チェルノブイリを想起させるアルメニアの原子力発電所

メツァモール原発の巨大な潜在的リスク


ダミアン・ルフォコニエ(Damien Lefauconnier)

ジャーナリスト

訳:村松恭平


 1986年のチェルノブイリ、2011年のフクシマの大事故をきっかけに原発の危険性が露呈し、その勢いは世界的に打ち砕かれた。今では多くの国で「脱原発」が議論の争点となっている。しかし、裕福でない国々にとってそれは決して容易なことではない。トルコの東に位置するアルメニアのように、原子炉が地震地帯に置かれている場合であっても......。[日本語版編集部]

(仏語版2017年11月号より)

© Sebastian Castelier

 [アルメニア西部の都市]アルマヴィルから程近いメツァモール。原発の入口を示す柵から約100m離れた場所で、女性たちがトマトの苗木に囲まれて忙しく立ち働いている。35km北にあるアルメニアの最高峰アラガツ山(4,095m)の巨大火山と、50km南にあるトルコで最も標高の高いアララト山(5,165m)の間に、4基の冷却塔が野菜畑に沿ってそびえ立っている。バケツが一杯になった女性たちが家路に就く。「私たちの夫は皆、原発で働いています。安全な仕事だと彼らは言っています」と50歳ぐらいのアイゲゴツァカンが打ち明ける。彼女の友達のディドラは、それでもこう付け加える ——「もちろん、また地震が起こらないかと私たちは恐れています」

 メツァモール原発はソ連時代に、アラビアプレートとユーラシアプレートが交差し、地震が頻発する地帯に建設された。出力400メガワットのVVER-440型[ロシア型加圧水型原子炉]の第1ユニットは1976年に、次いで同じ出力の第2ユニットは1979年に稼働した。1988年、リヒタースケール[訳注1]でマグニチュード6.9の揺れが、北に70kmしか離れていないスピタクの街を破壊し尽くした。2万5,000人以上が死亡し、50万人が住む家を失って避難民となった。その際、政府は万一に備えてこの2基の原子炉を停止させた。

© Sebastian Castelier

 1991年に独立したアルメニアは、深刻なエネルギー不足に対処せざるをえなかった。その事態はナゴルノ・カラバフ戦争(1)訳注2]と、その後のアゼルバイジャンとトルコによるアルメニアへのエネルギー供給の停止によってさらに悪化した。1995年にアルメニア政府は第2ユニットの原子炉を再稼働することを決定したが、それが隣国の不安をかき立てた。欧州連合(EU)から派遣された専門家は後に、「この原子力発電所は(......)その稼働年数と地震活動が非常に活発な地域事情から、欧州全体にとって甚大なリスクであり続けている」と書いた(2)。EUはメツァモール原発の閉鎖のために1億ユーロの経済援助を提示したが、その金額は不十分だとみなされた。「欧州委員会は常に、“その原子炉をできるだけ早く停止させなければならない”という見解を示していました。というのも、国際的に認められた安全基準に見合っていなかったからです」とEUの欧州対外行動庁のシャロン・ザルブ氏が説明する。

 「私たちにとってこの原発は死活問題なのです」とアレッグ・ガルスティアン氏が、原発から約30km離れた首都エレバンにある彼の事務所で簡潔に説明した。彼はエネルギー・インフラ・天然資源分野の元担当大臣で、現在は顧問として働いている。「1990年代の初めには、我々は深刻なエネルギー危機に直面していました。我が国のセヴァン湖の水を過度に利用したり、木を大量に切り始めていました。原発再稼働は我々の経済と環境にとって極めて重要だったのです」。公式の数値によると、今日この原発はアルメニア人のエネルギー需要の40%をまかなっている。

