国粋主義者を喜ばせる歴史修正主義

ウクライナの「英雄」の正体


ローラン・ジェラン(Laurent Geslin)

ジャーナリスト

セバスチャン・ゴベール(Sébastien Gobert)

ジャーナリスト


訳:村松恭平


 米国新大統領ドナルド・トランプ氏の登場をきっかけに、「ポスト真実」といった言葉がさまざまなメディアを通して世界に広がっている。しかし一方で、過去の「真実」を直視しない態度やそれを政治的意図で捻じ曲げようとする邪悪な発想は、もっと古くから問題視されている。果たして「歴史」は「真実」を意味するのだろうか? 歴史家のティモシー・スナイダーは、世界が「歴史」の時代ではなく「記憶」の時代に入ったと指摘する。その場合、「歴史」と「記憶」は「真実」とどう向き合っているのだろうか? シンボルとしての「英雄」を創り出そうとするウクライナ政府は、その微妙な境界線をいっそうぼやかしている。[日本語版編集部]



 2016年7月初め、キエフ市議会はモスクワ通りを「ステパン=バンデラ通り」と改名することに決めた。激しい論争の的となったウクライナ人のナショナリスト、ステパン・バンデラ(1909〜1959年)の名前から取ったものだ。ソ連の支配に抗った「英雄」である彼は、ナチスによって少しの間捕まったものの、1941年6月と1944年の終わり頃には彼らの味方にもなった。こうした名称変更の実施は2015年5月に作られた「脱共産主義法」の枠組みにおいて発表されたが、その狙いは、忍び寄るロシア政府の黒い影とソ連時代の遺産を退けることだった。このキエフ市議会の決定によって、国境の反対側に位置するポーランドでは、いくつかの苦い記憶が呼び起こされている。

 7月22日、ポーランド議会側は1943年に生じたヴォルィーニの大虐殺を「民族浄化」、「ジェノサイド」と規定する法律を圧倒的多数で可決した。今日においてウクライナ北西部に位置しているこの地域では、第二次世界大戦中に4万人から10万人のポーランド人が命を落とした。ポーランド議会によれば、彼らは「ウクライナ人のナショナリストたちによって無惨に殺された」という。この大虐殺の当事者はステパン・バンデラが創設したウクライナ蜂起軍(UPA)の戦闘員たちに他ならなかった。UPAは今日、国家の独立のために戦ったとしてウクライナにおいて称賛されている。しかし、この軍はユダヤ人とポーランド人を虐殺した罪に問われたと同時に、一定の期間、みずから進んでナチスドイツにも協力した。

 ウクライナ政府とポーランド政府の間では、隣に位置する大国ロシアに対する戦略的関心が一致している。それにもかかわらず、両国の議会において[2016年7月という]同じタイミングでこれらの票決がなされたことは「ウクライナとポーランドの蜜月期の終わり」を印しているとリヴィウ・カトリック大学(ウクライナ西部)で教鞭を執る歴史家、ヴァズィル・ラゼヴィチは語る。実際のところ、両国間の紛争は新しく生じたものではない。しかし、最近のこうした立法発議が原因となって、過去についての共通の見方が確立されないままとなっている。ウクライナ国家記憶研究所の所長を務めるヴォロディーミル・ヴィアトロヴィチは、「歴史は歴史家に任せるべきであって、政治家たちが自分の勝手な解釈を押し付けるのを許してはならない」と考える。ところが、ヴァズィル・ラゼヴィチは、この研究所が他でもない「“公式版”の歴史の展開」を狙っているのだと断言する。

 ヴォロディーミル・ヴィアトロヴィチは、記憶に関する4つの法案を主導したメンバーの一人だ。ウクライナ議会を意味する「ラダ」によって、2015年5月にそれらの法案は可決された。1つ目の法案は、「共産主義とナチズムの全体主義的イデオロギー」の促進を犯罪とみなす。2つ目は、ソ連時代の過去に関連する彫像の破壊と町や村の名称変更を命じている。3つ目の法案はソ連時代のアーカイブの全ての公開を準備させ、4つ目は、「20世紀においてウクライナ国家の独立のために戦った戦闘員たち」に関する記憶に高い価値を付与するという内容だ。

 2014年の「高潔な革命」で生まれた政権が着手したこうした歴史の書き換えは、1991年からまずはウクライナ西部で進められ、2005年から2010年の間にヴィクトル・ユシチェンコ政権のもとで普及した「国の物語」をよりどころにしている。ユシチェンコ氏の政令はステパン・バンデラを「ウクライナの英雄」とみなしたが、それが[ユダヤ人人権団体の]サイモン・ヴィーゼンタール・センターにおいて激しい嫌悪をかき立てた。何千人ものユダヤ人を殺害したバンデラの責任が呼び起こされたのだ。こうした過程はウクライナでもその他の国でも論争を生み出した。2015年12月、(欧州評議会)ヴェニス委員会の法律の専門家たちもこの「不完全な仕上がりの」法律を嘆いた。それは、度を超えた刑罰を導入した法律だった。

 しかしながら、ヴォロディーミル・ヴィアトロヴィチにとっては目的が手段を正当化するようだ。彼はキエフにある研究所の事務室から、確信を持って力強く言葉を放つ。「最も重要なのは、ソ連による占領の痕跡をなくすことです。徹底的な行動が必要なのです。ソ連時代の遺産は、それ自体で勝手に消えることはありません。そうした痕跡を消すために何もしなければ、遺産はその力強さを再び取り戻してしまうでしょう」。

