パレスチナ、単一の国家、二つの夢

アラン・グレシュ(Alain Gresh)

ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳:日本語版編集部


 「危険を最小限とし、害悪を最小限とするのは、すべての市民が平等な権利を持つ単一国家の創設だろう」と国会議長は公言した。政界の重鎮をなす元閣僚は、地中海からヨルダンまでの歴史的パレスチナ全域に単一国家を樹立する以外の選択肢はもはやない、とまで言う。強烈な宗教的信念を持つ若い女性議員も同様の結論を主張する。この3人はパレスチナ人か。イスラム主義組織ハマスのメンバーか。シオニズムに反対するヨーロッパ人か。いや、こうした見解は、イスラエル右派の有力者から出されたものなのだ。

 1人目のルーヴェン・リヴリンは、アラブ系人口増加脅威説をしりぞけて言う。そうした発想が「移送論や、殺すべきだという主張につながっている。この種の発言を聞くとぞっとする。学校を視察して回ると、模擬選挙でリーベルマン(外相、極右政党「我が家イスラエル」党首)が得票率40%を獲得し、アラブ人を殺すべきだと子どもたちが言っているありさまだ。(・・・)こうした態度を作り出したのは、『我々(ユダヤ人)はこちら、彼ら(アラブ人)はあちら』と言い切る社会主義者(労働党)の傲岸な姿勢だ。私にはさっぱり理解できない。ジャボティンスキー(1)が『シオンは我々のものだ』と言ったのは、ユダヤ人の首相とアラブ人の副首相という意味だったのだから(2)

 2人目のモーシェ・アレンスは、1980年代に国防相と外相を歴任した。ネタニヤフ現首相の政治的後ろ盾で、「タカ派」とされている。アレンスは日刊紙ハアレツへの寄稿でこう書いた。「イスラエルの主権がユダヤ・サマリア地区(ヨルダン川西岸)にも適用され、パレスチナ人にイスラエル市民権が付与されたとしたら、一体どうなるだろうか。『占領』を耐えがたい悪と見なすイスラエル内外の人々は、イスラエルの重荷を取り除く変化だとして、胸をなで下ろすことだろう(3)

 だが、新たな市民をどうやって吸収するというのか。彼の言うところ、ドゥルーズ派やチェルケス人といったマイノリティはすでにうまくイスラエルに統合されている。アラブ系イスラム教徒がなかなか統合されずにいるのは、「歴代イスラエル政府が有効な措置を取らなかったせい」だ。だから、それに優先的に取り組むべきだとアレンスは言う。

 イスラエル国内のコンセンサスに疑問を呈した3人目の人物は、ツィピ・ホトヴェリだ。最年少の議員で、ネタニヤフ直々の要請で入党したリクード党の期待の星である。2005年に実施されたガザ撤退には否定的で、いかなる撤退案も失敗に終わることの証明になったと主張する。しかも、入植地の維持を強く支持している。「ユダヤ人はヘブロンやベイト・エルに住んでいた。聖書に記された場所だ。ダヴィデ王が王国の礎を築いたのはヘブロンだ。我々がこれらの地を手放せるとは思わない。さもなければ、シオニズムとは何を意味するというのか。シオニズムとは、シオンへの帰還であり、エルサレムに戻ること、聖書に記されたすべての場所に戻ることだ。したがって我々は、入植地の住民を根無し草にすることなしに、和平プロセスに取り組まなくてはならない(4)」。となると、可能性は一つしかない。イスラエル法をヨルダン川西岸全域に広げ、パレスチナ人に国籍と投票権を与えることだ。要するに、リヴリンやアレンスにしても、ホトヴェリにしても、彼らの考える単一国家は「ユダヤ人国家」以外のものではあり得ない。

 彼らの提言が意図しているのは、イスラエル右派のリベラル派(政治的な意味でのリベラル)の根本的な矛盾を解消することだ。「ユダヤ・サマリア地区」全域に対する主権の主張と、民主主義の原則との両立は、どうすれば可能なのか。パレスチナ人が政治的権利を認められないようなアパルトヘイト制度の確立を避けるには、どうすればよいのか。

 このジレンマを打開しようとかつて試みたのが、1977年に右派を初めて勝利に導いたメナヘム・ベギンである。同年11月、エジプトのサダト大統領をエルサレムに招いた後、彼はパレスチナ自治に関する自身の考えを明らかにし、西岸とガザの住民に対して、イスラエル国籍とヨルダン国籍のいずれか、つまりどちらか一方の国政参加権という選択肢を示した。

