それはチュニジアから始まった

ヒシャム・ベン・アブダラ・エル・アラウィ(Hicham Ben Abdallah El Alaoui)

ヒューマン・ライツ・ウォッチ顧問委員会メンバー、
スタンフォード大学(カリフォルニア)フリーマン・スポグリ国際研究所研究員。
モロッコ王モハメド6世のいとこでもある

訳:青木泉


 略奪と腐敗を原理とする横領体制を抑圧的な強権で支えていたチュニジアの専制政権が崩壊した。この政権を体現していたのが、社会から富をむしり取っていた一族だ。高校まで出ていながら青果の行商をしていた若者が、絶望から焼身自殺した事件をきっかけに、チュニジア人は反乱を起こした。それは、アラブ諸国で最も強権的な体制のひとつを倒すことになる。だが、この地域にはまだ多数の独裁体制がある。

 偉大な民衆による英雄的なチュジニアの蜂起は、重要な前例をなす。予見が不可能で、特段の政治的リーダーもおらず、その非組織性がかえって功を奏した。もっと組織化されていたならば、体制によって鎮圧されていただろう。ベン・アリ独裁に嫌気がさしたという理由だけで団結したチュニジアの反徒たちは、連絡をインターネットで取り合った。政権側は(2009年にイランで発生し、教権体制による鎮圧で終わった「緑の運動」という前例にもかかわらず)それを予期できなかった。反徒たちは、過去四半世紀近くにわたり北アフリカ・中東諸国の中でも有数の抑圧体制を敷いていた独裁政権を、1カ月足らずで見事に崩壊させた。

 だが、蜂起を成功させた大きな強みは、最大の弱みに変じている。リーダーがおらず、政治プログラムがなく、忌み嫌われた大統領を失脚させた後に社会を切り回す力がない。アラブ諸国の中で最も教育水準が高く、世俗化の進んだ国のひとつであるチュニジアでは、これまで急進イスラム主義者が際立った動きを見せたことはない。現下の情勢でも、急進派が暴力による政権奪取を図るチャンスはなさそうだ。もし今後、(ナフダ[1]を名乗る党派などの)イスラム主義勢力が民主主義の土俵に乗ってくるなら、彼らを政治体制に組み入れて、急進派をはじき出すことが重要だ。

 ベン・アリが失脚し逃亡した後のチュニジアには、目に見えて不安感が漂っている。政権を引き継ぎ、民主体制への移行を担えるような、自立的な政治エリートを欠いているからだ。この国に残されているのは旧政権に仕えたエリート層、いまだ萌芽状態の政党、幹部が弾圧された労働組合だけだ。だが混乱状態への懸念や、社会の自主管理力への信頼感、政治的な現実主義が広がれば、政治組織作りも進むかもしれない。民主主義を求めて、ひどい人的被害なしに独裁体制を倒すことができたチュニジア社会で、鍵となるのは若者たちの力だ。

 新たな指導層は、新体制の出発点となる選挙を前に、主権在民の反古を欧米諸国に容認させるため、イスラム主義への懸念をまたもや強調するかもしれない。新たな権力者たちは民衆の動きを恐れている。街頭の暴徒化を抑え、旧大統領権力の一部を維持するという二つの理由で、暫定政府が何らかの現状維持を図る可能性がある。短期間のうちに選挙を実施することで、正統性を否定されたはずの旧体制エリートの温存を企てるかもしれない。そうしたエリート層が寄り集まって、改革派を僭称するというわけだ。

 昔から良くある筋書きだ。1990年代初めのブルガリアとルーマニアでは、旧体制と旧エリートが組み、見た目だけを替えて復活した。ウクライナの例はさらに示唆的である。過去との断絶はより大きかった(新国家が発足した)が、騒乱がおさまるやいなや旧来の政治指導層が舞い戻ってきた。これらの国の共通点は、忌み嫌われた体制に反旗を翻した民衆の圧力が、体制崩壊とともに沈静化してしまった点にある。市民社会が組織化されていない国で、民主化移行が上手くいかない最大の要因がこれだ。

 しかしながら、チュニジアの1月の蜂起は、他のアラブ諸国の民衆に希望を与えた。これまで、若者たちは強権体制にうんざりしつつも、革命の希望など持てずにいたが、解放体験の熱気はアルジェリアにも、エジプトにも、ヨルダン、モロッコ、シリア、さらにはパレスチナにまで感染している。とはいえ、チュニジアの出来事は、まさに予見不可能であったからこそ、他のアラブ諸国で同一の形で繰り返されることはないだろう。

