苦境を生き抜くキューバ人たち

ルノー・ランベール特派員(Renaud Lambert)

ジャーナリスト

訳:日本語版編集部


 「我われに迫っている最大の脅威は、米国の大砲ではない。豆である。キューバ人は食えずにいるのだ」。1994年のこと、ラウル・カストロ国防大臣は、兄のフィデルと珍しく対立した(1)。農産物市場の自由化は、食糧増産に繋がると見込まれていたが、フィデルは反対していた。当時のキューバは、ソ連陣営崩壊以来の「特別期間」の苦難のうちにあった。国内総生産(GDP)は35%も落ち込み、米国の経済制裁強化により経済は逼迫し、国民は栄養失調に陥った。ラウルは確信していた。「変革を行わなければ、戦車を持ち出すしかなくなる」。農産物市場の自由化は、この年の秋に承認された。

 その14年後、兄にかわってキューバの国家元首となった(2)弟は言った。キューバは「依然、特別期間を脱していない(3)」。2008年には、続けざまに来襲した3つのハリケーンでインフラが壊滅した。被害総額は100億ドル、GDPの20%に上る。4つ目に押し寄せたのが世界金融危機で、主要産業(とりわけ観光とニッケル)が吹っ飛ばされてしまった。債務返済義務を果たせなくなったキューバは、経済がいっそう低迷するのを承知の上で、外国人投資家の資産凍結、輸入の削減という措置に踏み切った。豆の問題が再燃した。農業生産は2009年に7.3%減少し、輸入食糧の割合は2004年から2010年の間に50%から80%へと跳ね上がった。

 2010年12月18日、ラウル・カストロが語りかけた相手は、もはや兄ではなく国民だった。キューバ人民権力全国会議の席上で、(前大会から14年後の2011年4月末に開催される)第6回共産党大会の議題を発表し、次のように誓った。「軌道修正を行うか、さもなければ、迫りくる破局から逃れる時間はもはやない」。修正とは、どこまでのことを言っているのか。

 雨漏りで染みだらけの天井、亀裂の入った壁、くたびれた調度品、同じくらい擦り切れていて、装備も貧弱な護衛官。人民権力全国会議のリカルド・アラルコン議長が私たちを迎えてくれた応接室には、権威のかけらもない。5年前には、フィデルの有力な後継者候補2人のうちの1人と取り沙汰されていたが、そうした定めにはなかったようだ。そのせいだろうか、議長は尋ねる前にこう言い出した。「ええ、市場の開放、資本主義への開放は間違いなく行われます」

 「一国社会主義の建設」は容易ならぬことで、国内市場が狭小な場合はなおさらだ、という説は既にあった。革命国家キューバにも断絶がありうるということだろうか。アラルコン議長はそんな発想を一蹴する。「社会主義を救うためなら、なんでも行うつもりです。誰もが夢見る『完璧な社会主義』ではなく、キューバにおいて、わが国の条件下で、なしうる社会主義という意味です。それに、キューバ社会には既に市場メカニズムが存在しているのですよ」

「革命の英雄たち」に割り込んだジョージ・ワシントン

 ハバナ市の中心街、ベダード地区。空っぽのショッピングバッグを小脇に、ミリアムが自宅のアパートから23番通りに出てきた。左手に下っていった突き当りにはマレコン通りがある。長さ7キロの舗装道路で、打ち寄せる波が大量の水しぶきとなり、塩分で浸食された岸壁に叩き付けている。さらにその先には、キーウエスト島とフロリダ半島が見える。彼方の世界が、わずか150キロ足らずのところにある。

 ミリアムは道を渡る。赤信号の脇に、ぼろを纏い、垢で顔を真っ黒にして、つれないドライバー相手にライターや袋入りキャンディ、宝くじを売ろうとする子供はいない。すっきり爽やかで「カロリーもゼロ」の炭酸飲料や、しっとりマイルドで「革命的」なシャワージェルはいかがですかと、誘いかけてくるポスターもない。中南米では例外的に、キューバに子供の物乞いはいない。世界でも例外的に、広告掲示板は撤廃されている。

