イスラエルが挑む「3つめの脅威」

トーマス・キーナン(Thomas Keenan)

バード大学(ニューヨーク)比較文学助教授・人権プロジェクト主任

エイヤル・ワイズマン(Eyal Weizman)

ロンドン大学ゴールドスミス校建築研究センター所長

訳:日本語版編集部


 ガザに向かっていた人道支援船団をイスラエル海軍が攻撃し、9人の乗船者が亡くなった事件は、世界中から非難を浴びた。単なる失態とはとても言えないこの攻撃で明らかになったのは、国際人道法と人権擁護団体に対するイスラエル政府の姿勢の根本的な転換である。[フランス語版編集部]

 2010年5月31日早朝、ガザに向かっていた人道支援船団の旗艦、マヴィ・マルマラ号へのイスラエル海軍による奇襲の経緯には、今後の解明を待つべき点が多数ある。しかし調査で何が明らかにされるにせよ、今回の事件は、2つの新しい動きを示すものだった。それらは並行して進みつつ相互に関連し合っている。1つは人道支援活動がますます政治化していることだ。もう1つは、イスラエル政府が、人権擁護団体および国際法への警戒心を高めていることだ。

 今日まで世界中で、人道支援や人権擁護の運動家に対する直接的・計画的な攻撃は、それらの活動が中立性の原則を尊重していない場合も含め、わずかな例外を除いては反政府民兵や、犯罪集団、警察国家の仕業に限られていた。タリバンや、ボスニアのセルビア人共和国軍、イラクの反乱勢力、中南米の「汚い戦争」の首謀者などがそうだ。とすると、イスラエル政府は、今回トルコ船を攻撃し、死者まで出したことで、こうした輩と同じ道を歩むことにしたわけなのだろうか。

 この問いに答えるには、少し時間を遡る必要がある。後に続いた人道支援船レイチェル・コリー号に対しては、6月5日に非暴力的に臨検が行われたが、それに先立って地中海で起きたマヴィ・マルマラ号への攻撃は、現在進行中の変化のクライマックスをなす流血の惨事と位置づけられる。つまり、イスラエル政府とその意を受けた民間団体にとって、人道支援団体や人権擁護団体、それに国際法は「敵」、あるいはイスラエル国家の存亡自体の脅威と受け止められるようになってきたのだ。

 船団が出発する前から、イスラエルのダニー・アヤロン副外相は「ガザに人道危機など存在しない」と述べていた。船団の目的は住民の支援ではなく、「イスラエルの正当性を否定するための挑発」でしかないという意味だ。政府系報道機関は、食糧事情が良好であることを示すために、ガザの高級レストランのメニューをジャーナリストたちにEメールで送りつけさえした。船団への攻撃の後、アヤロンが「テロ集団ハマスを利する憎悪と暴力の船団だ」と発言したことも、こうした公式見解を裏づける(1)

 こういう方向での情報キャンペーンが始まったのは、2009年夏のことだ。前年12月27日から翌1月18日にかけてガザで行われた「鋳造された鉛」作戦時の軍の行動に関し、複数の人権擁護団体が批判的な報告書を公表した(2)。首相は既に、1996〜99年の第1次内閣の際にタカ派の評判を固めたネタニヤフに交替している。ネタニヤフ新内閣は報告書の結論に強く反発し、その作成者と考え方を激しく非難した。

 「我々はこの種の団体と戦うために時間と人員を割くつもりだ。手をこまねいて、こうした人権擁護団体が何の咎めも受けずに、我々を攻撃するままにさせておくつもりはない」と、ネタニヤフ内閣官房のロン・デルメルはエルサレム・ポスト紙に語っている。「こうしたことに加担するNGOは、どれも火に油を注ぎ、ハマスの主張を助けていることになる。ハマスの思うつぼだ(3)

国際人道法を疑問視

 2009年8月には、モーシェ・ヤアロン元参謀総長・現戦略問題担当大臣が入植者たちとの会合の席で、非常に穏健な団体「ピース・ナウ」の運動家らを「ウイルス」と形容した。「多大な被害を引き起こしてきたピース・ナウ・ウイルス、なんならエリート主義者と呼んでもよいが、この問題に我々は再び直面しているのだ(4)

 首相から叱責されたものの、この発言が、デルメルの戦闘的な物言いに続いて、その後の情報キャンペーンの基調となっていく。イスラエル政府による情報キャンペーンは、2009年9月にガザ紛争に関する報告書が公表されると、いっそう激しくなった。国連人権理事会の要請に基づいて報告書を提出したのは、南アフリカのゴールドストーン判事を長とする委員会である。その内容は、人権と国際人道法への重大な侵害、「戦争犯罪、ことによれば人道犯罪に匹敵する行為」が、イスラエル(とハマス)にあったと非難するものだった。

 イスラエル政府は、この報告書を黙殺することもできたし、いつものように「反イスラエル」的なものだと糾弾することもできたはずだ。しかし彼らは、委員会の勧告については黙殺しつつも、向けられた非難を深刻に受け止めた。そして、報告書および「ゴールドストーン主義」ないし「ゴールドストーン効果」とも呼ぶべき現象に、全面的に立ち向かうことにした。それは、彼らの見るところ、イスラエルの正当性を否定し、イスラエルが存在する権利を否認しようとする国際的な動きを体現しているからだ(5)

