専制国家とサラフィー主義に物言わぬアラブの知識人たち

ヒシャム・ベン・アブダラ・エル・アラウィ(Hicham Ben Abdallah El Alaoui)

スタンフォード大学(カリフォルニア)フリーマン・スポグリ国際研究所所属・研究員
ヒューマン・ライツ・ウォッチ顧問委員会メンバー

訳:土田修


 アラブ国家の内政というと、対立状況にあるように思われがちである。実際はむしろ、絶え間ない合従連衡のゲームが繰り広げられている。力に差のある3つの勢力の間に、暗黙の協定が結ばれているのだ。原理主義者は、社会への影響力の拡大を許される代わりに、政治権力の獲得を優先課題とはしない。世俗の知識層は、原理主義者に首ねっこを抑えられた国家から庇護を受け、そのため政権の専横については口を閉ざし、衆目の一致した論点についての先鋭的な批判は控える。そして知識層の融和的な姿勢と、宗教勢力の黙認の下で、専制国家は末長く安泰、という構図である。[フランス語版編集部]

 過去200年の間、近代的な文化表現に対して、イスラム宗教指導者(ウラマー)層は常に警戒感を持ってきた。人々が宗教以外のものによって人生や世界を理解するようになることを恐れたからだ。だが、彼らがいくら文句を付けようとも、芸術・文化活動は人々に広く受け入れられてきた。ただし一部の分野(例えば近代絵画)は西洋的な性質を帯びており、西洋化された上流階級のものにとどまっていた。

 芸術・文化が慎重ながらも容認されてきた背景には、イスラム教とはイスラム法(シャリーア)のみに縛られるものではなく、ある程度の多元性を受け入れるものであるという神学思想(カラーム)がある。詩や書、造形美術、音楽といった世俗的な文芸・芸術活動は、たとえ俗悪なものであっても、宗教に反するとは見なされなかった。斬新な創意に溢れたものも多く、多様性に富んだ作品の数々は、われわれの歴史の一部をなしているのだ。

 イスラム教の偉大さはまさにこの点、つまり多種多様な文化的影響を吸収する力にあった。イスラム世界は古典古代の文学・哲学の偉大な伝統を保護し、研究し、発展させた。本を焼き払う代わりに、保存するための図書館を建てた。それは長い間、後に西洋と呼ばれるものの基礎をなす文献を守る聖域だった。イスラム世界は、これらが全人類の知的遺産の一部をなしていることを理解していたのだ。

 イスラム原理主義が伸長すると、それとは異なる新しい規範が出現した。イスラム教の正統を狭く捉えることから、「サラフィー(復古)主義」とも呼ばれている。このイデオロギーは、法律や行政によって明文化されることは滅多になく、暗黙のうちに了解されている。だから大して力がないということはない。逆だ。この規範の威力は、政治権力からではなく、今やアラブ人アイデンティティの中核をなす厳格な宗教観から来ているからだ。そこに体現されているのは、西洋化や新植民地主義への反発である。

 こうした宗教観は数十年前には、隆盛を誇るアラブ民族主義と真っ向から対立した。しかし今日では世俗の穏健派でさえも、表立って異論を唱えようとはしない。アラブ人アイデンティティに過敏になるあまり、体制や保守派、さらには民衆の目に、アラブの本義に敵対する輩と映ることを恐れているからだ。

 衝撃的な例を挙げよう。2009年の夏、モロッコで若者のグループが、ラマダンの断食を破って公園でピクニックを敢行した。宗教界が憤慨したのは予想通りだが、同国最大の社民勢力である人民勢力社会主義同盟(USFP)もまた激高し、断食を破った若者たちの処罰を主張した。左派のこうした「宗教心」は、民族主義的な言い方で示された。ピクニックはモロッコ文化を愚弄し、衆人の考えるアイデンティティを害したというのだ。これを受けて政府当局は、若者たちを「公序壊乱」のかどで起訴した。滅多に用いられない罪状である。要は世俗の法が、宗教上の取り締まりの隠れ蓑として使われたのだ。コーランの教えはいささかも歪めてはならぬという点で、政界の考えは一致している。

 このように公共の場は徐々に、聖典の狭義の解釈から導かれた義務や禁忌だらけの、厳格な文化規範に縛られるようになってきた。支配的イデオロギーの中核となった宗教は、サラフィー主義に収斂する傾向を強め、これまで単に世俗的とされていた文化については、そんなものは不信心だとする論理を打ち立てつつある。文化を友とする開放的なイスラム教に代わって、イスラム法は文化を禁じているという偏狭な解釈が幅を利かせるようになり、宗教の聖なる領域と世俗の文化の領域をつなぐ通路は遮断されてしまった。