 ミリアムはそんなことを考えたりはしない。国民の70%と同様に、彼女もまた1959年、つまりキューバ人の言う「革命の勝利」の年以降に生まれた。彼女が知っているのは今のこの環境だけだ。ミリアムはその一方で、キューバ国民が享受する「社会福祉の成果」はしっかり要求する。国が無償で提供する様々なものは、ミリアムにとって権利なのだ。教育、保健医療、スポーツ、文化、労働、そして食料品。リベルタと呼ばれる食料配給手帳は、来年で50周年を迎える。

 配給所に着くと、ミリアムは大事な手帳を差し出す。9つの列が縦に並んだ表がずらっと続いている。左側に書かれているのは、リベルタで買える食品のリストだ。豆600グラムで0.80ペソ(公定レートで約65円)、食用油0.5リットルで0.20ペソ(約16円)、脱脂乳1キロで2ペソ(約161円)、砂糖1.5キロで0.15ペソ(約12円)、パスタ400グラムで0.90ペソ(約72円)、コーヒー115グラムで5ペソ(約403円)。右側の8列は8週間分ということだ。それぞれのマスに、配給を受けた量が記入されていく。

 「何が欲しいの」と聞かれて「お米」と答えながら、ミリアムはバッグを差し出す。500グラムにつき0.25ペソ(約20円)で2.5キロまで買える。500グラムにつき0.90ペソ(約72円)出せば、さらに1キロ買える。今日の買い物が始まった。

 ミリアムは、ある省庁に勤めていて、月給は平均額にあたる450ペソ(約3万6300円)だ。「約20CUCよ」。CUCというのは「兌換ペソ」のことで、1CUC(実勢レートで約87円)は公定ペソの24ペソに相当する(4)。この第2の通貨が米ドルにかわって登場したのは2004年のことだ。キューバ指導層は1993年に「経済的現実主義」に譲歩して、米ドルの使用を容認するに至っていた。

 ソ連崩壊後、キューバ政府は国内経済の急激な変化なしに対外部門を改革できると踏んでいた。歴史家のリチャード・ゴットによれば「対外的には資本主義、国内では社会主義」という政策だ(5)。とはいえ「市場」はあらゆる隙間に付け込んでくる。社会構造を(変えることなく)維持するために必要な外貨を提供するとされた投資や観光の特区から、国内市場にドル札が流れ出している。チップもそうだし、給与の一部、国外からの送金、それに闇市場を通じて、ジョージ・ワシントンの肖像は、キューバ革命の英雄たちの肖像に匹敵するほど馴染み深いものとなってきた。

 政府は抵抗を諦め、貴重なドルを国庫に吸収すべく、外貨ショップを開設した。二重構造となった市場の下で、通貨主権が蝕まれ、革命による平等の倫理が脅かされている。合法的にドル(後にはCUC)を入手できるのは、キューバ国民の3分の2だけだからだ。1987年には4倍にすぎなかった賃金格差は、その10年後に25倍にまで拡大した。

 現在では、キューバ人は誰でもペソをCUCに両替できる。法律上の特権は廃止された。とはいえ事実上の特権は残っている。ミリアムは秤の針に目を光らせながら苦笑する。「国が私に払う給与はペソのまま。外貨ショップの値段、見たでしょ」。コカ・コーラ(メキシコからの輸入品)が1CUC(実勢レートで2000円弱)、固形石鹸(ヨーロッパ人にとってはありきたりな品質のもの)が1.5CUC(3000円弱)、オーディオセットは約400CUC(80万円弱)、パソコンは約500CUC(100万円弱)。

