スーダンで繰り広げられるポーカーゲーム

ジェローム・トゥビアナ(Jerome Tubiana)

独立研究者

訳:日本語版編集部


 国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状を出された初の現職大統領となったスーダンのバシル大統領が、この4月26日に再選された。投票には明らかに不正があったものの、彼は国内でも広くアフリカでも、一定の影響力を保っているように思われる。逮捕状の件では「国際社会」とICC、そして国内の諸勢力が、ポーカーゲームに明け暮れていると言わざるを得ない。このままでは、ダルフール危機が泥沼化するおそれがある。[フランス語版編集部]

 2010年4月11日に行われたスーダン総選挙で、ザカリア・ドゥシュ隊長は投票に行かなかった。投票の前日、このダルフール反政府勢力の指揮官は、隣国チャドのビラク地域の市場にいた。国境から数キロばかり入ったところだ。彼と部下が武器を積んだピックアップ・トラックで、チャド領内を自由に動き回っていたのは、ほんの数カ月前のことだ(1)

 だが今では、チャド軍から許可をもらわなければ、ビラクに入ることはできない。戦闘服を脱ぎ、武器はピストル1丁だけ、それもジェラバ(民族衣装)の下に隠しておくことが条件だ。5年にわたって相互のゲリラを介して戦ってきたチャドとスーダンが、ここ数カ月で接近を始めたからだ。今回の両国の接近は、過去に比べて(2)真剣味があるように見える。この最新の和解のしるしとして、選挙戦たけなわのスーダンのバシル大統領に対し、チャドのデビ大統領は結構な贈り物をした。これまで長らく支援してきたダルフール反政府勢力の正義と平等運動(JEM)に、国外退去を求めたのだ。ドゥシュ隊長はこのJEMの一員である。

 JEMはスーダン政権との交渉をとりわけチャドからせっつかれつつも、時間稼ぎのために選挙延期を主張した。しかしスーダン政権にしてみれば、延期など論外だった。21年前にクーデタで政権を握ったバシル大統領は、複数政党による初の国政選挙により、新たな正統性を獲得するつもりでいた。彼は予想通り勝利した(得票率68%超)。大統領与党の国民会議(NC)は、73%もの大勝で旧来の諸党のほとんどを圧倒し、議会でさらに勢力を強化しており、6月15日に発足した「挙国一致政府」を牛耳っている。選挙時の不正や野党によるボイコットなどは問題ではない。バシル大統領の第一の敵は、ほかにいるのだから。ダルフールで戦争犯罪と人道犯罪があったとして、2009年3月に彼に対する逮捕状を取り付けた国際刑事裁判所(ICC)のアルゼンチン人司法官、モレノ=オカンポ主任検察官がそれである。

 まだ選挙結果が公表されてもいないうちから、NCの実力者ナフィ・アリ・ナフィ副議長が、選挙の真の狙いを明らかにしていた。大統領が再選されれば、「突き付けられた罪状が偽りであることが証明され」、また「ICCの立場を国民がはね付けたことが疑念の余地なく示される」というわけだ(3)

 モレノ=オカンポ主任検察官の戦略が、この選挙結果によって妨害されることは間違いない。彼はジャンジャウィードにさほどかかずらわずに「トップを叩く」意向を公言してきた。ジャンジャウィードとは、ダルフール反政府勢力の掃討のために、2003年以降スーダン政権から武器を供与されてきた民兵である(4)。ドゥシュ隊長もかつて、2003年から2005年まで、シャイフ・ムーサ・ヒラールの下でジャンジャウィードの指揮官を務めていた。ヒラールはアラブ系マハミード族の族長で、今やジャンジャウィードの最も有名な首領である。ドゥシュ隊長は語る。「2004年の初めに、シャイフ・ムーサから、ダルフール西部スラの住民を皆殺しにしろと命令された。武装していた奴らもいたが、反政府勢力というわけではなかったから、戦闘員を突き出させるよう村人たちと交渉してはどうかと、ムーサに提案してみた。答えはこうだった。『それには及ばない。全員やっちまえ』。こちらの手勢は車が50台から60台、馬とラクダ、戦闘員が600人から700人。それで全員を殺した。子供も母親も、年寄りも若いのも、民間人も戦闘員もだ。合わせて346人」

