読者連帯で勝利した本紙の闘い


セルジュ・アリミ(Serge Halimi)

本紙統括編集長


訳:土田 修


Boris Séméniako


 2009年11月、ル・モンド・ディプロマティーク紙は読者に支援を求めた(1)。本紙は3年連続の経営上の赤字を蒙ったばかりだった。だが、多くの他紙同様、発行部数は毎年減少し続けていた。本紙の存立基盤——すなわち本紙の独立性と言ってもよいのだが——の危機が訪れたのだ。

 それから8年が過ぎ、脅威は去った。

 今のところ、[脅威が去ったことに]満足する理由はそれほど多くはないが、本紙が直接かかわった出来事を分析することは[ジャーナリズムにとって]有意義であり、励ましにもなるだろう。[部数低下はメディア]一般に起こり得るだけでなく、知的かつ政治的な次元のことでもあるのだから。もちろん、新聞の発行部数がその質を示しているわけではない。だが、部数が「(新聞の)ブランド」や商品価値ではなく、世論の傾向や論調を表現しているとしたら、部数の減少はその新聞が有益ではなくなり、読者にとって存在価値がないということを暗に示している。

 2009年に本紙に起きたことはそれ[存在価値がなくなったということ]とは違うと明言してきた。経営基盤を安定させるため、本紙に寄付し、予約購読し、定期的に購入することを読者に求めてきた。本紙は、情報とは無料ではないと、そしてジャーナリストが記事を書く際には読者ではなく、ネットの検索エンジンや広告業者を念頭に仕事をしていると常々主張してきた(2)。当時、こうした(寄付や予約購読を募る)やり方や分析は[メディアの世界では]特異なものだった。

 こうした呼びかけはきちんと読者に届いた。2009年以来、1万6,700件、総額162万9,000ユーロの寄付が寄せられた。予約購読者は歴史的な数字を記録した(8万1,000人から、先月の時点で9万4,000人に増えた)。紙媒体の購読は「電子版のみ」の購読に席を譲ったわけではない。メディア全体の傾向に反し、本紙の発行部数は順調で、ここ3年は申し分のない数字(20.5%増)を出している。同時にアーカイヴへの申込者数は目を見張るほど増えている。2013年に始めたアーカイヴに35,000人もの申込者があるのは、世界のニュースはその週の最新の三つほどの論点に要約されるようなものではないということを読者が熟知しているからだ。

 1954年5月以来、本紙が取り組んできたほどの多様なテーマ(63年分のアーカイヴ)を読者に提供しえたメディアが他にあっただろうか? ここ20年分のアーカイヴはもうすぐフランス語だけでなく、英語、スペイン語、ドイツ語でも読めるようになる。さらにはポルトガル語、イタリア語、アラブ語でも読めるように準備している。

 こうした[経営上の]成功と財政状況の好転によって本紙は寄付の年間キャンペーンを休止した。ただし、財政を強固にし、いつか訪れるかも知れない“冬の時代”への備えを増やすため、寄付募集は、特にネット上で継続している。とはいえ、最早、緊急性のあるものではない。本紙の経営はこの先、少なくとも数年は保証されている。勝利を公言できるほどだ。それゆえ本紙の目的は変化した。新聞発行の維持を確かなものにすることではなく、今後は新聞発行によって担う“思想”の普及を促進することだ。要するに、守勢から攻勢への転換といえる。

 この観点からすると、本紙の値段は2013年以来、まったく変わっておらず、これからも現在の水準のまま維持されることになるだろう。他方、これからは「読者の連帯」という特別な基金をさらに大きくしていくことにしている。この基金は30年来、読者の協力で貧困国の様々な機関や図書館、大学、フランスの刑務所に本紙の購読を提供してきた。さらに読者には一年間、新たな購読者の紹介をお願いしている。もちろん購読の継続を期待してのことだ。読者には本紙が国際版を強化するため間もなくスタートする「国際連帯ネットワーク」に参加してもらいたいと思っている。国際版のいくつかは、活動家的な献身的行動(使徒的な活動という者もいるだろう)——ジャーナリズムの世界ではあまり一般的ではないが——のおかげで財政危機に陥ることなく運営されている。