 ミリアムのバッグはもう満杯だが、さほど重くはない。リベルタだけで生活していけるのだろうか。「ええ、10日から長くて15日間は」。配給所にいた誰もがうなずいた。「他にも買わなければならないものがあるのは別として」。野菜に交通費、電気代、最悪なのは衣料品だ。流行のものは諦めるにしても、着るという行為はまさに選択そのものだ。ズボンなら約130ペソ(公定レートで1万円強)だし、Tシャツなら90ペソ(約7300円)は見ないといけない。ショーツは(いまいち野暮ったくても)10ペソ(約800円)だ。

社会主義国のイセエビは観光客向け

 マタンザスで自動車修理工をしているランディの稼ぎは、月に350ペソ(公定レートで3万円弱)。サンタクララでトラック運転手をしているホセは約250ペソ(2万円強)。シエンフエゴスの若手ジャーナリスト、マリリンは380ペソ(3万円強)だ。高級官僚はどうかと言うと、「月に800ペソ(約6万5000円)といったところ」だと、ハバナ在住のBBC記者フェルナンド・ラヴスバーグは言う。平均賃金は1989年から2009年の間に188ペソ(約1万5000円)から427ペソ(約3万5000円)に上がったが、インフレ率を考慮して修正した実質的な価値は、48ペソ(約4000円)に下がっているのだ(6)

 キューバを訪れて配給所や衣料品店を見た者は、外貨ショップにまでは行かなかったとしても、すぐに計算をしてみる。そして決まって、キューバ人は一体どうやって生活してるんだろうと問いかける。返ってくる答えは決まってこうだ。「解決しないとね」。キューバ人はこの言葉を自動詞として用いる。解決すべき問題が何であるのかは周知の事実だからだ。

 大きなホテルのテラスで、1人の観光客がビールを注文する。3CUC(実勢レートで6000円弱)だ。ウェイターが出すのはホテルの在庫のものとは限らない。建前としては秘密の自分の手持ちを出すこともある。1CUC(2000円弱)で仕入れて3CUCで転売していけば、基本給の50倍を稼ぐことができ、上司への「付け届け」も出せる。

 急激な歯痛で苦しんでいるホテルの従業員がいる。歯科医は、2週間待ちは必至だと言った後で、困難を「解決する」案を出す。「今晩来てもいいが、5CUC(1万円弱)を頂戴するよ」。今度は従業員の方が想像力のたくましさを示す番だ。「すぐに診てくれ、そしたら今晩、勤務先のホテルのビュッフェに、家族全員を入らせてあげるよ」

 アパートの売買は禁止されている。そうはいっても、人数が増える家族もあれば、減る家族もある。それらの家族を引き合わせるのが仲介業者で、取引は世間で周知の「市場価格」を基準とし、成約のあかつきには手数料を取る。わりとシックなベダード地区にあるワンルームなら「1万5000CUC(約3000万円)ほど」、中心街から少し離れた4LDKなら「およそ8万CUC(約1億6000万円)」となる。

 「社会主義、さもなくば死」の国では、イセエビは観光業か輸出にしか回されていない。こうした不公平は漁師たちによって、闇市場という形で打ち破られている。月に約700ドルの稼ぎになる。インターネットにアクセスできる大学教員の場合は、勤務時間が終わった夜間にパスワードを貸し出す。教師は自宅で塾を開き、看護師は出張ケアに走り、バスやトラックの運転手は燃料油をくすねている。多くの人びとは、社会主義国家のために働くことで、闇市場へとペンや椅子、工具や建築資材を横流しする機会を手にしているのだ。

 通貨や住居の問題、経済制裁で悪化した食糧不足。キューバ人たちは長年にわたり、日常生活の縦糸となった「市場メカニズム」と折り合いをつけることを学んできた。政府の公式見解の下で、各人はそうした状況を密かに忍ぶことを余儀なくされていた。そしてラウル・カストロが政権に就いた。2007年7月26日、彼は暫定議長就任演説の機会を捉えて、ほとんど開けっぴろげにこう認めた。「もはや最低賃金だけでは、基本的な必要を満たすのに十分ではなく(・・・)、そのために社会の規律が緩みつつある」。些末な逸話と片づけてよい話ではない。

