図書館で快適なお昼寝を


エリック・デュセール(Éric Dussert)

作家、著書にUne forêt cachée. 156 portraits d’écrivains oubliés,
La Table ronde, Paris, 2013.

クリスティーナ・イオン(Cristina Ion)

作家、著書にMachiavel : le pouvoir et le peuple, Éditions Mimésis, Paris, 2015.
(Yves Charles Zarka氏との共著)

訳:村松恭平


 今日の図書館は、アメリカでもフランスでもその費用の正当性に疑問が投げかけられ、「社会的有益性」が問われている。その役割は、現代社会の“需要”に応えることに次第にシフトし、ほかならぬ「図書館」という概念そのものが実際に塗り替えられつつある。都市社会学者レイ・オルデンバーグ氏がかつて提唱した「サードプレイス」論によって、スターバックスのようなカフェだけでなく、図書館もまた現代性の中に飲み込まれているようだ。[日本語版編集部]

(仏語版2018年6月号より)

photo credit : Martin Pettitt
Birmingham, Library of Birmingham



 ドキュメンタリー映画監督のフレデリック・ワイズマンは最近、ニューヨーク市内に散らばる92の図書館 —— 5番街[マンハッタンの中心を南北に走る目抜き通り]にもブロンクスにもある —— からなる巨大なネットワーク、ニューヨーク公共図書館をテーマとした映画『エクス・リブリス』(原題は“Ex Libris: The New York Public Library”, 2017)(1)を製作した。この映画の中で引用されているノーベル文学賞受賞者トニ・モリスンの「図書館は私たちの民主主義の柱である」という言葉を例証するかのように、ニューヨーク公共図書館は社会教育の場として描き出されている。本、映画、音楽の貸出しのほか、ダンスレッスン、演劇、講演会、さらには人々の社会への統合や仕事探し、起業を支援するといったあらゆる種類のサービスがそこにはある。マイノリティ —— 民族的少数者やハンディキャップを抱えた人々、性的マイノリティなど —— への気遣いも非常になされており、補習授業や読み書き教育、[参加者が自分自身の経験や困難な状況を打ち明ける]悩み相談会も行われている。これらは図書館の重要な側面となり、資金提供を依頼する際の根拠づけとなっている。というのも、アメリカの図書館は公的機関から助成金を得ているだけではないからだ。メセナ[文化・芸術活動に対する企業その他の団体、個人などによる支援]が決定的役割を果たしており、各文化機関の間の競争は激しい。

 アメリカとフランスのシステムの間には顕著な違いが存在するが、図書館に属するとみなされている様々な活動のうちどれを重視するかは、どちらの国でも常に政治的だ。フランス式の“公共図書館”(“私立図書館”と対比され、こう呼ばれる)には長い歴史がある。17世紀の初め、ガブリエル・ノーデは『図書館設立のための助言』(1627年)の中で、図書館は万人に開かれたものでなければならないと強調している。それは、後にその実現に図書館が貢献することになる「文芸共和国」[訳注1]の前触れだった。18世紀以降、王立図書館は実際に、専門家にも一般人にもますます開かれていった。フランス革命によって教会図書館、その後にはフランスから逃れていった貴族たちの図書館が国家の手に委ねられたが、それらの目録作りと保存が開始され、専門家グループには給与が支払われた。1803年には市立図書館が創設された。一方、(大学図書館のための)司書の資格は1879年になってようやく設けられることになった。1945年8月19日の政令により、図書館・公読書局(la direction des bibliothèques et de la lecture publique)がついに創設された。国民全員に読書を広めるための真の政策の発展が目指され、その形容詞[publique]は“公教育”のことを指していた。2009年、その局は図書・読書課(le service du livre et de la lecture)に置き換わった。法的枠組みや各図書館への支援条件は常に国の監督下で定められているが、一方で、その目的が変わらなかったかどうかについては疑わしい。

 というのも、今日において暗に問われているものは、図書館の社会的有益性だからだ。[CDやDVDといった]本以外のメディアさえ —— ずっと以前から —— 取り扱うようになった図書館は“メディアライブラリー”となった。別の言葉で言うならば、フランスでは様々な費用についてその正当性が問われている。ニューヨーク公共図書館のケースとまったく同じだ......。司書たちは文化へのアクセスを支援しようという意欲のもと、専門的であったり、ほとんど参照されなかったり、あまり知られていなかったりする著作と、より馴染みのある著作の間でどんなバランスを取るべきか常に探ってきた。それに加え、読者に対して日々助言を行い、彼らの道案内役となってきた。司書たちは読者たちを、自分だけでは目を向けることがなかったであろうものの発見に導いているのだ。それゆえ、資料カードがとりわけ重要になる。それは多面的な視点で知識を整理し、あらゆる種類の検索項目を駆使して多種多様な質問に対応することを可能にしてくれる。