 2009年11月には、ネタニヤフ首相自身が、イスラエルで最も重要な戦略研究機関の1つであるサバン・フォーラムでの講演で、「イスラエルの安全保障に対する3つの脅威」を特定した(6)。1つめは「地図上からイスラエルを抹消」すると脅している「核保有国イラン」である。2つめはハマスやヒズボラのようなイスラム主義組織の発射するロケット弾である。これら従来からの重大な敵対勢力に続く3つめの脅威とは何か。「平和に対する3つめの脅威は、イスラエルの自衛権を否定しようとする動向です。それこそが、ガザに関する国連のゴールドストーン報告書の目的なのです」

 首相によれば、問題はゴールドストーン判事や人道活動団体だけではすまないし、標的はイスラエル一国に留まらない。「この国連報告書は、イスラエルだけの問題ではないのですよ。テロと戦っているすべての国の手を縛ろうとしているのです」。問題は、イデオロギー的・政治的な理由からの国際人道法(戦時国際法)違反の有無では終わらず、そうした法の定義そのものにあるのだという。これらの法は、ネタニヤフによれば、「一般人の居住地域に紛れ込み、無実の人々に意図的に攻撃を加えるテロリスト」を不当に保護し、テロリストと戦う国々の倫理的・法的立場を切り崩すものだ。

 彼はこの「脅威」に立ち向かうため、国際人道法の抜本的な見直しが必要だと述べた。「皮肉な話ではありますが、道徳的に歪んだこの報告書に対して、優れた国際的リーダーや法律家たちが断固たる姿勢を示すことで、テロリズム時代の戦時国際法の見直しを促進できるかもしれません」

 ジュネーヴ条約や国際人道法を批判するのと、これらを侵害あるいは無視するのは別のことだ。侵害や無視は、国家アクターや非国家アクターが絶えず行っていることではある。しかし、これらの法規やその擁護者が国家存亡の脅威であるとして、それと徹底的に闘おうというのは、さらにまったく別のことだ。イスラエルの「度を越した」行動を抑えうるゴールドストーン報告のような法的文書が、国家存亡の脅威として受け止められたのは、この3つめの見方に由来する。

国内外の団体への締めつけ

 こうした点を踏まえると、マヴィ・マルマラ号への襲撃は、NGOその他の国際的運動家が咎めを受けずにいる状況はもう許さない、というイスラエル政府の意思表明として理解できる。つまり彼らは、イスラエル領内に到達しかねないイランの核兵器、あるいはロケット弾と同じように、戦略的脅威として位置づけられているのだ。

 2010年1月、イスラエルのシンクタンクであるレウト研究所は、イスラエルに対して開始された「正当性剥奪戦」への懸念を表明した。日刊紙ハアレツに掲載されたギディ・グリンスタイン所長の寄稿である。「我が国の政治家と軍人は、外国へ行けば裁判や拘束のおそれがある。我が国の製品に対する不買運動は増大し、我々の存在自体が学術団体や知識人サークルの間で問題視されている。我が国はますます孤立している。こうした変化が国の存亡に関わる戦略的脅威になりかねないという認識が、これまでイスラエルには欠けていた(7)

 今や、この「認識」は確固たるものとなった。イスラエル政府と親政府団体らは、「正当性剥奪に対抗するための」多面的な計画を開始した。その目的は、ある関係者の言葉によると、「『人道支援を標榜する』一部のNGOが、『人権の普遍的価値』の名目で、政治的・イデオロギー的動機による反イスラエル的主張を広めているのをやめさせる」ことにある(8)。これと並行して、イスラエルの団体が、ニュー・イスラエル・ファンドに対する反対キャンペーンに乗り出した(9)。イスラエル市民社会の運動家(やNGO)の中には、ゴールドストーン委員会の調査に協力することで国家基盤を揺るがせたとして非難されているものがあるが、それらの資金源が米国に拠点を置くニュー・イスラエル・ファンドである。

 こうした空気が2つの措置を促した。イスラエル国会は2010年2月、外国政府の支援を受けている団体(大多数の人道支援団体、人権擁護団体が該当)には非課税特権を認めないとする法律を、圧倒的多数で速やかに可決した。また2010年4月には、高級官僚や将校に対して国外で起こされた訴訟に関与しているNGOの活動を禁止する法案が提出された。

 イスラエル軍は、ヨーロッパ人をはじめとする国際的運動家たちとの激しい対決を再開し、パレスチナ各地を急襲して彼らを拘束している。強制退去させられた者や、テルアヴィヴ空港に新たに特設された収容センターに留置された者もいる。

 イスラエルの13の人権擁護団体が、2010年1月に公開書簡の形で、「イスラエルの人権擁護団体と社会変革運動団体に対する攻撃の増大を非難する」ことを政府に勧告し、「市民社会団体の正当性を否定しようとする公職者たちの一連の罵詈雑言」を挙げた。たとえば「内なる敵」を糾弾するヤアロン大臣の発言などだ。彼の論理によれば、国際NGOは「外なる敵」ということになる(10)。マヴィ・マルマラ号の一部の乗船者が臨検に対して暴力的に抵抗したことを加味しても、イスラエル兵の反応が度を越した背景には、このような論理があったのだ。

 イスラエルは、国際人道法の書き換えを図り、パレスチナへの支援物資供給の規制を続けるつもりだろうか。国際団体は、それに対して訴訟を繰り返し、新たな船団を送り続けるつもりだろうか。もしそうなら、マヴィ・マルマラ号の事件は、人道援助と国際法をめぐる新たな闘争の始まりの号砲として、人々の記憶に残ることになるだろう。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年7月号)