完全合理主義の幻想

ル・コルビュジエのパリ改造計画


オリヴィエ・バランシー(Olivier Barancy)

建築家
この記事は2017年1月にéditions Agone, coll.« Contre-feux », Marseilleから出版された
Misère de l’espace moderne. La production de Le Corbusier et ses conséquences」の抜粋


訳:生野雄一



 ル・コルビュジエの作品は、近代建築運動に顕著な貢献をしたとして2016年7月にユネスコ世界遺産に登録された。信条について妥協しないこのスイス人建築家は、数多くの都市計画案を制作したが、日の目を見たものは少ない。彼はパリの都市計画も構想したが実現せず、花の都は辛くも改造を免れた。[日本語版編集部]



© Alain Bublex / www.alainbublex.info / www.galerie-vallois.com – Plan Voisin de Paris - Jonction des V1 N-S / E-O – la cité d’affaires, 2004
Galerie Georges-Philippe & Nathalie Vallois, Paris

 ヴォアザン計画は1925年にパリで開催された現代産業装飾芸術国際博覧会場内のエスプリ・ヌーヴォー館で発表された。それは[展示物とその周辺環境や背景を立体的に表現する]「ジオラマ」形式で60㎡の壁面を覆っていた。この計画は、航空機と高級自動車メーカーのガブリエル・ヴォアザンの出資に拠った。ル・コルビュジエの提案がシトロエンとプジョーから丁重に断られたのち、ヴォアザンは街なかを高速道路が走るこの都市計画を興味深く見守っていた。この計画は、3年前に制作した「300万人の現代都市計画」をパリ向けに翻案したもので、その計画も80㎡の壁面に大々的に掲示されていた。ル・コルビュジエは次のように説明する。「パリのヴォアザン計画は二つの本質的な新しい要素を含んでいる。一つはビジネス街でもう一つは住宅街だ。ビジネス街はパリのなかでも特に老朽化して衛生環境がよくない地区──レピュブリック広場からルーヴル通りまでとパリ東駅からリヴォリ通りまで──の240ヘクタールの用地を買収して作られる。住宅街はピラミッド通りからシャンゼリゼのロータリーまでとサンラザール駅からリヴォリ通りまで広がる。かつては密集して中産階級の住居があり今はオフィス街になっている地区のほとんどは取り壊す(1)

 ル・コルビュジエは街の中心に巨大な広場を設けた。もともとの構想では駅で、その上にエアポートが配置されていた。というのも「フランス航空界を代表する人」[ガブリエル・ヴォアザン]が 「飛行機は何の危険もなく垂直に着陸できるようになるだろう」と宣言したからだ。この都市計画の幹線道路は東から西に走っている。「これは、道幅120メートルの一方通行の道路で、高架になっているので他の道路と交差しない大量交通の大動脈だ」。全く意外なことに、「ヴォアザン計画の犠牲になる古い地区の過密状態は軽減せず、人口密度は4倍になる」。1ヘクタールあたり3,500人だ。「“マレ”地区、“アルシーブ”地区、“タンプル”地区等々は打ち壊されるだろう。でも、古い教会は残す」とル・コルビュジエは言う。

 (1943年にナチスがマルセイユの古くからあるパニエ地区を取り壊したとき、歴史的建造物は保存され、質素な住宅は犠牲になった)



© Alain Bublex / www.alainbublex.info / www.galerie-vallois.com – Plan Voisin de Paris - V2 circulaire secteur C15, 2007
Galerie Georges-Philippe & Nathalie Vallois, Paris

 この広大な用地では、注目すべき建物以外は取り壊され(2)、高さ200メートルの十字断面のオフィスタワー(3)が、どれもみな同じ形で等距離にセバストポール通りの両側に左右対称の[形式的・視覚的要素(線、形態、色彩など)を重視する]フォルマリズムの構図に従って建てられる。そして、緑地の中央には凸凹型の高さ約50メートルの集合住宅が建てられ、1ヘクタールあたり1,000人の人口密度となる。ル・コルビュジエ流の都市は放射環状型ではなく線形状だ。完全に型(かた)通りの共同生活を称賛するこの都市計画は、彼自身によって他のさまざまな作品においても繰り返し用いられることになる。