 この考えはすぐに放棄された。今日なお、先の3人の誰も乗り越えられずにいる壁に突き当たったからだ。「ユダヤ人国家」たることの主張と、パレスチナ人への投票権の付与を、いかにして両立させるかという問題だ。アレンスの予測によれば、パレスチナ人は総人口の30%にしかならないとのことだが、西岸の人口を低く見積もり、ガザのことを「忘れた」数字だ。このような案では、パレスチナ人が50%を突破しないよう抑え込めるかは疑問だ。40%のレベルでも、パレスチナ人の一部の支持がなければ組閣できなくなるし、彼らが「ユダヤ人国家」の政府を支持するとは考えにくい。

主流は「長期的な暫定解決策」

 単一国家という型破りの主張は、その限界や矛盾はともあれ、悲観論の広がりの反映であることは確かだ。「和平プロセス」は行き詰まっており。何年も前から延命措置により維持された状態にある。イスラエル・パレスチナ交渉は、2010年9月2日にオバマ大統領の仲介により再開されはしたが、危篤状態からの蘇生を期待する論者はほとんどいない。落胆が広がっている。その筆頭が、この件に数十年前から関与してきた米国側の責任者たちだ。

 アーロン・デーヴィッド・ミラーは、1988年から2003年にかけて、3人の大統領の下で国務長官6人の顧問を務め、公式あるいは秘密の駆け引きや交渉のすべてに関わった。「中東和平というエセ宗教:私はいかにして非信者となったか」という要約的なタイトルを掲げ、反響を呼んだ論文の中で(5)、彼はイスラエル・パレスチナ紛争はもはや米国政府にとって中心的案件ではないと述べている。イラク問題、アフガニスタン問題、パキスタン問題、そしてとくにイランとの対立といった他の案件へと、米国政府の関心は移っている。米国のような大国でも、すべてを同時に行うことはできない。目下のような経済危機の最中にはなおさらだ。

 「信者は自分の信仰を改めて考えてみるべきだ。とりわけ、米国がこれほど広範な、過大な展開状態にある時期には」とミラーは書いている。「米国は自分にできることをすべきである。最終的地位という中心的な課題の交渉に向けてイスラエルやパレスチナと共同で作業すること(・・・)。パレスチナが自身の機関を発展させるのを助けること。パレスチナが経済的苦境を脱し、公的権威を拡大し、ガザを平穏に保てるよう、イスラエルに援助を促すこと。(・・・)しかし米国は、自分にできることと同様、できないことも自覚しなくてはならない」

 別の有力な著者を引こう。クリントン大統領の顧問としてキャンプ・デーヴィッド交渉(2000年7月)に参加したロバート・マーリーだ。彼もまた自身の経験から悲観的な結論を下し、イスラエルの横にパレスチナ国家を創設するという解決案に対して激しい批判を展開している。この案は「解決を謳っている問題に対応するものではない。1948年か、おそらくはそれ以前に端を発する紛争を終わらせると約束しているが、実質的には1967年の戦争後の問題にしか関心を向けていない。イスラエルによりパレスチナ占領を終結させることは重要だ(・・・)が、紛争の根はもっと深い。イスラエル側にとってのポイントは、パレスチナ人がユダヤ人国家の正当性を認めていないところにあり、パレスチナ側にとってのポイントは、イスラエル誕生による大規模な権利剥奪と離散に関するイスラエルの責任にある(6)」。パレスチナ国家の創設も、各々に返還される領土のパーセンテージを巡る議論も、「望郷の念と遺恨という、最も深く最も本能的な感情」を鎮めることにはならないだろう。

 マーリーはその一方で単一国家という解決策もしりぞける。ではどうすればよいのか。他の多くの米国の論者と同様に、彼は「長期的な暫定解決策」という発想を支持する。様々な案があるが、最もデリケートな問題、つまりエルサレムおよび難民の問題を後日(とはいつのことか)に先送りする点は共通している。

 こうした見解の要約となっているのが、ニューヨーク・タイムズ紙の重鎮論説委員、ロジャー・コーエンの一文だ(7)。「オバマはすでにノーベル平和賞を受賞したのだから、期待値を下げるべきだ。和平を語るのを止め、その言葉自体を排除すべきだ。緊張緩和を語り始めるべきだ。それが、リーベルマンが望み、ハマスが意図し、ネタニヤフの逃げ口上が意味していることだ。アッバス議長が望んでいることとは異なるが、彼は無力だ。イスラエル人政治学者のシュロモ・アヴィネリは私にこう言った。『暴力なしの現状維持は、満足には程遠いが悪くもない。キプロスはそれほど悪くないじゃないか』。(・・・)凡人の休戦をもって、勇者の和平の代わりにすべきだ」

