メキシコ湾原油流出と隙だらけの法制度

ハディジャ・シャリフ(Khadija Sharife)による調査記事

ジャーナリスト

訳:今村律子


 2010年4月20日にニューオーリンズの沖合で、BPの石油掘削施設ディープウォーター・ホライズンの爆発により流出を始めた原油が、完全に除去される日が来るのかはわからない。メキシコ湾海域の最大40%が汚染されるおそれがあるという。矢面に立たされたBPは、収益の一部を預託口座に拠出することになった。この事故の裁判は間違いなく長期化する。それは、石油業界が60年以上にわたって規制回避のために用いてきた手法を、明るみに出すことになるのだろうか。[フランス語版編集部]

 ディープウォーター・ホライズンの爆発後、スイスのツーク州に本社を置く石油掘削会社トランスオーシャンは、高級ホテルで祝杯を上げた。この石油施設は事故前の評価額が6億5000万ドル、その所有者である同社は、爆発から3週間後の5月14日、1回目の保険金4億100万ドルを間もなく受け取るところだった。そのためスティーヴン・ニューマン会長は、非公開の会議の席で、株主への10億ドルの配当を決定した。すばらしく前向きだ。しかも理にかなっている。というのは、洋上石油施設は国際海事法上は船舶として扱われるため、トランスオーシャンの弁護士は、事故に対する同社の賠償責任に関し、施設の事故後評価額(僅か2700万ドル)を限度とするよう申し立てできるからだ。その法的根拠は1851年に制定された責任制限法である。1912年に沈没したタイタニック号の船主が犠牲者に対し、救命具と救命ボートの価値相当額、9万5000ドルを支払うだけで済んだのも、この法律による。

 水深1500メートル地点で流出遮断が試みられ、ルイジアナ州沿岸で汚染除去作業が続けられる一方で、4月20日に亡くなった11人の作業員の遺族をはじめ、沿岸で事業に従事する者や自然保護団体など、原油流出事故の被害者多数が、裁判手続きを開始している。しかし、既に見たようにトランスオーシャンは、うまいこと責任を逃れられると踏んでおり、事故に関する非難は施設の事業主、BP(旧ブリティッシュ・ペトロリアム)に集中している。他の石油メジャーは、流出事故は「回避可能」であったとして、もし自社の施設だったら「この油井の掘削を行わなかった」と述べ、BPを突き放すような姿勢を取り始めた(1)。米大統領府はBPとの間で、年内は株主への配当を見合わせ、被害額の最初の算定結果が出るまで預託口座に資金凍結する旨の合意書を作成した。オバマ大統領が向こう6カ月間、深海油田の掘削を凍結すると決定したことで、石油業界に不安が広がっている。業界としては一刻も早く、通常の操業態勢に復帰したい。だが、その通常の操業態勢こそが、今回の事故を準備したのだ。

 ワシントン郊外の町、ヴァージニア州レストン。原油に汚染され、環境破壊の危機にさらされたメキシコ湾からは、何千キロも離れている。しかし、すべてはここから始まった。この町にはインターナショナル・レジストリーズ(IRI)のオフィスがある。

 こじんまりとしたオフィスだ。同社の事業に多数の人員は必要ない。IRIが顧客企業に提案するのは、法律が世界で最も緩い国に「船籍登録」することで、海事法の規制を回避することだ。その国とは、マーシャル諸島共和国である。太平洋の真っ只中にある人口6万2000人の島国だ。

 IRIはこの分野では世界で「最も実績のある」企業だと自任する。掘削関係も運輸関係も手がけており、トランスオーシャン、そしてBPも顧客である。

 2009年のマーシャル諸島への船籍登録は、石油タンカーでは221件と、石油大手企業の集まる米国の4倍にのぼり、世界最大の伸び率を記録した。マーシャル諸島はパナマやリベリアと同様、「秘密保持の法域」を謳っている。便宜置籍船国であるだけでなく、タックスヘイブン(租税回避地)や金融オフショア市場の役割も果たすということだ。

 マーシャル諸島で船籍を取得し、「法人、有限合資会社、有限責任会社や、外国海運会社」を設立するにあたって、現地に赴く必要はない。書簡やファックス、電子メールで数回やりとりをすれば十分だ。今回の取材でそれを実証した。

