瓦礫の中から蘇るアート


マリナ・ダ・シルヴァ(Marina Da Silva)

ジャーナリスト


訳:一ノ倉さやか



 戦争の惨禍、資金不足、加えてインフラ未整備という厳しい状況にもかかわらず、イラクの首都は文化プロジェクトで溢れている。演劇・ダンス・映画が不屈の精神であらゆる服従を拒み、閉塞したイラク社会に風穴を開けようとしているのだ。彼らの作品の発信と若手俳優の育成を目的として、フランスとイラクに文化の橋が架けられた。 [フランス語版編集部]




 十人あまりの若者が、静かに物思いに耽った様子で瓦礫や破片を拾い集めている。舞い上がる噴煙で息を詰まらせた彼らが去ると、重苦しい漆黒の闇の静けさの中に観客は取り残される。間もなく音楽と一筋の光が立ち上り、舞台上では拷問を受けた男性に最期の時が迫っているようだ。もはや苦悩と一体となった生命の最後の輝きを放つその表情に、観客の視線が引き寄せられる。同じ不幸に苦しむ同胞がボロボロの服をまとい取り乱した様子でやって来て、友愛の態度で彼の腕に手を差し伸べようとする。しかし傷ついた身体は触れられることで痙攣し縮こまってしまう。寄り添おうが哀れみをかけようが、何をしても結局無駄なことのように見えた。だが、この同胞は息が絶えようとしている男性の傍らで鳥の羽のように長い腕を広げながら、苦しみを和らげようと必死になっている。この衝撃的で不安をかき立てる20分間の濃密なダンスは、観客を困惑させる。そして最後のコーランの響きが、死の悲しみや祈りに身を委ね、来世に魂の平穏を求めるしかないことを暗示する。

 2009年以降劇場として利用されているイラク初代首相アブドゥッラフマーン・アル=ギラーニー (1920) の旧邸宅アル=マスレに大勢の若者が集った。アリ・ダイーム振付によるカラダのアンモニア爆弾事件犠牲者へのオマージュ『アンモニウム』への観客の拍手は鳴りやまない。昨年の2016年7月3日ラマダン最終日、シーア派が多く住むカラダ地区で爆弾を積んだトラックが300人以上もの命を奪い、ラマダン明けを祝っていた家族を皆殺しにした。極めて少数派のキリスト教徒も暮らすこの地区はバグダッドの賑やかな中心地だった。「まさに地獄でした。その光景は永遠に私たちの記憶に刻み込まれました」と親族を失った演出家は語る。

 2017年5月29日、またも爆弾を積んだトラックがカラダで爆発し、その数時間後橋の近くでも自動車が爆発した。翌日、首都から200キロメートル西に位置するヒートで新たなテロ攻撃が起きた。合わせて40人の死者と多くの負傷者が出た。ラマダンが始まって3日後、2016年7月の事件の時と同様に彼らの牙城であるイラク北部のモスルに追い込まれたイスラーム国からバグダッド市民への犯行声明が表明された。

 380回ものテロが起きた2015年の惨憺たる状況を思い起こせば、ここ数カ月バグダッドは状況が安定してきたかに思われた。不安と緊張がかえって街や人々に熱気を与え、市民は怯むことなく以前のように街中に出ている。「ここにいる全ての住民が戦争やテロで近親者を亡くしました。私たちは常に死と隣り合わせで生活しています。それでも家に閉じこもろうとは全く思いません。惨事が起きた場所にいつも戻り、できるところから再建しています。そうして私たちは生き抜いているのです」と俳優のユヒアは説明する。

 民兵やマフィアの暴力、断水に停電、都市の過密状態、100近くある検問所、町の景観を損なう乱雑に積み重なったコンクリートブロック、常に目を光らせている治安部隊。これらの不安な日常に抗いながら生き続けなくてはならないのだ(1)