 ヴォアザン計画は、その後の都市計画研究の基礎をもなすもので、ル・コルビュジエが1931年1月から1934年12月にかけて毎月のように雑誌に掲載し、後に彼の著作『輝く都市』(副題「機械文明のための都市計画の教義の諸要素」)にまとめられた記事のなかで彼の都市計画思想が展開されていく。345ページのこのテキストはこの都市計画家の著作の核心であり、彼が現代建築誌に自費出版した。そのページはこう始まる、「この本を“当局”に捧げる。1933年5月パリにて」。ル・コルビュジエはこのなかで、計画主義的で全体主義的な思想を展開し、将来の都市(4)を定式化していく。

 「行動への誘い」と題する第一章で、彼はまず「世界は病んでおり」一方で「ロシアとイタリアは新たな政権を樹立している」と述べる。全体主義政権だ。そしてフランスでは「崩壊は時間の問題だ」と。「1934年2月6日パリにて(5) : 清潔さの復活」と説明書きのある一枚のバリケードの写真は、おそらくル・コルビュジエに(ファシスト)革命の初期段階を想起させたにちがいない。ソヴィエトの統制経済(6)とその当然の帰結である、上から課せられた「規律」に強い印象を受けて、彼は「プロレタリアートの消滅」を望み、「民衆の救済という大義のために土地を利用し」て「階級のない都市」を創りたいと考える。あの国の例に倣うべきだと。「ソ連の自由な土地は自由な都市計画をもたらす」。だが、私有財産の廃止は「機械文明のあらゆる仕組みの要である個人の自由の尊重」と共存しなければならない。どうやって?「現代人の家屋(と都市)、みごとに調整された機械は、今日失われた個人の自由をもたらし、一人ひとりに自由が復権するだろう」


© Alain Bublex / www.alainbublex.info / www.galerie-vallois.com – LC - Plan Voisin de Paris (rues), 2006

© Alain Bublex / www.alainbublex.info / www.galerie-vallois.com – LC - Plan Voisin de Paris (redents + parcs), 2006

© Alain Bublex / www.alainbublex.info / www.galerie-vallois.com – LC - LC - Plan Voisin de Paris (avenues), 2006

 他方で、「24時間のサイクル」のなかに余暇を組み込まねばならない。というのも機械化によって労働時間が短縮されるからだ。ル・コルビュジエは、彼自身がとてもスポーツ好きで、スポーツは「価値あるもの」だと称賛している。スポーツには「興味を惹くさまざまな要素が含まれているからだ。まず、闘争性、勝敗の結果、勝負であり、力、決断力、柔軟性、そして素早さ。個人の参加とチームワーク、自由意思で受け容れた規律などだ」。従って、「スポーツは日常的なものでなくてはならず、家のすぐそばにスポーツをできるところが必要だ」。ル・コルビュジエの教えは、それを実証してみせることからは程遠く、スローガンの連打というべきものだ。「当局へ! プログラムを立てなさい。プログラムを実行しなさい。プログラムを実現しなさい。秩序の恩恵を広めなさい」。そして最後には、「秩序によって、好きな仕事と調和した機能を取り戻すこと、それが幸せだ ! 」と述べている。

