「アバター・アクティビスト」たち

ヘンリー・ジェンキンス(Henry Jenkins)

マサチューセッツ工科大学(MIT)比較メディア研究責任者を経て、
南カリフォルニア大学コミュニケーション・ジャーナリズム・映像美術学部長

訳:吉田徹


 イギリスの鉱山会社と闘争するインドのドングリア・コンド族から、占領地のパレスチナ人に至るまで、ハリウッド映画『アバター』に登場するナヴィ族に自分をなぞらえて、抗議運動を繰り広げる人々が増えている。こうした現象は、政治的な目的のためにポップカルチャーを使おうという最近の動きの一端だ。[フランス語版編集部]

 パレスチナ人とイスラエル人、その他の国からなる5人がジェイムズ・キャメロン監督のSF映画『アバター』の主人公のナヴィ族のように体を真っ青に塗って、占領下のビルイン村で抗議活動を展開したのはこの2月のことだ。紺碧の肌にカフィーヤやスカーフをまとい、尻尾と尖った耳をつけた彼らを、イスラエル軍は催涙ガスと音爆弾で攻撃した。そのときの映像は、実際の『アバター』の映像とともに編集されて、ユーチューブで閲覧されるようになった。映像からは「スカイピープルの勝手は許さない! これは私たちの土地だ!」と叫ぶ抗議者の声が聞こえてくる。

 ジェームズ・キャメロン監督の映画については、多くが論評された。ヴァチカンのある映画評論家は『アバター』に「自然崇拝の賛美」を見出し(1)、環境保護活動家は「自然環境の栄光を讃えるかつてない映画史上最高の叙事詩」と述べる(2)。反対に、左派は植民地主義を断罪しつつも白人進歩派の罪悪感に訴えかけるという映画の矛盾を指摘して、これは「スマーフとの踊りにすぎない」などと嘲笑した。それでも、チェロキー族のアクティビスト、ダニエル・ヒース・ジャスティスは、この映画について、憎らしいだけで実態が不明な軍産複合体を登場させることで、植民地主義の問題を極端に単純化してはいるものの、先住民の境遇への関心を喚起したと評価した(3)。いずれにせよ、これらの評論はどれも、ポップカルチャーなど凡庸で無意味であって、現実の世界の問題に背を向けた娯楽でしかないという見方に与するものではないことは確かだ。

 占領された土地を取り戻そうとするビルイン村の抗議者たちは、楽園を守るためのナヴィの戦いに自身を重ね合わせていた(ユーチューブでの映像はパンドラの森の豊かな自然と、乾ききった占領地との対照を際立たせている)。『アバター』の壮大な世界が、彼らの闘争にインスピレーションを与えたのだ。そして、彼らが流した映像は、ハリウッドの強力な宣伝力のおかげで、世界中に知れわたるようになる。青い肌の奇妙な生き物たちが土埃の中で苦痛に身をよじり、催涙ガスに顔を歪めるというショッキングな映像は、普段私たちが目を向けようとしない事柄についてのメッセージを改めて突きつけることになった。

 彼らが『アバター』をうまく利用したことで、この映画に対する一般的な批判の一部は当たらなくなった。例えば、保守派は『アバター』が反アメリカ的感情を呼び起こすと批判したが、世界中でナヴィを真似た抗議運動が広がったことで、注目はむしろ各国の軍産複合体の実態に当たることになった。それはビルイン村ではパレスチナを抑圧するイスラエル軍であり、中国では先住民を抑圧する中央政府であり、ブラジルではアマゾンの先住民を抑圧する森林産業なのである。

 インドの作家アルダンティ・ロイやスロヴェニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクといった知識人たちは、自身の身体を真っ青に塗らないまでも、『アバター』をめぐる論争に参戦して、インドの先住民ドングリア・コンド族が、彼らの聖地でのボーキサイト事業への抗議運動を行っていることを指摘した。つまり、アメリカはこの地球上で唯一の「悪の帝国」というわけではないのである。左派は、『アバター』が白人を主人公にしたことで、観客の安易な感情移入を誘ったと批判したが、しかし現実の抗議者たちは、むしろ青い肌を持つナヴィの側に立ったのである。