 「殺戮・窒息・爆音」がまさに『ノイズ』のテーマである。ラズル・アッバスによるこの作品にもセリフはない。ガスマスク、銃殺の合図、銃弾の雨。しかし、生と怒りを原動力とするダンスが表現する解き放たれた身体の躍動感は、若者の反乱の証とも見れるだろう。舞台で演じているイラクの若者は、爆撃音と、イラクを世界で最も治安の悪い国にしている惨たらしい戦争しか経験していない。彼らはまた、国を混乱に陥れた1990年代の輸出禁止の経済制裁によって巨額の代償を支払わされた。それによる貧困と破壊の影響は未だ残っていると感じているのだ。彼らは現在直面している生活について語り、激しく感情を揺さぶるような演劇を制作する。経緯についてアッバスは次のように語る。「我々は繰り返し稽古をしていますが、その最中にもテロは起きています。このような状況を集約して、作品に取り込む必要があるのです」

 フェクレット・サレームはデンマーク王室の崩壊を現代のイラクに舞台を移し替えた『ハムレット1983』(2)を発表している。暴力と腐敗のみならず、彼はイラク社会に閉塞感をもたらしている悪しき因習を、ハムレットの復讐劇である家族のドラマを通して告発する。ハムレット(3)が復讐を誓った、未亡人に課せられた義理の兄弟との再婚の例はイラクではありふれているが、特に調査報告はなされず悲劇だともみなされていない。女性たちは新しい伴侶を選ぶことは許されず、一方青年は将来の夢が閉ざされたと感じている。2003年以降、アメリカ占領統治下の分断統治により強化された規則が、国民を保守的な社会の檻に無理矢理閉じ込めているのだ。

 バグダッド国立劇場から委託を受け、数々の国際フェスティバルで実績を持つ演出家アナス・アブデッサマードは『Tawbikh(非難)』を上演したばかりだ。視覚的イメージにのみ訴える無言劇は、これまで演劇が目指してきたものや演出を覆す。不安に満ちた演劇は宗教上の争いに蝕まれ崩壊状態にある国家、過激派によるゲリラ戦、あるいは米国の介入それぞれが生み出した不条理と暴力に立ち向かうという内容だ。特に米国の介入は、イラク国民の恨みと復讐欲をかき立てた。

 イラクの演出家は、若手とベテランのいずれもが、1980年代以降国をバラバラに引き裂いてきた戦争というテーマに憑りつかれている。イラン・イラク戦争(1980-1988)、湾岸戦争(1990-1991)、国際的な経済制裁(1990-2003)、英米による侵攻と占領(2003-2011)、そしてアル=カーイダそしてイスラーム国の出現といったものだ。

 私たちは、文科省から2017年4月に劇場・映画部門の主任ディレクターに任命されたイクバル・ナイムが企画したフェスティバルで6つの作品を観に行ったが、そこでは女性の出演者はほとんど見られない。だが、国立劇場の壁を埋め尽くす写真にはたくさんの女性がいて、それらは決して絶えることのないイラクの底力を物語っている。イクバル・ナイムも彼女自身が著名な俳優であり、決して国外への亡命を望まなかった。彼女は演出家で国立芸術学校の演劇部門ディレクターであるアイテム・ アブデラザックと共にファダ・アタムリン・アルモスタミール(トレーニング・スペース・ワークショップ)というアトリエを開設した。可能性に満ちたこの実験室は、アーティストを受け入れ養成する場となっている。「2003年から2010年の間バグダッドには、もはや主要な活動拠点は存在しませんでした」と彼女は語る。「劇場は相次いで閉鎖を余儀なくされ、軍に奪われ占領されていました。しかしアーティストはテロや爆弾投下の最中も創作を続けていたのです。表現方法を模索し自らスペースを開拓しながら、若者に引き継いできました。ここ数年、特に2013年以降は力強い作品を再び見られるようになり、いくつかの劇団が結成されています」

 若手カンパニーの活動はムンタダ・アル=マスレの至るところで見られる。イクバル・ナイムは彼らが自由に使える創造と上演の連携拠点を作りたいと考えている。「劇場は国民の希望を托すことのできる最良の手段です。ヨーロッパの人々は、イラクの若者は移民となるか、留まったとしても兵士か過激派になる以外選択肢はないと信じ込んでいます。しかし、彼らは実際にはここで未来を切り開くことを望んでいるのです」と彼女は断言する。

