米国メディア界の転換

「パラノイア・スタイル」の勝利


イブラヒム・ワルデ(Ibrahim Warde)

タフツ大学、フレッチャー法律外交大学院客員教授


訳:村松恭平


 米国大統領となったトランプ氏の数々の成功の要因は、彼の「実業家としての才能」に集約されうるのだろうか? ワルデ氏はその問いに対し、「否」という回答を示す。放送業界に課されていた「公平原則」の廃止(1987年)に加え、フォックス・ニュースの創設(1996年)。さらには、「オルタナ右翼」の台頭。「ポリティカル・コレクトネス」という歯止めが効かなくなったために進行した政治議論の堕落と米国メディア界全体の変質が、現政権の勝利の背景にはある。[日本語版編集部]



 米国大統領の座を狙ったドナルド・トランプ氏の野心は今日に始まったことではない。この不動産王は1988年からすでにジョージ・H・W・ブッシュ氏の副大統領候補者になることを目論んでいた。その後、彼は2000年の大統領選挙を視野に入れながら、改革党の公認候補に志願した。改革党は「大富豪のポピュリスト」と呼ばれたロス・ペロー氏が初めて政界に身を投じて以降、同氏が活動基盤としていた政党だ(1)。1992年の選挙キャンペーンでは北米自由貿易協定(NAFTA)が及ぼす弊害をめぐって議論が展開されたが、その後、ペロー氏は19%の票を獲得し、民主党のウィリアム・クリントン氏と争っていたブッシュ大統領の再選を阻んだ。トランプ氏は自身のそれぞれの試みにおいて、その実業家としての才能を徹底的な改革に欠けた政府のために役立てられると約束していた。

 しかしながら、2017年1月20日に第45代米国大統領に就任する彼の信念は漠然としたままだ。長年「民主党員」として選挙リストにその名が記載されていたトランプ氏が「共和党員」となったのは2009年に過ぎない。2012年には共和党の大統領指名権を得ようと立候補した。短期間で敗北を喫したその闘いの中で、彼はバラク・オバマ氏が米国生まれではないと主張することによって、米国史上初となったこの黒人大統領の正当性に抗議する者たちの旗振り役を務めた。そして結局、オバマ氏は自身の出生証書を公表するに至った。しかし、こうして提示された証拠も、強大な「幻想の製造工場」によって増幅されたこの論争を静めるには十分ではなかった。

 インドで生まれ、米国に帰化したディネシュ・デスーザは、移民流入の危険性に取り憑かれた右派の理論的指導者の一人だ。彼は書籍やドキュメンタリーを制作し続けたが、その狙いはオバマ氏の「アメリカらしさ」、あるいは同氏の愛国心に対する疑念を拡散しようとするものだった(2)。ケニア出身である父親の反植民地主義的な夢を継いだ後継者としてオバマ氏を描きながら、デスーザはそこから「ケニアのルオ族の一員が描いた夢によって米国は統治されている」と結論付けた。米国に対して激怒したオバマ氏がこの国に借金を負わせ、その国際的影響力を減少させながら、あらゆる手段を使ってこの国を弱体化させようとしている、というのだ。多くの読者や観客はこうした彼の主張に接して大喜びしている。

 こうした「信仰」がしぶとく残っていることをどのように説明できるだろうか? 漠然とした不安感情を生み出したのは、購買力の停滞や不安定な雇用、移民流入とそれに伴う多文化の混合、経済危機を生み出した責任者たちの無罪放免、そしてもちろん、[経済や政治]システムに関わる多くの機能不全といったものだ。そしてこうした不安感情は、1964年にリチャード・ホフスタッターが名付けた「政治におけるパラノイア(誇大妄想)・スタイル」を生み出すのに好都合だった。この歴史家は言う。「米国の政治は激しい怒りによって駆り立てられた感情のはけ口の場となっていました。なぜなら、この国の政治は国民それぞれのアイデンティティーや価値観、恐怖、切望といったものが鳴り響く共鳴箱のようにも作用しているからです。またそこは、現実に表れている諸問題にはほとんどつながらない感情や欲動が映し出される舞台でもあります(3)」。誇張的で終末論的な表現はここから生まれたのだ。そして、陰謀の妄想もまた。