 こうした悲観論を培っているのが、諸大国の1993年以降の行動を特徴付けてきた、まやかしの対称性だ。二つの民族がこの土地に暮らしており、彼らは合意に達しなければならず、そのためには「双方の」側が「誠意」を尽くすとともに過激派を孤立させる必要がある、という。そのような立場は、占領者を被占領者と同列に置くことで、占領者に固有の責任を隠蔽し、イスラエルの歴代政権がオスロ合意後でさえ領土拡張政策を続けてきたことを看過するものだ。1993年の合意調印から今日までの間に、入植者数は10万人から30万人へと増えた。東エルサレムの20万人を別にした数だ。「分離壁の西側にあり、イスラエル当局がいかなる場合も維持するつもりの地区、すなわち公式あるいは違法な入植地、バイパス道路の用地、ヨルダン渓谷内の軍事的閉鎖地区を合計すると(8)」、西岸の45%にのぼる。イスラエルの政党は右派も左派も、国連決議と国際法をはね付け、それに対する制裁を加えられることもない。

「親パレスチナ陣営」の中でも論争に

 2000年9月の第2次インティファーダの勃発は、当時のバラク首相にとって、「パレスチナ側の交渉相手」など存在せず、かつて一度も存在したためしはない、と国内のユダヤ人世論の大多数に納得させる機会となった(9)。2002年3月にベイルートで開催されたアラブ首脳会議では、1967年当時のラインを国境としたパレスチナ国家の樹立と引き換えに、イスラエルとの包括和平を受け入れるという歴史的な決定がなされたが、この決定すらイスラエルは侮蔑をもって突き返した。それに対してイスラエル政府はなんら不利益を受けてはいない。諸国の世論におけるイスラエルのイメージはかなり悪化したが、世界の主要大国たる米国とEU、中国とロシアは、まるで占領など存在していないかのようにイスラエルと付き合い続けているのだから。

 さらに根本的な問題は、イスラエルの指導者が事実上、パレスチナ人を対等な相手として認めるのを拒否していることだ。オスロ合意後もこうした居丈高な姿勢は変わらず、パレスチナ人ひとりの命にはイスラエル人ひとりの安全ほどの価値もないという考えは揺るがなかった。イスラエルの指導者は、近隣諸国の敵意を吹聴し、第二次世界大戦時のユダヤ人虐殺を論拠として、絶対的な安全保障という考え方を作り上げてきた。それは、いかなる大国にも実現不可能で、イスラエルを終わりなき戦争に引き入れるものでしかない。地上のあらゆる人間は対等だという原則を認めることなしに、問題を解決することが果たして可能だろうか。「対等か、さもなければ無だ」が、パレスチナ人で米国籍の知識人、エドワード・サイードの主張だった(10)。今では様々な関係者が同様の発想に立つ。とりわけパレスチナ系イスラエル人たちが、このことを次第に強く主張するようになっている。

 この点は、イスラエルのジャーナリストで、ファタハに関する本をいち早く世に送り出したエフード・ヤーリ(11)の懸念にも通じている。彼は2010年春の論文で、次のように言明している。二国家解決策への支持はあと数年もすれば消失し、いずれ新しい概念が登場する。パレスチナ政府は崩壊し、占領地は事実上併合される。そしてパレスチナ人は、数十年来にわたって「イスラエルの指導者がパレスチナ領を併合するのではなく占領することで回避しようとして試みてきた、アラブ人が人口面でユダヤ人を圧倒する状況」を隠密裡に実現してしまう。「こうした逆併合現象が起きれば、イスラエルは(・・・)多数派のアラブ人と共存するしか手はなくなる(12)」。だからこそ、休戦が必要だ。イスラエルが「防護壁」で定めたラインまで撤退するなら、60の入植地の解体と(50万人のうちの)5万人の入植者の引き揚げを実施せざるを得ないが、イスラエルの撤退は休戦を促す方向に働くだろう。以上が彼の主張だ。

 これらの「暫定解決」構想は、いずれも実際は、現在の力関係の下に、さらに別の形で占領を温存するものでしかないだろう。領土の統一性もなく、出入境を管理することもできず、経済的・政治的権限もない居留地の中に、パレスチナ人は封じ込められたままとなる。

 国家独立を宣言するというパレスチナ政府の恫喝は、なんの足しにもならないだろう(13)。すでに1988年にパレスチナ解放機構(PLO)が独立宣言を行い、100カ国あまりの承認を得たという過去の経緯があるからだ。仮にEUが承認に踏み切るとしても、その結果としてイスラエルを占領国と見なし、被占領国からの撤退を求めて制裁を加えるまでの覚悟があるかは疑問だ。

 他方、歴史的パレスチナの全域にわたる単一国家という構想にも、問題がないわけではない(14)。リヴリンやアレンスの提案は「親パレスチナ陣営」の中にさえ論争を引き起こした。

