オバマの歴史的な失敗

エリック・クリネンバーグ(Eric Klinenberg)

ニューヨーク大学社会学教授

ジェフ・マンザ(Jeff Manza)

ニューヨーク大学社会学教授

訳:エマニュエル・ボナヴィタ


 アメリカの社会・経済政策を変えることが、2008年に政権に就いたオバマの使命だった。これは当時、熱狂的な支持を得た。それから2年後、民主党は中間選挙で大敗北を喫した。2008年の歴史的瞬間は、もはや雲散霧消してしまったと言わざるを得ない。

 選挙戦の最中のオバマは、大胆な政治を行い、希望を回復させると約束した。その選挙運動は実に斬新だった。彼はアルバート・ゴアやジョン・ケリーと違って、支持者のネットワークをうまく広げた。それはまさに大衆運動と言ってよかった。民主党の予備選挙でヒラリー・クリントンと対決した際には、ふだんは懐疑的な進歩派のゆうに半数以上が、意気に感じた何百万人もの若者とともに、オバマ支持者となっていた(1)

 当選直後の時点ではまだ、オバマの選対責任者はこんなふうに言明していた。新政権はこの政治的なチャンスを逃しはしない。「これほど深刻な危機を無駄には終わらせない」。この機をとらえてシステムを一新する。金融も医療保険もメディアも改革する。雇用を創出し、ぼろぼろの国家基盤を建て直すよう、景気刺激策を考えていく。グアンタナモ基地は閉鎖する。ジョージ・W・ブッシュ政権が起こした勝算なき、無益で正義もない戦争は終わらせる。

 オバマが大統領に就任したとき、政治学者の多くは、過去の2人の有力な大統領の就任時と状況が似ていることを指摘した。フランクリン・ルーズヴェルトとロナルド・レーガンだ。いずれも危機の最中だった。そして2人とも、現状の責任は前任者にあり、打開のためには新しい政治を行う必要があると主張していた。ルーズヴェルトは「最初の100日間」に、アメリカ経済の崩壊を引き起こした自由貿易および富裕層保護とは一線を画する措置を次々に打ち出した。彼の初期の政策は、大恐慌を押しとどめるには至らなかった。しかし、それは「第二期ニューディール政策」の基盤となり、繁栄の回復、長期にわたる経済成長、そして貧困層と中流階級への富の(部分的な)再分配をもたらした。

 1980年代初めにレーガンが推進した施策も、方向性はまったく逆だったが、同様に意欲的で非妥協的なものだった。彼の就任は、短期的だが急激な景気後退の最中で、失業率は10%を超え、インフレ率は2桁に上っていた。レーガンは「アメリカはよみがえった」と連呼し、ニューディール政策による再分配が個人の自発性を弱めてしまったと力説した。「政府というのは解決どころか問題そのものだ」と繰り返し、議論の余地を与えずに、大規模減税、歳出への大なた、規制緩和を強行した。これらの政策の影響は今に至るまで続いている。これ以後、クリントン政権の最初の2年(1993〜95年)を除いて保守勢力の優位が続き、アメリカは25年にわたって右傾化することになる(2)

 オバマ大統領もまた、ルーズヴェルトやレーガンの前例のように、根本的な政策転換が選択肢ではなく必然であると主張できたはずだった。共和党の深刻な信用失墜を突き、自分の土俵に引きずり込むことができたはずだった。だが、彼はそれをせず、調停者となる道を選んだ。おそろしく丁重な姿勢を取り、共和党側の反感を買わないよう気を配った。強行ではなく交渉による変革を志したのだ。

利益計上を復活させた金融機関

 たとえば2008年の危機を起こした金融業界に対し、新政権がいかに配慮したかを見てみよう。ウォール街の実力者たちが受け取った高額のボーナスや、投資銀行とその顧客の富裕層の救済に費やされた莫大な支出は、国民の怒りを買っていた。オバマが就任した頃、風向きは明白だった。それまでのアメリカでは他の民主主義諸国にもまして、為政者が富裕層を優遇する政策を進め、自らも忌まわしい金融商品で利殖していた。社会的不平等と崩壊寸前の金融業界との関連を示してみせる機は、まさに熟していた。攻勢を取るべきタイミングだった。

 だがオバマは、経済崩壊を招いた新自由主義体制を糾弾するどころか、それを追認した。彼が経済運営のために真っ先に雇い入れたのは、ウォール街を代弁する2人の大物、ローレンス・サマーズとティモシー・ガイトナーだった。2人とも、アメリカを国難に陥れた政策決定にかなり責任がある人物である。それに対して、ポール・クルーグマンやジョセフ・スティグリッツのように、進歩的な措置を支持するエコノミストは新政権から冷遇された。オバマとその側近は、さほどの手直しもせず、銀行への資金注入というブッシュ政権の不人気な政策をそのまま継続した。