熟れすぎた果実

 チュニジアでは、軍が諜報機関や抑圧機関(警察も含む)から比較的距離を取ってきた。諜報・抑圧機関は、大統領親衛隊を別とすれば給与は低いながらも、限られた規模の反乱を鎮圧し、反逆の芽を摘むことに成功していた。しかし、組織化されず、様々な社会階層にわたる反乱に対しては、手の打ちようがなかった。

 個人集中ではなく集団による専制が敷かれているアルジェリアとは異なり、大統領が憎悪と怨恨を集めるエジプト(2)と似ていたチュニジアの強権体制は、容易に民衆の標的となった。しかも、ベン・アリ一族のほとんど全員が不正蓄財に手を染めていたことが、火に油を注いだ。例えばイランの国王やインドネシアのスハルトのように、民衆の怨嗟の対象が明確な場合に比べ、顔のはっきりしない独裁の追放は難しい。また、寡頭的な政権は個人独裁よりも基盤が広く、より強固である。権力のおこぼれを民衆、とりわけ様々な利益集団に与えている体制ほど倒しにくいのだ。チュニジアと比べ、モロッコやアルジェリアの政権は、周囲に広範で複雑な利害の網を張り巡らせてきた。アルジェリアでは石油収入が、体制維持に直接の利害関係を持つ層を結束させている。

 チュニジア体制のもうひとつの特徴は、選挙が政権への信任投票と化し(1989年には99.27%、94年は99.91%、99年は99.45%、2004年は94.49%、2009年は89.62%の得票率)、野党勢力の入る余地がなかったことだ。政治の場は文字通り存在しなかった。エジプトの場合は異なる。当然ながら大規模な不正があったとはいえ、選挙が異議申立や対決の場となってきた。また、報道はチュニジアほど抑圧されていない。

 アルジェリアもチュニジアとは事情が異なり、石油収入の分配によって民衆の怒りの激化が抑えられている。軍上層部が結束を崩さず、政治の表舞台に出ず、裏では官職というアメで一部の政治勢力を取り込んでいく(従わせる)限り、状況は変わらないだろう。さらに、10年以上続いた内戦でアルジェリアは疲弊しており、10万人もの人命を犠牲にして急進イスラム主義勢力を打倒した体制に対して、蜂起を企てる気運は低い。

 モロッコはどうか。民衆の怨嗟はこれまでのところ、王政に向けられてはいない。しかし、将来の見通しを持てず、政治から締め出され、強圧的な治安機関に抑え付けられ、政治的なコネの横行に不満を抱いている若者たちが、反乱のきっかけを見つける可能性はある。ひとたび反乱が起きれば、この国の複雑な内情からして、急進化が予想される。モロッコは多数の深刻な民族間の亀裂を抱えており、国民の同質化プロセスがあまり進んでいないからだ。

 これらすべての国では、精彩を欠き、極めて不平等で、政治的なコネがものを言う開発路線が採られてきた。国民は抑圧の網に絡め取られており、政治の場は開かれていない。体制の強さは、市民社会の弱さの裏返しなのだ。しかし、体制の鎧に少しでもひびが入り、抗議運動の一部がそこに攻撃を集中するなら、体制崩壊は間近となる。

 チュニジアのケースでは、正統性がなく、崩壊に追い込まれた体制は、まさに内側から腐っていた。それが民衆の反乱に火をつけた。熟れすぎた果実は地に落ちるしかないのだ。しかしながら、ベン・アリ政権は、この地域で最も盤石で安定した政権のひとつと考えられていた。ひびは表面化しておらず、やがて起こることになる出来事はまったくの予想外だった。

 他国の体制はこれほど脆弱ではない。とはいえ、その長期支配はすぐさま、きたるべき抗議運動の標的になるだろう。そうした運動は、現時点では想像すら難しいが、ひとたび起これば後日になって、チュニジア体制を打倒した運動のように必然的だったと見られることだろう。若者たちの攻撃によって、ベン・アリ独裁体制はいとも簡単に崩壊した。どこからともなく急激に起こった運動には、抑圧機関は手の打ちようがないということだ。

 チュニジアでは、開発における地方格差が反乱の一因となった。海岸部には、観光業振興のために多大な資金が投下されたが、内陸部は捨て置かれた。体制崩壊を招いた抗議運動は、まさにこの内陸部から発生した。他のアラブ諸国にも、様態は異なるものの、同様の地方格差が存在する。正統性のない少数集団が政治を私物化しているような社会が合理的な発展をするには、中国のようにテクノクラートが自律している必要があるが、多くのアラブ諸国では、テクノクラートは腐敗と強権の壁に阻まれているからだ。