 とはいえ、「サラフィー化」の動きにもかかわらず、民衆は依然として、テレビやビデオ、インターネット、大衆文学などの形で、ちまたに溢れる文化の産物を享受している。そんなものに夢中になるのは西洋かぶれ、グローバル化だと片付けたり、「異国的」だと非難するのはたやすいことだ。しかしそれは、これまでアラブ人が時々の文化の産物を広く、巧みに取り入れてきた歴史を看過することでしかない。

 エリート層の間では、現代芸術への熱狂が高まっている。それを推進しているのは、西洋の財団、NGO、湾岸諸国の資金による後援制度だ。大衆はといえば、娯楽・メディア分野の多国籍企業の攻勢に見舞われている。広まっているのは北米規格のものだけではない。地元での制作も盛んだ。アル・ジャジーラやアル・アラービヤのニュース放送、テレビの連続ドラマ、実用書や恋愛指南のような大衆本などだ。音楽や芸術の創作活動も、インターネットによって爆発的に拡大し、アラブの若者の熱い視線を集めている。何も現代のアラブだけに限られたことではないが、こうした百花繚乱の中で文化の商業化、「フェスティバル化」が進むことは避けがたい。それには地元の実業家やプロモーター、仲介業が大いに加担している。

公と私の分裂

 こうした文化活動の大半は、特に宗教色があるわけではなく、西洋だけでなくインドや中南米などグローバルな影響が強く、まったく世俗的な性質のものだ。イスラム政治運動が急伸したにしても、芸術や文化をイスラム化しようとする試みはあまり成功していない。しかしながら、一方ではグローバル化した文化、他方では宗教規範の板ばさみになった芸術家や制作者たちは、すすんで「イスラム教徒」性を前面に出そうとする。作品が宗教とは何の関係もなく、時には社会の世俗化に寄与するようなものであってもだ。そう名乗ることで彼らが肯定しているのは、自らのアイデンティティであって、宗教的実践ではない。

 一種の分裂症がアラブ世界を侵食している。人々は私的な場や、用心深く区分けされた半公共的な場では、世俗文化を消費する。公の場では、イスラム教徒としてのアイデンティティを表に出すよう心掛ける。例えば映画に行くことは避け、モスクに行き、あごひげを生やし、ベールをかぶる。文化が営まれる2つの領域は平行して展開されはしても、公的な場では宗教規範が支配権を握り続けている。

 それをエリートと大衆の社会的分断によって説明しようとすれば、間違いを犯すことになる。確かに20世紀には、西洋化した上流階級が様々な世俗文化を享受する一方で、一般大衆はイスラム教中心の伝統文化の枠内に概してとどまっていた。このような溝が消えたわけではない。しかし、教育と識字率が向上し、テレビやインターネットをはじめとする情報伝達手段が急速に拡大したことで、ここ20年ほどの間に状況は一変した。他の言語や文化に頻繁に触れることは、もはや金持ちの特権ではなくなった。

 文化の営みはますます多様になっている。若者は小説を読み、映画やビデオを鑑賞し、音楽を聴き、ブログをチェックする。アラビア語のものだけとは限らない。彼らは消費するだけでなく、東洋、北半球、南半球、そしてもちろん西洋の影響をこもごもに受けながら、自ら制作を手掛け、時には発信する。

 しかし、大衆文化の多様化が、それだけで世俗化や民主化を進める力になるわけではない。両者はむしろ切り分けられている。今日は恋愛小説を読んでいる者が、明日は宗教のビラを読み、イスラム教の衛星テレビ局イクラアTVを見ながら昼食をとり、「アラブのMTV」たるロターナ(1)のビデオクリップを見ながら夕食を終える、というふうに。

 サラフィー主義者もまた、インターネットのような新式の道具を使いこなし、宣伝手段として活用している。世俗文化の消費は、宗教界から見れば、あくまで「内緒の罪」にとどまるべきものだ。政府当局からすると、単なる娯楽として社会的・政治的影響を及ぼすようなものであってはならない。そしてサラフィー主義の規範は、私的な領域以外では遵守されなければならないのだ。個人的な日常の娯楽においてコーランの教えに背くことが、逆説的にも、宗教界の支配力をさらに強化する方向に働いている。教えに背くことは個人の領域、サラフィー主義の規範は公共の領域に属しており、この2つが組み合わさることでイデオロギーに一種の「ソフト」パワーが備わり、行政官僚による検閲よりも大きな効果を上げることになるからだ。

