ビルマ政治の漸次的変化

ルノー・エグルトー(Renaud Egreteau)

香港大学研究員

訳:今村律子


 2010年11月13日、ビルマ(ミャンマー)の軍事政権は、刑期を終えたアウン・サン・スー・チーを解放した。この中心的な野党指導者は、市民たちと会合することさえできた。この措置で軍事政権が期待したのは、制裁の解除に向けて欧米諸国と交渉を始めることだった。それが内政に影響するリスクはほとんどない。議会選挙はスー・チー解放以前に済ませているからだ。[フランス語版編集部]

 2010年11月7日の議会選挙の実施が示すように、ビルマ(ミャンマー)軍事政権は「規律された民主主義に向けたロードマップ」の実行を悠然と続けている。その1週間後には、野党指導者のアウン・サン・スー・チーを解放し、広範な高揚感を引き起こした。しかし、それが見えなくしている厳然たる事実がある。ビルマ政治の構図が大きく変化したといっても、国軍主導に変わりはないのだ。多くの論者に言わせれば、見せかけだけの今回の選挙を含め、2003年から軍政が進めてきた一連の民主化移行プロセスは(1)、時代錯誤の軍事独裁を強固にしたにすぎない。しかしながら、そうした図式では、全国レベルと地方レベルで起こっている大きな変化が見えなくなる。変化は軍の内部にも、野党勢力内にも認められる。

 軍は、50年以上にわたり国家機構を支配してきた。強固な組織と上下関係を有し、政治・経済・文化のすべての領域に介入できる力を持つのは、軍だけであるように思われる。軍の権威に異議を唱えるような統一野党勢力はない。国民民主連盟(NLD)指導者スー・チーでさえそうだ。数十年に及んだ内戦。インドと中国に挟まれているという地政学上の特異な位置。反植民地闘争と大日本帝国への心酔とに由来する軍国主義的な伝統。こうした要因の下で、1948年の独立以来、軍に比肩するような機構は出てこなかった。

 したがって、ビルマの問題は、軍事独裁を完璧な民主主義に速やかに置き換える道を探ることにあるのではない。大衆に人気のあるノーベル平和賞受賞者を担い手とする民主主義であっても同じことだ。むしろ、軍の支配がどう変化しようとしているかを理解すべきである。それは、直接的かつ絶対的な軍支配体制から、軍の全権掌握への異論を徐々に受け入れるような、間接的な軍主導体制へと向かっている。

 複数政党が認められ、生まれつつある市民社会が容認されるようになれば、やがては段階的な民主化が進むことになるかもしれない。国内には現在、マフィア的な実業家や、地方の麻薬王、少数民族の武装勢力など、何かにつけて政治的暴力に走り、圧倒的な軍政の周囲で経済的・政治的な利権争いにしのぎを削る者たちがいる。とどまることのない彼らの無法化に歯止めをかけるには民主化が必要だ。希望的観測だろうか。そうかもしれない。だが今回の選挙は、そのような動きの一部をなしている。正確に言えば、2003年に始まった民主化移行戦略の7段階のうち5段階目に当たる(2)

 スー・チー自身も、移行プロセスの必要性を否定していない。「軍の失墜を願っているわけではありません。(・・・)私の願いは軍が、プロフェッショナリズムと真の愛国主義という、威信ある高みに到達することです(3)

 軍政はここ10年にわたり粛清を繰り返し、潜在的な改革派分子を排除してきたが、にもかかわらず過去最大規模の世代交代に直面しているのが現状である。1988年9月18日のクーデタを起こした世代で存命中の最後の大物、タン・シュエとマウン・エイの2人は70歳代で、退陣を視野に入れている。彼らとともに、その閥族一門も、支持者や資金源のネットワークも表舞台から消えることになるだろう。後続世代の中で、カリスマ的な人物はまだ現れていないし、数年以内に現れるかどうか何とも言えない。年配世代は、中心的人物のいない新体制において、勢力争いを牽制する構えに出ているからだ。

 二院制の国会が設けられ、地方分権化により(13の軍管区が維持されたまま)14の地方政府と地方議会が置かれたことで、今後10年は政軍関係が複雑化することになる。今回の制度改革は、現指導層の意図としては、諸勢力間の均衡を取ることにより、内紛を封じ込め、自分たちの段階的な退陣を可能にするものだ。これと並行して、政府の性質も変化することになるだろう。権威主義的であることに変わりはないものの、新設された連邦団結発展党(USDP)のような組織や、利権擁護に汲々とする実業家の介在によって、文民色が強まるようになるだろう。軍政の目論見として、そうした政府改革は、軍内の諸勢力や、現在まで軍を支えてきた実業家たちに、新たな展望を開いてやることにもなる。

政権内部に新たな緊張

 2010年に入ってから、いくつもの組織改編が支配階級の内部で実施されてきた。この動きは今後も続くはずだ。そうした急激な内的変化と並行して、エネルギーや港湾管理、銀行などの部門で、国営企業の民営化が2月に再開された。「退役」将校とその親族たちに、小遣い稼ぎの機会を与えるということだ。こうして彼らの多くが、かつては軍が掌握していた貿易や通信、石油や銀行といった部門の企業を手に入れ、新たな企業グループを形成しつつある。これらの企業グループがやがては、実業家タイ・ザに率いられたトゥー・グループのような既存グループのライバルとなるかもしれない。

