教師の官舎が「地方自治体によって売却され、モスクに改築…」。これは哲学者のアラン・フィンケルクロートが4月11日に『ヨーロッパ1』で述べた発言である。この発言は、甚だ漠然としているものの、今日広く知られた幻影をあぶり出している。とりわけ2005年に世に出た『ユーラビア』[訳注a]の影響は大きい。[フランス語版・日本語版編集部]
1956年の秋、イスラエルと同盟を結んだフランスとイギリスは、数日の間スエズ運河を占領した。その少し前、エジプトのナセル大統領によって国有化された運河である[訳注b]。しかしソビエトとアメリカの圧力によって、三国は撤退せざるを得なかった。ただし、ナセル大統領はこの衝突への回答として、数千人のユダヤ人をエジプトから追放した。その中にいた一人の少女は、「国外追放」体験によるトラウマから、多元的な影響を蒙った。少女の名はジゼル・オレビ。後にバト・イェオール(ヘブライ語で「ナイルの娘」の意)のペンネームで世に知られる事となる。彼女が焦点を当てようとしているのは、西洋に対するイスラムの陰謀についての最も極端な見方である。
「アラブ=イスラム文化は、旧大陸をいわば『壊疽』状態に追い込み、その後征服することになるだろう」。バト・イェオールはこう断言している。彼女が数十年の成長後、2005年にアメリカで出版したベストセラー『ユーラビア』の骨子は、黙示録的な予言で出来ている。この本はヘブライ語・イタリア語・オランダ語・フランス語(ジャン=シリル・ゴドフロワ出版社、2006年)に翻訳された。サブタイトルの「ユーロ=アラブ枢軸」は、第二次世界大戦中ナチス・ドイツを中心に同盟を組んだ「枢軸国」[訳注c]を思い起こさせる。ノルウェーの極右殺人者、アンネシュ・ベーリング・ブライヴィーク[2011年7月22日にノルウェーで発生した連続テロ事件の容疑者――訳注]は声明文にバト・イェオールの次の言葉を引用した。「アラブ=イスラム世界の狙いはヨーロッパである。退廃的でモラルに欠けたヨーロッパを手中に収めている最中なのだ。雨あられとつぎ込まれるオイルダラーと引き替えにヨーロッパが与えたのは、パレスチナに対する永続的支持と地中海沿岸国の国境開放、そしてイスラム教の容認であった」。
この筋書きは「とにかく馬鹿馬鹿しい」(原注1)にも関わらず、予想外にも当たり、ヨーロッパ極右の主張にも取り込まれた。例えばフランスでは極右政党の国民戦線(FN)党首、マリーヌ・ル・ペンが「イスラム帝国主義」を絶えず非難している。彼女は、サウジアラビアやカタールからの豊富な外国投資は「イスラム帝国主義」の表れだと批判し、スカーフ着用(原注2)から垣間見える「ヨーロッパのイスラム化」を責めたてる。ルペン氏の国際問題におけるアドバイザー役を務めている地政学者のエムリック・ショプラド氏は、「アラブの春」の数か月後に次のように明言した。「独裁制度はヨーロッパをアフリカの惨状から防衛する最後の砦だったのです。我々はこの独裁制度の崩壊を支持することで、いくつかの『エネルギー』を解放してしまいました。この『エネルギー』が3つの目的を叶える原動力となりました。すなわち、ヨーロッパへの移民の加速、密輸の増加、イスラム教徒の増大です」(『ヴァルール・アクチュエル』誌、2011年9月25日号)。
当初、『ユーラビア』説は一部の過激派グループ(フランスなら、《ブロック・イダンティテール》、《リポスト・ライック》・《オブセルバトワール・ド・リスラミザシオン》等)の支持する概念であったが、世間に広がり大衆化した。『ユーラビア』説を支持する政党は、選挙で好成績を挙げた。ヨーロッパ大陸では「スイス国民党」、ノルウェーの「進歩党」、「オーストリア自由党」が『ユーラビア』説を支持し、海峡を越えれば「イギリス独立党」が支持している。インテリ層の中にも『ユーラビア』説を信奉する者は存在し、中には公然と支持する者もいる。イタリア人ジャーナリストのオリアーナ・ファラーチ(『ユーラビア』の第1章の1行目に引用されている。2006年死去)、ドイツ人エコノミストのティロ・ザラツィン、フランス人作家ルノー・カミュ等である(原注3)。彼らの著書はいずれも飛ぶように売れた。