 2003年5月26日のこと、フィデル・カストロはこう断言していた。「食料よりも、頭上の屋根よりも、衣服よりも、生活の質を真に成すのは価値観なのだ」。彼はその数年前からキューバの問題、とりわけ汚職に立ち向かうための「思想闘争」を始めていた。キューバ人を革命的な信条にどっぷり浸すことが狙いだ。なかでも最も若い世代には、雇用を提供することだ。たとえば、学生たちをガソリンスタンドの監視員に任命する。フィデルの言う思想は一時的には効果を発揮したが、その後は「迷走」により再び意識が低下することになる。メディア(キューバでは依然として国営)が最近報じたところによると、建設省では、8000人の作業員と石工に加え、盗難防止のための警備員を1万2000人も雇っているという。

 2007年に始められた「国民的な大議論」を経て、キューバ人が期待しているのはそうした改革ではないとラウルは考えた。彼がなぜそのような結論に至ったのか、本当のところは誰にもわからない。この時の「議論」については、なんの報告も総括も部分的記録も公表されていないからだ。結局のところ、先のランディが言うように、「ここでは、決定を下すのは国家であって、国民ではない」のだ。

「散髪の値段を国が決めるべきなのか」

 ラウルによれば、現在の課題はもはや、厳格なイデオロギーと相容れない社会的機能不全の是正ではなく、「誤った実現不可能な思想」を排した社会主義の追求にある。そのためには「資本主義の実証的な経験を利用する」のも厭わない、ということだ(7)。キューバ人は既に、あの手この手で毎日を切り抜けるなかで、それぞれ事業主になっているようなものではないか。ラウルが選んだのは、自営業によって民間主導の活力を復活させるという道だ。

 日常生活に関していえば、自営業を認められる178の職業リストが2010年9月に発表されたが、それで何か状況が変わったということはない。石工、大工、電気技師、時計職人、ライターの修理・詰め替え屋といった職業は、それまで公式には存在していなかったが、誰もが以前から利用していた。それも当然だった。「水漏れを(建物の修繕を管轄する)国営企業経由で直してもらうのは至難のわざでした。修理のできる隣人に頼むことがいつしか普通になりました」と説明してくれたのはリカルドだ。

 そうした隣人は、今では納税者となっている。営業許可の登録に20CUC弱(実勢レートで4万円弱)、税率25%の事業税、所得の25%の社会保険料に加え、累進的な所得税がある。年間5000ペソ(公定レートで40万円強)以上の所得が対象で、最大税率は年間5万ペソ(400万円強)以上の場合の50%だ。リカルドはこう付け加える。「自営業者は、他のキューバ人を出来高制で雇うことも認められているんです」。そうしたことは憲法違反の搾取にあたるが、税務当局は大いに歓迎する。「雇用主」となった隣人は、賃金の25%を国庫に納めてくれるからだ。

 日常生活はごくわずかしか変わらなかったが、政府見解の方はまったく違う。1968年3月に、フィデルはこう批判していた。「他人を踏み付けにして暮らしている一握りの国民(・・・)、健康この上ない怠け者たちが、屋台を構えたり、ちょっとした事業を興したりする。日に50ペソ稼ごうとして(8)」。それから2日も経たないうちに、個人経営のバーや食料品店、自動車整備工場だけではなく、大工、石工、配管工までが一斉に姿を消した。2010年11月には、政府見解はこう変わっている。グランマ紙が熱く説くところ、自営業者とは「意欲に満ちた企業家」で、「高い志に貫かれ」、その成功は「キューバの経済モデルの現代適応化に大いに貢献することになる」はずなのだ(9)