 こうした分裂傾向は、文化の土台をなす言語についても見られる。歴史を振り返れば、イスラム宗教指導者は書物を人間精神の最高の発露として常に讃えてきた。しかし文学の世界では、アラビア語の作品は取るに足らない位置しか占めておらず、アラブの知識層は自国民が使う口語体で文章を書きはしない。文化表現の方法としては、コーランの言語たる古典アラビア語(フスハー)しか認めないという点で、民族主義者と原理主義者は一致している。古典アラビア語は、前者にとってはアラブ民族を結束させるものであり、後者にとってはイスラム世界(ウンマ)の結節点となるものだ。こうした言語観は、コーラン学校以外ではほとんど話されることのない古典アラビア語が、大衆の話すアラビア語はもとより、メディアや公的な発言、大衆小説などで使われる「標準」アラビア語とも大きく異なっていることを明らかに無視している。作家の仕事は極めて厳しいものになる。人間存在の意義を探ろうとする小説という分野は、怪しげに見られているからだ。それは、宗教の枠組みを越え出るうえに、古典アラビア語の範囲を超えたアラビア語を作ろうとするという二重の意味で、コーランの教えに反するものとされる。こうした隔絶のせいで、大衆的な言語表現の芽は花開くことがなかった。

3つの勢力間の暗黙の協定

 同様の問題は法律の分野にも存在する。何が適法であり、何が「イスラムに適合」するかは、国によって異なっている。多くの国では近代法の原則を取り入れつつも、イスラム法を究極の法源として認めている。こうした両義性の下で、政治的な選択の幅は今日まで限られてきた。ただしここでも、宗教規範が課されているからといって、それが裁判所や行政の実務を必ずしも左右するわけではない。

 風紀や行動に関わる社会規範のサラフィー化(ベール着用への圧力や映画館の閉鎖)を容認することで、現代のアラブ国家は宗教指導者層との暗黙の同盟という政策を強化している。イスラム教の公認の番人たる宗教指導者層は、体制を改革することよりも、体制から厚遇を得ることに腐心している。イスラム主義「穏健派」は、国家にとって容認しやすい。彼らの主要な目標は、警察ではなく宗教界の思想的指導者を動かすことにより、地域社会の信仰心を鼓舞するところにあり、そこでの国家の仕事は、イスラム法の最も苛酷な規定(例えば姦通罪に対する投石刑)を禁止することだけになる。おかげで国家は、国内の穏健派や外国の識者に向け、全面的なイスラム化に対する防波堤をもって任ずることができる。ただしそれは、社会規範におけるサラフィー主義の優越を是認することでもある。

 他方、民主改革を志す知識層は、宗教指導者や原理主義者からの攻撃に対し、国家に庇護してもらうことをすすんで求めている。引き換えに国家指導者を支持する場合もある。彼らにとっては、極めて専制的な政府でも、イスラム主義よりはまだましに見える。文化の自律性をある程度は確保できるし、将来的には自由が実現されるかもしれないと淡い希望を持てるからだ。アルジェリアでは1990年代を通じて、世俗の知識層がイスラム主義との政府の闘争を支持した。エジプトでは、命を狙われた作家のサイード・キムニが国家から庇護を受けた。彼は2009年6月には勲章まで授与されている。

 当事者たちは誰も認めたがらないが、国家が例えばイスラム同胞団のように、イスラム主義者の中でもさほど脅威にならないと見た組織と結ぶ場合もある。許容範囲の野党として一定の議席を保証することさえある。これは国家が、国内政治体制の転覆を図るジハード主義者やイスラム主義者をまとめて抑え付ける手段となる。

 様々な社会的アクターの間に不安定なバランスを維持することにより、政権は思う存分、抑圧的な政策を続けることができる。抑圧政策は相変わらず乱暴ではあるが、標的は巧みに絞り込むようになった。そして国家は他方では、サラフィー主義の規範が広がることを助長している。

 知識人たちの中には、こうした状況に苛立ちを覚え、様々な政治的妥協に走る者も出てくる。その一つが現実あるいは事実上の「頭脳流出」だ。外国で暮らしたり、国外向けに活動したりする芸術家や作家は多い。彼らはエジプト人やチュニジア人というよりも、「アラブ人」や「イスラム教徒」として立ち振る舞う。アイデンティティの根幹には、サラフィー主義に近いものを据える。古典アラビア語で書き、「アラブ人」イコール「イスラム教徒」のように見なす。彼らは地理上あるいは観念上の移民であって、自国や民衆との接点を失い、「アラブ人」といった大がかりな物言いに傾く。そして為政者にとっては、自国の知識層が内政に口を出したりせずに、パレスチナやイラクなど、衆目の一致する大義を奉じている分には何の心配もない。