 2003年から2004年にかけ、スーダン政権は反政府勢力を平定すべく、ジャンジャウィードに白紙手形を与えていた。ドゥシュ隊長もそうだが、主にその要員となったのはアラブ系の遊牧民である。反政府勢力を支援しているとされた非アラブ系部族(フール族、ザガワ族、マサリート族)の村を、彼らは無差別に片端から襲撃した。「我々は、多くの仲間が殺されてしまったこと、隣人たちを追い立てて、キャンプに逃げ込ませてしまったことに気が付いた。我々は孤立して、敗者になっていた」とドゥシュ隊長は言う。政権側で戦う民兵は次第に減り、反政府勢力側に寝返る者さえ出てきた。ドゥシュ隊長も数百人の部下とともに、2009年にJEMに合流した。JEMの指導者ハリル・イブラヒム博士が2009年5月に語ったところによれば、JEMに加わった元ジャンジャウィード200人以上が、証人としてICCに出廷するつもりでいるという。ドゥシュ隊長も恩赦の約束と引き換えに証言するつもりだ。「もしICCから声がかかれば、自分が何をやったか、誰から命令されたかを語るつもりだ。シャイフ・ムーサは人道犯罪を犯した。あいつは部族の一員だ。俺は恥ずかしい」。もしバシル大統領が逮捕されたとしても、ダルフールのアラブ系住民が怒るとは思わない、と彼は言う。

プロパガンダ合戦の具となったICC

 ICCはダルフールの諸勢力に大きなインパクトを与えている。一方では、アラブ系の集団が政権から距離を置くことを促した。しかし他方では、ダルフール紛争は政権とその「アラブ系」補助部隊による非アラブ系住民の「ジェノサイド」だというICCの主張のために、諸部族間の和解が困難になっている。

 ドゥシュ隊長がミステリハで3000人の民兵を指揮していたころ、ダルフールの最大部族フール族のオムダ(村長)であるアリ・ヒディルが、そこに監禁されていた。彼は1年後に脱出し、ダルフール最初の反政府勢力となったスーダン解放軍(SLA)が拠点とするマッラ山地に逃げ込み、山岳部族委員会の長に任じられた。反政府勢力の支配地域の周辺で暮らすアラブ系住民との関係づくりに当たる役回りだ。

 ヒディルは2006年以降、コーランにかけての誓約、共同市場の設置、盗まれた家畜の返却など、アラブ系住民向けのアピールを重ねた。部族委員会ナンバー2のムジブ・ラハマンは言明する。「ICCのバシル訴追の意向がアラブ人たちに伝わってからは、彼らこそが我々の第一の交渉相手ということになります。だが、我々のうちには不平を漏らし、犯罪人たちとの和平を望まない者もいます。それに対しては、『個人的な不満は忘れなさい。全体の利益を考えなさい』と応じています」

 マッラ山地の反政府勢力はジレンマに直面している。ヒディルはこんなふうに言う。「捕虜にされていたとき、我々はアラブ人に奴隷あつかいされました。あんな体験の後で、彼らと交渉するのは困難です」。すべての犯罪人が処罰されることを望みながらも、元ジャンジャウィードと折り合いを付けていくには、正義を求める気持ちは棚上げにするほかない。委員会のメンバーは、アラブ系住民との交渉で、犯罪行為に言及するのは差し控えている。諸部族の共存に関する合意がかろうじて成立したのは、そうした代償のおかげだった。

 とはいえ真の和解はまだ無理だ。国際司法が関与していることで、現地の諸勢力が伝統的な手法、つまり自白と補償を引き換えに赦免する、という方法を取れなくなったこともある。ICCは目下、対立の現場から遠く離れたところで、政権とダルフール反政府勢力のプロパガンダ合戦の具となっている。いずれの側も、バシル大統領の逮捕状は、反政府勢力への欧米諸国の支援のしるしだと解釈しているが、それにより政権が国民的奮起を呼びかけているのに対し、反政府勢力側はモレノ=オカンポ主任検察官に倣って、交渉相手のはずのスーダン政権に「ジェノサイド犯罪人」の烙印を押している。