 25歳のパフォーマー、アブダラは、数人の仲間と活動グループをつくり、アーティストのアトリエを創設するという夢を叶えた。「私の生活の基盤はここにあります。いずれにしてもパリやアテネの街頭で一生を終えたいとは思いません。現在、私たちは再び路上で演じられるようになったのです。市民ははじめは何が起きているのか分からないといった様子でした。もう長いことそのような光景を見ていなかったので。でも私たちの挑戦に好奇心を示し、歓迎してくれています」

バグダッドで唯一の映画館

 多くの若い女性が再び舞台に立つまでにはしばらく時間が掛かるだろう。バズマとレダブは先駆者である。バズマは常にヴェールを身に着けていたが、舞台に宗教色を持ち込みたがらない演出家の命令に従わなければならなかった。彼女は信念を貫き通すために髪をウィッグで隠した。劇団員として4年のキャリアを持ち、才能に溢れ、ブロンドの髪を隠すことなく公共の場でパフォーマンスを行うレダブは、イラク人の目線で「社会参加」と「闘争」を明確に表現している。というのもイラクの状況では「女性はイスラーム保守主義と自警団の一番の標的になっていて誘拐や強姦は日常茶飯事だった」からだ。

 「社会参加」と「闘争」はバグダッドの至るところに見られる。テロが起きるたびに再生する町を見ればわかるだろう。新しい生活を夢見る住民と若者は2015年に汚職と縁故主義の終焉を要求するために大挙して、米軍の保護下にある「グリーン・ゾーン」[バグダッド中心部にある旧米軍管理領域で、各国の大使館などの施設が残る]へと押し寄せた。

 2016年より文化・観光遺跡大臣を務めるフェライド・ラウェンドリにとって、目下の課題は国の再建である。「しかしイラクの財政破綻がそれを妨げています。すべてのプロジェクトが中止になりました」。文化省の年間予算は国家予算の1%にも満たない。総額の76%が人件費に充てられ、16%が一般歳出に充てられた。残りの400万ドル(360万ユーロ)が文化支援に使われる。全ての権限を彼が持つわけではなく、その役割が[神々から岩を山頂に運び続けることを言い渡された]シシュポスが担ったものに似ているとしても、彼は文化事業に再び力を注ぎ、イラクと諸外国との間に再び橋を架けたいと考えている。「イラクにとって今重要なのは文化開放政策です。バグダッドの将来は若者の手に握られているがゆえ、彼らの養成について我々は常に考えています」

 先端技術の習得はイラクの映画監督にとって機材の入手と同様に困難だが、出航禁止で海外への行き来が不可能な状態であるにもかかわらず映画を撮り続けていた。 今日、国は映画製作援助を行っておらず、監督は出資者を自ら見つけ出さねばならない。曲がりくねったチグリス川に沿うように700万人の市民が暮らすバグダッドには、町に唯一残った映画館であるセミラミスと、子供向け上映のための新しいスペースがあるのみだ。

 文化の普及と交流の場であるアートシティのプロデューサー兼ディレクターであるヒクマット・アルバイダニは空白の時を埋めようとしている。彼はそこで短編映画祭を開催したばかりで、入場無料であったことから好奇心旺盛な市民たちが押し寄せてきた。彼は、製作支援と同時に、作品を海外へ紹介する手立てを模索している。これらの作品は、混沌とした日常を乗り越えるためにイラクの映画監督が困難な状況に抗いオリジナリティ豊かな作品を創り出していることを示している(4)。『バグダッドの写真家』のなかで、マジッド・ハミもやはりセリフを用いず、ある家族の親密さをテーマに、戦争がもたらす破壊、反抗、愛のかたちを精緻に映し出す。対象への眼差し、かすかな触れ合い、繊細な詩のようなこの作品は感動を呼び、在るべき日常を生きることの大切さを様々な世代に伝えた。ロアイ・ファドヒアバスは隠喩に富み洗練されたふたつの作品『Cotton(綿)』と『Lipstick(口紅)』のなかで、性とアイデンティティーに目覚める思春期の子供たちに焦点を当てている。一方女性監督のイナム・アブデルハミッド(2013年に、バグダッドが正式にアラブ圏の文化拠点となった際に助成金を獲得)は『Shuruk(覚醒)』をふたりの女性の間で生じる愛と友情、また彼女たちの人生の試練について、観るものに感情移入と共感を呼び起こすような視点で描いた。

