フェミニズムの夜明け


マリオン・ルクレール(Marion Leclair)

パリ第三大学博士課程

訳:一ノ倉さやか、川端聡子


 フェミニストの先駆者であるメアリ・ウルストンクラフトは、フランス革命をきっかけにイギリスで急進主義と結びつき、専制主義批判という観点から女性への抑圧に関する省察を行い、生涯にわたり自由主義思想を掲げた。世界各国で女性の人権問題に注目が集まる昨今、フェミニズムの源流に遡ってみたい。[日本語版編集部]

(仏語版2018年3月号より)

メアリ・ウルストンクラフト(ジョン・オーピー作、1797年頃)


 1911年、エマ・ゴールドマンは彼女を、人権の向上に寄与した先駆者であると同時に弱者の擁護者として描き出した。英国出身のメアリ・ウルストンクラフト(1759-1797)は、ことイギリス海峡に隔てられたフランスではいささか忘れられていた。しかし、女性の境遇を政治的観点から考察した先駆者の一人であったことを、我々は改めて思い出してみたい。ウルストンクラフトは保守的な思考を覆す情熱的な志を生涯貫き、フェミニズムの中心的人物であるにとどまらず、イギリス急進主義運動の中心的人物でもあった。マルクス主義の歴史家エドワード・P・トムスンは、彼女がイギリス労働者階級の潜在的な意識を具現化する決定的な役割を果たしたことを指摘する。



 1760年代以降、「急進派」は中産階級の改革主義者を取り込んでいた。1789年以降、民主主義の要求、ジャコバン派の影響、貴族や商人等支配者集団の秩序への異議申し立てが急進主義運動を拡大させた。こうした覚醒に貢献した二人の理論家がいる。トーマス・ペインはアメリカ独立革命とフランス革命の熱狂的信奉者であり、著書『人間の権利』(1791)は労働者に大きな反響を呼び起こし、瞬く間に民主主義を謳う急進派のバイブルとなった。ウィリアム・ゴドウィンは教会と決裂したプロテスタントの牧師で社会主義思想の先駆者であった。彼は著書『政治的正義』(1793)の中で、無政府主義的かつ楽観主義的教義を推奨した。その教義とは、人間および社会の無限なる自己改善可能性[perfectibility=理性による人間の完全可能性]に基づくものだった(1)。1790年代には、「政治パンフレット」が飛び交い、議論が白熱していた。なかでもペインとエドマンド・バークとの間に論争を巻き起こした。バークの著書『フランス革命省察』はイギリスで話題となり、政治的世論や進歩派ブルジョワ階級の意見を、フランス革命や英国ジャコバン派に対して否定的なものに翻させた。ウルストンクラフトはこの議論の中心人物となっていくのであった。



 とはいえ、ウルストンクラフトは典型的な家父長制家族のもとで育った。祖父の一人がワイン商、もう一人が小さな絹織物工場を営む中産階級の一族に生まれた彼女は女性にとっての選択肢が極めて少ないことを身をもって知っていた。つまり、このような環境は、経常的な消費に支えられた産業生産による財力と貴族的慇懃さという点に関して、中産階級の貴族への対抗心が芽生えた時代において、ビクトリア朝以前にして女性を「家庭の天使」に仕立てる傾向にあったのだ。彼女はこの[家庭という]“大きな檻”の影響を一身に被る。ウルストンクラフトは専制君主的な権力を振りかざす父親と、従順な妻を演じる無気力な母親の目撃者であった。第一作目の小説ではこのようなエピソードが批判的に描かれている(2)。ウルストンクラフトとその姉妹はヨークシャーの小さな学校で形だけの教育を受け、一方兄は法律の道に進んだ。その後、経営の失敗続きで家計が破綻すると、彼女たちは薄給かつ屈辱的な条件で住み込みの家庭教師、もしくはコンパニオン(金持ち老婦人の世話係)になる以外に選択肢はなかった。1784年、姉妹は親友ファニー・ブラッドと女学校を立ち上げたが、経済的困窮から2年で閉鎖を余儀なくされた。



 教育に着想を得たウルストンクラフトは、最初の著作『少女の教育についての考察』(Pensées sur l’éducation des filles, 1787. 未邦訳)を書き上げる。同書は、教育を、女性の不幸な環境を改善するための重要な手段とした(3)。つまり、女性たちの苦しみの原因と救済は依然として家庭の範疇にとどまり、ある種のブルジョワ的道徳主義の域を出ていなかったのである。ウルストンクラフトは、教養の無い乳母と盗みを働く召使からの悪影響について、母親たちに忠告する。とはいえ、これが彼女の思想の政治的出発点となった。というのも、彼女の学校はリチャード・プライス博士の集会所となっていた教会と至近距離にあった。牧師兼神学者のプライスは1789年にアメリカとフランスの二つの革命の功績を説いて有名になったが、このような説教はバークを激怒させ、政治パンフレットでの討論に火をつけた。