 インドネシアやタイで見られるように、実業家に転身した軍出身者に庇護と便宜を与えることは、政権にとって一定の防波堤となる。この戦略の狙いは、軍出身者を中核とした文民野党勢力の伸長を防ぐことにある。彼らは政治的権力よりも、個人資産の管理に関心を持つようになる。だから、表の経済を依然として掌握し、富の分配を取り仕切る国家の中枢部との間に、良好な関係を維持せざるを得ない、というわけだ。とはいえ、この民営化戦略が成功を収める保証はない。新興経済勢力をコントロールしていくのは、それらが軍関係者であれ部外者であれ、新たな勢力争いを生み出すだけに、一筋縄でいかない問題となるからだ。

 多くの論者に言わせれば、軍政は文民色を演出するために、今回(極めて統制されたものではあるが)選挙の実施を受け入れたが、軍服のかわりにビルマ政治家の伝統的な正装のロンギーを着てみせただけにすぎない。要するに何も変わっていない。だが、この分析は単純すぎる。選挙に続くことになる国家機構の再編は、自動的に進むようなものではない。軍人から文民への移行や、それに伴う政軍関係の変化は、現政権の内部に新たな緊張を引き起こす可能性が大きい。ただし、それで軍支配体制の基盤が揺らぐことはないだろう。

 例えば、これまでほぼ全権を掌握してきた軍上層部と、USDPを中核とする軍部系の新たな文民議会勢力との役割分担は、どのように行われることになるのか。同党の母体となった連邦団結発展協会(USDA)は、1993年よりタン・シュエを後ろ盾とし、軍内部では、全員加入が義務づけられたにもかかわらず、軽視されていた組織だった。USDPは数カ月前に立ち上げられ、軍政の元幹部に加え、民間の名望家や実業家も党員となっている。11月7日の選挙では、当然ながら同党が圧勝した(公式得票率は76.5%[4])。だが、この党と軍部の関係が、今後数年間にどうなるかは未知数だ。軍部寄りとされる他の政治団体との関係についても同様である。そのひとつが国民統一党(NUP)だ。NUPは1990年の選挙では、軍と旧政権の党として糾弾されたが(5)、今後の議会運営の上で決定的なキャスティングボートを握ることになるかもしれない。

 軍上層部内の関係は、どのように変化するだろうか。一方には、上り坂の現役世代がいる。ミン・アウン、コ・コ、ミン・アウン・ライン、チョー・スエらで、全員が50歳代だ。他方には、年長の退役世代がいる。テイン・セイン、トゥラ・シュエ・マン、ティハ・トゥラ・ティン・アウン・ミン・ウー、マウン・ウーらで、新たな議会ゲームに加わるために(自主的あるいは強制的に)退役となり、全員が議席を得ている。また、異なる派閥間の利権争いは、どのように調停されることになるのか。とりわけ、中央政府が任命権を維持する13の軍管区の司令官と、それとは区割りの異なる14の地方政府で公選されることになる首長は、利害が対立するだろう。

「合法的」野党の誕生

 2010年の選挙はさらに、民主派野党内に深い亀裂があることを際立たせるものでもあった。カリスマ的存在のスー・チーや、彼女の率いる歴史的な政治勢力で現在では非合法化されているNLDの下に、野党勢力が結集していくことは考えにくい。

 今回の選挙の結果、別の民主派勢力が登場している。彼らは選挙をボイコットしなかった。スー・チーの指令に従わず、軍政が持ち出した選挙というゲームに参加した。その牽引車となったのが、かつてはNLDに所属して政治囚となり、2008年に釈放されたキン・マウン・スエを中心的指導者とする国民民主勢力(NDF)だ。シャン民族民主党(SNDP)やラカイン民族発展党(RNDP)などの民族組織も、NLDやその元関係者から距離を置き、NDFの後に続いた。とはいえ、これらの政党の間に共通の政策プログラムがあるわけではない。

 20年ぶりの複数政党選挙による新たな「合法的」野党の誕生は、野党勢力内の現実派(今回の当選者)と理想主義者(NLD)の分裂を示唆するものだ。

 今後の国内の政治的議論は、新議会がどれほどの重みを持ち、どのような役割を担うかを巡って展開されることになる。議員の中にはわずかながらも、民主派政党や民族政党に所属する者もいる。今回の選挙に(NLDと違って)参加したことで、彼らは合法的な基盤を得た。11月の選挙で獲得した議席は少ないし、方向性も異なり、思想的にもばらばらではあるが、NLDとは異なる野党勢力が、今や政権から認められた立場にあるのだ。非常に限られたものながら、少なくとも合法的な行動の余地を、これらの活動家たちは手に入れた。とはいえ、このように容認され、かつ批判的な姿勢の強い新野党に対し、現在そして将来の軍上層部が協調的な姿勢を示すかどうかは予断を許さない。

 11月7日の総選挙は、不正行為という汚点があったとはいえ、後退ではない(進歩とも言えないが)。今や野党勢力は明らかに多元化し、スー・チーからの自立性を強めている。今度で3度目となる解放で大衆を勢いづけたスー・チーが、1995年と2002年の解放の時のように、その勢いを統一的で効果的な戦略へと結晶させることは困難だろう。彼女のオーラに魅了された「国際社会」に向けて、それがあまりにも長いこと除け者にしてきたビルマとの和解を促すことになら、うまく力を発揮できるかもしれない。

 ビルマの遅々とした民主化は、偶然によるものではない。それは近年の歴史と完全につながっている。ビルマの軍事政権は、現在の世界情勢の秘密を解く鍵を理解して、それを自国社会の政治文化に合わせた形で利用する技にますます長じてきたようだ。彼らもスー・チーも、軍人あるいは民主派である前に、ビルマ人なのだということを忘れてはならない。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年12月号)