 トランプ氏が利用しようとしたのは、エリートたちからは理解されなかったこうした[人々の感情の]「うねり」だった。彼はその際、メディア界と政治言説において生じていた根本的な変化に恵まれた。かつて、米国人の大部分は(ABC、CBS、NBCという)3つの主要なテレビチャンネルから1つを選び、日々情報を得ていた。当時は「公平原則」(fairness doctrine)がメディア界に対していくつかの制約を課していただけに——それは1987年に廃止されてしまったが——、良質な中道主義が優っていた。テレビ・ラジオ局は放送権を獲得するのと引き換えに「誠実、公平、公正」であることを示さなければならなかった。さらに、[放送を通じて]様々な見方を視聴者に伝えることを約束しなければならなかった。だが、ロナルド・レーガンが推進した規制緩和、そして技術変化がこうした状況を一変させた。長い間政治論争に「枠」を設け、[ポリティカル・コレクトネスの観点で議論に一定の歯止めをかけていた]「堤防」が、有線放送や衛星放送、そして特にインターネットの普及によって決壊したのだ。メディア界全体の堕落によって、「事実」と「見解」、あるいは「情報」と「娯楽」の間に存在していた境界が消えてしまった。

 1996年のフォックス・ニュースの創設は転機を画した。情報をひたすら流し続けるこのチャンネルは、クリントン氏の2期目に汚点を残したスキャンダル、ことにモニカ・ルインスキー事件と[その結果生じた]大統領罷免をめぐる争いから甘い汁を吸った。政治論争を格闘技に仕立て上げたフォックス・ニュースの放送スタイルは、華々しい成功を収めた。センセーショナリズム、動揺をかき立てる解説者たち、反動的なテーマを反復する放送スタイルによって、このチャンネルはすぐにルパート・マードック氏率いるメディア帝国にとってのドル箱となった。フォックス・ニュースを立案したロジャー・エイルズ氏はもともとジャーナリストではなく政治界の策略家で、汚い手口を使うプロだった。彼はリチャード・ニクソン氏のもとで1968年にそのキャリアの第一歩を踏み出していた。このチャンネルが好んだ視聴者は、怒りにかられ、「社会階層の中で脱落した貧しい白人たち」だった。共和党陣営から最後の穏健派を一掃することによって、フォックス・ニュースはメディア界を右傾化させる原因となった。

 フォックス・ニュースは[右傾化するメディア界の]草分け的な存在ではあったが、「オルト・ライト」や「オルタナティヴ・ライト」と呼ばれた[インターネット・メディアの]内容はさらに極端で、度を過ぎていた(4)。そして、トランプ氏が放つ言葉はやはり彼らを惹きつけた。こうした「扇情メディア」界の中心人物の一人がブライトバート・ニュースを以前率いていたスティーブ・バノン氏だ。この情報サイトは人種差別主義のみならず、ホモフォビア[同性愛者嫌い]や女性蔑視、反ユダヤ主義、イスラム恐怖症がにじみ出た「白人至上ナショナリズム」を公然と掲げている。トランプ氏が2016年8月に選挙キャンペーンを立て直すために起用し、そして、大統領に選出されると首席戦略官に抜擢した人物こそ、このバノン氏なのだ。ブライトバート・ニュースの創設者で2012年に亡くなったアンドリュー・ブライトバートは、バノン氏を「ティーパーティー[米保守派運動]のレニ・リーフェンシュタール(5)」と描写していた。だが、バノン氏はむしろレーニンと比べられるのを好んだ。「レーニンは国家を破壊したがっていたし、それは私の目標でもある。私は何もかもぶち壊したい。“エスタブリッシュメント”、すなわち民主党も共和党も伝統的な保守系メディアも、すべて破壊したいのだ(6)」と彼は言う。