 今日ではこうした使命はもはや自明のものではない。この図書館のモデルはエリート主義だと言われ、かの“文化の大衆化”という目的には(当然の如く)十分に応えられないとして疑問視されている。図書館関係者の間でもそうだ。“あまり知られてない本が何の役に立つのか?” “インターネットによってすべてが変わってきているのではないか?” 今日の社会変化に同調すると想定されている新たな概念が、10年ほど前から図書館に広まっている。それは「サードプレイス」という概念で、現代性の中に図書館を引き入れるのに打ってつけのものだ。

 この概念はアメリカ人でフロリダ州にあるペンサコーラ大学の都市社会学教授、レイ・オルデンバーグのものだ。1989年、彼は「とびきり居心地よい場所」(“the great good place”)(2)、すなわち、第1の場所である家庭、第2の職場と区別される“第3番の場所”に関する研究論文を発表した。共同生活を目的として、古代アゴラとウィーンのグランカフェのようにインフォーマルに管理されたこの「サードプレイス」は、彼によれば、第二次世界大戦の終結以降、衰退していた。都市計画と、“真の中心が存在しない郊外”を意味するアメリカの「自動車依存型の郊外」が特にその衰退の理由だという。誰のものでもない活気のある空間、悪天候から逃れられる場所であり、常連を迎え入れ、まるで家にいるようで、“社会的合同運動”(œcuménisme social)[訳注2]の雰囲気に囲まれ、議論するのに適した「サードプレイス」。それは、オルデンバーグによれば、消費者文化がもたらした個人主義的なライフスタイルの支配に対抗しながら、社会的繋がりの衰退を阻止する可能性を提供していた。

 予想通り、この概念はすぐにマーケティングと商売に取り込まれた —— たとえば、スターバックス(3)には革製のソファーとパソコン充電用のコンセントが備えられ、「自宅と職場の間のサードプレイス」とみずからを定義している。だが、まずはアメリカで、そして十数年後にはヨーロッパでこの論考が図書館界において直面した反響は、おそらくレイ・オルデンバーグを驚かせたであろう......。サードプレイスは実際のところ、ある明白な事実になっているようにみえる。それは、知識との関わりが変化した時期、すなわち、知識の“供給”に基づく政策ではなく、“需要”の方を堂々と重視する政策への転換を象徴するものだ。こうした変化に対してすべての関係者が賛同しているかは疑わしいが。

 「普段はあまり関心を抱かない人々をその建物内に誘い込むため、図書館は“知識に関する聖なる場所”としての図書館とは完全に袂を分かち、建築上の解釈の再定義を行っている。聖なるものから俗なるものへの移行は完遂している(4)」—— 上級司書たちの養成を行っている国立高等情報科学図書館学校(ENSSIB)によるこの説明が本当ならば(5)、図書館は「常連客」となった人たちがもっとも利用しやすいインフォーマルな出会いの場となった。参加型の運営スタイルを発展させ、「共生社会の構築を推し進める」取り組みがなされている。この「共生社会」は、「皆に開かれている」ことを意味するとみられる英語[inclusive society]からの借用語だ。司書、あの“嘆かわしい”「学識人」、そして「利用者」の間の関係は、それがさらにもっと「身近に」なるために変わらなければならないという。

 こうした考えがフランスのドクサ[訳注3]の中に侵入していることは、たとえその概念が暗黙にしか示されていないとしても、「図書館の国への旅」(6)という最近のレポートがそれを裏付けている。そのレポートは文化大臣が依頼し、文化事業総監のノエル・コルバンと作家のエリック・オルセナが作成したものだ。もちろん、その中で示された19の提言は、エマニュエル・マクロン大統領が選挙キャンペーンの際に言及した「より良く、したがって、もっと長く図書館を開く」という公約に応えることを目的としている。それは単純なことで、夜間と週末に図書館を開けば事足りるだろう。2015年にフルール・ペルラン大臣に提出されたレポートの中でそのことはすでに論じられていたし(7)、2018年度の歳出予算にも組み込まれている。この類の200ものプロジェクトが —— 800万ユーロという予算規模で —— 支援される見込みだ。「この計画の第一歩は、それぞれの生活圏においてすでにあるものは何か、何が必要とされているかを詳しく知ることだ」と報告者たちは書いている。「図書館の用途が何であれ、開館時間をその都市の実際の活動時間に合わせなければならない」。あからさまに言えば、図書館は商店と同じぐらい長い時間、開館していなければならない。いや、もっとだ —— 24時間、毎日。それをレポートの著者たちは望んでいる。