 1995年の頃は、たとえば個人経営の食堂は12席までに制限するなどして、上昇志向を抑え込むことが必要とされた。それから15年後、「富の蓄積」はもはや毛嫌いされることではなくなった。「率直になろうではないか。自営業者が、費用をすべて自前で賄った上で、現在の平均賃金を上回る月収を稼いだとして、なにかまずいことがあるだろうか」とグランマ紙は問いかける。結局のところ「少しずつ、自分の能力を生かし、客を引き寄せる笑顔に至るまで日々、サービスの質を改善しながら労働を行うことで、資本は築かれていくのだ」。2011年1月にはカトリック系の雑誌に、キューバが今では「富を恐れることなしに(10)」未来に乗り出そうとしていることを讃える論説が載った。

 とはいえ、ラウルが取り組んでいる改革の狙いは、以前は禁止されていたことの合法化だけではない。著名なキューバ知識人のひとり、アルフレド・ゲバラが全国各地で語り続けているように、規制や監督の意義が疑わしくなった管理経済の「脱国営化」も意図している。こんな例がある。2009年に収穫されたトマトの大部分が、畑でダメになってしまった。空荷で走ってはならないとの規定に従ったせいで、国営企業のトラックの到着が間に合わなかったのだ。最寄りの工場に運んでピューレにすればいいじゃないかと思うところだが、それは無理な相談だ。そうした手続きは企業の設立規約に書かれていないからだ。

 キューバ経済・会計専門家協会のホルヘ・ルイス・バルデスは、半ば独り言のような調子で、こんなふうに問いかけた。「散髪の値段を国が決めることが本当に必要なのだろうか。2010年4月の改革までは、全国の理容師がたったひとつの企業の下にあった。それが民間に移管されただけで、9カ月で6億3000万ペソ(公定レートで約500億円)の支出を節約できた上に、1年間で6億6000万ペソ(約530億円)も収入が増えたのだ」

 襟足のカット並みの早業で、ホルヘはポケット手帳を取り出し、コーヒーをすすめ、タバコに火をつけた。「2010年4月以前は、散髪の公定料金は0.80ペソ(公定レートで約64円)だった。でも、理容師は男性客には5〜20ペソ(約400〜1600円強)、女性客には100ペソ(約8000円)まで吹っ掛けていた。電気や水道、電話は国の負担で、店に1ペソ(約80円)を払えば誰でも利用できた。理容師4人につき、警備員2人、掃除婦1人、経理1人、庶務1人、それからぶらぶらしている職員が1人か2人いて、それがみんな国の職員だったのさ」

「変化の時」を掲げる機関誌グランマ

 ホルヘはコーヒーを飲み終えると、タバコを深々と吸い、こちらが咳き込むのを眺めた後で言葉を継いだ。「今ではすべてが変わった。理容師は自営業者で、国にひとりあたり月990ペソ(約8万円)を納めている。店舗の賃料が330ペソ(2万7000円弱)、社会保険料が330ペソ、雇用税が330ペソだ。それさえ払えば、自由に料金を決められるし、誰を雇っても構わない。従業員数はたいてい減少するけどね」。理容師、多すぎる警備員、ぶらぶらしている職員と同じように、労働人口の40%が今後2020年までの間に、国営部門から民間に移ることになっている(現在は90%が国の職員)。ホルヘはタバコをもみ消しながら、こう締めくくった。「費用は減り、収入は増える。国にとっては丸儲けだ」

 「社会主義」という言葉を聞いて、チェ・ゲバラよりもドミニク・ストロス=カーンを思い浮かべる国々でも、効率、生産性、節約といった物言いはとりたてて目新しいものではない。「我われが他の国と違うはずがあるものか。あれもこれもタダというのは、いいかげんやめるべきだ」とホルヘは口を尖らせた。「タダ」というのは、「国が全キューバ国民に対し、平等の保障ということで、生まれてから死ぬまでの間、あれもこれもタダでばらまいている」という意味だ。