© Sebastian Castelier

 地元のNGOは決まって住民への情報提供が不足していると糾弾するが、私たちはそれでも原発区域に入る許可を得た。メツァモールの住民たちは、公用車の行列が原発へと向かう道を定期的に通っていると話した。原発の入口では労働者たちがボディチェックを受け、金属探知機を通る。敷地内では少人数からなる軍人のグループが巡回していた。ソ連時代の原子力設備を展示する野外博物館を訪れているような感覚に私たちはすぐとらわれた。もっとも、私たちを仲間と一緒に迎え入れた所長のモヴゼス・ヴァルダニアン氏は「1988年の地震の時には一枚の窓ガラスも割れませんでした」「1995年以降は1,400項目もの技術改善がなされました」と断言した。目に見える作業としては、地震が発生した場合に備えて耐震性を高めるために、施設の外壁には金属製のプレートが取り付けられていた。同様に、ことに原子炉とタービンを収容する建物の中では、十字の形に組み立てられた長い金属製の板が上の階を支えていた。

© Sebastian Castelier
施設の外壁に取り付けられた金属製のプレート


© Sebastian Castelier
十字の形に組み立てられた長い金属製の板


 原発の幹部が、この巨大な部屋の「下のほう」の写真を撮ることを我々に一切禁止した。パイプがごちゃごちゃと入り乱れている中に埃をかぶった様々な機械を見つけ、なぜ写真を撮ってはならないのかを理解した。それらの機械は1989年以降停止しているユニットの一部で、原子炉は今もなお解体されてはいない。歩行者専用通路のおかげで、運転中の原子炉の周囲を沿って歩くことができた。それはもう一基の原子炉とまったく同じタイプのものだが、こちらのほうはより綺麗な状態に保たれていた。蒸気を通すパイプには間に合わせの修理のような何枚かのパッチゴムが並べて取り付けられた。発電所内でリスクが高い部分を保護しようと、日本の技術を用いた64台の水圧式緩衝装置が主要箇所の下に設置されたという。「地震が発生した場合には、これらの装置がその波を吸収してくれるでしょう」とアルメニア原子力研究所(Armatom)所長のヴァラム・ペトロシアン氏がサーフボードに乗るサーファーの姿勢を真似しながら断言する。ヴァルダニアン氏は建物が直面する地震リスク(最大加速度)を計測するための装置を扱いながら、「メツァモール原発は0.35ガル[加速度の単位]、最大で0.47ガルまでは通常通りに運転できます」と説明を付け加える。だが、国際原子力機関(IAEA)が引用した電力研究所による調査では、1988年の地震の際には「付近の最大加速度が0.5ガルを超え、1ガルにも接近したかもしれない」ということだ。

© Sebastian Castelier

 制御室には1970年代風のモニターや二極管が多く設置されており、258〜362MWの間を変動する出力が赤い数字で示されている。この部屋のあちらこちらに表示されている数値は、奥の壁にあったコンピューター画面にも映し出されていた。「非常用の情報システムを使えば、私たちは外部から原子炉を停止させることができます」とヴァルダニアン所長が得意がる。だが、原子炉建屋内に原子炉を格納する容器がないことを尋ねると、彼は「その重量に土台が耐えられそうにない」ので、それを設置するのは「不可能だ」との見解を述べた。

© Sebastian Castelier

 他のデリケートな問題として、1976年から発電所内に保管されている放射性廃棄物の管理がある。「経験からすれば、放射性廃棄物は50年間保管できるので、問題となるのは数年後でしょう」とヴァルダニアン所長は説明する。しかし、彼は保管場所を見せることは拒否した。何度もメツァモールを訪れているフランスの放射性廃棄物管理機関(Andra)の国際部長ジェラルド・ウズニアン氏は、「ドラム缶は発電所内に保管されていますが、理想的には、放射能が周囲に漏れるあらゆるリスクを回避できる方法を用いる必要があるでしょう。今の状況は、原発が寿命に達するまで放射性廃棄物を発電所内に保管したまま放置し、その後、それらを原発を解体した時に出る廃材と一緒に扱ってしまう旧ソ連のやり方と同じです。残念ながらこれらのドラム缶は古くなってきており、計画立案者の当初の想定よりも作業に関する不安が増しています」と語った。アルメニア政府は、放射性廃棄物を300年間保管するためのプロジェクトを検討中だという。