 筋金入りの平和活動家のウリ・アヴネリは、この構想の欠点を激しく非難する。ガザが除外されていること。そこで言う単一国家がユダヤ人国家であること。西岸の併合により入植が続行されること。パレスチナ人への市民権付与には最低でも10年、ひいては1世代を要すること。彼はこう結んでいる。「ロマン・ポランスキーの映画『ローズマリーの赤ちゃん』では、かわいい若い女性がかわいい赤ん坊を生むが、それは悪魔の息子だった。単一国家という左派の見方は魅力的だが、それは右派の怪物になってしまうかもしれない(15)

南アのアプローチを実現するためには

 それに異論を唱えるのが、米国籍を持つパレスチナの知識人で、ウェブサイト「電子インティファーダ」を主宰し、単一国家支持を論じた著書もあるアリ・アブニマだ(16)。アヴネリと同じく右派の構想の限界を指摘しつつも、こんなふうに論じている。「イスラエルのユダヤ人は、パレスチナ人に対等な権利を与えるべきだといったん譲歩すれば、不当な特権を維持する制度を一方的に押し付けることはできなくなる。共同の国家は、イスラエルのユダヤ人全体の正当な利益を考慮せざるを得ないが、他のすべての人々についても同様にせざるを得なくなる」

 彼は南アフリカの経緯を比較に出す。「1980年代半ばには、大多数の白人はアパルトヘイトの現状維持が不可能であることを理解して、『改革』に取り組み始めていた。それはアフリカ民族会議(ANC)の求める普遍的な平等、つまり人種の別なき南アにおける一人一票とはかけ離れたものだった。(・・・)世論調査によれば大多数の白人は最後まで普通選挙を拒んでいた。彼らが認めていたのは、重要事項に関する拒否権保有を条件とする一種の権力共有だった(17)

 ハマスはこうした論争に距離を置いている。西岸とガザでのパレスチナ国家の創設を肯定し、それと引き換えにイスラエルとのフドナ(停戦)の維持を約束するにとどまり、イスラエル承認にまでは踏み込まない。「パレスチナ全土の解放」が何を意味し、そこに住むユダヤ人たちがどうなるのかについては、イスラム教は宗教マイノリティを容認していると言うだけだ。

 単一国家は以前から論じられているが、パレスチナの二大組織、ファタハとハマスは関心を向けない。他方、エドワード・サイードやトニー・ジャットのような知識人、一部のパレスチナ連帯運動、それにパレスチナ世論のうち相当数ながらも少数の人々が、かつてあるいは目下、単一民主国家という理想論の支持に回っている(18)。だが、1960年代末にファタハが掲げた路線と同様、この理想論にも不明瞭なところがある。そこで言う国家は、南アのような全市民国家なのか。旧チェコスロヴァキアのような二民族国家なのか。どのような憲法を作り、様々な民族・宗教コミュニティにどのような保証を与えるのか。周辺地域の中でどのような立場を取るのか。アラブ連盟に加盟するのか。

 このような構想を築き上げるためにはパレスチナ人と、それなりの数のイスラエルのユダヤ人との共闘が必要だ。南アの例がよく引き合いに出されるが、問題はイスラエルがアパルトヘイト国家なのかどうかという点に尽きるものではない。南アが紛争終結の手本になり得たのは、ANCが共産党との連携を通じて「白人基盤」を持っていたからだ。ANCはそれに加え、「虹の社会」の建設と、アンゴラやモザンビークのような白人流出の回避を念頭に置いて、自己の主張や闘争方式を変化させた。テロという武器は、白人をはじめとする世論の支持を失うことを恐れて、限定的にしか使わなかった(19)。「一人一票」の原則を求めて徹底的に闘争しつつ、白人コミュニティが抱いていた恐怖心も考慮した。

 同様のアプローチを中東で実現するためには、パレスチナ側でもイスラエル側でも、新たな組織形態を編み出すことで、両当事者を隔てる恐怖と憎悪と偏見を乗り越えていく必要がある。パレスチナの偉大な詩人、マフムード・ダルウィーシュは、エルサレムの家への容易ならぬ巡礼行のことをこう綴っている。

「私のベッドで眠る見知らぬ者たちに
 許可を求めねばならぬのだろうか、私自身を訪ねることを
 5分でいいからと
 恭しく頭を下げるのだろうか
 私の子ども時代の夢に住まう者たちに
 彼らはいぶかしがるだろう
 このぶしつけな異国の訊ね人は誰なのかと
 私は語ることができるだろうか
 犠牲者と、犠牲者の犠牲者との間の、平和と戦争について
 余計なことばもなく
 異議を唱えることもなく
 彼らは私に言うだろう
 一つの寝室に二つの夢の居場所などないのだと(20)

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年10月号)