独自の発展をとげる中国版ボブ・ディラン


レオ・ドゥ・ボアジソン(Léo de Boisgisson)

中・欧文化イベント主催者、86/33 LinkおよびKaiguan Culture共同開設者


訳:川端聡子



 中国で長いあいだ「密輸品」扱いだったロック・ミュージックは、インターネットを介した違法ダウンロードによって大衆化する以前は学生たちによる民主化運動のシンボルだった。「社会主義的」スピリットを留めるロックは当局からも大目に見られ、活動範囲を広げてきた。K-pop、あるいはジャーマン・テクノの人気を超え、中国独自でかつ社会にコミットした「中国ロック」が生まれている。[フランス語版編集部]




 上海。商店街沿いにある理髪店の雑音混じりのスピーカーから、フル・ヴォリュームで音楽が流れている。店の軒先では、タバコを吸う二人の若い理容師がスマートフォンをタップしながら、通りに大音響で響きわたるその曲のリフレインを口ずさんでいる。

 キャッチーなメロディにディスコ調の扇情的なリズム。「アイ・ミス・ユー/アイ・ミス・ユー/エヴリデイ」という英語の決まり文句が続く甘ったるい歌詞。歌っているのはロリータ系歌手のYixiだが、これと似たような歌はほかにも何千とある。

 中国で次々と生産され続けているこうしたラヴ・ソングは、いわゆる「バブルガム・ポップス」を意味する「水歌(koushuige、クシゲ)」と呼ばれる。甘ったるくて伝染しやすく、どこでも耳に入ってくる。大都市でも田舎でも携帯電話の着信音として耳にするし、もちろんカラオケでも歌われ、みな否応無しに頭から離れなくなるのだ。これらの曲は北京官話[中国の標準語である北京語]や広東語でも歌われ、絶大な人気を誇るジェイ・チョウ(周杰倫)やセクシーなルックスで人気のジョリン・ツァイ(蔡依林)といった台湾人歌手も、ジャスティン・ビーバーやマドンナ、マイケル・ジャクソンなど外国人アーティストの曲と交互にカヴァーしている。また、フランスのTVドラマ『エレーヌと男の子たち』のかつてのスター、エレーヌや、忘れられたギリシャ人歌手ヤニのように本国では完全に時代遅れになった歌手の歌が聞かれることもある。彼らは中国で思わぬ第二の人生を生きることとなった。

 ステレオタイプの音楽が主流となっている昨今の音楽業界では、悪びれもせず露骨な焼き直しが行われたり、同じ曲が繰り返し何十回と売り出されたりする(そのいくつかは1980年代末のヒット曲で、その都度今風のアレンジが施されている)。要は、聴き手に受ければいいというわけだ。この現象はなにも中国に限ったことではない。不幸にもポップ・ミュージックは世界中で画一化されてしまった。だが、中国の音楽マーケットに顕著なのは、慢性的に盗作行為が横行し、創り手側の意欲をすっかり削いでしまっていることだ。

 「実際、知的所有権の軽視は音楽業界の革新を妨げています。ポップ・シンガーのほうがソングライターよりも市場での商品価値があるんです。彼らはせいぜい4曲しか入っていないCD-ROMを作るだけで、あとは商業コンサートや広告キャンペーンで食べていける」と、中国の重要な自主制作レーベル「摩登天空 Modern Sky」の元販売促進部主任で、ポータルサイト「捜狐」の音楽コンテンツ創設者でもあるジェームス・チャン氏は言う。

 先出の美容師の一人、リウ・ガン氏はジェイ・チョウの大ファンで、とりわけ強く感情を揺さぶられるバラードや、よりR&Bっぽい曲が好きだ。「ジェイ・チョウはまさに偉大なアーティストだよ!(中国ショウビズ界の大多数と違い)自分で作曲し、恋愛や家族の意味について歌っているんだ」と彼は言う。

 アジアにおけるジェイ・チョウの人気はマドンナにもひけをとらない。アルバムは毎年数百万枚を売り上げ(海賊版のコピーは含まない)、熱狂するファンで国内スタジアムを満員にし、ファンはペンライトを振りながらどの曲も歌う。パフォーマンスは緻密に計算され、舞台セットも大掛かりだ。