 2008年の終わり、ブッシュ政権の銀行救済計画は全国的な怒りの渦を巻き起こした。銀行の被害者となった一般国民が求めていることよりも、「大立者たち」の要求が重視されたことも一因だ。これにより公費を注入された金融機関の多くは、間もなく莫大な利益計上を復活させた。2010年10月27日のブルームバーグの発表によると、ゴールドマン・サックスは平均37万706ドルのボーナスを払えるだけの資金を手にしていた。平均額の計算には給料の低い一般職も含まれているから、幹部のボーナスははるかに高額ということになる。

 ちまたの労働者の状況はそれほど良くはない。オバマ就任後の失業率は10%前後で推移しており、20歳以上の黒人では17%にも上っている。しかも、この数字には就職をあきらめた人は含まれていない。最近の調査によるとミルウォーキーでは2009年に、黒人の53%(白人では22%)が失職中だった(3)。家を差し押さえられ、貯金は消え失せ、社会保障には頼れないという境遇が当たり前になってしまった。オバマ政権は、債務過多の持ち家購入者が、税金で救済された銀行とローン条件を再交渉できるようにする措置を取ったが、きわめて不十分なものでしかなかった。

 一般国民の境遇を改善するのに政権は何をしたか。これまでに取った最大の措置は、7870億ドルを投入した2009年冬の景気刺激策だ。中間選挙の際、オバマと民主党は、この「パッケージ」を実施していなかったなら、アメリカ国民の状況はさらにひどくなっており、たとえば自動車産業は完全になくなっていただろうと主張した。それはもっともではあったが、2年前より生活がましになったとは思えない多くの有権者にとって、公費の投入は何よりも公的債務を膨らませる結果を生んだという共和党の主張の方が説得力を持っていた。

医療保険しかり、ネット改革しかり

 オバマが声を大にして訴え、その選出の基盤となった当の信念を、彼はもはや擁護しようとしない。公的支出による景気刺激策の(相対的な)失敗が示すのは、つまりはそういうことだ。確かにオバマの金融改革は、崩壊状態の金融システムにわずかな改善をもたらしはした。だが、「大きすぎてつぶせない」という原則が金融機関の拡大路線を促してきたにもかかわらず、この原則にのっとったシステム自体を変えはしなかった。オバマ政権の新法は、2008年当時以上に経済を銀行に依存させる結果を生んだ。数が減った銀行は、さらに強大になったからだ。

 合意を必死で取り付けようとするオバマの姿勢は、彼の最大の政治的成果である医療保険改革にも現れている(4)。ローリング・ストーン誌の記者のマット・タイビは、政権の戦略ミスがどこにあったかを指摘した。オバマ政権は交渉を始める以前から、医療保険の一元化を諦めていたために、保険料が手ごろな公的制度の創設に向けた駆け引きの余地をなくしてしまったのだ。

 出来上がった改革は、「個人強制加入」を原則とするものだった。個人レベルで民間保険に加入することが義務付けられただけで、保険料の高低や保障内容の良し悪しは問われない。妥協の産物だが、保守勢力は違憲だと言い立てている(5)。20の州が司法判断を求めて提訴しており、複数の州で共和党所属の知事が新法を適用しないと公言している(その数は中間選挙後さらに増えている)。改革賛成派は、厚みのあるシステムを作っていくための基礎となる改革だと強調するが、オバマの任期終了後も存続できる保証すらない。

 かつて熱狂的に彼を支持した若者たちの一部は、案の定、中間選挙には足を運ばなかった(大統領選挙では18%を占めていた18〜29歳の割合は、今回は11%にとどまった)。経済の低迷は24歳以下の大卒者に深刻な影響を及ぼしている。この層の失業率は、2007年12月の3%から2010年秋には10%近くにまで達した。就職支援策はまだ何も打たれていない。他方、若者の大きな関心を呼んだメディアとインターネットの改革もまた、まったく進んでいない。大統領選挙の際、オバマはネットワーク中立性(6)を支持すると主張していた。誰もが等しくインターネットを活用できる権利があるということだ。

 オバマは高速大容量回線への投資も約束していた。ヨーロッパよりも悪いサービスに高い料金を払っているアメリカの遅れを取り戻す、ということだ。だが、オバマと大学院で級友だったジュリアス・ゲナコウスキー率いる連邦通信委員会(FCC)は、新政権の方針にのっとり共和党との際限のない交渉に乗り出して、消費者よりも企業に協調的な姿勢を見せている。

 オバマの選挙運動は、アメリカの進歩派を活気付けた。ところが彼は当選後、勝利を後押ししてくれた大衆運動を軽視するようになった。かつての支持者がもはや彼を見限ったことを通告したのが、今回の中間選挙だったのだ。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年12月号)