ボスニア、クロアチア、モンテネグロ、セルビア人たちの共通の財産

バルカンの名もなき言語


ジャン=アルノー・デラン&シモン・リコ(Jean-Arnault Dérens & Simon Rico)

「バルカン通信」ジャーナリスト


訳:三竿梓



 ユーゴスラビアの分裂と国家間の対立の高まりは、この地域の言語に重大な影響をもたらした。サラエボではボスニア語、ザグレブではクロアチア語、ベオグラードではセルビア語、ポドゴリツァではモンテネグロ語を話さなければならなくなったのだ。言語学者たちは、地域ごとに言語のバリエーションがあることを見て取るが、これらの民族の間には同じ一つの言語があると認めている。そして、一部の人々はそれをもう一度共有したいと願っている。[フランス語版編集部]

Bogdan Pavlovic. — «Lecture diurne», 2013
bogdanpavlovic.com


 去る3月30日、サラエボでこの地域の多数の知識人により「共通語に関する宣言」(1)が発表された。この宣言は、旧ユーゴスラビアの四つの共和国を1990年代から対立させている言語論争に終止符を打つことを目指している。「ボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチア、モンテネグロ、セルビアでは共通語が使われているのでしょうか?――答えはその通りです」。序文にはこう書かれており、続いて「これは多極型の共通語といえます。つまり、ドイツ語や英語、アラビア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、その他の多くの言語と同じように、識別可能なバリエーションを持ち、いくつもの国と民族によって話される言語であるということです」と明言している。セルビア人の言語学者ランコ・ブガルスキは次のように指摘する。「他の言語との違いは、それぞれのバリエーションがそれぞれで名前を持っていることです。一方で、私たちの共通語はもはや社会的地位を持たず、公式の名前を失いました」

 すぐさま各地で反発が起きたが、最も激しかったのはクロアチアだった。ザグレブの大司教モンシニョール・ヨスィプ・ボザニッチは復活祭の説教で「クロアチア語に対する攻撃は別の攻撃も引き起こすだろう!」と激しく非難した。一方、保守派のコリンダ・グラバル=キタロヴィッチ大統領は「この共通語というものは、ユーゴスラビアと共に既に滅びた政策のことです」と断言したという。セルビア側では言語学者のミロシュ・コヴァチェヴィッチが「この言語に名前がないのは、誰もがこれはセルビア語の話だと分かっているからだ」と言い放った。この熱狂的な愛国主義者はセルビア語を、近隣諸国の民族が「盗もう」とする「宝物」のようにみなしている(2)

 ユーゴスラビアの時代には共通語の存在に疑念が抱かれることはなく、多数の離散した人々を数に入れなくとも、バルカン半島では約1500万人がこの共通語を話していた。「セルビア・クロアチア語」あるいは「クロアチア・セルビア語」という名前を持ち、ラテン文字かキリル文字、2種類のアルファベットを使って書くことができた――この二つの書記法は学校で体系的に教えられていた。連邦機関で使用される日常のコミュニケーション言語であり、ユーゴスラビア人民軍(JNA)が指揮を執る際に用いる言語でもあった。この共通語は、スロベニア語とマケドニア語(どちらもこの共和国の公式言語)以外にも、アルバニア語やイタリア語、ハンガリー語、ロマ語、ルテニア語[ウクライナ語]、チェコ語、トルコ語、スロバキア語など、ユーゴスラビアで話され、教えられていた多くの他言語と共存していた。

 1990年代初頭の流血を伴ったユーゴスラビア連邦の分裂以降、かつてセルビア・クロアチア語と呼ばれていた言語を指す共通語はもはや存在していない。オランダのハーグにある旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(TPIY)では「BCS」(ボスニア・クロアチア・セルビア語)が話される一方で、ソルボンヌ大学はこれにモンテネグロ語の「M」を加えた「BCMS」教育を提案している。作家・翻訳家・編集者であり、「共通語の宣言」の提唱者の一人であるヴラディミール・アルセニエヴィッチは「名称をめぐる問題は激しい議論の対象でした。“セルビア・クロアチア語”あるいは“ユーゴスラビア語”というあまりにあからさまな表現は使うことができなかったのです。今、南スラブの話者の間では“nas jezik”(私たちの言語)と表現するのが通例になっています」と認めている。彼らの選択は、政治的には分裂しているとしても、保ち続けている共通のアイデンティティの絆を表すかのようだ。

