ウィリアム・モリス――革命的な耽美主義者


マリオン・ルクレール(Marion Leclair)

翻訳者


訳:三竿梓、嶋谷園加


 その知識と、金銭的豊かさ、才能によって、芸術家・作家としての輝かしい将来が約束されていた英国人のウィリアム・モリス。彼は19世紀において、自己の社会的活動と政治的信条を一致させる道を選んだ。それは、彼の中で次第にはっきり現れるようになった急進性の名の下で職人仕事を蘇らせ、マルクス主義思想を普及させるという試みだった。[フランス語版編集部]


William Morris

 ウィリアム・モリス(1834-1896)は彼の名を有名にした『地上の楽園』という抒情詩のプロローグの中で、メランコリックで、現実を耐え忍ぶ詩人として描かれている。芸術は世界の不正をただすことは出来ず、陰鬱な日々を和らげることくらいがせいぜいだと彼は分かっていた。

生まれてくる時代を間違えた夢想家である私が、何故に歪んだ世界を正そうとしているのか?私の詩は、ささやきの中で、軽い翼をもって羽ばたくだけで十分だ……。

しかしながら、まさにこの芸術によってヴィクトリア時代の資産家であったモリスは革命的社会主義者となり、資本主義的生産様式へ抵抗する実際的な行動を取るに至ったのだ。

 モリスは裕福な家庭に生まれた。父親が夭折した後、彼は鉱山の株を相続したため、毎年確実に収入を得ることができた。画家のエドワード・バーン=ジョーンズとオックスフォードで交友関係を持ったことで、彼は建築の道へ進んだ。美術評論家であるジョン・ラスキンの著作『ヴェネチアの石』――そこではゴシック建築を封建社会の有機的産物として描き出すとともに、それらを創り上げた職人たちの自由な仕事ぶりがその美しさの源だと説明していた――は、資本主義を根本から問い直すための議論をすでに投げかけていた(1)

 バーン=ジョーンズを介し、モリスはラスキンから大いに影響を受けたラファエル前派が集まる協会と通ずるようになった。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティを中心としたこの英国人の画家のグループは、ラファエロより前の芸術家たちのやり方を模倣することで、中世の芸術――分業体制をまだ取っておらず、「装飾芸術」と呼ばれた職人技術と美術が分離する前の時代の芸術――を復活させようとしていた。1861年、モリスはロセッティ、バーン=ジョーンズ、その他数名と共に、装飾品と家具を製作する「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を設立した。壁紙、ステンドグラス、絨毯、タピスリー、家具等を提案するこの会社は、装飾芸術と手仕事や協働作業による生産方法を蘇らせることによって、ヴィクトリア朝様式の醜悪なインテリアと闘おうとした。また、本来芸術家でもある職人に主導権を渡し、労働に対するこの上ない喜びを彼らに取り戻させた。

 様々な研究によってモリスは竪機織りや植物染料といった産業革命以前の製造技術を蘇らせた。これにより、彼にとってはより鮮やかな色と工場で生産された「粗悪品」よりずっと美しい品物を生み出すことが出来たのである(2)。彼が自ら費用を負担して1875年に会社を単独で再スタートさせ、発展させた頃、平均より多くの給与が与えられていた従業員たちは、古い手動の機械を使うことで仕事のペースを自らコントロールしていた。こうしてモリスは、彼の芸術思想を絶えず生産条件と連携させることに努めた。それは個人の才能への崇拝とは正反対の思想だった。1870年代から80年代において、モリスが普及に努めていたのはこうした構想だった。その際、彼は「アーツ・アンド・クラフツ運動」とその後すぐに呼ばれことになる美術工芸運動に魅せられたブルジョワ階級の顧客がとりわけ多く集まる集会を利用した。この運動の初回の展示会は1888年に開催され、モリス商会の製品もそこに展示されていた。