タンカーや施設の便宜置籍

 「本国の厄介な法規制から逃れたい」顧客の代理人という触れ込みで、IRIの窓口に問い合わせを行ったのは、ディープウォーター・ホライズンの爆発事故から数日後のことだ。 最初の電子メールの返事で、マーシャル法上の会社設立には総額650ドル、たった1日しかかからないことがわかった。「さらに登録更新料として年間450ドル」かかることも特記されていた。会社の定款は「お客様から特にご要望がなければ」公開されない。これでマーシャル法人として、課税はゼロ、他国ではあり得ない水準の秘密保護を得ることができる。

 われらが顧客の望みは、マーシャル諸島への船籍登録だ。施設の規模は、BPのそれと同程度ということにした。IRIは折り返し電子メールで、「一時金」1万5000ドルに加え、年間手数料として一総トン数あたり15セントという料金を提示した。商売上手な担当者は、「船齢15年未満の船を10隻(かそれ以上)まとめて同時登録」すれば「50%割引」にすると言う。魅力的なオファーだ。税金やロイヤルティの支払いを免れ、労働法に縛られず、あらゆる環境規制から逃れることができる(2)。世界最大の石油掘削請負会社たるトランスオーシャンは、そこをしっかり押さえている。同社のウェブサイトに記された83施設のうち、29はマーシャル諸島に登録されている。残りは主にリベリアかパナマの船籍だ。

 われらが架空の依頼人には、まだ不安がある。「たとえば事故が起きた場合は、各国当局が登録者の身元確認を求めるのではないでしょうか」。小一時間後、担当者の答えで不安は解消される。「もし各国当局が、わが国の登録機関や司法機関に、会社の株主や経営陣などに関する補足情報の開示を求めてきたとしても、そのような情報は弊社も保持はしておりません。そもそも、 事業の立ち上げと運営は、それぞれの弁護士と経営陣が直接行うようになっておりますので。もちろん、経営陣や株主の名前をマーシャル諸島で公開なさった場合は別ですが、それは義務ではありませんから(3)、弊社は情報開示すべき立場にはないことになります」。それなら安心だ。

 IRIのような会社は、米国の外交政策に直接の起源を持つ。それは第二次世界大戦の直後に遡る。石油は当時、需要が供給を超え、戦略地政学的に重要な資源になりつつあった。スタンダード石油(4)とエドワード・R・ステティニアス元国務長官(F・ルーズヴェルト政権)の後押しにより、リベリアが世界初の「自由置籍制度」を設けたのは1948年のことだ。その実務は、ニューヨークにあるステティニアス・アソシエイツ・リベリア社が行ってきた。当時リベリア海事法の「検討・修正・承認を行ったのはスタンダード石油である」と歴史家のロドニー・カーライルは記す(5)

 一連の合併や買収を経て、ステティニアス社の後身となったのがIRIである。1990年代初めまで、同社はリベリアを石油タンカーの楽園としていた。しかし、この国を引き裂いた内戦の際、テイラー大統領はIRIに対して強欲になりすぎた。その結果、内戦が最も激しかった時期には政府の合法的収入の70%を支えていた両者の関係は決裂した。IRIが新たな便宜置籍船国とすべく目を向けたのが、日本の統治下から1947年に米国の統治下に移り、1986年に独立したマーシャル諸島である(6)。IRIは顧客の登録移転を積極的に進め、マーシャル諸島は15年間で法規制と税制の一大回避地へと変わった。

 とはいえ、世界の石油タンカーのかなりはリベリア船籍のままである。管理はIRIではなく、LISCR(リベリア国際船舶・法人登録機関)が行っている。そのオフィスはワシントン郊外、レストンから13キロのヴィエンナにある。「合計で9600万総トン超、世界船腹量の10%となる3100隻以上」がリベリアに登録されている、と同社は自賛している(7)