 画家たちも奮闘している。自宅の庭や、イラク・プラスティック・アーティスツ・ソサエティのような18歳から25歳のアーティストのグループ展の会場内にギャラリーを開き、油絵、素描、カリグラフィー、銅版画、彫刻、陶芸等を展示している。過酷な制作環境のなか、そこで見られるのは、鮮やかなコントラストの色彩美、具象画にも抽象画にも見えるような、力強く多様な表現方法とスタイルだ。グラフィティーにも勢いがある。灰色の押し黙ったコンクリートを彼らの憤りや怒りの叫び、はじけるような笑いと皮肉で埋め尽くし、息の詰まるバグダッドの壁を取り返すのだ。

 2007年には、アル=ムンタナビ通りで催された読書家と知識人が集う書籍の見本市でテロが起こり30人の死者を出した。それでもまた再び人々は毎週金曜日その場所へ押し寄せて、カフェをはしごする。そこではあたかも時間は止まっているかのようでコーヒーをゆっくり飲みながらイブ・アラビ、ナジク・アルマイカ、バデゥルシャキール・アル=サヤイブ、マホメッド・ダルウィッチ、そしてムハンマド ・アル=ジャワイリ等の作品を朗読する。店の棚にはシモーヌ・ド・ボーヴォワールやルネ・ジラールの作品が並び、出版や翻訳が盛んに行われていることが見て取れる。

並外れた知性のバイタリティ

 「これがバグダッドの皮肉なのです」と町を離れるや故郷に恋い焦がれるハイデム・アブデラザックは結論づける。「バグダッドは瓦礫のなかに宝石を秘めているのです。ここでは生が死よりも力を持っている」。ハイデムはアイスキュロス作『オレステイア』のフランス・イラク合作バージョンを、ブザンソン=フランシュコンテの国立演劇センターを統括するセリ・ ポートと共同演出している。この『Looking for Orestia(オレステイアを探して)』(5)はイラク、フランスの俳優によりフランス語およびアラビア語で上演される予定だ。「この共同制作は歴史における悲劇という見えない糸によって導かれました。私たちに共通しているのは政治的・社会的問題なのです」と彼は言う。

 この企画は「現代アラブ世界を巡回するアート工房」を主催するシワの助力で具体化することになった(6)。ヤグタ・ベルガセムによってつくられた芸術活動のプラットフォームは2007年以降チュニスとバグダッドで開かれ、アラブ世界とフランスのアーティストの橋渡しをするという目標がある。「ヨーロッパから見れば、イラクは災厄から永遠に逃れられない恐怖をイメージさせる虚構国家です。しかし、一方でイラク人はあらゆる点で並外れた比類なきバイタリティと知的成熟を示しています。彼らはいかなる犠牲者の立場に甘んじることなく、芸術への傾倒と創造力を通してアラブ圏唯一無二の存在として生き続けるでしょう」

 創造と表現の次回のステージはバグダッドにて8月下旬と9月初旬、そして2018年ブザンソンの国立演劇センターへと巡回し、「イラク特集」の一環として上演される予定だ(7)




  • (1) Peter Harling, « Irak, colosse à la tête d’argile », Le Monde diplomatique, 2016年8月号
  • (2) この作品はタンデムのアラスドゥアイ国立劇場で2017年12月20、21、22日に上演予定。
  • (3) ハムレットの父(デンマーク国王)は実の弟に暗殺され、その後弟はハムレットの母(王妃)と再婚する。
  • (4) Akram Belkaïd,« Homeland, de l’attente à l’effroi », Les blogs du Diplo, Horizons arabes, 19 avril 2016.
  • (5) Dans une nouvelle traduction — la dernière datait de 1936 — de Youssef Seddik, philosophe et anthropologue tunisien, spécialiste de la Grèce antique.
  • (6) www.siwa-plateforme.org
  • (7) « Dernière semaine de septembre 2018, www.cdn-besancon.fr


(ル・モンド・ディプロマティーク2017年7月号)