 世間から高い評価を受けていた出版メディアが衰退し続ける一方で、「パラノイア・スタイル」に完璧に適合したセンセーションを巻き起こすメディアは絶えずその勢いを増している。トランプ氏の名声とキャリアはタブロイド紙のおかげだ。彼についての本を執筆した伝記作家のデイヴィッド・ケイ・ジョンストン氏が説明するところによると、トランプ氏はいつも「几帳面に」タブロイド紙を読み、[その業界の]あらゆる手法を熟知していたという(7)。トランプ氏は自社の従業員のふりをしてジャーナリストたちを呼び——ジョン・バロンあるいはジョン・ミラーと彼は名乗っていた——、仕事の成功やものにした女性たちに関するスクープを彼らに提供した。タブロイド紙とトランプ氏は持ちつ持たれつの関係だった。すなわち、この「大物」に関する記事がタブロイド紙の売り上げを促進し、その一方で、トランプ氏は費用をかけることなく自身を宣伝することができたのだ。2016年の大統領選挙の際には「セレブたちのホットなゴシップ」を専門とする雑誌National Enquirerがトランプ氏を公然と支持し、彼を中傷しうる記事の掲載をも拒んだ(8)

 事業が危機に陥っていた間もトランプ氏が「鉛を金に変えたミダス王」のようなイメージをいかに保つことができたのかは、こうした[メディア界の]状況を考慮すれば十分に理解できよう。トランプ氏は不動産抵当貸付を受ける際、公表される登記簿に載せないよう銀行に要求することによって彼らをだますことにも成功した。1990年に銀行はトランプ氏の純資産価値がマイナスになっていることに気が付いた。彼が保有していた資産を、負債が3億ドル分超過していたのだ(9)

 しかし、タブロイド紙のおかげで広まった彼の魅力は、そのキャリアの最も暗い部分を覆い隠すのにも役立った。ニューヨークの不動産界を覆っていた陰鬱な世界に彼を導いたのは、悪名高いロイ・コーン氏だ。1950年代の反共産主義的な「魔女狩り」の際、コーン氏はジョセフ・マッカーシー上院議員の右腕として働いていた。トランプ氏は、目的のためなら手段を選ばないこの狡猾な助言者の荒々しさに魅了されていた。1986年に亡くなった弁護士のコーン氏は、彼にとっては助言者という立場を超え、第二の父親のような存在だった。そして、コーン氏の手法の冷酷さは彼の記憶に焼き付いた。訴訟好きで文句ばかりを言い、金儲けには目がないトランプ氏は、尋常でないほど多くの裁判沙汰を経験した。彼は過去30年間で、原告人あるいは被告人として3,500件以上の訴訟の当事者となったと推算されている(10)

 トランプ氏がとうとう億万長者となったのは、実業家としての才能によるものではなく、テレビのリアリティ番組のおかげだ。『アプレンティス』« The apprentice »(フランスでは『その仕事を手に入れるのは誰だ?』という番組名に変わった)と『セレブリティ・アプレンティス』のプロデューサーであり、スターでもあったトランプ氏は、その番組の中で志願者たちに面接を受けさせ、侮辱行為を挟みながら様々な任務を彼らに与えている。この種の番組の「劇作法」を見事に会得した彼は、視聴者の期待や不安を番組の中で演出した。その最高潮のシーンでは、トランプ氏の手法が反映されている。敗者に向かって、彼が容赦なく「お前はクビだ!」« You’re fired ! »との言葉を放つのだ。この番組は世界的な成功を収め、その演出手法もまた世界中で採用されている。この実業家は番組放映料で富を築き、不動産や様々な商品に付けられた「トランプ・ブランド」からも大きな利益を得た。

 トランプ氏の自叙伝『トランプ自伝:不動産王にビジネスを学ぶ』(原題:The Art of the Deal、2008年に筑摩書房から邦訳が出版されている)の著者[つまり、ゴーストライター]の トニー・シュウォーツ氏は、トランプ氏自身も気に入って採用した「真実の誇張法」という矛盾形容法を作り出した。トランプ氏にとって、事実との和解というものは「注目を浴びるための」有効な手段となる「無邪気な誇張の形」でしかないのだ。論争を生み出す術を心得ていなければならないとこの本は記している。「なぜなら、論争は売り上げを伸ばすからです。個人を中傷しうる批判記事もまた、あなたのビジネスに非常に大きな利益をもたらすでしょう(11)」。今後数年間は、このような論争がいくつも生まれるであろう。




(ル・モンド・ディプロマティーク2016年12月号)