 そうした経緯のなか、ウルストンクラフトはプロテスタントの集会に出入りし始める。英国では、非国教徒であるプロテスタント教徒には大学で学ぶ権利も、正式な職に就く権利もなかった。彼らは政治集会や知識人サークルへ足繁く通うようになるが、そこでは議会の改革案や科学的発明、革命前の急進主義運動とアメリカ独立支持及び奴隷廃止運動の顕著な萌芽が見られた。ウルストンクラフトはその集会でジョセフ・ジョンソンと出会う。ロンドンにおける急進派のキーパーソンでペインの担当編集者でもあった彼は、彼女を勇気付け、著書『少女の教育についての考察』と処女小説の刊行を引き受け自身が編集する雑誌の翻訳と校訂を担当させた。プロテスタント集会は政治と経済という二重の重しからの解放手段であった。ウルストンクラフトは急進主義との出会いと同時に、執筆活動によって経済的自立を果たした。



 しかし、彼女の内面に極めて重要な転換を促したのはフランス革命だった。彼女はペインが『人間の権利』書くより前に『人間の権利の擁護』(Défense des droits de l’homme, 1790. 未邦訳)を著したことで、ロンドンの急進派(急進派は男性優位の場でもあった)」における知識人としての地位を確立した。ジョンソンとの会合で、彼女はペインや小説家のメアリ・ヘイズ、トーマス・ホルクロフト、そしてあらゆる支配体制に原(プロト)アナーキスト的な批判を表明するウィリアム・ゴドウィンらと議論を戦わせるようになる。ゴドウィンは彼女の恋人となり、のちに伴侶となる。彼は自伝のなかで、相手に反論の余地を与えず議論をリードする能力も含め、彼女の粘り強さと論理的思考能力を認めている。実のところゴドウィンとの馴れ初めとなった晩餐会でも、彼女はペインと議論していたのだった。それから間もなく、1792年にウルストンクラフトは『女性の権利の擁護』(4)を著した。



 フランス革命は、専制主義に対する急進主義的な批判を、家父長制(女性が虐げられ男性優位な状況)の批判に重ね合わせるようウルストンクラフトを導く。彼女は女性が権利を剥奪されている状況をもはや劣悪な教育環境のせいではなく、男性の独占的支配によって常習化した抑圧つまり男性が仕立て上げた隷属状態の結果だ、と告発する機会を得た。だが、『人間の権利の擁護』と『女性の権利の擁護』という二つの作品の間には、“人間”から“女性”への移行以上の意味があった。『人間の権利の擁護』の中で繰り返される批判は、むき出しの人民圧制を 王族・貴族の贅沢三昧が覆い隠す「ヴェール」への批判である(バークは王室と貴族の維持を奨励した)。彼女はそのような批判を通して支配的イデオロギーの側面に対し自覚的になっていく。イデオロギーについて直接語ることがなくても、2作目の『女性の権利の擁護』で展開されるのは、「女性らしさ」のイデオロギーと、果てしない蔑みと隷属的従順さに対する批判であった。彼女は体系的にイデオロギーの影響力とその帰結を追求する。若い女性に美しく大人しくあるよう品行方正な振る舞いを教示する教科書[「コンダクト・ブック」と呼ばれ、女性の役割と義務・道徳的礼儀作法・家政・余暇の過ごし方などが規定されている]や、ジャン=ジャック・ルソーの『エミール』、当時流行した感傷小説のなかに。あるいは、女性が[男性に丁重に扱われているのだと]取り違える男性の女性に対する慇懃さのなかに(5)。



 ウルストンクラフトは1960年代のフェミニズムとジェンダー研究を先取りする「性徴」[男女・雌雄の判別の基準となる身体上の特徴]構築の理論を提示する。多種多様な主義、思想を内包した急進主義運動は、ウルストンクラフトを自由主義から、社会主義との境界へと推し進める思想に接近させることになる。それは、例えばペインが考案した富を再分配する社会福祉国家像、ジョン・テルウォールが推奨した労働により生み出された利益に見合う労働者の権利の擁護、土地の私的所有廃止のために闘ったトマス・スペンスの農本的な原始共産主義などである(6)。ウルストンクラフトの遺作となった未完の小説『聖母マリアもしくは女性であることの不幸』(Maria ou le Malheur d’être femme、未邦訳)がそれらの思想を伝えることになる。感傷小説が庶民に当てがっていたお決まりの情念を抜き去り、女性の労働の過酷さを容赦なしに描くこと。ラストには決まって「異なる階級に属する女性」の友愛と相互扶助が賞賛された(7)。
 