 本紙の再建からはいかなる教訓が引き出せるのか? それは次のような確信だ。 新聞は[単なる]商品ではないのだから、読者のアンガージュマンに期待してもよいに違いない。広範な地域の国際ニュースを優先し、前編集長のクロード・ジュリアンやイグナシオ・ラモネらの下でメディア批判を主導してきただけに、こうした読者のアンガージュマンは本紙の場合、恐らくより強化されてきたといえる。時間がたつにつれ、本紙のメディア批判は多くの不愉快な反発を招いた(3)。いまや、本紙に対する反発は「25時の労働者」[遅ればせながら行動を起こす記者たちのこと](その中には「悔い改めし者たち」[態度を変えた者]もいるようだが……)によって模倣されている。彼らを受け入れよう。というのも本紙のように“思想”の前線で効果的に闘おうと欲する者たちは[ジャーナリストの]通行証や著作権を必要としないからだ。

 本紙は現在のジャーナリズムを、資本家による資本の集中、画一的思想、中産階級による囲い込み、共謀と媚びへつらいの廉(かど)で告発しただけではなかった。本紙はジャーナリズムに別のプロフェッショナルなやり方を対比させた。毎月読者が目にするジャーナリズムに対する私たちの批判的実践は、ほぼ全てのメディアがリベラルで欧州連合(EU)に無自覚になびく傾向を拒否しただけではない。「同業者たち」は最後にはそのことを理解した。ありきたりの考えをしゃべり散らす愚鈍な政治家が信用失墜したことで、現在、腹話術師のようにその政治家に伴走するジャーナリズムの評判に、つまり商品としての価値に傷がついた。そこで、(メディアの)編集幹部たちは別な職業スタイルを前面に出すことを選んだ。これも我々が同様に拒否しているものである。それは、イデオロギーを持たない中立的な記者の在り方であり、既にあるものを解読したり、読み取ったりするだけで、決して自分から行動することのない在り方のことだ。こうした記者たちは、一つのネタから別のネタへと蜜を求める蜂のように飛び交うだけで決して自ら社会参加することはない。

 そうしたジャーナリストの職業意識は「小さな真実」を拾い上げ、見解を示さずに報道すること、社会的・国際的な情報をもとにした論理的な分析ではなく、「目に見えたもの」(とりわけそれが胸を刺すようなものの場合だが)を選択することだ。つまり、極端だと判断された考えを情報として扱わないこと、そうして、それ以外の考え(それは彼らジャーナリストの考えなのだが)であればそれを金科玉条のようにしてあらゆる議論を進めるのである。こうして彼らはありきたりで単調な記事を書き続けることになり、[ジャーナリズムの]多元性は虚構として維持されることになる。

 こうした(読者の)支持を得ようとする競争は、時としてメディア産業の質の低下を招く一方で、対立する意見を地ならしするメディアの中立性は別の代償を伴うことになる。すなわちオピニオンのページやテレビのスタジオ、同業者たちとの演出された論戦から追い出された反主流派の政治勢力は、自分たちの雑誌やチャンネル、刊行物を創設している。彼らは[メディアの中心にいるという]“おいしい”状況からガラリと立場を変えることで体制的ジャーナリズムの不人気を[逆に]利用することになる。というのも同業者から除け者にされている姿が信頼の担保、信用状、“レジオン・ドヌール勲章”に値するからだ。

 本紙の誇りはそれとは別のところにある。本紙が提供している情報はジャーナリストだけでなく、大学人や作家、研究者によって生み出されている。また慎重に選択された事実はいったん、歴史的・政治的・文化的なコンテクストに置かれなければ意味を持たない。こうした知の生産者たちと本紙の編集チームは、世界の流れを変えるという“希望”を持って、世界を理解するのに役立つ仕事を実行するため、長い間、相互関係を結んできた。それが今でも我々の目的であり続け、その目的のためには大量の仕事が残されていることを双方とも熟知している。