ところでバト・イェオールの主張は雑誌の売り上げも伸ばしている。今や、巻頭記事にイスラムの「侵略」を取り上げる雑誌を数え上げることは不可能だ。『レクスプレス』誌は「抗争――イスラム教vs西洋文明」(2010年10月6日)を取り上げたり、イスラム教に関する「遺憾な現実」(2008年6月11日)をたきつけたりしている。『ル・ポワン』誌も負けずに、「イスラムの亡霊」(2011年2月3日)を論じ、「ブルカ――黙して語られない事実」(2011年1月21日)の特集を約束し、「無遠慮なイスラム教」(2012年11月1日)に対して怒りをぶつけている。『フィガロ・マガジン』・『ヴァルール・アクチュエル』・『マリアンヌ』・『ヌーヴェル・オブセルバトゥール』の各誌も、さして違わない切り口で取り上げている(原注4)
ドイツの歴史学者エゴン・フライグ(原注5)のように、その道で有名な研究者でさえ、『ユーラビア』説の普及に一役買っている。フランスでは、人口統計学者のミシェル・トリバラの熱狂的賛辞がクリストファー・コールドウェルのベストセラーの序文で語られている。この本は、イスラム教に征服されたヨーロッパの崩壊を予告しているのだ(原注6)。
「アラブ=イスラムによる侵略」説は『ユーラビア』が火付け役となり、メディアの政治トピックで盛んに報じられているが、そもそも「アラブ=イスラムによる侵略」は本当に存在するのだろうか? バト・イェオールは、ペルシア湾岸のイスラム諸国は、オイルダラーによってヨーロッパを買い取ることが可能であると、第一に主張している。事実、『カナル・プリュス』は2013年5月20日の番組で「カタール、世界を征服。4つの教訓」を取り上げた。ところで、中東諸国が、ヨーロッパ・北米へ2011年に輸出した割合は22%に上ったのに対して、ヨーロッパ・北米が中東諸国へ輸出したのは5%に過ぎなかった(原注7)。つまり、中東諸国を外貨で潤すのは「西側」であり、逆は真ならずなのだ。
『ユーラビア』の描きだす筋書において、「国際関係」の章はいっそう非現実的である。ヨーロッパ諸国は、パレスチナに対して好意的な態度を示すどころか、イスラエルと強い同盟関係を結んでいるからだ。バト・イェオールが強調するように、ヨーロッパ諸国は、国連総会《決議43/177》に賛成投票し、1988年のパレスチナの独立のために一役買った事は確かだ。しかし、104か国が同じように賛成投票を入れ、反対票を入れたのは、アメリカとイスラエルのみである。
以後、EUがパレスチナへの支持によって高く評価されることは一切なく、むしろ正反対である。パレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領は2011年9月に、国連安全保障理事会によるパレスチナの承認申請をパン・ギムン国連事務総長に提出した際、イギリス・フランス両国は直ちに声明を出し、自分たちは関与しないと、述べている(原注8)。
ペルシア湾岸の君主国がヨーロッパを買収しているのではないとしても、ヨーロッパ自体が、爆発的なイスラム教徒の増加に、戦々恐々としているのではないか? インターネット上での最も高い推定によれば、EUに居住するイスラム教徒の人口は、不法滞在も含め実際は5,000万人に達し、2、30年後には1億人を突破するかもしれない。この数字は「お騒がせの素人」がでっち上げたものではなく、一見したところ信頼に足る人物がはじいた数なのだ。たとえばカナダ人ジャーナリスト、マーク・スタインがいる。彼は「ヨーロッパ人大虐殺」という表現の生みの親であり、北アメリカに於ける『ユーラビア』伝説の主要伝道者の一人である。スタインによれば、イスラム教徒は2020年に、ヨーロッパの人口の40%を占めることになる。