 知識層が自国内の社会的対立への関心を失い、国際社会という抽象的な世界に没入してしまう背景には、地元経済が芸術家や作家をあまり支援しない現実がある。創作活動への支援政策がないことで、文化の制作者は個人主義化や脱政治化に向かい、観衆や資金源を外国に求めるようになる。フォード財団やソロス財団、産油国の慈善家など、多くの資金援助者にとって、「無菌化」された文化活動は、社会改革の場として好ましいものだ。こうして、アラブ・イスラム的アイデンティティの表現とされてはいるが、西洋のスポンサーが付いているためにアラブ社会から切り離された作品群が、アートギャラリーや湾岸諸国のきらびやかなショウウインドウに続々と陳列されることになる。

政治に関わろうとしない芸術家たち

 文学の領域では、アラブ文化の「最高」作品の選出をめぐり、多数の賞がしのぎを削っている。レバノンのアル・マジディ・イブン・ダーヘル・メトロポリス・ブルー賞、ロンドンのブッカー賞財団がエミレーツ財団と提携して主催するアラブ小説国際賞などだ。

 わが地域の芸術家が世界の文化活動に加わること自体は、非難すべきことではない。むしろ一つの進歩だろう。しかし「アラブ」の芸術家たちは、世界的な評価を受けることで、自国の民衆から切り離され、解放者たるべき役割を失っていくかもしれない。

 インターネットが文化財の生産と消費の新たな空間を切り開いたのは事実だ。しかしインターネットは、既存の反体制運動の効果を上げることはできても、政治意識そのものを生み出すことはない。エジプトで見られたように(2)、動員数を増やす道具としては役に立つが、闘争の組織化に必要な地道な現場の活動に取って代わることはできない。

 インターネットの利用にかけては、ジハード主義者も恐るべき創意工夫を見せており、ユーモアや歌謡(ナシード)を使うこともいとわない。最新の技術を利用することに、宗教的信念上の問題は生じない。おそらく彼らのうちでは、尊敬に値するムファッキル(思想家)がムサッカフ(知識人)とは区別されているのだろう。

 インターネットはまた、人々の孤立化と区分けを促してもいる。ネット利用者はそれぞれ別個の小グループを形成しがちだ。彼らのコミュニケーションは、もっぱらグループ内で(多くの場合は匿名で)、スクリーンを介して、ひたすら内部で展開される。匿名であるため、思いきり不平不満をぶちまけたとしても、敵対者と直接対決せずに済み、直接対決から打撃を受けることもない。ネット上では、現実世界から逃避しながら権力を嘲笑するという芸当が可能になる。

 アラブの芸術家や知識人は、かつて自分たちが担っていた(そして今でもイランやトルコでは見られなくもない)役割を捨て去ってしまった。彼らはもはや社会・政治・文化運動の先導役ではなく、国家あるいは裕福で有力な親分の手のうちにある廷臣団のようなものだ。エジプトの作家、スヌアッラー・イブラーヒームやモロッコの音楽グループ、ナス・エル・ギワンのような反体制派の芸術家は消え失せた。例えばエジプトでは、前衛画家のファルーク・ホスニが現職の文化大臣だ。シリアでは、ジャン・ジュネの翻訳者、ハナン・カッサブ・ハッサンが、「アラブ文化の首都、ダマスカス」という2008年のユネスコ後援プログラムの実行委員長に任命された。アレクサンドリア・ビエンナーレに出展したワイル・シャウキや、ドバイのアブラアジュ・キャピタル・アート賞を受けたハラ・エル・クーシは、文化や社会について独特の見識を持ちつつも、政治に関わろうとはしない。

 だが、アラブ世界の文化運動の近代化を進めれば、豊かな実りが得られるかもしれない。それに取り組んでいる芸術家たちは名声という象徴資本を手にしている。彼らはこれを利用して、それぞれの自国で変革を推進できる立場にある。現在の体制にぶら下がったところで、何の解決にもならない。実験精神に満ちた自律的な空間を新たに切り開くことで、アラブ世界の大部分を支配している専制政権に反対する勢力を再活性化できるかもしれない。

 確かなことが一つある。芸術活動や知的作業を通じて政治と社会の民主化を進めようと考えるのならば、サラフィー主義の規範に真っ向から斬り込み、確固たる代案を示す必要があるということだ。できあいのモデルをどこかから持ってくるいうのでは話にならない。アラブとイスラムの伝統は、何世紀にもわたって数々の自律的な文化空間を切り開いてきた。そこに源泉を求めるべきだ。現代世界にもわれわれ自身の伝統にも見合う形で、新たな公的規範を作り出さなければならない。それこそが、真の民主化構想を支える柱の一つとなる。サラフィー主義者の突き付ける問題を否認したり、あるいは彼らに譲歩したりするばかりでは、そうした規範を築き上げることはできないだろう。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年8月号)