 どうやってそこに達することができるか? 解答は「都市計画、すなわち独裁者(の計画)」にある(......)。「輝く都市」の整備計画は近代的設備に用いた革新的な技術を組み込む。鉄筋コンクリートはもちろんのこと、プレハブの標準化された材料を「そのまま」使ったりエアコンも用いた。(スペイン内戦の端緒となるナショナリスト派蜂起の首謀者にされた)ホセ・サンフルホ将軍の写真の横で、ル・コルビュジエが「夏の息苦しい空気は判事に間違った判決を出させ、労働者は働かなくなり、委員会、集会、議会をうんざりさせ、いたるところ赤字だ」と嘆いたと指摘するのも意義があることだ。先に述べた現代技術は、この建築家が最も気にかけていた(プリモ・デ・リベーラ(7)のもとで明らかにされた)「高速道路」の建設を可能にし、「空のタクシーが着陸できる」高さ220メートルの「中庭を作らないですむように十字形をした高層ビル」や「壁面が光り輝く」おなじみの「凸凹型の集合住宅」──「ユニット」でできており、緑地に囲まれている──の建設を可能にした。この居住用建築は、「ちょうど良い高さ」と彼が言う「50メートル」(つまり、18階建)だ。こうして限りなく広がる「輝く都市」はそもそもぞっとするもので、アンリ・ルフェーブル[フランスのマルクス主義哲学者(1901-1991)。社会空間の重要性を指摘して都市計画に影響を与えた]は「死の空間」(8)と呼ぶ。この都市はさらに、正確に計測されており(「都市」の人口密度、建築物のサイズ、居住面積)、助手たちによって数多くの図面に示されている。そのおかげで、注意深く観察すると、都市計画の巧妙なごまかしやばかばかしさが見えてくる。



© Alain Bublex / www.alainbublex.info / www.galerie-vallois.com – Plan Voisin de Paris - V2 circulaire secteur B23, 2013
Galerie Georges-Philippe & Nathalie Vallois, Paris

 2700人(すなわち、約540世帯)向けとされる居住用建築の足もとには、「オートポート」(駐車場)が設けられている。約540台分の駐車スペースが必要だが、コンクリート面が植栽にあまりはみ出さないように床面積は必要な広さの6分の1しかない。住民は安全のために「柵の囲い」と呼ばれる緑地を歩くのだが、この柵はイラストには全く描かれていない。さらに、「歩行者の囲い地は400メートル四方もあり、できる限り幅広くできる限り心地よく光に溢れているいくつもの地下道で繋がっていて、この囲い地は公園になっている」とイラストは説明する。高速道路を横切るためにル・コルビュジエは30メートルの一本の地下道を描いているが、その断面図では2倍以上の長さがある。結局のところ、ガストン・バルデ[フランスの建築家、都市計画専門家(1907-1989)]の指摘によれば、「6月21日の正午には凸凹型建物の影ができた。これにごまかされて、50メートルの壁の足もとでは地下室のような微気候[地面近くの気層の気候]になっていることに気付く人は多くない(9)

 「ときどき、高速道路のほっそりとした輪郭が木々の葉の間から覗き、車は静かに(セメントの道にゴムのタイヤを乗せて)快適に走る」。ル・コルビュジエは彼自身が高スピードで車の運転をするのが好きだった。彼は、生涯を通じて、トリノのフィアット工場屋上のテストコースを運転したことを思い出すのだ。彼は、14馬力の(ほかならぬ)ヴォアザンのセダンを一台持っていて、イル・ド・フランス地方の建築作品の前で決まってこれを自慢げに見せびらかした。[彼が1920年に創刊した]エスプリ・ヌーヴォー誌やさまざまな都市計画を広告の紙面に掲載してル・コルビュジエを応援してくれた実業家[ガブリエル・ヴォアザン]への一種のお返しなのだ。

 ル・コルビュジエは、輝く集合住宅の内部の作りについても言及する。「建築家は、家屋の内部の設備にこそ、その関与を集中すべきであろう。面積の問題、家事の重要性、住人のクオリティ(生活スタイル)、日照や風通し、都市計画によって与えられる地形の状況等に応じて、室内設備に関与する建築家は、一定の決まりきった標準的な枠内で生活者の世帯の構成を想定すればよい」。この発想がもう心配のタネだ。彼は、住人1人あたりの必要面積を決めるが、しかし、アパルトマンのリビング・ルームは2~4人向けでどこも同じサイズだ。ステュディオ[一室住戸]のキッチンも、4人さらには7人の子供がいる家族向けのキッチンと同じようなサイズだ。