 しかし、彼らの計画はそこでは終わらない。「あの意欲、何かしたいという願望、実行の喜び」を彼らはお世辞たっぷりに強調し、それらがフランスの図書館スタッフに対する「感嘆の気持ち」をかき立てたというが、その内容については詳しく述べていない。これは当然の帰結だ。なぜなら、ほかならぬ図書館という概念そのものを実際上「刷新」し、あれもこれも行う“公共活動センター”に変えようとしているからだ —— 郵便コーナー(ネット通販商品を受け取る場所)、職業安定所、市の公共サービス、グループワークルーム、ファストフードエリア、公共団体が安全管理を担う休息・睡眠スペース、さらには、携帯電話や情報通信機器用のコンセントなど。すなわち、この「身近にある文化的公共サービスの家」—— 文化省のサイトは図書館をそう表している —— には何でも、あるいはほとんど何でも揃うのだろう。

 賑やかで実益を目的としたスペースが優先される一方、図書館やそこに所蔵される本、知識の科学的整理については、次第にその重要性が失われている。「常連客」—— より一般的には「利用者」と呼ばれる —— が重視され、読者が見られなくなっているのもまったく同じだ。セーヌ=サン=ドニ県には本の自動レンタル機が設置されているが、“そこで実施されている試みに勝るものがあるだろうか?”、とレポートの著者たちは強調している。だが、[図書館では商品を]消費する義務はない。したがって、カフェよりももっと居心地がいいのだ。

 したがって、「“文化的なもの”は増水した大きな川のごとく溢れ出し、“社会的なもの”と合流する」。「本の場所(lieux du livre)」は「生活の場所(lieux du vivre)」にもなる。「社会の流動化を促し、人々がすべての領域における決定論から逃れることを可能にするあらゆる活動」がそこでは促進される。読むことはもはや優先されない。そして、「知識の共有」に言及する時、それは「生活の場所」で出会う「デザイナー、起業家、日曜大工」たちが持つ知識のことを指している。

 公務員数の「スリム化」が行われている時に開館時間を延長すれば、多くの問題が浮上すると思われる。実際のところ、開館時間を延ばさなくとも、すでに図書館は苦境に陥っている —— 2014年にはカナダにある7つの連邦図書館が閉館し、多くの学術書が散逸、あるいは廃棄処分された。また、英国では2011年以降、緊縮政策のおかげで441の市立図書館が閉館せざるを得なかった......。サードプレイスを活性化させるには、「新しい職務」を実践に移し、「ボランティア」に頼ることになるだろう。特別に養成された公務員たちに助けを求める必要は明らかになくなった、と思われるかもしれない。これは驚くべき衰退の象徴だ。以前は、図書館は個人の解放に貢献する公共の意思の表れであった。だが今は、図書館は「社会的なネットワークづくり」を手伝い、「各人が各々の文化を享受できる」ように支援しなければならない。まやかしの民主化のもとで、“お客様が王様”という考え方が勝利したのだと言えよう。



  • (1) Frederick Wiseman, Ex Libris : The New York Public Library, DVD, Blaq Out, 2018, 197 minutes, 18,90 euros.
  • (2) Ray Oldenburg, The Great Good Place : Cafés, Coffee Shops, Bookstores, Bars, Hair Salons, and Other Hangouts at the Heart of a Community, Da Capo Press, New York, 1989.
  • (3) Lire Benoît Bréville, « Starbucks et Subway, l’illusion des fast-foods nouvelle génération », Le Monde diplomatique, août 2015.
  • (4) Agnès Camus, Jean-Michel Cretin et Christophe Evans, Les Habitués. Le microcosme d’une grande bibliothèque, Bibliothèque publique d’information –- Centre Georges-Pompidou, coll. « Études et recherche », Paris, 2000.
  • (5) « Bibliothèque troisième lieu », 26 novembre 2015, www.enssib.fr. Cf. aussi Mathilde Servet, « Les bibliothèques troisième lieu », mémoire d’étude, Enssib, Villeurbanne, janvier 2009.
  • (6) Erik Orsenna et Noël Corbin, « Voyage au pays des bibliothèques. Lire aujourd’hui, lire demain... », ministère de la culture, Paris, février 2018.
  • (7) Sylvie Robert, « L’adaptation et l’extension des horaires d’ouverture des bibliothèques publiques », ministère de la culture et de la communication, novembre 2015.

  • [訳注1] 「文芸共和国」(République des lettres)はルネサンス期に生まれた概念で、近世ヨーロッパの文化・学術を代表する知識人たちが言語の境界を越えて(共通語としてラテン語を使用して)交流し、形成した「共同体」を指す。本論考の筆者はその到来(advenir)を17世紀以降に位置付けているが、「文芸共和国」は16世紀のルネサンス期に誕生したともいわれるため、この言葉とそれが指し示すものについては、別途議論が必要に思われる。
  • [訳注2] 「エキュメニズム」(œcuménisme)は「分裂した全キリスト教会をふたたび一致させようという精神」(日本大百科全書)を指すが、ここでは“social”という形容詞がついていることから、社会における様々なアクターの行動と思想を一つにしようとする運動を意味していると考えられる。
  • [訳注3] ある時代、ある社会の成員が自明なこととして受け入れている意見。

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年6月号より)