 この1年、大手メディアによって作られたいくつかの事件が本紙の特異性を裏付けている。フランス大統領選挙でエマニュエル・マクロン氏は中道左派の有権者の票を獲得し権力の座に就いたが、いまや右派の政策を実行している。こうした少数意見のまやかしに応じる形でメディアは自らの役割を演じてきた。特に左派寄りの新聞と情報サイトは(大統領選挙の)第1回投票前にマクロン氏を支持した。よくあることだが、9月28日にオプス誌は共和国大統領の写真を表紙に掲載した。だが、今回の見出しは少し違った。「なぜマクロンは金持ちの方に向いているのか?」という非難がましい見出しだった。なぜなのか? それはオプス誌が彼を当選させたからだ。言ってしまえば、本紙を除いてほとんどすべてのメディア機関が加担したことだ(4)。その結果、ル・ポワン誌は、これほどリベラル[自由主義的]な人物に大統領の座を引き継がせたことが「信じられない」。ル・フィガロ紙は「小さな奇跡」に言及した。その言葉通り、間もなく同紙の所有者であるセルジュ・ダッソーが支払う税金は減額されることになる。

 本紙が権力を支える原動力を白日のもとにさらす時、国際情勢も、[ただ憤慨しているだけの]無分別な怒り、「不満分子を満足させる反対派(5)」、情報を大げさに垂れ流すメディア、(利用者を)孤立させ、時として理性を失わせるソーシャル・ネットワーク(SNS)の危険性に対して注意を呼びかける。ドナルド・トランプ大統領の選挙後、大多数の西欧メディアはトランプ氏の悪癖や破廉恥さ、悪行の数々をひとときも欠かさず詳細に報道し続けている。(トランプ大統領に関する)ネタは無尽蔵にあるので、それを最大限に利用しようとする人々にとっては難なく進歩主義を標榜することができる。

 だが、こうした(メディアの)営為によって、虚構に基づく新しい「悪の枢軸」もまた広範につくりあげられた。その中にはウラジミール・プーチン氏も加えられた。トランプ大統領とプーチン大統領が、イラン、北朝鮮、ユネスコ、キューバ、気候変動、ウクライナ、ベネズエラ、シリアと同様、取るに足らないテーマで対立しているということは、もはや報道する価値さえない。というのも、こうしたすべてのことはロシア大統領が米国大統領にシンパシーを感じているのではないかという疑いによって一掃されているからだ。当然のことながら決して“嘘”をつくことはないはずだし、他国の内政問題に常に“細心の”注意を払っているCIAは、ヒラリー・クリントン氏の予想外の敗北の理由とされる情報拡散にロシア政府が直接加担したのではないかと主張している。

 ロシア政府が入念に準備したこうしたフェイクニュース(fausses informations)を抑止しようとNATOは奮闘している。NATOはある専門技術を駆使してそれをやり遂げようとしている。コソヴォ紛争(1999年)の時にNATOは軍事的な不手際に対して「世論を無効にする」手練手管を詳細に公表していた。「本紙は調査中であり、仮定は多種多様だと言ってきた。真実が最早、誰の関心もひかない時に、半月後には真実を暴露してきた(6)」。だが、こうした種類の真実が「最早、誰の」関心もひくことがないにしても、本紙はそこにこだわり続けてきた。真実に気配りすること、それによって本紙は高い評価を得ている。本紙は[世論を]喚起し、過去にさかのぼり、俯瞰的な視点で真実[の追求]を将来像として求めてきた。それによって本紙は[他のメディアのような]付和雷同から逃れてきた。それはささやかな記憶と、日々の論争をめぐって飛び交う強迫的な幾多のツイートよりはるかに知的な労力を必要としている。

 フランス人ラッパーのケニー・アルカナは歌う。「心配しないでね、私たちが小声であんたをうっとりさせてあげる/あんたに物語を話してあげる/あんたの代わりに考えてあげる/あんたがこれから気晴らしを楽しんでいる間に」

 この歌詞は本紙が問題にしているジャーナリズムを端的に言い表している。本紙が日々生み出しているジャーナリズムは読者の力によって未来へと広がっている。


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2017年11月号より)