イスラム教徒コミュニティー(「広義」の意味で)は、EUの人口の2.4%から3.2%(1,200万から1,600万人)に相当することを考慮すると、スタインの予想が現実となるには、このパーセンテージが10年で15倍に増加しなくてはならない。だが『ユーラビア』説の信奉者は実現可能な数字だ、と断言している。なぜなら、あまたのイスラム教徒がヨーロッパへ移住し、そして驚異的なスピードで子作りをし、大衆のイスラム教改宗「戦略」を実行するからだ。しかしこの3点について、現実の数字と『ユーラビア』信奉者の言い分とは食い違っている。
ヨーロッパ社会は1980年代以降、一定の割合で移民が増加している。2009年の数字によると、移民の増加率はフランスで1.1パーミル[1000分の1が1パーミルである――訳注]、イギリスで3パーミル、ドイツはマイナス0.7パーミルである。EUにおける移民コミュニティー上位10位のうち、イスラム教徒が大半を占めるのは、モロッコ・チュニジア・アルバニアのたった3か国なのだ(原注9)。加えて、イスラム教徒は、非イスラム教徒より多産なわけではない。イスラム教国の大多数における出生率は、西洋諸国の出生率とさして違わないばかりでなく、イランのように、時には低い場合もあるのだ(原注10)。ヨーロッパに居住するイスラム教徒の女性の出生率は、1970年代以降恒常的に下落しており、2000年代初頭におけるヨーロッパ総人口の出生率と似かよっている(原注11)。
残るは改宗についてだ。イギリスの日刊紙『インデペンデント』は2011年1月4日、「イギリスのイスラム化」の危険性に関して、読者に注意を喚起した。というのも、この10年間でイスラム教への改宗者は倍増し、2001年には5万人だった改宗者が2011年には10万に上ったからだ(人口総数は6,000万人である)。つまり600人に1人の割合でイスラム教に改宗しており、年間で5,000人が改宗していることになる(フランス・ドイツより若干多い)。となると、イスラム教がイギリスの主な宗教となるには、6000年かかるわけだ。
キリスト教(福音主義とペンテコステ派[訳注d])への改宗者の世界的な増加は、聞けば耳を疑うほどだ。例えば中国とアフリカでは、なんと1日に1万人が改宗しているのだ(原注12)! これに比べれば、イスラム教による「侵略」のスピードは非常に遅い。 キリスト教への改宗は史上最速の宗教的な躍進を示しているが(1世紀も経たないうちに、信者数をゼロから5億人に引き上げた)、「世界的なキリスト教化」に警鐘を鳴らすメディアは皆無に近い…
『ユーラビア』という筋書きは空想的ではあるものの、絶えず影響を及ぼしている。イスラムの陰謀という幻影は「文化の保護」という新たな論理を生み、育んでいる(「先祖代々」のヨーロッパ人の「価値観」と「ライフスタイル」を保護する必要があるのは、ありとあらゆる民族的・文化的マイノリティーに侵略されているせいだ)。中でもイスラム教徒は、人々を震撼させるには打ってつけだ。『ユーラビア』神話のお蔭で、客観的に見て極右に属するヨーロッパの政党は、左派・右派の垣根を越えたと主張できる。彼らは自らの価値観を、自由・革新・民主主義・独立・寛容・政教分離の擁護者のごとくでっち上げて自己を示し、通常の選挙支持者を越える支持を集めようとしているのである。
(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2014年5月号)
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