68年5月、大海の希望


セルジュ・アリミ(Serge Halimi)

ル・モンド・ディプロマティーク統括編集長


訳:土田 修



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 それはこの国の人々の生涯において貴重な瞬間だった。社会の既成概念という重しがとれたのだ。突然、これまで諦めていたことや慣習だと思っていたことについて立ち止まって考えてみるようになり、さらにはそれらを疑問視するようになった。「大海に流れ出る希望もなく、くすんだ街々を流れていた川」が、他の川と合流して、キラキラと輝き、そして大海に流れ込む(1)。「そういうものさ」が「どうしてそうなのか?」という疑問に変わる。いたるところで人々は立ち上がり——50年前には「闘いの合流」[異なった闘いが一つの大きな社会運動として収斂していくこと]という表現はなかった——、歴史がまだ終わりではないことや、歴史を形作ってきた改革や革命は人々の服従や忍従の義務感を取り払おうとしてきたのだということを思い起こさせる。

 1968年5月に“舞台稽古”は行われたが、“初日”を迎えることはなかった。人類史上、最大規模の労働者ストライキの一つとされる蜂起は、その後、メディアが取り上げてきたのが、運動に関わった最もいかがわしい連中だったことで、その遺産までもが汚されてしまった。反対に、昨年10月に亡くなった学生リーダー、ジャック・ソヴァジョ[訳注]は「68年5月」運動で輝かしさを発揮し、それゆえ骨抜きにはできなかった人物の一人だ。彼はこの運動の中に「個性を超越した諸相で作用する集団の所産(2)」を見出していた。彼は、蜂起に加わった人たちが当時、資本主義の廃止を求めていたと振り返った。それは「最早、広範囲には提起されることのない」問題だったと彼は懐かしがる。彼と仲間たちは、労働や富の分配に基づくのではなく、労働の合理化に基づいた「現代性」を拒絶した。彼らが望んだグローバリゼーションは、ますますその速度を増している商品流通ではなく、「国際連帯の必要不可欠な発展」をめざすものだった。要するに、1968年5月に「大学を収益性の高い企業にする(3)」ことを望んだ権力と闘うことこそが重要だった。

 こうした想い出は、あらゆる政治的対立を象徴するものとして、〈68年5月〉の色合いを帯びた文化的進歩主義——すなわちエマニュエル・マクロン氏やアンゲラ・メルケル氏、ジャスティン・トルドー氏が演じているのだが——とハンガリーの“非自由主義的民主主義”を対立させようとする新しい支配的な言説に見直しを求めている。というのも、両者の相違にもかかわらず、開かれた社会の多元主義と国家独裁主義が、経済システムとそこから生じる権力関係を守るために一つになっているからだ(4)。フランス大統領を「過激思想」に対する民主的穏健派のシンボルとみなすことは、マクロンが労働組合と対立し、「難民の庇護権」を脅かし、「フランス人の若者が億万長者になりたがる」ことをその主たる野心にしているようにみえる今では、奇妙なパラドクスでしかない。

 マクロン氏は〈68年5月〉の記念式典の開催を計画した。こうした記念日には意味があるが、彼が演じている「古い世界」とは矛盾している。それは、50年たった今もなお〈68年5月〉の恐怖を記憶し、復讐を果たしたいと望んでいる世界のことだ。


  • (1) René Crevel, Détours, La Nouvelle Revue française, Paris, 1924.
  • (2) « Mémoire combattante : quelques écrits de Jacques Sauvageot », Contretemps, no 37, Paris, avril 2018.
  • (3) 高等教育について1966年の政府の政策を分析したジャン・ カペル学長の言葉。
  • (4) ピエール・ランベール「盟邦との関係に苦悩するドイツ」(日本語版2018年2月号)参照。

  • [訳注] 政治家、フランス芸術史家。1943年にディジョンで生まれ、2017年10月パリで死去。アラン・ジェスマール、ダニエル・コーン=ベンディットとともに、68年5月革命の学生リーダーの一人。

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年5月号より)