二つのシナリオ

 街中には、多くは高学歴の、前途の見えない若者たちや、トラベンドと呼ばれる闇商人たちが溢れ、壁際をうろうろしている。彼らは、イスラム主義に傾斜していくヒッティスト(3)かもしれない。あるいは端的に、人間らしく生きる機会を与えないシステムの犠牲者かもしれない。エジプトやアルジェリアのように、彼らの絶望が表面化する場合もある(だが、事態を動かすには至らず、なぶり殺しの状態だ)。ヨルダンやモロッコのように、怨嗟が胸中にとどめられている場合もある。ほとんどの体制は意図せずして、反乱を起こすこともできない社会の無気力の上に、安定を享受している。ひとたび爆発すれば、社会の怒りが盲目的で暴力的なものとなるのは必至だ。

 若者たちの絶望が、起爆剤となるような事件と結び付かないうちは、体制が脅かされることはない。だが、1人の若者の焼身自殺のような三面記事的な事件ひとつで、最初は特定の地域や地方で起きた反乱に社会全体が加わることになるかもしれない。そして体制は、理解を超えたスピードで、恥辱にまみれて崩壊する。

 チュニジア情勢のアラブ諸国への影響は、この国が民主化を進められるかどうかにかかっている。チュニジアで民主化が実現されれば各国に、特にマグレブ諸国に広がっていくだろう。民衆の要求が高まり、当然ながら複数政党制と政治参加を求めるようになる。もしチュニジアが失敗すれば、強権体制がさらに強化され、民衆は絶望することになるだろう。たとえそれが混迷を引き起こすことになろうとも、アラブ諸国の多くの体制はおそらく後者を望んでいる。

 各国政権の出方については、二つのシナリオが考えられる。国民の要求に耳を傾け、政治的な開放に踏み出すか。それとも国民から表明された政治参加の要求に譲歩せず、是が非でも権力を維持しようとするか。

 一つ目の道は困難に満ちている。何十年も政治を閉ざし、国民を抑圧してきたアラブ諸国の政権にとって、体制転覆を招きかねない正面衝突を避けるよう、変革は徐々に進める必要がある。国民はそれに失望するだろうから、民主化に向けた開放は、おためごかしと受け取られないよう、明確でなければならないし、その一方で、政治体制が革命の渦に呑み込まれないよう、漸進的でなければならない。徐々に変革を進めるためには、国家の安定性も民主化の急務もともに重視するような政治エリート層の、手腕と協力が不可欠ということになる。しかし、そうした政治エリート層に使命達成のための実権を与えるような度量が、現行の各国政権にあるかは疑問だ。

 政治を閉ざしたままにしておく道はどうか。チュニジアの例で学習したアラブの強権体制は、生活必需品(パン、砂糖、肉、卵など)の価格高騰をはじめ、反乱の直接原因への対処策を講じている。治安・諜報機関の態勢強化も図っている。

 チュニジアの前例から示されたのは、通信管理体制に問題が生じたということだ。反徒たちはインターネットを活用し、ユーチューブ、ツイッター、フェイスブックなどで連絡を取り合った。チュニジアの抑圧システムは各機関(警察、諜報機関、軍)の協力態勢が整っていないという問題も抱えていた。アラブ各国政権は、社会運動を粉砕したイランから、インターネットを検閲し、必要によっては使えなくする技を学んだ。外国人ジャーナリストの国外追放や自宅軟禁にまで踏み切ることもある。各国政権はまた、イランのバシジ(4)に倣い、都市部の反乱対策として地区を分断し、それぞれに現場出動用の前方基地を設けている。要するに、抑圧機関の「近代化」と「拡張」を図っているわけだ。しかし、このような対策は、今後の社会運動が編み出すかもしれない新手の集団アクションへの備えにはならない。抑圧という方策は、短期的な解となるのが関の山だ。

 イランの「緑の運動」に欧米諸国は大きな共感を寄せたが、チュニジアの蜂起は違った。近視眼的で甚だ不適切な反応さえ見られた。特にベン・アリに最後までべったりだったフランスがそうだ。米国を含む他の政府は、仕方なく反徒たちを支持した。要するに欧米は、情熱的な言葉遣いを交えつつも、アラブ諸国の民主化に熱くはならなかったのだ。チュニジア情勢は、フランス政府をはじめとする欧米各国が、このような態度を改める好機ではないだろうか。

 アラブの民衆にとって、独裁体制との欧米の馴れ合いは、形を変えた植民地主義と帝国主義の続きでしかない。逆に、民主化への支持は、正統性を欠く体制によって抑圧されてきた市民社会への尊重の証となる。

 欧米諸国は、急進イスラム主義勢力への懸念、あるいは自国の利害関係から、アラブの民主化運動をあくまで支援しようとしないかもしれない。だとしても、少なくとも好意的な中立を保つぐらいの姿勢は示してもよいはずだ。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2011年2月号)