 しかしながらモリス商会の活動は、自らが批判していた分業システムを部分的に取り入れざるを得ず、それに囚われたことによって挫折と言われても仕方のない結果となった。モリス商会の製品がそれと認識されるためには、従業員たちはモリスや彼の娘、あるいはバーン=ジョーンズによって考案されたモチーフを単純に繰り返し製作するしかなかった。したがって彼らはそこでは本物の職人とはいえなかった。価格よりも美の追求を優先したために販売価格は上昇したが、一方ではモリスが流行を生み出したことにより安価な模造品が増加した。そうして彼は、英国と米国の出版社が夢中になった小さな模範的製作所の親切な経営者となったものの、生産方法の調整に専念する以上のことはできなかった。モリスはすでに米国のファンを集めており、当時の様子はルポルタージュや写真が物語っている。モリスの死後に売却されたモリス商会の商標は今も残り続けているが、それはもはやモリスのモチーフを機械で大量生産する目的にしかなっていない。そのモリスのモチーフは、枕カバーや化粧せっけん、傘といった製品に見ることが出来る。それらはケルムスコットやウォルサムストゥにある美術館内の店で売られている。改装によって生まれ変わったこれらの美術館は、かつてはモリスが住んだ家だった。

 モリスは「富裕層と彼らの贅沢のための悪趣味に仕える(3)」人生を送っていることを悔やみ、また経営者[親方]と職人達の間の分業を嘆いていた。社会主義同盟の機関紙『コモンウィール』に掲載された記事の中で「労働者と生み出された労働の観点からして、人間が専ら自分のために、自分のリズムで、しかも自分の好みで働いていた[中世の手工業]制度は、それに取って代わった分業制度よりもはるかに素晴らしいものだ。労働者が自分の使う素材、道具、時間を自分の手に取り戻すことは、芸術と人間の充足感を感じる上で必要な事だ。この[求められる]制度は単に中世におけるように、孤立した形で労働を分担するのではなく、労働者集団による共働によって実現されなければならない」(4) [訳註]と述べている。生産手段の私的所有権の廃止が、つまり真の芸術の存在を可能にし、その生産に携わるひとたちの幸福の印と理由になっているのである。

 1883 年にモリスは、英国で最初の社会主義政党である民主連盟に加入した。その後、1885 年にエリノア・マルクスとエドワード・アーヴィングと共にフリードリヒ・エンゲルスの助言に基づいて社会主義同盟を立ち上げた。1890年、アナーキストたちが多数派を占めたことで、モリスは[社会主義同盟の]執行部から身を引き、彼が暮らすロンドン郊外のハマスミスにある唯一の支部の活動に専念した。彼は個人的な財産も作家や講師としての才能も、社会主義の大義に奉仕するために使った。かくして彼は、現実と仮想の世界を隔てる、モリスの言葉によれば『火の川』を渡った。それはヴィクトリア時代の産業資本主義を批判する他のブルジョア階級者達が敢えて超えようとはしなかったという一歩であった、と歴史家エドワード・トムスンはモリスの伝記の中で強調している(5)

 1883年、英国では社会主義の信奉者があまりいなかった。トムスンによればせいぜい200 名ほどだった。『資本論』がようやく英訳されたのは1887年だったため、モリスはこの著作をフランス語で読んだ。政治経済学を学ぶためにアダム・スミスと、デビッド・リカードとジョン・スチュアート・ミルの著作も同時に読んでいた。彼は労働者階級と中産階級へ(彼はこの階層にも政治的教育が必要だとみなした)ロンドンの街角での演説やその他の地域の講演会において、革命的社会主義を広めようと試みた。彼はまた、社会民主連盟の機関紙『ジャスティス』と社会主義同盟の機関紙『コモンウィール』に寓話や対談記事を書くことでカール・マ ルクスの思想を普及させることにも貢献した。

 これらの作品のなかで最も知られているのは、おそらく彼が1381年の英国農民の反乱の新しい解釈を試みた『ジョン・ボールの夢』(1887)と資本主義が消失した後に存在しうる英国を彼自身が創造した理想郷として語った『ユートピアだより』(1890)(6)である。そこには貨幣や商業は存在せず、住民の身体の健康、衣服や住宅、公共の建造物と日常の品々の美しさ、女性の解放や自由な男女関係といったことが描かれている。道具類、機械と材料は共同の作業場で自由に使える。政府も司法機関も存在せず、住民が下すべき決定を彼ら自身で議論をする地方議会は存在する。そこには学校も存在しない。各々が自分のペースで学んでいる。すべてのことが旅する語り手を驚かせ喜ばせる。彼は現実の英国を認めず、彼の英国を認めた。このモリスの語る世界を離れる時、モリスが見出した惨めさと時間の単調さとに立ち向かう勇気を彼と共に運んでゆくのだ。「お戻りなさい」とガイドの一人がささやく。「わたしたちのことをご覧になったことで、あなたのたたかいに少しは希望が増したのですから、前よりも幸せな気持ちになって下さい。どれほどの労苦がともなおうとも、友愛(フェローシップ)と安らぎと幸福の新しい時代を少しずつでも建設してゆくために奮闘しながら、命あるかぎり生きつづけてください」(※)