 クロアチアでは共通語と「クロアチア語」の違いを強調するために1990年から多大な努力が払われてきた。それゆえ、クロアチア人は外国語を自国の言葉へ置き換えようと新語を編み出したり、直訳語法[外国語の要素(語、表現など)を自国語に既存の要素に訳して取り入れる借用の一形態]を採用したりしている。したがって、ボスニア人やセルビア人が空港のことをaerodromと言う時、クロアチア人はそれをzračna luka(文字通り「空の港」)と呼ぶ。隣国は大使館の事務局のことをambasadaと呼ぶが、クロアチア人は(ロシアと同様)pasolstvoという言葉を使う。時に理解しがたい多くの言葉を作り出しながら、言語面の純度にこだわる人々によってこの傾向は拡大した。毎年メディアで大々的に取り上げられるあるコンクールは「最も優れたクロアチアの新語」を表彰さえしている。セルビアでは、強い影響力を持つ正教会が熱心に保護するキリル文字に争点が集中している。なぜなら、この国ではラテン文字もまた使用され、さらにはそれがインターネット上を支配しているからだ。そして、インターネットのようなコミュニケーションツールによってキリル文字が脅威に晒されるだけにいっそう、それはセルビア・アイデンティティを特徴づける印としてことさらに掲げられている。

 言語にまつわる緊張は時として滑稽な状況に陥ってしまう。例えば、クロアチア人はベラルーシ人やウクライナ人のように旧スラブ語の形式を用いて月の名前を表しており、隣国ではaprilとする4月のことを、travanj(文字通り「青草の月」)と表現する。複数の民族が共存している地域では、特定の国に帰属する言葉とみなされないようにするため、話し手は「第4の月」といった婉曲表現をたびたび駆使している。こうした状況は、現代の話し言葉ではほとんど使われることのないトルコの言葉がいくつか見られる「ボスニア語」や、さらには「モンテネグロ語」が政治的決定により定められたことで複雑さを増した。モンテネグロ語は2種類のアルファベットを使って書かれるが、2006年にこの国の独立が認められてからは、口語における固有の音を表すために子音が二つ追加された。こうしてモンテネグロ人が独自のアイデンティティを示したのに対し、セルビア人の愛国主義者らは異議を唱えた。また言語に関する問題は、NATOに加盟したばかりの小国モンテネグロを折に触れて刺激している。ほんの数年前までモンテネグロ北部――そこは正教徒が暮らす地域だが、セルビア人とモンテネグロ人がいるだけでなく、ボスニア人のコミュニティも多数存在する――にあるATMは、入念な配慮から「母語」(maternji jezik)を選択できるようになっていた……。

 このような政治的主張によって、さまざまな国の話者同士の相互理解が妨げられたことは一度もない。ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のクロアチア人言語学者ヨスィプ・バオティッチによると、セルビア・クロアチア語から派生したバリエーション間の差異は、語彙の10%未満にとどまるという。1990年代から幅を利かせているこの言語論争は、実際には科学的根拠など全くなく、何よりもまず政治的なものだ。「込み入ったやりとりをする際、話者の間にほぼ完璧なコミュニケーションを可能にするのは相互理解(3)」であり、それは次のような一連の地域メディアの誕生で証明されている。ヨーロッパフリーラジオの地域版Slobodna Evropaラジオやアルジャジーラ・バルカン、より最近ではCNNチャンネルに属するニュースチャンネルN1がある。経済上の問題が多少あるにせよ(クロアチアはセルビアやボスニア・ヘルツェゴビナよりも本の値段がはるかに高い)、国境を越える出版計画も敢行されている。

 2009年、ヴラディミール・アルセニエヴィッチ氏は「西バルカンと呼ばれる地域の中で話し合いの文化を育て、和解を促進し、壊れた関係を修復する」目的で『クロコディル』という団体を設立した。この団体は、南スラブ文学の地位を再び確立することを目指している。「私はクロアチアで育ちましたが現在はセルビアで生活しているので、両方のバリエーションを組み合わせた言語を使っています」と彼は言う。「創作を始めたとき、出版社との間で問題が起こりました。彼らは私に語彙を修正するよう主張したのです」。社会学者のイゴール・シュティクスの意見も同様だ。サラエボで生まれ、ザグレブとパリで学び、今はベオグラードで暮らしている彼は冗談めかした調子でこう言った。「いつも、私はいったいどの言語で執筆しているのでしょうと翻訳者たちに尋ねていますが、誰もが返答に詰まってしまうのです」

 「私たちの言語の間には違いがあるとされていますが、それを理由に既存の国境は強化され、新しい国境も作られています。言語面でのいかなる違いをも強調する4カ国による言語政策は、容認しがたい差別を生む有害で危険な習慣を生み出しています。悲しいことに、学校ではそれぞれの国の“母国語”に基づく差別意識が子供たちの間に広がりました。これでは国粋主義者の若い世代を育てることになってしまいます」とランコ・ブガルスキは憤る。「共通語に関する宣言」の提唱者らは、この宣言は政治的なプロジェクトではないと言っている――しかし、それはすぐさま各国の愛国主義者の団体によって、ユーゴスラビア連邦共和国への「恥ずべき」類のノスタルジーと同一視されるであろう。しかし、四半世紀前から作られてきた数々の障害を乗り越えたいとバルカンの市民たちが大いに望んでいることは、この提唱が生み出した反響を見れば明らかだ。





(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2017年7月号より)