© Alain Bublex / www.alainbublex.info / www.galerie-vallois.com – Plan Voisin de Paris - V2 circulaire secteur C11, 2004 AL
Galerie Georges-Philippe & Nathalie Vallois, Paris

 輝く都市では、建物の壁面は平滑かつ完全にガラス張りで密閉されている。「正確な呼吸」[訳註1]が空気を調節するというのだ。(ル・コルビュジエは、失敗をものともせず、パリの救世軍難民院と同様に、モスクワのツエントロソユーズ[消費者協同組合中央同盟]でも主張を変えることはない。)建物の正面にはバルコニーもロッジア[建築物の外部に向かって吹き放しになった廊下]もない。おそらく美観のためだろう、というのも、彼は「家屋は幾何学的な縦の角柱だ」と書いている。

 ル・コルビュジエは、その後さまざまな都市計画に多少なりとも詳細に彼の主張を適用する。ジュネーブ、リオ・デ・ジャネイロ、サン・パウロ、モンテビデオ、ブエノス・アイレス、アルジェ、モスクワ、アントワープ、バルセロナ、ストックホルム、ヌムール(現在のアルジェリアのガザウエ)、ピアセ(フランスのサルト県の村。ル・コルビュジエの狂信者がいて、師のために「輝く農場」を構想した)。しかし、彼はパリの都市計画の話になると、あたかもパリはすでに改造が済んだもののように扱っている。「パリは、“輝く都市”として出来上がった。パリは自分の基本的な生命を再び生きるのだ。パリは救われた」



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Galerie Georges-Philippe & Nathalie Vallois, Paris

 1951年にロバート・マレット[アイルランドの地質学者、土木エンジニア(1810-1881)]との対談の際に告白した通り、彼は生涯を通じて1922年の原則に忠実だった。「私は、300万人の現代都市の理論的研究を行った。その研究は、完全に調和がとれた本質的なもので、そのすべての基礎はあらゆる街の都市計画において今日でも有効だ」と。彼は、パリの歴史的中心地を取り壊したかったが、この街を全く嫌いではなかった。彼は、17年間もジャコブ通りに住み、その後生涯にわたって、スタッド・ローラン・ギャロス[ブーローニュの森にあるテニス競技場]とパルク・デ・プランス[パリ16区にあるサッカースタジアム]の間のナンジュセール・エ・コリ通りに自身が建築した建物に住んでいた。彼は、親しい二人の友達であるフランソワ・ド・ピエールフウとピエール・ウインターにそこに一緒に住まないかと説得しておきながら、自分のためには「最良の」場所を確保した。それは、最上の2階だ。運命の皮肉と言おうか、夏には彼自身は断熱構造になっていないコンクリートの箱と不快な陸屋根の下で息詰まるような暑さを耐えなければならなかった(今でもそうだ)。[ル・コルビュジエが両親のために]レマン湖の畔に[建てた家に]住む彼の母のように。

 ル・コルビュジエは、ついに『パリの都市計画1956-1922』を出版する。そこでは、逆年表で、日の目を見なかった彼のパリの都市計画がたくさん列挙されている。この本のページレイアウトとカバーはいつものように彼自身が考案したもので、本文には手書きの活字体で書いた格言が散りばめられ、彼の「緑の都市」や衛生学の講演にちなんだ全面緑色の紙面に印刷されている。そうした講演において、公園では人々はル・コルビュジエの画家としての世界に触れながらスポーツをしている、と語る。「“緑の都市”は、そこで車を点検(オイル、グリース、エンジンの点検、車の修理、手入れ)するガレージになる(10)




(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2017年1月号より)