 「リベリアとマーシャル諸島の船籍登録機関が、実はワシントンから数キロのところにあると聞いたら、多くの人がびっくりするでしょう」と言うのはジョン・クリステンセンだ。ジャージー島(英国領のタックスヘイブン)の高級官僚を経て、課税公正ネットワーク(TJN)という国際団体を創設したが、それに特に矛盾は感じていない。「2つの登記機関は、米国の権益ゆえに創設されました。目的のひとつは、まさに現在メキシコ湾で起きているような被害から、米国市民を守るための規制を回避することだったのです」

 IRIとのやりとりに戻ろう。担当者の熱弁に、急に陰りが差したのだ。「他国の領海で外国船籍の移動式海洋掘削装置(MODU)が操業する場合は、事業許可の取得にあたり、その国による一連の要請に従わなくてはなりません」。マーシャル諸島に船籍登録をしても、米国法の適用を免れることはできないということか。しかし関係企業にさほど心配している様子はない。

業界自身の作った基準

 ディープウォーター・ホライズンの爆発事故に関する公開調査を通じて、石油施設の「監督機関が存在しない」ことを知り、米国民はショックを受けた。さらに悪いことに、施設の事業主と所有企業は「相互に自主認証を行い、自分たちが適当と見なす基準を独自に定めている」ことが、鉱物資源管理局(MMS)(8)の地域責任者マイク・ソーシエの事情聴取によって発覚した(9)。それを聞いて沿岸警備隊長のフン・グエンは、つまりルールというのは「業界の基準に従って考案され、業界によって作成され、業界によって適用され、建設や保守管理にあたって政府の監督はない、ということなのでしょうか」と問いただした。ソーシエは頷くよりほかなかった。

 数年前には別の調査によって、MMSがBPに対して安全規制遵守を免除していたことが明らかになっている。このとき、当時の内務省監査総監アール・デヴァニーは、MMSを「倫理的に無責任」と評した。MMSではエネルギー企業からの「金品贈与」が恒常化していたという(10)

 たとえ安全に関する産業規制が適用されても、それが大手企業にとって本当に問題となるかはわからない。というのも監督基準の規定、とりわけ噴出防止装置という重要な設備に関する規定は、大手企業自体と、石油・ガス400社が加盟する全米石油協会(API)に委ねられているからだ。

 現行制度は、先のブッシュ政権下で、チェイニー副大統領の率いる(まるで目立たない)組織、国家エネルギー政策推進グループの圧力によって作られた。大統領候補の中でBPの最大の献金先だったバラク・オバマは、この制度を引き継いでいる。

 この作業グループは、2001年1月のブッシュ政権発足の1週間後に設置され、エネルギーに関する大統領令13211号を8週間で作成した。天然資源保全協会(NRDC)によれば、作業がこれほど迅速だったのも、APIのある文書の「構成」と「結論」をそのまま利用したからだ(11)。しかも、このグループの会議とは要するに、石油大手企業の幹部との非公式の会合だった。BPのジョン・ブラウンもその1人だった(12)

 この順風満帆の時代、「秘密保護」が堅い国々で登記した子会社294社を傘下に擁するBPは、生産量を引き上げることを決定した。ただし、掘削請負会社を利用することで、リスクに曝される可能性を減らす。たとえばディープウォーター・ホライズンについては、2013年まで一日あたり100万ドルで、トランスオーシャンからリースする形を取った。さらに、開発生産部門の長から最高経営責任者(CEO)となったトニー・ヘイワードの下で、深海油田分野で積極的に事業を拡大していた。

 4月20日の時点で、ディープウォーター・ホライズンの設置工事は、1本の油井の密閉作業以外は、ほぼ完了していた。この施設の日額コストを意識したBPの経営陣は、トランスオーシャンの安全手順を無視することに決めた。噴出防止システムに問題があることはわかっていたが、彼らの目的はただひとつだった。掘削すること、とにもかくにも掘削すること。落選した副大統領候補、サラ・ペイリンの選挙運動スローガンのように、「ドリル、ベイビー、ドリル」だ。

 メキシコ湾の生態系の回復には何百年もかかるかもしれない。トランスオーシャンの広報部長は、「急な歯痛」に見舞われたため、私たちの質問に応じることができなかった。BPのヘイワードCEOに関して言えば、「この災害の環境への影響はおそらく非常に小さいだろう」という5月1日の発言を忘れさせるには、いささかの苦労を要するだろう。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年7月号)