 ジェイ・チョウ以外では、A PinkやTeen Top、2AMといったK-popグループが大のお気に入りだとリウ氏は言う。J-popの襲来に続き、2000年代以降は韓国ブームが中国を席巻した。現地インターネットの情報サイトでは、すべての見出しが駆け出しの韓国人女優たちのニュースで占められている。何人もの歌手やTVドラマの俳優が大成功を収めた。ハイブリッドだが育ちの良さも兼ね備えた韓国のボーイズ・バンドの(サイバー・パンクとオックスフォードの学生をミックスしたような)スタイルは、多くの若者たちに取り入れられているようだ。都会の灰色の風景とは対照的なこの気取ったファッションの若者たちは、多くが半農村地帯の出身だ。彼らは仕事を求め、そして退屈な田舎町から逃れて北京や上海にやってきた。

 金持ちの道楽息子たちもまた韓国風「bling-bling」[ヒップ・ポップ・スターなどに特徴的な、ゴールドなどの光ものを身につけるファッション]に夢中だが、何といってもアメリカの商業的なヒップ・ホップに夢中になっている。80~90年代に一人っ子として生まれた彼らは新中産階級か裕福な家庭の子供で、リッチな物を身につけ見せびらかすことを好む。そんな彼らの風潮(中国語でxiha、シーハと呼ばれる)が流行り、もてはやされている。彼らはシステム・スピーカーが備わったチューニング・カーを、夜になるとリル・ウェインやカニエ・ウエスト、ビヨンセを聴きながら街中乗りまわす。よりメッセージ性の強いアンダーグラウンドなヒップ・ホップ・グループも存在するものの、ブレイク・ダンスのグループとファッション至上主義にかき消されて影が薄い。「うちの店に遊びに来る子たちは反逆児じゃなく消費者ですよ。一晩で1,000ユーロ使って、仲間と店のテーブルでマグナム・ボトルのウィスキーを飲んでカラオケ店をハシゴしてますよ」。こう語るのは、北京でもっとも大きなディスコの一つでマネージャーをするワン・ウェイ氏だ。

 こうした商業主義やグローバル化という背景にもかかわらず、北京はクリエイティヴ・シーンの中心地であり続けている。上海ほどの華やかさや豊かな国際色はなくとも、独自の錬金術が北京にはある。この街は強烈な地域性を失うことなく、独自の方法でグローバリズムを消化吸収しているのだ。その強烈なアイデンティティに、芸術や音楽の創作活動にうってつけのモヴィダ的な雰囲気[訳註1]が加わっている。

 鄧小平時代(1978-1992)、外国からの密輸品だったロックが中国でたどった道のりは、それなりに混沌としたものだった。最初に入ってきたビートルズやイーグルスのカセット・テープは学生街の店の奥部屋に並んだ。そこは、公的には禁じられたあらゆるもの(映画、本、洋楽)がある「アリ・ババの隠れ家」だった。ロック・ミュージックは、その個人主義的で自由至上主義的なスピリットによって1989年の学生たちの(特に天安門広場における)シンボル的役割を果たし、その後も若者の生活に活気を与えた。6月の[天安門の]弾圧で理想が敗れたあとも、それは変わらない。

 こうした社会運動の草分的存在がツイ・チェン(崔健)だ。政治や社会にコミットした歌詞をファンキーなコードに乗せ、いわば中国ロックの出現を知らしめた。彼に続きドウ・ウェイ(竇唯)、Tang Dinasty(唐)、そしてパンク第1世代が学生街である五道口に現れた。五道口は、北京大学や清華大学といった有名大学があると同時にアンダーグラウンドな小さなバーが密集する場所でもある。この地でセックス・ピストルズからニルヴァーナ、ジョイ・ディヴィジョンまで、実に多様な音楽の影響を受けて枝分かれしたあらゆるオルタナティヴ・ロック[訳註2]が花開いた。

 2000年代にはインターネット・アクセスと海賊版の間接的な「恩恵」を受け、違法ダウンロードでコピーしたCD-ROMが飛び交った。これらの海賊版が、中国の無数の若者たちと欧米が蓄積してきた文化やそのルーツとの出合いを可能にしたのだ。





(マニエール・ド・ヴォワール2016年8-9月号)