 1年以上前から、(文字通り「レーニン像の破壊」を意味する)「レニノパッド」(Leninopad)と呼ばれる大規模な運動の中で、レーニン像が次々と倒れていった。ペトロ・ポロシェンコ大統領は2016年5月15日の演説の中で、ボルシェビキのこの元指導者を賛美するモニュメントが2013年12月以降すでに約1000体も公共空間から取り除かれたこと、そして、700の町や村が名称を変更したことを喜んだ。こうして、ウクライナ東部にある人口100万人の街、ドニプロペトロウシクが2016年5月に「ドニプロ」と改名された。1930年代に激しい恐怖を生んだ責任者とみなされたウクライナ人の共産主義者、グリゴリー・ペトロフスキー(1878〜1958年)のあらゆる形跡を取り除くためだった。

 しかし、こうした偶像破壊の熱狂は、この国が自らの歴史と融和するのにほとんど貢献はしない。オックスフォード大学政治学部の研究者、ミロスラヴァ・ハートモンドは、「レーニンは悪を体現し、“あのもう一つの国”、“あのよそ者”の力を象徴するある種あいまいで神秘的な存在となった」と指摘する。実際、ウクライナ政府の間では、(74年間続いた)共産主義時代を国家の歴史の一ページとみなすことが必要だとはもはや誰も思わなくなったようだ。

 「私たちのさまざまな歴史的建造物は保護されていません。一つの時代全体の芸術的遺産が消失しつつあります」とウクライナ人アーティストのレオニド・マルチャクは悔やむ。「セヴェロドネツクやリシチャンスクのように1920年代から1930年代に作られたウクライナ東部のいくつかの町では、ソ連時代の歴史以外の歴史は存在しないのです。こうした記憶の破壊によって危うくなっているのは、その町の住民たちが持つアイデンティティー意識なのです」。マルチャクが指摘するような完全な思い違いの中で、一部の人間はこの問題を真面目に捉えようとはしていない。オデッサではレーニン像が[映画『スター・ウォーズ』に登場する]ダース・ベイダーに変身した。そして、[ウクライナ西部]ザカルパッチャ州では「レーニン通り」が「ジョン・レノン通り」となった。

 「新たな物語を作ることはウクライナにとって難しい。なぜなら、この国は“あの敵”、“あの植民地開拓者”、“あの圧政者”と対立しながらも、“あのもう一つの国”との関係によっていつも定義づけされてきたからだ」とハートモンドは付け加える。「20世紀のウクライナ国家の独立のために戦った戦闘員たち」に高い価値を付与する法律は、ウクライナ史においてプラスとなるものを規定しながら、こうした歴史の欠落を埋めようとしている。しかしこの手段に訴えることよって、1970年代に人権保護のために異議を申し立てて活動した人々は、ナチス軍に協力したUPAの戦闘員たちと同じレベルに置かれることになるのだ。

 「バンデラはスターリンに対抗したが、だからといって、彼がスターリンと非常に異なった人物だったとは言えない」と歴史家のティモシー・スナイダーは指摘する。スナイダーは、1930年代におけるバンデラの手下たちによる初めての犠牲者がウクライナ人たちであったと思い出させる。ヴォロディーミル・ヴィアトロヴィチは、このニュアンスについて気にしていないようだ。ヴィアトロヴィチは最近の論争の中で、ヴォルィーニの大虐殺へのUPAの関与を「見方の問題」に帰着させた。そうした彼の発言から生じる恐れは、ウクライナ国家記憶研究所に委ねられたソ連時代のアーカイブの扱い方が、将来において多少なりとも特定の思想傾向に左右されうるということだ。パリ第10大学(ナンテール大学)助教授、ユリア・シュカンはこう警告する。「こうした資料はソビエト時代の価値を失わせるためばかりではなく、釣り合いのとれたウクライナの歴史を作り上げるために利用されなければなりません」。

 2014年の初め、(キエフの「独立広場」を意味する)マイダンにおいて衝突が起き、当時の大統領で「モスクワの犬」と非難されたヴィクトル・ヤヌコーヴィチが倒された。歴史家のセリー・イェケルシクは、「バンデラは汚職への抵抗のシンボル、そして、ロシアに支持された政治体制への抵抗のシンボルとなりました。つまり、民族主義的、愛国主義的な排外主義を促進する役割を越えたシンボルとなったのです。それは今やウクライナ国家への忠誠を表しています」と説明する。それまで存在したいくつかの物語に付け加えられたこの物語は、それが詳細な分析によって深く検討されなければ、古くからあるさまざまな紛争の解決をさらに難しくする可能性がある。

 2015年5月9日、第二次世界大戦の終結を記念する祝賀の中で、ポロシェンコ大統領はUPAの戦闘員たちが「ナチスに対する第二戦線」を形成したと強く主張した(それは少しの期間しか続かなかったが)。その反面、彼らのさまざまな犯罪行為とその後のナチスへの協力、ナチスを追い返すのに果たした赤軍と[ウクライナの]パルチザン闘争の役割については一切触れなかった。これは、ティモシー・スナイダーが示した明々白々たる例証だ。彼は、世界が「歴史の時代ではなく、記憶の時代」に入ったと考える。そうした世界においては、いかなる分析も「政治による道具化」に抵抗することはできないのだ。




(ル・モンド・ディプロマティーク2016年12月号)