 「アバター・アクティビスト」たちの抗議の表現は、民衆が昔から用いてきた方法の踏襲にすぎない。例えば、文化史家ナタリー・ゼーモン・デイヴィスは、いまや古典ともいえるその論文「女性上位」で(4)、近世ヨーロッパにおける抗議者たちは、当時の文明にとって脅威とされていた実在の民族(ムーア人)や想像上の民族(アマゾン族)の衣装をまとい、様々な役に扮することで自分たちの身元を隠していたと指摘している。新世界においても、ボストンの善男善女は茶会事件の際にネイティブ・アメリカンの格好を真似ている。ニューオリンズの黒人たちも、自らの尊重と尊厳を求めるデモの際、バッファロー・ビルによる「ワイルド・ウェスト・ショー」を意識して、先住民マルディ・グラ族の扮装で行進した(最近HBOで放映されたデイヴィッド・シモンの連続TVドラマ「トレメ」にも、これに通じる設定がある)。

創造力による対抗

 アクティビストのスティーヴン・ダンカムは、著作『ドリーム』で、アメリカの左派は、理知的で冷たい偉そうな言葉遣いで、心よりも頭に訴えてきたと指摘する(5)。そして、政治的言説によくある凝った言い方を捨て、大衆に人気のある物語の中から、感情に訴える力を汲み出す方がよいと主張する。

 最近、南カリフォルニア大学アネンバーグ・コミュニケーション・ジャーナリズム学部の研究者チームは、社会正義の擁護のための活動に、ポップカルチャーを意識的に使っているグループのリストを作成した。そこで特に注目されたのが「参加文化」である。デジタルメディアではマスメディアと違って、多数の利用者が情報通信の手段を使いこなし、自分たちの目的のために文化を利用する。物語を共有することで、強力なソーシャルネットワークができあがり、人々はそこでアイディアを論じ、知識を生み出し、文化を創造する。こうした過程を通じて、熱心に活動する人々は様々なスキルを身につけ、草の根のインフラを築き上げ、それが世界についての見方を共有させることにつながっていく。狩猟社会の若者たちが弓矢と戯れるのと同じように、情報社会の若者たちは情報を操作することで鍛えられるのだ。

 「ハリー・ポッター同盟」の創始者であるアンドリュー・スラックは、こうした現象を「鍼文化」と命名する。人々の想像力の「ツボ」を見つけ、それを梃子に広範な社会的関心を呼び起こすのだと言う。実際、「ハリー・ポッター同盟」は、アフリカの戦争や、労働者の権利、ゲイ同士の結婚についての問題意識を広めたり、ハイチへの義捐金を募ったり、メディア寡占に反対したりといった活動に、10万人以上の青年たちを動員することに成功した。スラックは、若きハリー・ポッターは、政府やメディアが自らに巣くう悪を隠蔽するために人々に嘘をついていることを見抜き、世界を変革するために仲間たちとダンブルドア軍団を立ち上げたのだと力説する。そして続く人々に対して、戦うべき世界の悪を洗い出せと発破をかける。例えば、メーン州では、同盟は、婚姻の平等についての州民投票実施に向けて賛同する有権者をどれだけ集められるかを複数の「ホグワーツ魔法魔術学校」に競い合わせた。このような、遊び心ある運動は、それまで政治から排除されていた若者たちを動員することを可能にするだろう。

 こうした新たなスタイルの活動は、大衆を動かす理性の力を放棄しているという意味でシニカルにも、現実よりも神話を重視するという意味では無邪気にも見えるかもしれない。しかし、想像の世界に甘んじることをやめ、現場の難しさに直面する瞬間は、いつか必ずやって来るものだ。

 この種の「アクティビズム」が求めるのは、必ずしも青いペンキを体に塗ることではなく、メディアの垂れ流すイメージに対して、創造力でもって対抗することだ。こうした手段を用いるのは何も左派だけではない。例えば、アメリカでは、中南米系の少女がサルと一緒に冒険するアニメ「ドーラと一緒に大冒険」は、アリゾナ州の新移民法がもたらすことになる現実だとして、保守派と左派の両派から引き合いに出された。医療保険改革に反対するウルトラ保守の「ティー・パーティ」は、オバマ大統領を『バットマン』シリーズの『ダークナイト』の悪役、ジョーカーに見立てて非難した。

 ポップカルチャーになぞらえることが、緻密な政治的論議まで捉えきれないのは明らかだ。共和党と民主党の違いが、昔のマンガに由来する両党のシンボルであるゾウとロバの違いだけではすまないのと同じだ。『アバター』は、占領地をめぐる長い闘争に裁きを与えるものにはならないし、ユーチューブ上の映像は、この問題についての見識ある言論の代わりにはならない。しかし、この種の「アクティビズム」は、注目や「参加」を重視することで、政治に新たに関心を持つようになった人々のうちに、闘争の継続のために必要な情念の力を注ぎ込んでいる。そして、それが今度は、新たな活動のスタイルを切り開いていくかもしれない。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年9月号)