 1970年代の「第二の波」のフェミニストたちは概してウルストンクラフトに対し批判的であった。彼女たちはブルジョワ的自由主義とピューリタニズムを断罪する。ブルジョワ的自由主義がウルストンクラフトに階級の相違を見えなくさせた、そしてピューリタニズムがウルストンクラフトに彼女自身が女性蔑視であると非難していた表現で女性たちを激しく非難させたのであり、彼女に女らしさや快楽追求を抑制させたのだ、と。つまり彼女にとって、魂に性別はなかった、と。実際、彼女には同時期に唯一トーマス・スペンスが掲げていた女性の選挙権の擁護を要求せずに、才能ある女性に対して職業選択の自由を要求し、女性が議員になる日を夢見て満足していた。女性作家であるというだけで不道徳と見なされる時代において、女性の願望を表現することの困難さを、彼女の作品に散見される文体表現(スタイル)の不統一が物語っている。性のペンディングという哲学は、感情の高揚に場所を譲っている。それは、ウルストンクラフト自身が告発したはずの女性の悪癖に彼女を陥らせるものであった。しかしフランス革命の最中ウルストンクラフトが単身でパリに乗り込み、アメリカ人冒険家と波乱万丈の恋に落ちたとき(第一子となる娘を授かる)、(結婚を「忌まわしい占有」とみなしていたが予期せぬ彼女の妊娠の後、籍を入れた)ゴドウィンというパートナーがいたとき、そして二人が別居を選択したとき(作家という職業柄、同居はお互いの生活スタイルに合わないと判断したので)、一方で若き日にファニー・ブラッドという女性と熱烈な友情を持って生活を共にしたとき(ある人々は彼女たちはレズビアン関係にあったとみている(8))、彼女は自由な性を要求し、実践した。それゆえに保守系メディアのみならず、一部の急進派からも非難を浴びることとなる。



 38歳の頃、2番目の娘を出産した際に他界した後、ウルストンクラフトの思想は、保守系メディアからの辛辣な批判や保守的なウィリアム・ピット(小ピット)政権からの攻撃で急進主義運動が崩壊したこと、そして男性優位の価値観をもつ急進主義者たちの根強い女性蔑視により普及を阻まれた。イギリスでフェミニズム運動が組織的に発展していくのは、実に1世紀も後のことだった。この遅れは同時に社会主義から女性への抑圧と女性の労働についての特有の思想を奪った(すぐに空想的社会主義へと追いやられてしまったロバート・オーウェンの哲学を除いてだが(9))。



 ある意味、ウルストンクラフトの正統な継承者は2番目の娘メアリなのかもしれない。彼女はウルストンクラフトの大胆な知性と奔放さを受け継ぎ、16歳で妻子持ちの若手詩人パーシ―・ビッシュ・シェリーと駆け落ちし、20歳のとき近代文学史上最も革新的な小説に挙げられるであろう『フランケンシュタイン』を発表した。科学と哲学が邂逅したこの作品は、それほど政治的な内容ではないものの、後世に忘れられることはなかった。


  • (1) 著者補注(2018年2月28日):ゴドウィンは個人主義者であった。集合的生産方式と分配方式(及び組織化された政治活動)に反対し、再分配がもし存在するならば、それは純粋に個人的かつ自発的な方法で行われるべきだと考えていた。ゴドウィンは国家批判に関して最も偉大な理論家の一人であった。社会主義者というより明らかに無政府主義者である。
  • (2) « Mary. Invention », dans Mary Wollstonecraft. Aux origines du féminisme politique et social en Angleterre, textes réunis et présentés par Nathalie Zimpfer, ENS Éditions, Lyon, 2015.
  • (3) « Pensées sur l’éducation des filles », dans Mary Wollstonecraft, op. cit.
  • (4) Mary Wollstonecraft, « Défense des droits des femmes », dans Œuvres, édition d’Isabelle Bour, Classiques Garnier, Paris, 2016.
  • (5) Barbara Taylor, Mary Wollstonecraft and the Feminist Imagination, Cambridge University Press, New York, 2003. Pour une biographie, cf. Janet Todd, Mary Wollstonecraft : A Revolutionary Life, Weidenfeld & Nicolson, Londres, 2000.
  • (6) Gregory Claeys, The French Revolution Debate in Britain : The Origins of Modern Politics, Palgrave Macmillan, Basingstoke (Royaume-Uni), 2007.
  • (7) Mary Wollstonecraft, « Maria ou le Malheur d’être femme », dans Œuvres, op. cit.
  • (8) Claudia L. Johnson, Equivocal Beings, University of Chicago Press, coll. « Women in culture and society », 1995.
  • (9) Barbara Taylor, Eve and the New Jerusalem : Socialism and Feminism in the Nineteenth Century, Virago Press, Londres, 2016 (1re éd. : 1983).

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年3月号より)