 彼によれば、タダということで、暮らし向きをよくするために稼ぐという発想が薄れ、やる気が衰え、経済発展が阻害された。現在では平等という言葉は、キューバの社会主義の中で、主に「平等主義」のいきすぎ批判の文脈でしか聞かれなくなっている。その解決策がタダをなくし、2008年12月27日にラウルが説いたように「賃金の価値を正す」ことというわけだ。「それ以外の道はない」とラウルは付け加えた。

 2009年9月27日、閣僚評議会副議長のラミロ・バルデスはキューバ国民に「国家がなんでも面倒を見てくれると期待しないように」と釘をさした(11)。ウェディングケーキとハネムーンのホテル代の支給は、既に廃止されている。ハバナにある4つの省庁の(無料)食堂も閉鎖された。職員はそのかわり、1日15ペソ(約1200円)の食費を受け取っている(今のところ十分な額ではある)。さらに食料配給手帳のリベルタも、近いうちに廃止されるかもしれない。党大会にかけられる議案第165号で、他の中南米諸国と同様に、「本当に困窮している人びと」だけに対する「対象限定の社会扶助」への変更が提案されているのだ。

 国内唯一の労働組合は、来たる数カ月で国の職員50万人が解雇されると発表する役目を負わされた。失業手当は、解雇後1カ月目は給与の100%だ。2カ月目以降は60%の失業手当が出るが、その給付期間は、勤続年数19年以下なら1カ月、26年から30年なら3カ月、30年超なら5カ月となる(12)。民間部門への速やかな再就職を促すためだろう。

 しかし、省庁で10年働いた人が、2カ月で農家や床屋や石工に転身できるものだろうか。そして2カ月後には、なんの保障も受けられないのだ。進行中の改革の理論的支柱のひとりとされる経済学者、オマール・エベルレニイ・ペレスの見通しは、まったく明るいものではない。「確かに、改革の負け組になる人、失業する人も出てきます。不平等が拡大することになりますね」。つまり、と彼は続けた。「不平等は以前から存在するわけですが、現在あるのは偽の平等です。上に立つのにふさわしい者は誰か、これが今日決定すべきことなのです」

 この2月9日にハバナの中心街にある医院で、党大会にかけられる議案についての職員会議が開かれた。この文書は全32ページ、291項目から成り、能力給、「市場価格」の合法化、社会福祉プログラムの見直しなど、全国民の将来に関わる事項も含まれている。全部に賛成とする決議が、数分のうちに全会一致で採択された。ただし参加者たちは、キューバの保健医療や教育制度への愛着を表明することの方に時間を費やした。改革自体には賛成だ、でも、これは変えないでほしい、といった発言だ。会議の司会を務めた組合部門の責任者は、各人の指摘を書き留めた。しかし、それらの指摘が一体どのような形で考慮されるのかは、なんとも言えないことだった。

 ひとつの改革が別の改革を招き、さらにまた別の改革へと、雪だるま式になだれていき、最終的にはキューバの「社会福祉の成果」の「現代適応化」が必要だと、政府が言い出す危険はないだろうか。中国の経済開放からフランスの公共サービス改革に至るまで、そうした展開を予想させる先例は枚挙にいとまがない。アラルコン議長は心配には及ばないと言い、人民権力全国議会を引き合いに出す。「これこれの改革には反対だという意見を表明し、続けて反対票を投じることも、完全に可能です」。ということは、反対勢力も存在するのだろうか。人民権力全国議会では1976年の創設以来、政府案への反対票は一度も見られたためしがないのだが。

 2011年2月10日付グランマ紙の一面に、こんな漫画が掲げられた。ハンチング帽を被って、街灯に寄りかかった若者が、通りがかりの年配の男性に話しかける。「爺さん、少し小銭くんないか」。スペイン語で「小銭」という単語「カンビオ」には「変化」という意味もある。「爺さん」はこう答える。「もちろんだとも、せがれよ。変化の時が来た。まっとうに働き始める時がな」

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2011年4月号)