 モレノ=オカンポ主任検察官は、2008年7月に受けたインタビューで、ダルフールの避難民キャンプをナチスの収容所に喩えてはばからなかった。そこで働く80のNGOと14の国連機関は、彼が計画的な絶滅と呼ぶものの共犯者だと示唆するに等しい。「彼らにはガス室は必要ない。砂漠が(避難民を)殺すからだ」と彼は述べた。ダルフール反政府勢力の主要指導者の一人、アブドゥル・ワヒド・ムハンマド・アハメド・ヌールが、これを根拠にスーダン政権との交渉を拒否するのも道理だろう。法律的というより政治的な主任検察官の発言は、急進派勢力に論拠を与えている。2009年2月の発言はこうだ。「もし訴追されれば、バシルは交渉相手ではなくなる。交渉団は現実に適応すべきだろう。法廷は現実なのだから(5)

 だが、彼は賭けに負けた。バシル大統領に対する「歴史的」な逮捕状により、スーダン政権は動揺するどころか、国内支配力をさらに強めた。選挙もその一つだ。

欧米諸国の一貫性のなさ

 スイスを拠点とする研究グループ「小火器サーヴェイ」の最近のレポートは、ICCがスーダンの民主化を凍結してしまったとまで言う。「国民会議の目標は、民主的制度の中で勢力を保つことから、是が非でも権力を維持することに変わった。権力基盤の拡大を目標としていた選挙が、バシルを正統化する道具と化した。再選されて大統領府にとどまることが、逮捕から身を守るための最善の手段だと、彼は確信したのだ(6)」。逮捕状がなければ、彼は党内から他の候補が立つことを容認したかもしれないと言う者もいる。

 再選によって権力が強まったバシル大統領は、国連安保理による訴追凍結を期待できるだろうか。国連安保理には、ICCの訴追を1年間凍結し、それをさらに延長する権限がある。しかし、運動団体から圧力を受けているアメリカやフランスが、そのような決議を通す可能性は低い。アフリカ諸国は広くバシル大統領を支持しており、アフリカ連合(AU)は2009年7月に、加盟国はICCに協力しないとの声明を発している。モレノ=オカンポ主任検察官の捜査対象が、ダルフールにウガンダ、コンゴ民主共和国に中央アフリカと、アフリカだけに絞られていることに目を剥くアフリカ諸国は多い。

 バシル大統領の支持率については、異論の余地のないデータに欠けるため、スーダン国内ですら鋭い対立がある。一方には、政権と敵対する人々がいる。他方には、選挙時に取り沙汰された不正を一蹴する人々がスーダン内外におり、いずれにせよ大統領は再選されていただろうと言う。だが、不正の一部は目にも明らかだった。得票操作の現場の映った動画がインターネットで見つかるほどだ。選挙監視団によれば、不正が最もひどかったのがダルフールであり、ここで実質的な選挙運動をできたのは与党だけだった。不確かな余地を残さないという政権の姿勢は、すでに2008年の国勢調査の際に表れていた。300万人にのぼるダルフールの避難民・難民の大部分は、有権者名簿に登録されなかったのだ。

 しかしバシル大統領への賛否にかかわらず、スーダンの人々は、欧米諸国の一貫性のなさに困惑している。ICCを支持しておきながら、大統領選の結果については、最小限の批判だけで受け入れたからだ。欧州連合(EU)とカーター財団の監視員は、選挙は「国際基準に合致しなかった」と言うにとどめた。とりわけ顕著な矛盾を示しているのがアメリカだ。スーダン特使のスコット・グレイトン退役少将らアメを主張する者たちと、スーザン・ライス国連大使らムチを主張する者たちが、てんでにバラバラなことを言っている(7)

 「国際社会」は、選挙前の数週間にわたり、JEMをはじめとするダルフール反政府勢力に対して、和平合意を結ぶように強く圧力をかけた。それは、スーダン政権の肩を持っているという印象を与えた。交渉は結局、先延ばしにされた。もしも和平合意が、選挙によって強化された政権との間で、反政府勢力に不利な形で結ばれることになれば、2006年5月にナイジェリアのアブジャで結ばれた合意(8)と同じく、現場からはね付けられるおそれがある。

 選挙の1週間前、AUと国連のダルフール調停団が、チャドのビラク地域から東に50キロほどのところにあるクヌンゴ・キャンプのダルフール難民たちと対話した。彼らの不満に耳を傾け、その代表団が和平プロセスに参加できるようにすることが目的だった。数時間に及んだ議論は、彼らが参加できない選挙への不満に終始した。ある教員はこう述べた。「国勢調査されていない者が300万人もいます。私たちのことは、選挙では忘れられました。国際社会には選挙を止める力がないのでしょうか。国連の和平にはもう期待しません。もはや、私たちを助けられるのは神だけです」

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年7月号)