 原発から南に2km離れた場所にあるメツァモールの町は1,700人の原発労働者と彼らの家族を迎えるために作られた。ぼろぼろになった高い建物がこの町には数多く建っている。住民の大部分はIAEAによる定期的な調査訪問にすべてを任せている。その国際的な威光が彼らを安心させているようだ。1977年から汚染除去の技術者としてメツァモールで働いている62歳のエミリアは、「これまで問題が起こったことは一度もない」と言う。IAEAは2年に1回ほど、専門家グループをこの地に派遣している。この国連機関の核安全保証部部長のグレッグ・ルゼンコフスキ氏は、「地震に対する保護対策の実施と、多くの安全システムの見直しにおいて進展があった」と指摘する。だが、原子炉の状態やアルメニア人たちの作業手順、そして地震リスクについて問うと、情報開示の面でIAEAから「制約」が課されているせいで、「技術面に関してこれ以上の回答」を提供できず「申し訳ない」とこのミッションリーダーは語った。

© Sebastian Castelier

© Sebastian Castelier
メツァモールの教会から出てくる住民たち


 被曝に関する噂も広まっている。地元のNGO「アルマヴィル発展センター」の代表であるナイラ・アラケリアン氏によると、原発周辺に住む30世帯ほどの家族が、彼らの子供に起きた障害について考えを巡らしている。私たちはその両親たちの話を聞くために集会を企画したが、原発の幹部たちが勝手にやって来て他の参加者たちに意見を述べさせなかった。ツォヴィナー・ハルティウニアン氏とは目立たないように彼女のアパートで会ったが、「数年前は私たちは頻繁に集まっていましたが、今はもう集まっていません。盲目の子供が2人、身体が不自由な人が何人かいることを覚えています」と説明した。彼女は、重度の知的障害を患った20歳の息子のロストムを私たちに紹介してくれた。「彼の病気は遺伝によるものではありえません。というのも、私の家族にも夫の家族にも同様のケースはまったくないからです。夫は荷役機械の運転者として原発で働いています。おそらくは、何かしらの事故が[敷地内の]危険ゾーンで起こったのでしょう」と彼女は言った。

© Sebastian Castelier
右側に写っているのがロストム


 エレバンの元市長(1992年〜1996年)で、アルメニア大統領の元顧問(1996年〜1998年)のヴァハン・ハチャトリアン氏は不安を隠さない。原発労働者だった彼の友人の一人が、私たちがインタビューを行った数日前に癌で亡くなったとカチャトリアン氏は語った。「原発との因果関係を確立できるかは分かりませんが、私は車で原発の横を通る度にここは危険だと考えています。特に、原子炉の金属が古くなっているからです」

 2012年、地震リスクの問題に関してアルメニア政府を支援しに来た日本の国際協力機構(JICA)の研究者たちが、原発事故が起こった場合の住民保護計画の安全指示を見て驚いていた。「この計画によれば(......)人々は身を守るために建物の一階か地下室に留まらなければならない。しかし、大きな地震が起こった場合には建物の内部にいることは非常に危険である。なぜなら、余震によって建物が崩壊するかも知れないからだ。大規模な地震の場合には、まず避難ルートが確保されなければならない」と彼らは書いていた。

 メツァモール原発が断層からどれほど離れた場所にあるか、それが専門家たちが地震リスクを評価する際に考慮に入れた主な要素の一つだった。表向きには、一つ目の断層は「原発から19km以上離れた場所にあり」、そのリスクは「当然認められない」とみなされている。元国会議員でNGO「アルメニアの緑の連合」の代表であるハコブ・サナサリアン氏は、それとは別のレポートが示したさらに憂慮すべき結論を政府が隠していると述べる。そのレポートは1992年に提出され、アルメニア国家地震保護局の代わりにロシア科学アカデミーの物理研究所の4名の研究者がまとめたものだ。「この原発にとって最大の危険は、すぐ近く(500m)の、アラガツ=スピタクプレートと南エレバンプレートの交差点にある、地震発生可能性の大きな断層である」とそのレポートには記されている。「851〜893年には、原発から東に50km以内の地域で一連の巨大地震が発生した。その震度はメルカリスケール[訳注3]で少なくとも9、リヒタースケールでマグニチュード6.5で、非常に多くの犠牲者を生み出した」。11世紀の作家、T’ovma Arcruniもまた893年に起こった地震に言及している。その地震はメツァモールから南東に25kmの場所にあったアルメニアのかつての首都、ドヴィンを壊滅させた(3)

