思い起こす。「私が逮捕されるなんて、思ってもみませんでした!」。彼は昨年、シャン州で取材を行った後、2カ月の間投獄された。NLDを最初からずっと支持していたが、彼の情熱は消え去った。

 失望感が社会全体を覆っている。目に見えない危険ラインが引かれたようだ。そして、一言意見を発するだけでそのラインを超えてしまう。反響を巻き起こした直近の例を挙げよう。2018年3月、ある元少年兵がインタビューの際、強制的に軍に入隊させられたことを公表し、2年間の服役と強制労働の有罪判決を受けた。Free Expression Myanmarの共同創設者イン・ヤダナール・テイン氏は、体制が自由化された2011〜2016年までの「テイン・セイン大統領の統治下では、表現の自由はもっと認められていた」と考えている。彼女は遠距離通信に関する法の66条(d)の威力について、特に指摘する。その法律はインターネット上の誹謗中傷行為を犯罪として規定している。その条文によって、あらゆる反体制的な意見の周りに常に危険が迫っている。ためらいなくそれは行使されている。Free Expression Myanmarが計算したところによれば、NLDが政権を握ってからその件数は急激に伸び、100件近くの訴追がなされたという(9)

 デモを行う権利もまた脅かされている。NLDが提出し、議会で現在議論されている修正案は、デモや集会に対して金銭的あるいは物質的支援を行った人物の身元は明らかにされなければならないと規定している。したがって、もしデモが公共の秩序を乱すようなことになれば、その支援者は懲役刑を課されるかもしれない。だが、ミャンマーは今も貧しい国であり続けている。国民が怒る理由はたくさんある。国民の3分の1は今もなお貧困ラインを下回る生活をしている(10)。今現在、この国の経済発展の真の勝者は、軍事革命政権との繋がりのおかげで財をなした企業家である「クローニー」(取り巻き)たちだ。

 こうした表現の自由に対する攻撃に伴い、インターネット上、特にミャンマー人の多くが利用しているソーシャル・ネットワークのフェイスブック上ではヘイトメッセージが急増した。人口5,300万人、インターネットユーザー1,800万人のうち1,600万人がフェイスブックを利用している(11)。フェイクニュース、イスラム嫌悪、人種差別的な侮辱 —— このような民族主義的なプロパガンダがそこには溢れている。ロヒンギャに対するヘイトが常態化していることに関して、国連の調査員たちはこの米国企業の責任を指摘した。ミャンマーの人権状況を調査している国連の特別報告者イ・ヤンヒ氏は、「フェイスブックがある種の“怪物”に変わってしまったことが恐ろしい」と発言した(12)

 2017年9月の初めには、イスラム教徒が9.11の日に合わせてテロ攻撃を企んでいるといった内容のメッセージが、仏教徒のインターネットユーザーの間で広まった。活動家たちはフェイスブックに通報したが、それに対応し、メッセージを削除するのにフェイスブックは数日をかけた。一つの噂で暴力が燃え広がる国では、“数日”はあまりにも長すぎる時間だ。2014年7月には仏教徒の女性が暴行されたというフェイクニュースがフェイスブック上で拡散し、その後、マンダレー(ミャンマー中央部)で多数の死者を出す衝突が発生していた(13)。2018年4月、フェイスブック社長のマーク・ザッカーバーグ氏はアメリカ議会の公聴会で、ヘイトに満ちた発言を発見するために特別な手段を講ずると発表した。また、ミャンマー語を話すチェッカーをさらに多く雇うと約束した。

 その一方で、宗教間の対話の促進を目指す小規模団体Synergyの創設者、テ・スウェ・ウィンにとっては、ソーシャル・ネットワークは“地雷原”のままだ。彼はロヒンギャを公然と擁護する数少ない仏教徒の一人で、バングラデシュにある難民キャンプにも赴いている。ソーシャル・ネットワーク上では、攻撃的なインターネットユーザーは彼のことを「寄生虫」と呼んでいる。ウィン氏は電話で嫌がらせも受けている。「あの民族主義者たちはハイエナのように動いています。うまく組織されており、抑えるのは困難です」と嘆く。しかし、彼は諦めてはいない。「人々が黙っているから、不当な行為が続くのです。人々は自分を守ろうとしてそうしていますが、それは間違っています。次には、軍が彼らのもとにやって来ないとは限りません」


  • (1) 2018年3月7日にジュネーヴで開催された国連人権委員会での演説。
  • (2) ある警察長官がその案件を担当していた裁判官に、記者たちは警察トップの命令で罠にはめられたと認めた。Cf. « Myanmar police ’set up’ Reuters reporters in sting-police witness », Reuters, 20 avril 2018.
  • (3) 2008年の憲法では、外国籍の子供を持つ者は皆(したがって、アウン・サン・スー・チー氏も)大統領になることが禁じられ、軍に対しては議席の4分の1と重要な大臣ポスト(内務省大臣、国防省大臣、国境省大臣)が保証されている。
  • (4) トルコ大統領、レジェップ・タイイップ・エルドアン氏との電話会談。Myanmar State Counsellor Office, Facebook, 5 septembre 2017.
  • (5) Lire Warda Mohamed, « Des apatrides nommés Rohingyas », Le Monde diplomatique, novembre 2014.
  • (6) Khin Maung Oo, « A flea cannot make a whirl of dust, but… », The Global New Light of Myanmar, Rangoun, 26 novembre 2016.
  • (7) « Myanmar’s press freedom in freefall », Agence France-Presse, Paris, 10 janvier 2018.
  • (8) Lire Christine Chaumeau, «  Les prisonniers politiques oubliés », Le Monde diplomatique, janvier 2017.
  • (9) 2013年に遡るこの法律は前政権が欲したものだが、前政権はほとんどこの法律に訴えなかった。 «  66(d) : no real change », Free Expression Myanmar, Rangoun, décembre 2017.
  • (10) «  Myanmar poverty assessment 2017 », Banque mondiale, Washington, DC, décembre 2017.
  • (11)  Internet World Stats, Bogota, décembre 2017.
  • (12) 2018年3月12日に開催された国連人権委員会の議事録
  • (13) Cf. le documentaire de Barbet Schroeder Le Vénérable W., 2017. Lire Christine Chaumeau, «  Prêcher la haine au nom du Bouddha », Le Monde diplomatique, juin 2017.

  • [訳注1] アムネスティによれば、“良心の囚人”とは「世界の多くの地域で、暴力も用いていないのに、信念や信仰、人種、発言内容、あるいは性的指向を理由として囚われている人びと」のことを指す。https://www.amnesty.or.jp/…

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年5月号より)