 しかしながら大衆がよく知っている彼は、革命的な社会主義者や決然とした宣伝者のモリスではない。フランスでは彼を、芸術のための芸術崇拝(7)に身をささげた耽美主義者として紹介しないとき、ユートピアを夢見る無政府主義の傾向のある政治的な夢想家、また「脱成長」の先駆者であると強調される(8)。2014年、英国のナショナルポートレートギャラリーでのモリスをテーマにした最近の展覧会「アナーキーと美」では、彼の社会主義者としての政治的社会参加の独自性があいまいな印象の急進主義へと薄められていた。同年、ベネチア・ビエンナーレの英国館では、スチュアート・サム・ヒューズの壁画が展示されていた。そこではモリスが巨大な資本主義に対して芸術擁護のスーパーヒーローとして、ロシアの寡頭資本家ロマン・アブラモヴィッチのヨットをラグーンに投げ落とすために両腕で持ち上げている姿が描かれていた。

 モリスの政治的側面が再びクローズアップされることが喜ばしいとしても、その空想家としての人物像が、モリス特有のマルキストとしての政治的、社会的参加と能動的態度を徐々に見えなくしてしまった。ところで、「粗悪品」と工場の奴隷が消えたというには程遠い我々の時代にあって、モリスの関心の妥当性は、現代において自己疎外から自由になった労働者の解放と労働者が生み出す芸術の間の橋渡しをしている。まさにこのつながりのおかげで、私たちが芸術を多くの特権階級の贅沢とは別のものとみなすことが出来る。そして茜色、黄緑色、藍色といったモリス特有の染色の色の中で資本主義に代わる解決法を想像することを可能にするのである。




  • (1) John Ruskin, Les Pierres de Venise, ジョン・ラスキン『ヴェネツィアの石』 Hermann, coll.《Savoir》, Paris,2005(1re ed.:1853)
  • (2) Cf. William Morris, La Civilisation et le Travail, Le Passager clandestin, Neuvy-en- Champagne, 2013 ; Comment nous vivons, comment nous pourrions vivre, Payot & Rivages, Paris, 2013 ; L’Age de l’ersatz et autres textes contre la civilisation
  • (3) Edward P. Thompson, William Morris : Romantic to Revolutionary, PM Press, Oakland, 2011(1re ed. : 1955).
  • (4) William Morris, Political Writings : Contributions to Justice and Commonweal, 1883- 1890, Thoemmes, Bristol, 1994.[訳註]筆者は『コモンウィール』に掲載としているが『ジャスティス』の誤りか。William Morris Contributions to Justice 1884 Art or no art? Who shall settle it?(Justice, Volume I, Number 9, 15 March 1884, p.2)
  • (5) Edward P. Thompson, op. cit.
  • (6) William Morris, Un reve de John Ball, ウイリアム・モリス『ジョン・ボールの夢』 Aux forges de Vulcain, Paris, 2011, et Nouvelles de nulle part ou Une ere de repos, L’Altiplano,Montreuil-sous-Bois,2009.『ユートピアだより もしくはやすらぎの――時代』
  • (7) Par exemple dans l’exposition《Beaute, morale et volupte dans l’Angleterre d’Oscar Wilde》, Musee d’Orsay, Paris, 2011-2012.Par exemple dans l’exposition《Beaute,morale et volupte dans l’Angleterre d’Oscar Wilde》, Musee d’Orsey, Paris, 2011-2012.
  • (8) Cf. la preface de Serge Latouche a Williams Morris, Comment nous pourrions vivre, Le Passager clandestin, 2010, et Serge Latouche, Les Precurseurs de la decroissance. Une anthologie, Le Passager clandestin, 2016. Cf. aussi Paul Meier, La Pensee utopique de William Morris, Editions sociales, Paris, 1972, et Miguel Abensour,《William Morris, utopie et romance》, Europe, no 900, Paris, avril 2004.


  • 引用文献 『ユートピアだより』ウィリアム・モリス(岩波書店 2013年)訳者 川端 康 雄


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2017年1月号より)