 『アルメニア国勢地図帳』によると、9世紀以降、メツァモール原発から80km圏内で、リヒタースケールでマグニチュード5.5〜7.5の地震が約20回発生したといわれている。この資料はまた、まさにメツァモール地域で1830年に生じたマグニチュード6の地震についても触れている。

 「これがまさに我々の調査結果です」。[そのレポートの発表から]四半世紀後、ウズベキスタン科学アカデミーの教授で、レポートの連署人のヴァレンタン・イヴァノヴィチ・ウロモフ氏が私たちにそのようにはっきり述べた。しかし、彼はそれ以上この任務について話したがらなかった。私たちが連絡を取った別の共著者、モスクワ科学アカデミーのエフゲニ・アレクサンドロヴィチ・ロゴジーヌ教授は、彼らのチームがその場所で断層の存在を確認したかは覚えていないと言った。メツァモールの地震リスクについて情報を求めたところ、エネルギー省のアルテム・ペロトシアン氏は「これらの資料は、一般の人には開示されていない」と答えた。

 放射能漏れが発生した場合、メツァモールの総合病院が真っ先に頼りにされる医療機関だという。病院の幹部は人々に配布するためのヨウ素剤を準備していると断言する。だが、建物の状態を見ると不安を覚えざるをえない。上層階は荒廃し、壁全体にはカビが付着し、大きな穴も空いている。腫瘍内科の責任者であるサミュエル・アレクサニアン氏は状況を以下のように総括する ——「ロシア人たちが出て行った時、病院のための資金はもうないと原発の幹部は言いました。産科は閉鎖されました。被曝のために設けられた部門もです。お金を持っている人々はエレバンに治療を受けに行きます。他の者は、ここで治療を受けています」

© Sebastian Castelier

 その大きな危険性にもかかわらず、アルメニアは原子力を諦めようとはしていない。2015年、政府は現在の原子炉ユニットの運転期間を2026年まで延長することを決定した。それまでにロシアからの出資を受け、同じ場所に新たな原発が建設される見込みだ。「新しいユニットの出力は600から1,000MWの予定で、きっと1,000MWになるでしょう。その技術仕様、規模、発電能力を決めるまでに9年ぐらいあります」と元大臣のガルスティアン氏は説明する。

© Sebastian Castelier
原発から約30km離れた首都エレバンの夜景




  • (1) Philippe Descamps, « Etat de guerre permanent dans le Haut-Karabakh », Le Monde diplomatique, 2012年12月号参照
  • (2) le document de stratégie de coopération Arménie-Union européenne 2007-2013 de la Commission européenne 参照
  • (3) Emanuela Guidoboni et Jean-Paul Poirier, Quand la terre tremblait, Odile Jacob, Paris, 2004より

  • 訳注1]地震の規模を表すマグニチュードの別称。米国の地震学者チャールズ=リクターが考案したことから。(デジタル大辞泉、小学館)

  • 訳注2]ナゴルノ・カラバフ自治州の帰属をめぐるアルメニア対アゼルバイジャンの抗争。1992年独立宣言以降、両国の対立はさらに先鋭化して局地戦争の様相を呈し始めた。

  • 訳注3]国際的に使われている震度階級の一つで、1から12までの階級がある。イタリアの地震学者G=メルカリの考案による。(デジタル大辞泉、小学館)

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2017年11月号より)